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  • ロンドンの便器が教えてくれたこと | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 16/9/9 ロンドンの便器が教えてくれたこと Facebook X (Twitter) リンクをコピー 『I am not afraid of change 』 ( 僕は変化を恐れない。) 僕は20代の前半に2年間ほどロンドンで生活をしていた。その2年の生活を終え日本へ帰国する飛行機の中でロンドンでの日々を振り返り、皮肉にも最後に書き綴った言葉がその言葉だった。そして8年の月日が流れ僕は再びロンドンを訪れた。 ロンドンは大きな変貌を遂げていた。8年という時の流れのスピードとその変化に僕は戸惑った。それはロンドンの街が自分が予測する8年という時の流れを遥かに越える変化だったからだ。10年前にロンドンで過ごし始めた時の僕のこの街の印象は、なんてゴミの多い街なんだろうというものだった。 人々はハンバーガーを食べた糟をポイッと街中で平気で捨て、タバコも吸いきってその辺りにポイッというのが当たり前に行われていた。それは若者だけの話しでなく、品の良さそうなおばあさんが飲み干したジュースの缶を電車の中でポイッと後ろに放り投げた姿を今でも覚えている。 それでは僕は『何故ロンドンの人はゴミをそんなに平気で捨てるの?』って疑問に思って数人に聞くと皆一様に『私らが奇麗にすると掃除する人の仕事がなくなるじゃない。それがロンドナー流よ!』と言われ衝撃を受けた。それ以来、僕も右に習えしてゴミをポイポイ捨てロンドンに溶け込んでいったのだった。 しかし当時のゴミの多い様子は見る影もなく街は奇麗に整っていた。それは中心街だけの話ではなく、僕が多くの時間を過ごしていたイーストと呼ばれる元々は治安はそんなに良くないエリアでさえも整然とし奇麗に掃除されていた。 当時のそのエリアは昼間から若者やホームレスがビールや酒を煽り、辺りでマリファナの匂いが漂い、バングラディッシュやインドからの移民の人も多かった為、様々な香辛料の香りが混ざり合い独特の匂いを醸し出していた。夜になればどこかしらで近隣に住むアーティストやDJ達の小さなパーティーが廃墟で行われてる音が聞こえてきたり、若者の喧嘩をする叫び声やビール瓶が割れる音が時折聞こえてくるそんな場所だった。治安の不安や汚さはあるけれど、其処には刺激的で面白い人々や場所が多くあった。 『その辺りの治安は公衆トイレを見て判断しろ』 という言葉がある通り、公衆便所なんてここを使う意味をなさないくらい汚く、何故だが便器にバットやヘルメットそれにバナナの皮やコンドームなど詰め込まれ、『トイレって何をする場所だっけ?』という疑問を呼び起こすカオスなトイレばかりだった。 そこにあったトイレさえも奇麗に整い8年の間に生まれ変わっていた。それはただトイレが奇麗に取り替えられたばかりという話ではなく、そこに住む人々の生活、ないし住んで居た人々自体が変わってしまっていた事を意味する。 その当時に同じようにトイレを奇麗にしたところで確実に便座を盗む奴がいたし、酔っぱらってトイレでセックスをしたり落書きをしたりゴミを捨てたりする奴ばかりで、トイレはあっという間にカオスになっていただろう。しかし今ではそんな事も起こりえない街になってしまったようだと僕は奇麗な便座を見つめノスタルジーを感じていた。 そんな奇麗な便座を見つめて感じていたのはノスタルジーだけではなく、同時に言葉では表せないような悲しみに似た切なさも感じていた。それは当時大好きだった彼女が数年ぶりにあったら凄く変わってしまった事に対する失望に近いかもしれない。 僕はその観光地化されたエリアを歩きながら『あいつのちょっ危なかしくてエキセントリックな部分が好きだったのに、、、。』とか『時折見せるあの純粋無垢な剥き出しの笑顔が好きだったのに、、、。』とかロンドンという昔の彼女の過去にすがり、新しいロンドンを受けられない状態でいた。 それほどまで当時のロンドン、特にイーストエリアのBRICKLANE, SHORDITCH, KINGSLAND ROAD, OLD STREETの少しばかり危なっかしくてでもとても刺激的で面白い人々が集まる場所が大好きだった。そのちょっと危険な香り漂わせ剥き出しの笑顔を時折見せてくれるその姿は、誰にでも変わらない笑顔を振りまく観光地になってしまっていた。生まれてこの方、自身や周りに対しても変化を求め続けてきた僕にとって、この変化に対してこれ程までショックを受けるとは思いもしない事だった。 ロンドンは2012年にオリンピックを迎え、それに向けて大きく変化をしていったのだ。 世界中から人々が訪れるその機会の為に、ロンドンは観光に力を入れて街を整えていった結果が今になる。当時のイーストのままであれば観光客は訪れにくい場所だったのに違いない。それと同時に家賃が高騰し、投資としての不動産もそのエリアに広がり、当時その場所に居た人達も引っ越しするしかないような状況に追い込まれたのだろう。 その為、以前街にあった個人が経営する店よりも大手資本が運営するチェーン店などが増え、もともとそこにあった味が薄まってしまって、過去の濃い味に慣れて親しんでいた若者達にしても、そこに残る意味さえも薄れてしまったのだろう。確かにそこは治安が良くて住みやすい町にはなったかもしれないけれど、僕が求めていた新しくて刺激的で特別なモノはもう生まれない街になってしまっていたのだ。 10年まであれだけアメリカ文化やコーヒーを毛嫌いしていたロンドンの人々も東京やニューヨークそれにアメリカに習う他のアジアの都市と同じようにスターバックスやコーヒーショップや大手資本チェーン店が立ち並びどことなく他の都市と似た風景になりつつあるように感じた。 SWINGING LONDONを始めパンクやモッズやヒッピー、ニューウェーブそして近年の世界的に広がるEDMブームに繋がるエレクトロクラッシュ等、過去様々な音楽やカウンターカルチャーを生み出してきたその土壌は何処へ行ってしまったのか。"クールブルトニア"と呼ばれたあのカッコイイ刺激的なロンドンは消えてしまったのだろうか。ロンドンナーに根付いていたアナーキーの精神もまたオリンピックとグローバルの波に押され薄れていってしまったのかもしれない。 それはこれからオリンピックを迎える東京にも同じように言える事かもしれない。確実に東京オリンピックで江戸の下町、東京の東側は生まれ変わる。このロンドンのように。でも決して東京、いや江戸としてのアイデンティティは失って欲しくないなと、その奇麗な便座を眺めながら思うのであった。 つづく。 <観光地化されたイーストロンドンの現在> つづく、、、。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 子連れでオーストラリアに留学してみた~歯の治療編~ | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 17/1/14 子連れでオーストラリアに留学してみた~歯の治療編~ Facebook X (Twitter) リンクをコピー 「うちじゃぁ、無理だね」 と歯医者は言った。 それは渡豪後3,4か月たった夜10時ころ。 寝かしつけてから勉強しようと思って早く寝てくれないかな~と一緒にベッドでゴロゴロしていた。下の子が泣き始めた。ゆっくりと、めそめそと、そして徐々に鳴き声を大きくしていった。 上の子は眠くて寝てしまったようだ。 「どうした?眠れないの?」 と聞いてみた。 はじめは理由を言わなかった。 言ってはいけないと幼子ごころにも思っていたのだろう。 母子3人で知らないところでこんな風に暮らしている。 母は勉強まっしぐらで風呂にも入れず(自分でシャワーを浴びさせていた)、歯も磨かず(5歳くらいまでは磨きのこしがあるるので仕上げに磨いてあげてくださいね~と歯医者はいうが、)自分で磨かせていた。 なにか面倒な思い、心配な思いを母にさせてはいけない、と思ったかどうか、今では推測することしかできないが(本人に聞いてみれば覚えているかもしれない)。 何度かやり取りするうちに歯が痛い ことが判明。「どれ、見せて」 たしかに、黒い。 黒い部分がきちんと見える。 渡豪まえに歯医者でチェックしてもらったんだけど。 歯医者は保険効かないから(保険によりけりですが)2年間歯医者だけは避けたかった。 が、そうはいっていられない事態らしい。 翌日近くの歯医者に予約をいれ何とか見てもらう。 で、冒頭のセリフに戻るのです。 「小児歯科を紹介しますから、そちらへ行ってください」 はあ、200ドル払って紹介状をもらいその日は終了。 後日、その小児歯科を探しあて行ってみた。 車で40分くらいのところにあった。 小児専門なので、雰囲気はとても良い。 受付のおばさんはアジア系でいろいろ話を聞いてくれた。 次に歯科助手?の人との面談。 そしてやっと先生による診察。 先生は中国系の女医さんだった。 若くてきれいで丁寧に説明をしてくれた。 その説明によると、 8本の虫歯あり 通院治療をすると何度も通うことになる 全身麻酔で手術すれば一度で終わる 治療費はどちらでもだいたい同じ ということだった。 日本に戻って治療したところで通院だから1か月以上はかかるだろう。 治療費はタダでも飛行機代を考えたらどうだ? いろいろ考えたけっっか 全身麻酔による手術 を選択。 予約は2か月待ち。これでも早いほう。運よく空いている日に入れてもらえた。 手術はこの場所ではやらない。別な場所。 さらに40分ほど遠いところ。他の子供は連れてきてはならない。 などいろいろ説明をうけた。 手術当日、手術後は物を食べられないので朝兼昼ごはんを食べさせ、 上の子をリンダ(インドネシア人の友達)に預け 手術場所へ向かう(これも地図とにらめっこしながら探し当てた。地図とマニュアル運転はつらい、、)。 いろいろな用紙を読まされサインをし、いざ手術。 「麻酔しま~す」 ということで、ベッドに寝かされた我が息子の手を握る。 「ママ、、、」 という言葉を最後にくたっとなって眠った。。。 大丈夫なのか?起きるんだろうね、終わったら。 不安を誰にも言えず、見送ってから何時間がたったのか。。 2時間はかかったと記憶している。雑誌とか読み物も あまりなく、やることなく苦痛だったことだけは覚えている。 他の患者や付き添いのひともいたが、会話せず。 「北原さん、中へどうぞ~」(英語だからこういったかどうか覚えていない) で、処置室へ(大部屋というか、広い場所) 「うわ~ん、うわ~ん」 という鳴き声が響き渡っていた。 「すごく泣いていて泣き止まないのよ。どうにかしてくれる?」 みたいなことを言われたと記憶している。 「ROYくん、ROYくん、ママだよ、大丈夫だよ」 と何度いっても無理だった。 のたうち回って泣き続けた。 看護師さんがあいしーぽーる(がりが○君みたいなアイス) をもってきて食べさせた。 手術後すぐにそんなもの食べさせていいのか? 虫歯になるぞ、治療したばっかりなのに? てか、傷口大丈夫なのか? 冷却効果があるから食べさせるらしい。 一本食べ終わり、食べている間は泣かなかったがまた泣き始まった。。 本当は一本なんだろうが、しかたなく看護師さんがもう一本持ってきた。 おいしそうに食べるROY。 食べ終わるとまた泣き始まった。 先生がやってきて説明してくれて、抜いた歯2本をくれた。 レントゲンでみると大人の歯が埋まっていないところがあるから、 そこは子供の歯を大切に使うために銀歯にしたという。 とにかく8本の虫歯治療が終わった。 手術代は日本円にしたらおよそ50万円。 その後も何度かチェックに行ったりしたので、治療費は70万円くらいか。。 日本の保険で5万円ほど戻ってきたが、痛い出費となった。 オーストラリアにきたんだからエアーズロックには行ってみたい、 と思ってとっておいた貯金をなくなく使った。 でも振り返ると初めての体験をいろいろできた。 あの女医さん、すごいな~と思った。 ありがとう。 の続きがある。 帰国後歯の矯正をさせることになり、歯医者に通っている。 これこれこうで、「銀歯かぶさっているところは大人の歯がな、い、、、、」 というと、 「ありますよ」 という答え。 その後、銀歯かぶせてある歯が抜けた。 大人の歯があるから、自然に抜けた。 どういうこと? 銀歯かぶせた歯は大人まで使って、その後インプラントしたほうがいいですよ~ ってあの女医さん言ってたけど? その時はなかったけど成長して出てきた? 謎は謎のまま。。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • おすすめの日系のロボット掃除機 Uoni V980 PLUS(中編) | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 おすすめの日系のロボット掃除機 Uoni V980 PLUS(中編) Facebook X (Twitter) リンクをコピー おすすめの日系のロボット掃除機 Uoni V980 PLUS(前編) 前回の内容を続きましょう。本日Uoni V980 Plus4つの方面から紹介します: 1「水タンク」 2「スマートアプリ」 3「機体パワー」 4「集塵」 水タンク Uoni V980 Plus は110 mlの大容量の水タンクをサポートしています。二つの緩衝孔を通して水が出てきます。均一な浸水効果を達成するために、緩釈孔は植物模倣の維管束技術を採用しています。古い滴漏技術よりも水が省けます。フル水状態で連続して60分間水が出ます。Uoni V980 Plus の清掃速度によって、約200平方メートルの地面を湿らせます。モップ掃除したらすぐ乾きます。床が濡れないようになります。 さらにモップは超大型抗菌材を採用しています。非常によく水をロックしました。内部は綿面です。タンクのボタンと簡単に組み合わせて固定できます。水タンクと集塵箱は独立しています。簡単な取り外しができます。 途中で水を入れて布を換えることができます。Uoni V980 Plus の断続的な掃除機能で、水入り動作は全体の水拭きの進捗にう影響を与えません。 Uoniスマートアプリ 操作画面は簡潔で機能ははっきりしています。主機能の清掃以外、細かい機能設定があります。音量、掃除機の呼び出し、スケジュール設定の機能が含まれています。APPで詳しく調整できます。 UoniSmart APPがあれば、いつでも遠隔操作でUoni V980 Plus を呼び覚ましてもっと詳しい清掃計画を制定します。既存の地図を管理することもできますから、同じ場所を二回設定する必要がありません。さらに、フィルター、サイドブラシ、主ブラシの消耗材まで消耗状況(比例)が計算されています。交換頻度をある程度把握できると考えられます。  APPは操作者とUoni V980 Plus とのコミュニケーションの鍵であり、Uoni Smart APPを活用して、Uoni V980 Plusを便利に使い、各清掃任務を楽に完成させると言えます。リモコンは掃除に関する基本的な機能をすべて実現できます。吸力の大きさ制御、集塵、自動帰還充電などの操作が含まれます。携帯アプリよりもリモコンの方が便利で、ネットなしでUoni V980 Plus を操作できる。 パワー ドアやカーペットはロボットにとって大きな掃除問題です。動力システムが悪いとロボット掃除機は主人にいつでも助けてくれる状態になり、面倒です。 しかし、Uoniのこのロボット掃除機は高さ2 cmの障害物を乗り越え、カーペットでも自由に動けるようになっています。 高さ2 cmの障害物を越えて、10 cmの低い空間に潜り込むことができます。これはベッドの底、ソファーなどのばしょ、いわゆる家の死角を掃除することができます。これに対して、Uoni V980 Plus は専門家です。僅か5分間働いて、主人の腰をかがめてベッドの底を掃除する苦しみを免れることができます。 集塵 集塵箱はUoni V980 Plus の自動集塵セットの特色であり、Uoni V980 Plusが集塵要求を開始するたびに本体を移動させ、集塵箱と集塵ボックス(機体に付き)の間のゴミ輸送口を密着させ、この時10秒でゴミの移りができ、驚く収集効率があり、しかも全過程でほこりが溢れなく、単純な手でゴミ処理するより衛生です。 集塵箱に4.3Lの集塵袋があり、普通の家庭にとって、大体一ヶ月の塵積量で、空間設計の大きさはやはり合理的です。 集塵の原理は複雑ではなく、主に箱の中に1000W大電力でほこりとゴミを袋に吸い込みます。集塵袋の上に手で密封することができて、取り出す瞬间にすでに集塵袋の口を締めました。全过程はごみに接触する必要がなくて、衛生また迅速で简単です。 バレンタインディー、S2ロボット掃除機は30%off、13,860円で導入できます。 #ロボット掃除機 #掃除道具 #家電 #知能 #便利な使い方 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 第九十九章 1%の支持者がいたら、それでいい | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/11/28 第九十九章 1%の支持者がいたら、それでいい Facebook X (Twitter) リンクをコピー 第九十九章 「1%の支持者がいたら、それでいい」   私が一番苦手な生徒は、 「それは、こうしたらうまくいくよ」   と言うと、 「佐藤先生は、違うことを言った」  というもの。その話されたことを予測したうえで提案しているのだけれど、分かってもらえない。自分でどちらの言うことが良い解き方かを判断してもらうために話していても、自分で考えることをしないで「先生」の権威にすがる。   先日も 「ドラゴンイングリッシュに、たとえに本文に『しかし』と書いてあっても、前後の内容が逆説になっていなかったら but ではなくて and にすべきと書いてある」  と言われた。よく勉強していることは感心なのだけれど、鵜呑みにしてその是非を考えない。私は 「英作文は翻訳なので、勝手に解釈して接続詞を変えるのは越権行為だよ」  と言っておいた。プロの作家や研究者が練りに練った文章を 「前後関係から、この接続詞は別のがいい」  と決めつけて変更するのは、作家の意図を踏みにじることがある。高校生にプロの文章を評価させることが英作文の問題の目的ではないのだ。   私はこのスタンスで英検1級に合格し、京大二次でトップクラスの8割をたたき出してきた。正しいスタンスのはずだ。もし、目の前に 鈴木先生は、名大卒、京大二次で8割正解、英検1級、通訳ガイドの国家試験、国連英検A級、ビジネス英検A級、アメリカで教師経験あり。佐藤先生は、京大卒だとすると、どちらの言うことを信用するだろうか。   どちらとも決められないだろう。   ところが、一方の主張が参考書の形をとり製本されて書店に並ぶとその権威は圧倒的となる。大規模予備校の看板があると更に強力になる。一匹狼の田舎の塾講師の私の話など誰も耳を貸さない。   いや、誰もではない。私を直接知る、地元の難関校トップの子と通信生の子たちは信用してくれる。   先日も、授業中に 「先生、この模範解答は絶対におかしい!」   という声があった。私がしばしば書かせてもらっているように英語が話せない人が英語を教えているのが現実だ。参考書の模範解答を書いている人は、学生アルバイトのこともある。ほとんどの人がその不適切さに気づかないが。   私の指導させてもらっている優秀な理系女子は騙せない。そういう子たちは、たとえ書店で売っていようが大規模塾の講師が出版していようが関係ない。自分で判断するからだ。   私の Youtube の動画が合計38万回再生されたり、アメブロの「受験生」ランキングで1位になるのは、私の書いていることに同意される人が多い証拠だ。150万人の大学受験生のうち、1%の人が同意してくれたら1万人を超えるからね。   私の塾は2教室あり、その近くには6つの公立中学校がある。他の中学校からも通ってもらっているが、1%の支持者で経営は成り立つ。もちろん、もっと来ていただいているが。   すべての人の支持などありえない。私が以前勤務していた塾では、授業が始まっても遅刻者が多いので、リスニングの音声を途中で止めたりした。授業が始まっても、学校で教えあうよう指導するものだから私語がとまらない。   すると、賢い子たちは呆れて内職を始める。そして、最終的に 「勝手に勉強するだけなら塾に来ても仕方ない」   と塾をやめる。だから、塾はどこでも誰にも好かれる戦略は取らない。上位者向けの塾、底辺の子のための塾、しつけを重んじる塾など、さまざまに分業になるのが普通だ。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • メッセージVol27 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 メッセージVol27 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 2019/4/21 あなたがその女神の心を持っている。そして非常にその美しい女神としてのこれからあなたのその女性性を開花していきます。 なにかその女性性の詰まりがあった、抵抗があった、そして自分自身が女性としては生きてはいけないんじゃないか、そういったあなた自身の潜在的な抵抗を今この場においてその癒しの力によって排除していきます。 大いなる天使の光があなたに差し込み、そしてほんとにそのあなたの女神としてのその力、その能力を開花していきますよ。 最後の最後に何かあなたが抵抗している、自分でもほんとに開けていきたい、そして自分自身のその女性性も受け取っていきたい!という風にあなたの心は開いているけどその身体は強張ってる、怖がっている、そういったところがこれから徐々にそのこの癒しの力によって解き放たれていくことでしょう。 今ほんとにその心の揺さぶりが始まっているかもしれない。 まるでザルにかけられたようにほんとにあなたの思いがどんどん抜け落ちていく、その抵抗が抜け落ちていく、その真っ只中にあります。 飛行機でも上昇して上に行くまでに乱気流があります。 そしてほんとにこの乱気流さえ抜ければもうその後は青い空が広がっている。 だけれどもこの乱気流を怖がっているというか、もうほんとに今その真っ只中でジタバタするような感覚もあるかもしれない。 だけどここを突き抜けたら青い空がそこに大きな太陽が綺麗にあなたに光を注いでいます。 ですから信じ抜いてください。 何にもすることないですよ。 あなた自身のその心、そしてあなたが何か選択したものをしっかりと信頼していってください。 あなたが選択した事それは正しい道ですよ。 そしてあなたが益々これから飛躍してそしてあなたらしく、あー!これだ!って生きがいというか、ほんとに情熱を傾けてもう何も考えずに自分らしくほんとに伝えたい、そしてほんとに何か表現したい、ほんとにこう表現の場であなたらしくあなたを飛躍させ、そしてあなたを表に出していく、そういった時が今やってきていますよ。 その最後の抵抗をあなたが脱いで脱皮して、そしてスパッと抜けて本当の自分らしい、力が抜けて、そしてマイペースにやっていける、そういった時を迎えていきます。 安心して進み抜いていってください。 正しい道にしっかりと向かっていますよ。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 取引先の債権回収に担当者自宅まで踏み込むとどうなるか。その3 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/7/29 取引先の債権回収に担当者自宅まで踏み込むとどうなるか。その3 Facebook X (Twitter) リンクをコピー (前回のあらすじ) 個人の保険代理店ではあるが高級マンションを 自宅兼事務所にしている。 旦那は大手企業に勤めてるし羽振りもよさそう。 真っ赤な「Cherokee」で弊社に印刷物の納品がてら 挨拶にも来てくれた。 しかし、「Cherokee」との再会は最悪なもので あった。。。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 郵便物から得られた情報から、印刷会社など他の 取引先が分かったので、電話をしてみた。 しかし、どの会社も小さな取引ばかりで、 引越し先など調査する時間やお金もかけられないから、 泣き寝入りする会社がほとんどだった。 プライドを傷つけられた悔しさを晴らすためとはいえ、 ネガティブな案件に対して、弊社もそれほど時間を かけられない。 当時は、インターネットが発達していないから 現代のようにネットで気軽に検索もできなかった。 早くも行き詰まってしまった。 1週間が過ぎたころ、そういえば、 私は現場を見ていなかったなと 今更ながら気がついたのだ。 8月に入り、強い日差しが照りつける中、 土曜日で仕事もない落ち着いた時間に、 現地調査へ行ってみることにした。 赤坂のマンションへ着いてすぐにポストを確認した。 中途半端に開けられた状態はそのままで、 郵便物が詰まっていた。 すでに調査済みのものばかりだったが 改めて見直しているとマンションの管理人さん らしき人が現れた。 管理人さん:「勝手に何してるの!?」 私:「あ、すみません。。。」 実は・・・と言いかけて思い直した。 管理人さんは何か知っているかもしれない。 正直に言ってしまうと情報が聞き出せないかもな。。。 私:「実は、引越しされてしまった●●さんにどうしてもお届けしなければならないものがあって引越し先が分からず困っているんですよ。」 管理人さん:「あんた、運送屋さん?」 私:「そんな感じです(汗)」 思いついた嘘であったが、何とか切り抜けられそうだった。 管理人さん:「俺は詳しく知らないから、ここの不動産会社に聞いてみたら。」 そう言って、管理人さんは連絡先と担当者を教えてくれた。 やはり、現場から得られる情報は貴重だ。 もっと早く来るべきだったかもしれないと思いながら その場ですぐに電話をしようとしたが止めた。 部下に情報を持ち帰れと言った自分を思い出したのだ。 改めて冷静になり、これまでに得た情報と照合して 対応策を練ってから、電話をしてみることにした。 会社に戻り、ストーリーを練るためにしばらく考えていた。 まだ使っていない情報の中に、旦那の名前があった。 そうだ、これだ!! 旦那宛であれば、不動産会社に怪しまれずに 情報を聞き出せるかもしれない。 ストーリーを組み立てながら、最後と思われる このチャンスに賭けたのだ。 (つづく) X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 休学の負の部分を知った話の休学する前の話 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/4/12 休学の負の部分を知った話の休学する前の話 Facebook X (Twitter) リンクをコピー もっと勉強がしたい! そう思って入った大学院だが、1ヶ月で不登校になった。 初めての東京。 初めての一人暮らし。 友達はおろか知っている人はいない。 コミュニケーションは英語。 そんな環境にうまく適用できなかった。 僕は思った。なんでお金を払っているのに不登校にならなきゃいけないんだろう?大学生の不登校なんて、今までいっぱい見てきたが、まさか自分がそうなるなんて思わなかった。やる気満々で入学したのになんでこんなことに…。不登校当初、こんな感じのくらーいくらーい感情が僕を襲っていた。 そのうち指導教員の先生に、カウンセリングなるものを勧められた。カウンセリングは知っていた。僕の友達も受けていて、すごくいいというのを聞いていたからだ。 とりあえず行ってみよう。 そんな感じで行ってみた。カウンセラーという人たちは本当にすごい。あんなに話を聞いてもらったのは初めてだった。 僕はこの時病んでいて、人と人との会話はどちらかが気持ち良く話し、どちらかがそれを聞くものだと思っていた。僕はほとんど聞く側の人間として、生きてきたのでこんなに話を聞いてもらえたことが驚きだった。この先生なら自分の半分はさらけ出せそうだった。 半分。 そう僕はほとんど自分をさらけ出せない。自分の意見を言えない。不登校の原因はほとんどこれだった。 僕の通っていた研究室は自分の意見が求められる環境で、そんな環境は初めてだった。しかし、僕は言えない、隠す。結果、僕はそれから逃げて逃げて逃げて不登校となった。 ただし、勉強はまだ好きだった。カウンセラーに勧められて、僕は図書館登校を始めた。カウンセラー以外、誰とも話すことはなかったが、いろんな本を読めて、勉強できて、楽しかった。 そんなことをしていると前期が終わり、先生から後期からは来れそうか?休学するか?という内容のメールが来た。休学するには医師の診断書が必要だった。そして僕は心療内科に行った。 まず、事前アンケートがあった。アンケートに、 「死んでしまいたいと思うことがありますか?」 という項目があり、僕は「いいえ」と答えた。 それからカウンセリングだった。 ここに来た経緯を話して、最後に 「時々、ものすごく暗い感情が襲ってくるんですが、どうしたら良いですか?」 と聞いた。 「それって、死んでしまいたいってこと?」 と聞かれ、僕は泣きながら「はい」と答えた。こんなことってあるんだと思った。僕はどこかでこの質問をして欲しかったのだ。しかし、自分からは言えないし、誰も言ってくれない。でもこの先生は言ってくれた。カウンセラーはすごい。 診断の結果、適用障害という病名で診断書を書いてもらった。 その後僕は休学し、実家に帰ることになった。これが休学する前の話。 何も希望なんてない休学が始まった。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 将棋 プロ挫折後10 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 将棋 プロ挫折後10 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 不思議な出会い。 それはある日、鈴木さんに呼び出された時だった。 ある人を呼んでいた。 黒崎さんという方で(本名ではない)真剣師の人だった。 真剣師 それはプロに近い実力を持つ人たちで、いわゆる賭け将棋で将棋を磨いて来た人たちだ。 真剣師には強いこだわり、プライドを持っている人たちが多いらしく、黒崎さんは相手によっては負けてあげたり、メッタメタに叩きのめしたり様々なようだ。 一局だけ指してくれることになった。 右四間だった。 ただ、普通の右四間ではなかった。この人のは右桂を跳ねない相手の動きに合わせて一発入れる、特殊な右四間だった。 嫌な形ではあったがそれでも十分に戦えていた。 そう思っていた。 がしかし、囲いをには一切手をつけることなく、一瞬何が起こったのかわからないままに詰まされていた。 不思議な負け方だった。 こんなことがあるのか??? 俺は強くなった。 けど、藤原さんとも、門屋さんとも違う強さだった。 まるで魔法だった。 こんな人がアマのにいるだなんて、、、 真剣師という、また異質な存在がいるんだなということ思い知らされた瞬間だった。 一局だけ指して、黒崎さんは帰っていった。 俺が飛車を振ったこともあったが、黒崎さんには相手が居飛車だった時に使う、真剣師ならではの将棋があるとのことをそのあと知らされた。 俺は黒崎さんを追いかけることにした。 黒崎さんがよく将棋を指しに行く、公民館を教えてもらい、しばらく平日は学校が終わったらの公民館に行った。もう一度黒崎さんと指したい。 そんな気持ちで毎日向かった。 北里と杉本には門屋さんのところに通わせ、部活ではなく、外部で指させるようにしていた。 そして俺は黒崎さんと再会した。 俺のことは覚えてくれていたが、指してはくれなかった。他の人と指すよう促し、それでも対局は見て色々教えてくれた。 この人は直接何かを指導するタイプの物の教え方をする人ではなかった。 より盗むことが大事だった。 そして、黒崎さんが一局不思議な将棋を指した。 今では角交換振り飛車は常識的な指し方担っているが、当時は角道を止めるノーマル振り飛車が主流で、衝撃を受けた。 左金が角の方に上がり、四間飛車に振り、自ら進んで角道を開ける将棋だった。 これが立石流四間飛車との初対面だった。 これはアマの立石さんが考案した角交換振り飛車の原点になる将棋だった。 当時はプロ間でも指されるようになり、画期的な振り飛車の戦法として注目を浴びたが、研究が進み、居飛車優勢の結論が出て死んだ戦法だ。 しかし、穴熊には今でも有効なさ指し方で、完全に死んでしまったわけではないが、それでもプロでは指されなくなった。 しかし、当時はノーマルが主流であり、かつネットがそこまで充実していたわけではなかったこともあり、これだっと思った。 穴熊に対しては天敵かというくらい強い。 そして、他の戦法相手でもまず対策を知る人は少ない。 いたとしても、プロ相手でなければ十分戦える。 そういう可能性を感じた。 奇襲戦法、邪道な戦法と言われるかもしれないが、これは使える。ここから学ぶことは大きい。 これだ。 これを研究しよう。 そう決めて、真似っこするところから入り、黒崎さんに見てもらった。 一ヶ月は経ったか、立石流の研究を進め、黒崎さんに教えてもらいながら新しい可能性を見出して行った。 そして、俺は帰って来て、門屋さん相手に立石流を使った。 門屋さんはこの戦法の対策を知っていたが、それでも初めて門屋さんに一発入れることができた。 そこから立石流だけに頼らず一つのレパートリーとして使うようになり、門屋さんにも少しずつ勝てるようになって来た。 新しく学んだ戦法 右四間 立石流 黒崎さんの得意戦法を盗んで帰って来た。 ここからか、本格的に相手が振り飛車とわかった時は本気の試合でも居飛車を使うようになった。特に黒崎さん直伝の桂馬を跳ねない右四間を使うようになった。 この時からか、考えても埒が明かない局面の時は、考えることをやめて感覚に頼って指し始めたのは。 黒崎さんを通して、言葉にはしがたい「感覚」の将棋も意識して取り入れるようになった。 そして、最後の個人戦の日。 また大会が始まった。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 【第6ステージ 「行くなら、今年行きなさい」】無名の大学生が「スポンサーを集めて自転車で西ヨーロッパを一周する」という夢を実現した話 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/2/7 【第6ステージ 「行くなら、今年行きなさい」】無名の大学生が「スポンサーを集めて自転車で西ヨーロッパを一周する」という夢を実現した話 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 「行くなら、今年行きなさい」 「知恵より大事なのは覚悟や。覚悟さえすわれば、知恵は小知恵でも浅知恵でもええ、あとはなんとかなるやろ」 司馬遼太郎 『俄』より 2010年1月31日。 中村洋太 「ぼくはいつか、ヨーロッパを自転車で走りたいと思っています」 何気なく言ったそのひと言に、伝ちゃんはこう答えた。 伝ちゃん 「行くなら、今年行きなさい」 中村洋太 「今年…ですか…」 伝ちゃん 「うん。社会人になったら、なかなか長い休みは取れないからね。やるなら学生のうちがいい」 やるなら学生のうちがいい。しばらく、その言葉が頭から離れなかった。 ぼくは春から、4年生になる。その年の夏休みが、学生最後の夏休みだった。この先の人生で二度とあるかわからない、2カ月間の長い休みだった。 まさか、学生のうちに行くなんて、考えたこともなかった。就職活動もこれからという時期だ。就職氷河期といわれるこのご時世、夏までに内定が貰えない可能性だってある。そもそもぼくは単位がギリギリで、このままだと卒業できない可能性もある。そして何よりも一番大きな問題は、お金だった。夏休みの二ヶ月間を旅するだけの大金を、就活や授業、研究をこなしながらアルバイトで貯める自信はなかった。もちろん親も頼れない。 しかし、それでいいのか自分、と思った。 本当にやりたいことを、お金がないから、という理由で諦めていいのか? 確かに、就職も研究室も卒業できるかも、何もかもうまくいくかわからないのに、この時期にわざわざリスクを負って長期間海外に行くと決めるのは、本当に怖い。この先どうなるのか、お先真っ暗だ。 でも自分の直感を信じるならば、勇気を出して挑戦した方がいいと思った。 「お金が貯まったら」 「時間ができたら」 「英語を勉強して話せるようになってから」 そんなこと言ってたら、いつまで経っても行けない。 できない理由を探せばキリがないし、何も始まらない。可能性は薄くても、「どうしたらできるか」だけを考えて、行動していこう。今行くと決めたら行く。何が何でも行きたい。覚悟を決めれば、人間なんとかなる。そうやって自分を奮い立たせた。 そうだ、スポンサーを集めよう ぼくは、朝食会が終わったその足で、大学へ向かった。学食には、学科の友人が5人ほどいた。就職活動はせず、都庁で働くことを目指して一心に勉強を頑張っていた奴らだ。そしてなぜか、そこにSもいた。 ぼくは言った。 中村洋太 「聞いてくれ。ぼくは、今年の夏休みに、自転車でヨーロッパを走ることにした」 リーダー格の男、Mは「マジかよ」と笑った。他の男たちも、「本気?」と言った。ぼくは、本気でやりたい、と答えた。 M君 「お金はあるの?」 中村洋太 「ない」 M君 「どうするの?」 中村洋太 「わからない。でも絶対やりたい」 M君 「・・・・・・」 そこに、鼻で笑いながら、Sが言った。 いつもながらシンプルかつ強烈な言葉だった。 S君 「そんなの、無理に決まってるじゃん」 クリティカルヒット。さすがに反論できず、唇を噛みしめた。 しかし、今回は半年前と違った。Mが口を開いた。 M君 「おい、S。そういうこと言うなよ。ちゃいにーは本気なんだよ」 N君 「そうだよ。ちゃいにー、俺は応援してるよ」 A君 「頑張れよ!ちゃいにーなら行けるって!」 そうやって、みんな本気で応援してくれた。涙が出そうだった。本当にありがとうみんな。 ぼくは半年後に、自転車でヨーロッパを走る。必ずやってやると、覚悟を決めた。でも、実際問題、お金をどうするか。 ぼくに思いついたのは、これしかなかった。 中村洋太 「そうだ、スポンサーを集めよう」 しかし、この途方もない発想が、奇跡と感動の半年間を生み出すことになった。 2010年1月31日。ここから、全てが動き出した。 (↑夢が実現するまで自分の部屋に貼っていたコルクボード) X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 逆ビリギャルの逆襲〜ゼロからつくる肩書き | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 逆ビリギャルの逆襲〜ゼロからつくる肩書き Facebook X (Twitter) リンクをコピー こんにちは。 はじめまして。 ほっとです。 はじめてSTORYに投稿します。 2018年9月にエンタミナというトークイベントで「女性の働き方・生き方」について 登壇させていただいた内容の続編になります。 * 現在、ファッション誌CLASSYにてライターをしながら 株式会社HOTMILKというPR会社を立ち上げ、代表をしています。 個人ではSNSの講師などのイベント登壇、企業向けにSNSコンサルタントを行っています。 ファッション誌CLASSYでは、モデルの宮城舞ちゃんや、石井美絵子ちゃん、雑誌で活躍する トップのスタイリストさん、プロのフォトグラファーに囲まれながら、 大好きなファッションに囲まれて、每日楽しく過ごしております。 おかげさまで、instagramのフォロワーは4万人を超え、インフルエンサーの活動もちょこっとだけ、やらせていただいております。 インフルエンサーの活動は、レセプションパーティーなど様々な華やかな場に参加させていただく機会をいただき、大変光栄です。 * 逆ビリギャル ただ、タイトルにある通り、私は「逆ビリギャル」です。 というのは、15歳の時、偏差値が70から35に落ちました。 まさに「逆ビリギャル」です(笑) 別に遊んでいたわけではありません。 ある日、体調不良を訴え、病院へ行ったら そのまま入院を余儀なくされました。 医者が放った言葉で覚えているのはたった2つ。 「高校卒業は諦めてください」 「10年は闘病生活です」 * それまで、病気はドラマや映画の中だけで起こる、自分とは無縁の出来事だと思っていました。 当時は薬剤師になりたくて、薬学部のオープンキャンパスに行ったり、模試を受けて偏差値を見て一喜一憂したり。学校から帰ったらZ会で自宅学習、たまに塾。そんな日々の繰り返し。平凡だけど、悩みは偏差値のことか、彼氏のことかどちらか。真面目に勉強さえしていれば、薬学部に入れて、薬剤師になれる。そんなに欲張りな夢ではないと思っていましたが、人生とはうまくいかないものですね。 ある日を堺に、手にしていると思っていたものがゼロになりました。 学歴なし(女子高生ですらなくなるw) 体力なし(学校に行けない、というか車椅子生活w) 人脈なし(友達にも会えない、頼れる身内いないw) です。 * みんなゼロになる瞬間がある 今回のお話は、私が大変だったんですーという、同情を煽りたい話ではありません。 私の場合はたまたま15歳の時に肩書きゼロになりましたが、皆、肩書きゼロになる瞬間ってあるんじゃないかと思うんです。 例えば、就職活動の時。(いい大学出てないから、使える肩書きないなーとか。) 転職の時。(特に実績ないし、肩書きない、とか。) 婚活中。(生まれも育ちもよくないし、武器になるものゼロだな、とか。) 離婚とか、親と喧嘩とか、詐欺にあったとか。 人生にはゼロになる落とし穴がたくさんある。 うまく避けて通れたらいいけれど、もし、うっかり落ちてしまったら。 それはきっと、そんなに珍しいことじゃない。 みんな格好つけたいから、言わないだけで、ゼロになるのは、私含め、みんなあると思います。 だからぜひ、自分にはやりたいことも好きなこともない、世の中で闘える武器もない(=ゼロ状態、or肩書きコンプレックス)と思う人にこそ、自分ごととして読んで欲しいです。 * 2つの約束 さて。15歳の時の私に話を戻します。 とはいえ、15歳の苦労のくの字も知らなかった私は、突然入院を告げられて、 薬剤師の夢をすぐに諦めるなんてできませんでした。 周りの友達はみんな当たり前のように学校に行き、 当たり前のように勉強をする。 将来なにをやりたいか、あれこれ悩み、考え、一生懸命目指している時期。 大手企業に入りたい人は早慶上智など有名大学に進学をしていく、 医者になりたい人は医学部へ。 私は夢を追う資格もない、と言われている気がしました。 なぜ私だけがこんな目に。 何を嘆いても仕方がないので 2つ、自分に約束をしました。 「絶対に好きなことを仕事にする」 「言い訳をしない」 * 武器はきっと他にある この約束は、言うのは簡単ですが、実行するのは なかなか大変で、 何度も心が折れそうになりました。 そもそも好きなことや自分の武器だと思えるものって、そんなに簡単に見つるものでしょうか。 私には大難題でした。 やりたいことなんて、わからない。 たぶん今でもそうです。 そしてうまくいかないことがあれば、他人のせいにしたり、 自分の生まれや育ち、運命のせいにしたくなります。 人ってそんなに強くない。 だけど、高校の時の友達が、有名大学に進学して、 有名企業に就職して、夢を叶えていく姿を見るたびに 悔しくなった。 自分の強みなんて、まったく思い当たらないけれど、 いっそのこと馬鹿になって 武器はきっと他にある、と根拠なく信じて探すことにしました。 歌は下手でカラオケじゃタンバリン担当。 運動は跳び箱も飛べない運動オンチ、 せめて勉強くらいは、、、と思っていたものができないなら さて、私の好きなことはなんだろう。 できることはなんだろう。 ここから、 『やりたいこと(=武器)探し』の長い旅が始まりました。 * とにかく経験、行動 わからないから、とりあえずなんでもやる。 アルバイトを含め、20以上の仕事をしました。 マクドナルド 寿司屋 携帯の販売員 居酒屋 ガールズバー スーパーのレジ 営業 フォトグラファー オウンドメディアの運用 モデル エキストラ ライター インタビュアー バイヤー HP制作ディレクション イラスト・デザイン 会社設立 とにかくなんでもやってみる。 やるっきゃない、ただ一身でした。 営業職は人材広告の営業。 飛び込み営業や電話営業をする 割と泥臭い仕事。 同期が多い会社で、先輩にも恵まれ、それなりに楽しい每日を送りました。 でも、かなりの体力仕事で、 その時もまだ完全に体調が復活しておらず 週5日稼働が難しい。(心配されたくないので、隠し通す) しかし、ノルマは皆と一緒(当たり前ですが) そもそもやりたい仕事なのか、と考えると、やりたいことではありませんでした。 写真を撮ることは、昔から好きでした。 旅行はもちろん、日常の何気ない空や道や人、シャッターをきっているだけで、 楽しかったし、写真を友達に褒めてもらうことも多くありました。 よし、フォトグラファーならやりたいことだ、と なけなしのお金を払って、カメラを購入しました。 本体2台とレンズ3つ。 なかなか良いお値段しましたが、機材がないと始まりません。 かわいいお洋服も旅行に行くお金も我慢して、カメラに資金をまわしました。 「無料で撮影します!」とSNSで告知して、集まった女の子を撮らせていただき、 ポートフォリオ作成→企業に売り込む をひたすら繰り返しました。 実力はやりながらつける。フォトグラファーの知り合いにいろいろ聞いて学びながら、 なんとかフォトグラファーとして、やっとこさ食べていけるようになりました。 実際にやってみてると、現実と理想は違うもの。 ぶち当たった壁は2つ。 その道のプロを目指すなら相当な覚悟が必要ですし、 専門職だからこそ、技術により、仕事の領域の差がとてつもなく大きい。 なんとか踏ん張って、ギリギリ食べていける程度にはなれても、CMや広告、雑誌のフォトグラファーとなると、プロのアシスタントに数年就いたり、カメラの専門学校を卒業していたりする人には叶わない。 このままフォトグラファーとして働いて、収入が増える見込みは正直相当低い、と感じました。 更に、フォトグラファーは体力仕事。フルボディのカメラを1台持っても十分重たいですが、撮影につき2台持つのは必須。さらに三脚やレフ板、レンズなどを持つと、スーツケースが必要な大荷物です。フォトグラファーを始めた時は20代半ばでしたが、毎週整体に通っても肩こりと頭痛がひどく、体力的に、この先結婚や子育てをして続けられるか?と言われたら、疑問を感じました。 悩みに悩み、オウンドメディア運用も始めました。 自宅で作業できる仕事なら、今後結婚や出産をしても、自分のライフスタイルに合った仕事ができます。wordpressを使って、地域の情報を発信していきました。 仕事としては「好き」だし「ライフスタイルにも合っている」。 しかし、こちらは時間をかけても「マネタイズ」するまでに時間がかかりました。見切り発車で行動して、後からマネタイズを考えても、かける工数、予算に限りがあったその当時、軌道修正が効かなくなりました。「好き」だけでは仕事として成り立たないということを学びました。 * 自分らしくない肩書き こうしてやりたいことが見つからぬまま、20代後半突入。いよいよ周りの女友達は、結婚をする人が現れ、収入が徐々に増え始めます。 やりたいことがわからないまま、焦りを感じる日々の中で、蒔いた種のひとつがSNSでした。 当時、家庭の事情で理由あって、神奈川県のはずれに住んでいました。 最寄りの駅までバスで20分というアクセスで、都内に出ると往復3時間半。 自宅から徒歩圏内にあるのは、スーパーとコンビニと、何故かGU。 暇をもてあました私は、每日のコーデをSNSに投稿することにしました。 正直、投稿していたコーデは、「普通」で、特別オシャレでもなんでもなかったのですが、 気がつくと、時代の波もあって、あっという間にフォロワーが増えました。 あれよあれよとフォロワーが1万人を超え、次第にインフルエンサーとしてのPRの仕事の依頼が来るようになりました。 やりたいことがずっとわからなかった私に、光が差した気がしました。なにも肩書きなんてないと思っていたけれど、これはもしかしたら、自信をもてる肩書きかもしれない、と。 インスタグラマーという仕事を少し頑張ってみようとしたのです。 、、、、が。 やればやるほど、向いていないことに気がついてしまったのです。 薬剤師として試験管をふっていたかった、向きな性格なのに、 自らの顔を出して、他人に見られるとか、すごく苦手。むず痒くて仕方がない。 地味な生活をしているのに、キラキラ演出することへの自分への違和感。 決定的だったのは、母からの一言。 Instagramに投稿する写真を撮ってほしい、と親に頼んだところ、 「あんなに引っ込み思案だったのに、インスタ!?どうしたの!?」と驚かれました。 その時、気が付きました。自信を持てる肩書きがなくて、肩書きにすがり過ぎていた自分。 そしてまたしても、本当にやりたいことではなかったということに。 * 1つの肩書きを3つに育てる でも、こんな、何者でもない私のアカウントをせっかくフォローしてくれたフォロワーさんがいることには、感謝しかありませんでした。 普通に生活をしていたら、一生交わることがないであろう友達も、Instagram経由でたくさんできました。 今更instagramをやめるのは、フォローしている方に申し訳ない気がしました。 じゃあ、今、できかけた1つの肩書きを3つに育てよう、と考えました。 その際、今までやってきたことを洗い出し、 それを掛け算することにしました。 経験と経験を掛け算することで、自分にしかない肩書きをつくることができる、 と思ったのです。 例えば、インフルエンサーという肩書きを持っている人は 日本に2,000人ほどいるかもしれません。 インフルエンサーをしながら、人前で話す講演をする人は 少し減って30人くらいでしょうか。 更に、その中でwebのディレクション経験や営業経験がある人って何人いるでしょうか。 経験したモノとモノの畑(業界)が遠ければ遠いほど、希少性が増し、 「他にはいない肩書き」を作ることができます。 私が今食べている仕事は、すべてこの掛け算をした結果、できたものです。 ・SNSコンサルタント ・SNS講師 ・プロデュース業 です。 正直それぞれ上記の職業をしている人は、大勢います。でも、インフルエンサーを経験したSNSマーケティングの講師は、ほぼいません。 雑誌CLASSYで言えば、ほとんどが出版社の業界に長年いる人。SNSの仕事をしている人は異人に映るかもしれませんが、人と違う経験をしていればしているほど、人とは違う仕事ができ、価値が生まれます。 SNSマーケティングに携わる人は理系脳で、PR関係に従事されてきた優秀な男性が多いです。ただ、机上でロジックは組めても、企業にコンサルティングはできても、いざインフルエンサーの中の世界で何を感じ、何が起きているのか、を知り、女性目線のマーケティングを語れるか、と言うと、途端に人数が減ります。 今ではSNSのコンサルティング運用企業も増え、タレントさんや大手企業様のコンサルティングを任せていただけるようになりました。先月ははじめて月収100万円を超えることができました。 偉そうに言える数字ではありませんが、肩書きゼロだった私としては自分を褒めてあげようと思えた瞬間でした。 そして今、会社を起こし、PRの領域で海外に出れるよう、活動しています。 * 夢を見ること 今回の私の話は、 別にわざわざ他人様に伝える必要のない話だと思います。 偉そうなことを言える、実績でもありません。 黙ってキラキラぶっていたらいい。私、今、大好きなファッションの仕事ができて、レセプションにも呼ばれて、每日幸せです!!って言っていたほうが格好がいいかもしれません。私の過去がなんだろうと、皆様は興味もないでしょうし、関係ありません。 ただ、私が伝えたいのは「夢を見ることの大切さ」です。 私が15歳の時辛かったのは、病気になったからではなく、 「夢を見ることができなかったから」です。 きれいごとでもいいです。やりたいことがあって、それを追うことができるのは、ただそれだけで素晴らしいことだと思います。 15歳の時、追う夢はなにもないと思っていた私は今、大きな夢を見ています。会社をつくって、仲間をつくって、大好きなファッションの仕事をして、まだまだ道半ばでも、もっと人生を楽しめると、本気で思っています。 * ゼロはチャンス もし、今、自分ってゼロなんじゃないか、って思う人がいたら、 伝えたいです。 ゼロからは、何者にでもなれます。 そしてそれは、最初から1を持っていた人を超えていける可能性だってあります。 大手企業に勤めていること、 有名大学を卒業していること。 自分の肩書きにすがって、動かない人より 時代に柔軟に対応していく人が求められる、と先日読んだニュース記事に書いてありました。 ゼロの人こそ、チャンスだと思います。 何も失うものがないのですから。 人がやっていない経験を積んで、積んで、 できたそれぞれの点と点(経験)を掛け算して線にしていく。 そうすることでオリジナルの肩書きが作れると思っています。 人の本質を見る世の中に 今まで出会った人の中に 肩書きだけで私を見ずに、 私を信じて仕事をくれる人がいました。 私に背中を叩いて「頑張れよ」って言ってくれました。 私も皆様と背中を叩きあって励ましあえる人になりたい。 だから、私も、前に進みます。 今でもよく挫けそうになるし 言い訳したくなるのはしょっちゅう。 結局自分は何がしたいんだっけ、って悩むことは多いですが、 この先また、ゼロになることがあるかもしれません。 それでもまた、きれいごとでもいいから、夢をもてる人でありたい。 それだけで同じ1日が輝き、 周りも世の中も少しずつ前向きに、明るくなっていけるような 気がします。 STORYSを訪れる皆様が、 それぞれの人生で夢を持ち、 それぞれの人生ストーリーを楽しめますように。 長文・駄文ですが 最後まで読んでいただきまして 本当にありがとうございます。 ほっと X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 15年目のプロポーズ!? | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 16/6/22 15年目のプロポーズ!? Facebook X (Twitter) リンクをコピー 殆ど大学にもまともに行かず、毎日バイトに明け暮れていた自分。お金を稼ぐことに楽しみを覚えてしまっていたのだろうなぁと。 それでも学生の本分はキッチリこなしていたはずです…まぁ、こなすと言ってもそれは「単位を落とさない」ということだけですが。 教授の顔も知らないままに、情報だけはしっかり集めて、単位だけはちゃっかり取得する。今これを読んでくださっている、真面目に勉強している学生の方には絶対に見習って欲しくない、そんな劣等生でした(※単位は一つも落とさずすんなり卒業してしまいましたが…)。 そのバイト先に一人の女性社員が赴任してきました。バイト先の上司には「おとなしくて真面目な娘が来るからよろしくねー」と言われていたのですが、確かにおとなしそうな感じで、若いのにチャラチャラした感じは全くありませんでした。むしろ若さがなかった!?(笑) 普通ならば赴任してきた側から挨拶をしてくる流れなのでしょうが、私の立場はバイト。それにおとなしそうな人だということを予め聞かされていたこともあり、あえて自分から挨拶に行きました。 後から聞いた話ですが、彼女はその時「この人変わった人だなぁ」と瞬間的に思ったそうです。 近い部署で働いていたこともあり、話す機会が多かったのは確かですがただそれだけのこと。ただお互い若いながらも仕事に対しては結構真面目(←自分で言うな)だったせいか、息は合っていたのかなといまさらながら思います。 ともに仕事をするようになって1年近く経った頃でしょうか。それとなく彼女に話しかけたような記憶があります。 「あの…よかったら飯でも食いに行きません?」 ここで拒否されていたら多分私の人生は大きく変わっていたかもしれません。しかし、運良く拒否されることはありませんでした。 お好み焼きでも食べに行ったような…いや、確実にお好み焼きです! それをキッカケに何となく付き合うようになり、コンサートに行ったり、スポーツ観戦に出かけたり、二人旅もするようになり…気づくとかなりの年月が経っていました。 結婚後、私がうつ病で退職するなどのハプニングもあり、決して順風満帆ではなかったかもしれませんが、それでも大きな嵐に巻き込まれて転覆するようなことはなく、結婚15周年という「島」にたどり着くことができました。 長かったようなあっという間だったような、そんな15年です。結婚という節目を取り除けばもう人生の半分以上を共にしているかもしれません。 この「島」はもちろんゴールではなく、これからも航海は続いていきます。できるだけ長い間二人で漕ぎ続けて行けることを願いつつ… 相方さん、これからもよろしくお願いします。貴女との結婚生活を続けてきたおかげで誰に対しても胸を張って言えることが一つできました。 「結婚っていいもんですよ」と。 それでは最後に… 「愛してまーーーーす!」 初めて言ったかな?(汗) X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 三菱東京UFJ銀行の名前から東京を取り。遂に消える東京銀行の名前。 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 17/5/14 三菱東京UFJ銀行の名前から東京を取り。遂に消える東京銀行の名前。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 報道によるとメガバンクの一角、三菱東京UFJ銀行の名前から東京を取り三菱UFJ銀行とする方向で調整が進んでいるらしい。 持株会社の名前は既に三菱UFJファイナンシャルグループと東京の名前が付いておらずこれと合わせる形に。 この「東京」は、1996年に当時の三菱銀行と合併した東京銀行の名残。 東京銀行は戦前の特殊銀行である横浜正金銀行を由来とする外為専門銀行で、BOT(ビー・オー・ティー)とも呼ばれていた。為替の交換率を「BOTのTTM(対顧客電信レート中値)による」という決め方をしていた契約も多かった。 外為に強かった為に、対外貿易や対外投資で力を発揮し取引先は大企業が多く、また海外支店も充実していた所から、行風は自由で風通しが強い一方で行員のプライドは高かった。 自分が新卒で入社した会社の本社の入っているビルに東京銀行の支店も同居しており、外為を中心に取引をしていたが確かにユニークな行員が多かった。勤めていたのが海運会社で世界各地に送金をしていたので東京銀行の事務方の人達には色々と勉強させて貰った。 大学のゼミの同級生からも2名入行。一人は成績的に何で?という感じだったが、本人曰く、ブラジルからの帰国子女なのでポルトガル語が話せると言ったそうだが、彼の第二外国語はフランス語、ポルトガル語が話せるかどうかは謎のままだった。 もう一人は数年してその頃未だ今ほど脚光を浴びていなかった外資系コンサルタント会社に転職。そしてその後国連に転じ東欧の事務所長になるなど国際派として活動している。 この外為専門銀行としての性格がアジア通貨危機の際に災いし、国内での資金調達に窮したのが三菱銀行との合併の原因となった。当時、東京銀行の行員たちは三菱銀行と何て上手くやれるはずが無いと言っており、実際その後、外資系の金融機関に転じた者も多かった。 その後2006年に東京三菱銀行は、三和銀行と東海銀行が合併できたUFJ銀行を救済する形で合併、今日の東京三菱銀行UFJ銀行になって今日に至っている。早いものでこの時からも10余年の年月が経っている。今の人達には「東京」と言っても東京にある銀行という意味にしか感じられないだろう。しかし、東京銀行と仕事をして来た経験のある身には、また一つの時代が終わったとの感慨深いニュースではある。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

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