たつみかずき。27歳。職業:自営。バツイチ子無し。
こんにちは。
長野県小谷村-OTARI-の古民家で宿を運営しているたつみです。
自分の過去を書きまとめる作業、2回目でございます。
誰もが持つ過去から紡がれる物語の断片を。
自己満足にもネットの世界へ解き放つ次第です。
お暇な方はどうぞお付き合いいただければこれ幸いにございます。
-2006年4月
20歳となった大学二回生の春。
ぼくはリア充にも程があるキャンパスライフを謳歌していた大学を中退しました。
‘大人’となったぼくには今後将来の見通しが全く立っていなかったのです。
クラブ4つ、サークル1つ、バイト3つ、バンド2つ、彼女あり。
学生でいながら慢性的にスケジュール帳は真っ黒でした。
手に職をつける訳でもなく、勤勉に励み自己課題研究に没頭する訳でもなく。
やたらと交友関係と社交性を広げ学生という身分を存分に生かし、いま過ぎていく‘いま’を謳歌するに止まない学生だった訳です。

古都京都。
風情と最先端の文化、情緒と喧噪が入り交じったミックスシティー。
夜のネオンとどこからか漏れる重低音。
夜の街、木屋町を南北に流れる高瀬川には満開の桜が花を落とし。
ピンクとそれ以外の原色の光を流しておりました。
大学生という肩書きを身に纏い。
恐いものも、失うものすら背負わずに堂々と人間社会の一員となってから2年目の春。
20歳という年齢になんらかの変化を感じ、ぼくはこれからの自分の生き方を説いたのです。
たつみかずき(20歳)「おい自分。お前はいったいなにがしたいんだ?どうやって生きていきたいんだ?全てが中途半端なお前に、いったいこれからなにができる?」
たつみかずき(20歳)「あ。。そうですよね。。えーっとですね。。その件に関してはですね。早急に検討しぃ返答させていただきますぅ。。」
ぼくはどんな仕事をしたいのか?
街の電飾で赤く色付けられた木屋町の空を眺めながらぼくは自問自答を繰り返したのでした。
高瀬川は一定の速度を保ちピンクの小さな花びらを南へ南ヘと運び続けておりました。
いや、違う。そうじゃない。
いまの自分に問いかけることは、未来の仕事の選択ではなく
【どんな自分としてこれから生きていきたいのか??】
という。
これからなりたい自分、こんなことをして生きていたい!
人生という価値観の形と方向性はなんなのか?だったのです。
その頃のぼくはと言えば。
とにかく楽しいことに片足を突っ込んでは遊び倒し、結果を出すこともなく日々を消化しておった訳です。
おもちゃをたくさん広げて片付けられない子どものごとく。
「なにやってんだー??」な時間を悶々と過ごしていたのです。
高校生から続ける音楽活動、続かないバイトと彼女、順風満帆なキャンパスライフ。
桃色のキャンパスライフと飲み会の日々。それでいいではないか!!
と思えばそれもしかりではありましたが、なにかが違う。
なんとなく感じる大学という‘人生最後の猶予期間’
学園祭前夜を365日×4年な日々を続けているような感覚。
「社会に出てからは真面目にどうにか働きます。だから学生のいまくらい神様。大目にみてはくれませんでしょうか?!!」
自分も含め、学生の皆がそんなことを心の片隅で呟いているように思えてならなかったのです。
ぼくは当時しがない大学の経営学部の学生でした。
夢なんてものが定まってもいなかった高校3年の夏。
ぼくは半年を過ごしたカナダ留学から浮き足立って帰国。
校内のお受験ムードに興ざめし、流れに乗る形でしがない大学の経営学部を専攻したのです。
「いつかは、そうだなー。雑貨屋か呑み屋でもやりたいなー。」
経営学部を選考した理由は、経営学部に入れば経営者になれる!!
なんて世間から指を差されて笑われるような浅はかなものだった訳です。
ある日ぼくは同じ学部の同級生にききました。
たつみかずき(19歳)「やす(仮名)もいつかは店持ったり、社長になったり、やっぱりしたいん?!!」
やす(仮名)「はー?!たっちゃんなに言うてんの??!そんなん思てる訳ないやん!!」
たつみかずき(19歳)「え?!そうなん?!!やって経営学部って、皆独立しようと思って専攻してんちゃうん?!!!」
やす(仮名)「え??そんなことやないやろ!将来なにしたらええかわからん奴らが集まってるんちゃうん?」
ある日ぼくは経営学部の教授にききました。
たつみかずき(19歳)「先生。ちょっとおしえてください。」
大学教授「どうしましたか?」
たつみかずき(19歳)「先生はやっぱり会社経営とか、お店持ったりとか。してるんですよね??」
大学教授「??いいえ。私はそういうことはしてないですよ。株くらいはちょっとだけしてますが??」
たつみかずき(19歳)「え?!経営してないのに、経営学おしえてるんですか??!」
大学教授「ええ。経営学は、あくまで学問ですから。経営学というのは。。以下省略」

嵐山の夕日がぼくを優しく包み込みました。
ぼくは自分にゆっくりとこう言いました。
「たつみ。あれだ。なんて言うか。。うん。 勘違い、だったんだよ。。」
そうか。大学に行ったら社長になれる訳じゃないんだ。。
いまとなれば恥ずかしい次第でありますが、当時のぼくは結構へこんでおりました。
20歳の誕生日を迎えた瞬間。
ぼくは木屋町のカラオケ屋で所属していたクラブの新入生歓迎コンパご一行を2部屋に押し込む作業で一汗を流しておりました。
ぼくが20歳になったことを知らせたのは同じ日生まれの小学校からの同級生が送りつけてきた
「お誕生日おめでとう♥ぼくと君。」
というメールでした。あ。もちろん。。男です。同い年の中で最も老け顔の、男です。。
酔いに酔った未成年者と先輩方合計20数名。
押し込んだ部屋から聞こえる盛り上がりの絶頂を迎えた悲鳴のようなコール&レスポンス。
人々の熱狂をしらふのように遠巻きに眺め、ぼくは夜の木屋町へと足を進め、冒頭に戻る訳です。
とにかく辞める。辞めることから始めよう!!
「大学の新年度授業料の支払期限が5月中です。それまでに決めてきてね。」
事務室に退学の手続き方法をききにいったぼくは眼鏡の若い女性の事務員さんからそう言われました。
カフェテリアにはいつもの同じ学部の友人達がたむろしています。
花びらが後少しだけ残った葉桜と、差し込む光が暖かくメインストリートのベンチでうたた寝をしたいような陽気の朝でした。
煙草の煙が光の中に浮かぶ部室では講義をさぼる先輩達が漫画を読んでおりました。
このぬる過ぎる空間に。ぼくは居心地の良さを感じてしまう。
熱くなることも、冷めきってしまうことのない居心地抜群の大学生活。
このままのんびりしてしまおうか。
ぬるま湯に浸かっていてなにが悪い?!そんな優柔不断なぼくが顔を出すのです。
特にその後のことは決めていない。とは言え、このままじゃいけいんだよ。きっと。
「とにかく辞める。辞めることから始めよう!!」
ぼくは程なくして、この素敵空間である大学を退学したのでした。

それから2年間の間。
マニアックなPCパーツショップで電子マニアに囲まれながら仕事をしたり
JICAや海外のツアコンの説明会に参加したり
スーツに偽名名刺を忍ばせて大阪の怪しすぎるリアル経済の一端に片足を突っ込んでみたり
在籍していた大学の学園祭を先輩と乗っ取ってみたり
学園祭実行委員長からイベント団体を一緒に運営しよう!と声をかけられたり
イベント団体を結成し京都の多くの大学から最盛期80名弱までメンバーが集まったり
結果毎週なんらかのイベントをこなすようになったり
自宅が慢性的にたまり場になったり
怒濤の日々が過ぎていきました。
大学を退学して2年が経ち22歳になる春。
ぼくはまた木屋町の桜を眺めておりました。
無茶な速度で走り抜けた時間と、少しばかり身を持って得た経験。
ぼくはまたここで自問自答を繰り返したのです。
20歳になった夜に自身に問いつめたことを再度問いつめました。
なにがしたいのか?
どんな自分としてこれから生きていきたいのか??
過ぎた時間で自分がやりたい!!ことがなんとなく見えた気がしました。
◯考えるべきこと
①やりたいこと
・協力隊とかツアコンとかワーホリとかで海外
・リゾートバイトなんかで知らないところでバイト
②自分がやっていること
・バンドとか作曲とかの音楽関係
・写真とか広告作成とか趣味の範囲で制作活動
・たまり場づくりと繋がりづくり
・イベント企画
・他
ここではないどこかへの放浪に憧れる自分。
相変わらず手に職をつけず楽しいことに片っ端から片足を突っ込んでは極めることができない自分。
この二つの自分が見えてたのです。
ここでぼくが決めたこと。
③上のことを踏まえて決めた!!!!こと
・30歳になるまで旅には出ない!
ここではないどこか。を求める自分に未来はない。
きっと旅を始めてしまえば、どっぷりとハマってしまい気がついた頃にはなにもいまと変わらず交友関係と社交性のみを広大に広げ、社会経験もない社会不適合者になること必須。
だから、少しの間は旅には出ない!!
・やりたいことは全てやる!中途半端でもいいから10年は辞めずに続ける!
職人にはならない。遊び人になろう。
全てを極めず、全てを楽しみ続ける、そんな大人になろう。
一つのことを極めることができない浮気性なんだから、人一倍雑学と会話の引き出しを持つことができばれば、それはきっとぼくのオリジナリティーになる!!
始めたことは辞めなければ、いつしかクオリティーはついてくる。はず!!
この二つのぼくなりの答えを。
ぼくは自問自答の結果見出したのでした。
それからぼくは自営業者となり
学生とのイベントは辞め、団体のパートナーである元学園祭実行委員会の田畑氏と共にフリマと野外音楽イベントを始めました。
同時に、怪しい先輩から廃品回収の仕事を任せられ、軽トラを転がし交渉術を身を持って学びました。
この二つの仕事を約1年やりきり。
全てを一度フラットにする為京都を出たのです。
「楽しいこと以外やらない。」そうやって生きていくことだけ、決めました。
-2013年12月年末
長野のど田舎に移住してかれこれ5年。
ぼくは小谷村-OTARI-役場の庁舎で花束を受け取りました。
小谷村の地域おこしという職業を辞職し、この瞬間からぼくは‘雇われない人’となったのです。
年明け早々同年代のオーナーと白馬村でシェアハウスを開業。
2月からは自身の宿の二号館を開業しました。
二つの新規立上げが重なり、テンパりまくりのあくせくしまくりの新年となりました。
振り返ってみれば、いつでもぼくは貧乏暇無しあくせく生活を謳歌しております。
雇われない生き方を始めて2014年4月1日現在でちょうど4ヶ月。
かれこれ2週間後には28歳、アラウンドサーティー色が色濃くなります。
いまのところどうにか、極貧の中ではありますが、生きております。
現在2つのゲストハウスの経営と、一つのシェアハウスを任されて生活しております。
たまに地域おこしがどうとか、ゲストハウスがどうとか。そんな内容で偉そうにも壇上でお話をさせていただくこともあります。
宿業を始めてからも結局宿の関連で毎週の様にイベントを企画したり、役場の婚活事業のイベントを丸投げられたりしております。
京都時代に共にイベントを創り上げていただいていた映像団体に魅せられ、ぼくもほそぼそど田舎で映像活動をしております。
音楽活動もこれまた細々継続しております。自主制作CDを近々発表します。
京都時代からまったく上達しない写真もデザインも継続中です。
地域おこしの仕事で関わっていたじいちゃん達と山菜や山葵をつくっております。
無駄だと思っていた過去全てのくだらない過去の時間が
現在を創り上げる為に必要であった時間なのだと実感する日々。
「あの頃はよかったな!!でも、いまのがもっともっとよいけどな!!」
な日々を更新中。
期待と不安がハーフ&ハーフな2014年。
「楽しいこと以外やらない。」
今年になる頃に決めたことが、これからの人生のメインテーマとなりそうです。
楽しくないことして自分をすり減らして生きていくことなんて糞喰らえ!!
貧乏暇なしでもいい。楽しいことだけしてどうにか生きていこう!!
雇われでもそうでなくてもなんでもいい。
とにかくテーマは楽しい!!こと。
そんな日々を実戦中にございます。
「一生遊んで暮らしたい。」そんな夢物語を語るのではなく。
「一生遊んで暮らす!!」そうします。
長野県のど田舎は雪どけ真っ盛り。
春一番に咲く黄色い花の福寿草が眩しく、ふきのとうが美味しい季節。
明日の不安を慢性的に抱える若輩者でございます。
さてさて果たしてぼくはこれから生きいくことができるのか?!!
物語は日々更新中なのでございます。。

長文&乱文を最後までお読みいただきありがとうございます。
もしよろしければど田舎移住からいままでのことをまとめた「古民家ゲストハウスの創り方」もどうぞお読みください。
文:たつみかずき
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宿紹介:
梢乃雪二号館ゲストハウスカナメ Fb