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  • 15年目のプロポーズ!? | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 16/6/22 15年目のプロポーズ!? Facebook X (Twitter) リンクをコピー 殆ど大学にもまともに行かず、毎日バイトに明け暮れていた自分。お金を稼ぐことに楽しみを覚えてしまっていたのだろうなぁと。 それでも学生の本分はキッチリこなしていたはずです…まぁ、こなすと言ってもそれは「単位を落とさない」ということだけですが。 教授の顔も知らないままに、情報だけはしっかり集めて、単位だけはちゃっかり取得する。今これを読んでくださっている、真面目に勉強している学生の方には絶対に見習って欲しくない、そんな劣等生でした(※単位は一つも落とさずすんなり卒業してしまいましたが…)。 そのバイト先に一人の女性社員が赴任してきました。バイト先の上司には「おとなしくて真面目な娘が来るからよろしくねー」と言われていたのですが、確かにおとなしそうな感じで、若いのにチャラチャラした感じは全くありませんでした。むしろ若さがなかった!?(笑) 普通ならば赴任してきた側から挨拶をしてくる流れなのでしょうが、私の立場はバイト。それにおとなしそうな人だということを予め聞かされていたこともあり、あえて自分から挨拶に行きました。 後から聞いた話ですが、彼女はその時「この人変わった人だなぁ」と瞬間的に思ったそうです。 近い部署で働いていたこともあり、話す機会が多かったのは確かですがただそれだけのこと。ただお互い若いながらも仕事に対しては結構真面目(←自分で言うな)だったせいか、息は合っていたのかなといまさらながら思います。 ともに仕事をするようになって1年近く経った頃でしょうか。それとなく彼女に話しかけたような記憶があります。 「あの…よかったら飯でも食いに行きません?」 ここで拒否されていたら多分私の人生は大きく変わっていたかもしれません。しかし、運良く拒否されることはありませんでした。 お好み焼きでも食べに行ったような…いや、確実にお好み焼きです! それをキッカケに何となく付き合うようになり、コンサートに行ったり、スポーツ観戦に出かけたり、二人旅もするようになり…気づくとかなりの年月が経っていました。 結婚後、私がうつ病で退職するなどのハプニングもあり、決して順風満帆ではなかったかもしれませんが、それでも大きな嵐に巻き込まれて転覆するようなことはなく、結婚15周年という「島」にたどり着くことができました。 長かったようなあっという間だったような、そんな15年です。結婚という節目を取り除けばもう人生の半分以上を共にしているかもしれません。 この「島」はもちろんゴールではなく、これからも航海は続いていきます。できるだけ長い間二人で漕ぎ続けて行けることを願いつつ… 相方さん、これからもよろしくお願いします。貴女との結婚生活を続けてきたおかげで誰に対しても胸を張って言えることが一つできました。 「結婚っていいもんですよ」と。 それでは最後に… 「愛してまーーーーす!」 初めて言ったかな?(汗) X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 三菱東京UFJ銀行の名前から東京を取り。遂に消える東京銀行の名前。 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 17/5/14 三菱東京UFJ銀行の名前から東京を取り。遂に消える東京銀行の名前。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 報道によるとメガバンクの一角、三菱東京UFJ銀行の名前から東京を取り三菱UFJ銀行とする方向で調整が進んでいるらしい。 持株会社の名前は既に三菱UFJファイナンシャルグループと東京の名前が付いておらずこれと合わせる形に。 この「東京」は、1996年に当時の三菱銀行と合併した東京銀行の名残。 東京銀行は戦前の特殊銀行である横浜正金銀行を由来とする外為専門銀行で、BOT(ビー・オー・ティー)とも呼ばれていた。為替の交換率を「BOTのTTM(対顧客電信レート中値)による」という決め方をしていた契約も多かった。 外為に強かった為に、対外貿易や対外投資で力を発揮し取引先は大企業が多く、また海外支店も充実していた所から、行風は自由で風通しが強い一方で行員のプライドは高かった。 自分が新卒で入社した会社の本社の入っているビルに東京銀行の支店も同居しており、外為を中心に取引をしていたが確かにユニークな行員が多かった。勤めていたのが海運会社で世界各地に送金をしていたので東京銀行の事務方の人達には色々と勉強させて貰った。 大学のゼミの同級生からも2名入行。一人は成績的に何で?という感じだったが、本人曰く、ブラジルからの帰国子女なのでポルトガル語が話せると言ったそうだが、彼の第二外国語はフランス語、ポルトガル語が話せるかどうかは謎のままだった。 もう一人は数年してその頃未だ今ほど脚光を浴びていなかった外資系コンサルタント会社に転職。そしてその後国連に転じ東欧の事務所長になるなど国際派として活動している。 この外為専門銀行としての性格がアジア通貨危機の際に災いし、国内での資金調達に窮したのが三菱銀行との合併の原因となった。当時、東京銀行の行員たちは三菱銀行と何て上手くやれるはずが無いと言っており、実際その後、外資系の金融機関に転じた者も多かった。 その後2006年に東京三菱銀行は、三和銀行と東海銀行が合併できたUFJ銀行を救済する形で合併、今日の東京三菱銀行UFJ銀行になって今日に至っている。早いものでこの時からも10余年の年月が経っている。今の人達には「東京」と言っても東京にある銀行という意味にしか感じられないだろう。しかし、東京銀行と仕事をして来た経験のある身には、また一つの時代が終わったとの感慨深いニュースではある。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 太陽が生まれたハーフマイルビーチ その4 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 16/6/4 太陽が生まれたハーフマイルビーチ その4 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 逗子と言えば「海」。規模では鎌倉の「由比ヶ浜」に後れを取る。雰囲気では葉山の「森戸海岸」に軍配があがる。では「逗子海岸」の魅力とは。 今年も6月3日(金)逗子海岸で花火大会が開かれた。 何故こんなに早い時期に、そして平日に行われるのか? その答えは海岸が狭いので海の家を建ててしまうと見物客が入る場所が無くなってしまう為。 海流の変化のせいか年々海岸の砂が少なくなってきており、大潮の時にはビーチチェアが波に洗われそうになることも。地球温暖化の影響か?と騒ぎにもなりましたが、一方で近所で海岸が太っている所があるそうなので「砂」が移動していると言うのが正しそう。 また平日にも拘らず10万人の見物客で賑わっており、これ以上の見物客はコントロール不可能。 市もテレビ局の取材を断っていると聞いている。 何故そんなに人気があるのか? 一つには交通の利便性。都内から横須賀線一本。駅から古びた商店街を経由して10分くらい。 帰りも増結車両連結駅なので、少し待てば間違いなく座れる。 もう一つは非常にコンパクトな事。1km(ハーフマイル)の海岸の沖から打上げを行うので花火から近い。実際、注意書きには「花火の燃えカスが落ちてくる畏れがあるので長袖を着るなど注意して下さい。」とある。 時間も45分間。この短い間に7千発の花火を打上げる。 中でも最後の15分でこの内の6千発を集中して打上げる。その音は地響きがする程で大迫力。 この花火大会が終わると大急ぎで「海の家」の建設が始まる。 今年は6月24日から営業開始だから3週間しか無い。 かつては規制も緩く近くに米軍基地があるからか外人が大挙して押し寄せていた。 またライブハウスが夜遅くまで大きな音で演奏をして近隣住民からの苦情が止まなかった。 昼間から途中のディスカウントストアで買って来た大量のアルコールを持ち込み、狭い浜辺でバーベキューをやった挙句に使った鉄板や網を捨てていくという輩もいた。 若者が大挙して来た一方で、家族連れが怖くて来なくなるという事態に至った。 海の家の業者も昔からの権利を持つ人達が高齢化も有り、権利を市外、県外の人に転貸。 これも地元を顧みない傾向に拍車をかける事となった。 そこで市議会で規制を厳しくする条例を可決。 ・海岸での飲酒の禁止 ・海岸でのバーベキューの禁止 ・入墨は他の利用者を畏怖させるものの露出禁止 ・業者は楽器、拡声器で音楽を流すことを禁止 ・利用者が音楽を聴くときはヘッドホン ・閉店は午後6時半 海岸の入り口には禁止事項を並べた表示や交通標識の様に赤い大きな❌が仰々しく並び、 (ここはシンガポールか?)と見紛うばかり。 業者や若者からは「厳しすぎる」との批判も出て、実際、海岸は週末でも人がまばらという状況が1年ほど続いたが、今では「安心して家族、子供と来れる海岸」として利用者も戻ってきている。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 心友 【其の十三・無言の帰宅】 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 心友 【其の十三・無言の帰宅】 Facebook X (Twitter) リンクをコピー とある地方新聞のコピーが今も手元にある。 その中に「無言の帰宅」という見出しがある。 このコピーはクロイワの葬儀の際に遺族の方からいただいたものだと記憶している。 そこには簡単に今回の「悲劇」の経緯が記載されている。 【自らも病身だった母がアパートの自室で倒れて亡くなり、母の介護なしでは動けなかった一人息子も、その後、同じ部屋で息を引き取った。】 人の亡くなり方は無数にある。しかし、こんなケースはめったに起きうることではない。まして、自分の親友…いや、「心友」がだ。 新聞には病身としか記載されていないが、クロイワの母親が糖尿病を患っていたことは風の便りに聞いていた。それが重度のものだったかどうかまでは定かでないが。 仙台の病院に転院しても、病状は好転せず寝たきりの状態が続いていたクロイワ。そんな一人息子の唯一の支えが母親だった。その母親が倒れて亡くなったのはおよそ二日後。クロイワはそこから約十日間、たった一人きりで身動きできないまま飲まず食わずのままじっと過ごしていたというのだ。 介護疲れによる自殺、心中という噂も流れた。遺族ですらそう思ったという。表面的な状況だけを見ればそういった憶測が飛び交うのも無理はない。そしてこの新聞記事の中でも具体的な死因までは公式に語られていない。しかし、解剖医の見解では事件や自殺という可能性はまず該当しないという。 可能性として一番高いのは、 「低体温症候群」 要するに凍死状態だ。 1月後半の仙台。母親が倒れた後は暖房器具すら消えていたかもしれない冬の仙台。クロイワが過ごした十日間の苦しみを想像するだけでも激しく心が痛む。 ちなみに母子の葬儀を務めた喪主は父親ではない。父親は数年前にこの世を旅立っている。喪主はクロイワの祖父だ。 息子を見送り、そのお嫁さんを見送り、さらには孫まで見送ることになってしまった祖父。どうにもこうにもやりきれない思いだけが残されていたことだろう… そんな不遇すぎる葬儀の前日。自分はトクシマと久しぶりに再会をすることになる。 思い出の地、秋田。 笑顔の再会といくような状況ではなかったが、二人共無理やり笑顔を作っていたはずだ。そうでもしなければ簡単に心が折れてしまうから。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • タクシー運転手の日常「人は見た目じゃないと言うけど」 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 タクシー運転手の日常「人は見た目じゃないと言うけど」 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 深夜2時、繁華街からは離れ、ひと気のない場所で乗って来た。 男二人と女一人。 そのうち一人の男は腕まで見えるくらいタトゥーが入っている。 時間帯といい、乗る場所といい、見た目といい、 どうしても偏見なしに見ても良くは思えない。 時たまある警戒したくなるお客様。 タトゥーのお客様は助手席に座る。 時間も時間、場所も場所、見た目も見た目、 全てを含めたうえで助手席。 警戒心が高まるはずだが、何故か消えた。 そのタトゥーのお客様に、柔和で温かなモノを感じた。 フィーリングと言うべきものかもしれないが、 「なんか喋りやすい」「なんか合う感じする」 その類いのやつ。 乗って早々、ネームプレートの僕の名前を気になって聞いてくるところも 警戒心を拭うのに役立った。 人懐っこいのかもしれない。 今思うとそう感じる。 目的地へ向かう道中は、見えてくるお店での思い出をあれこれ語る。 10m進むたびに、 「この店は誰々と初めて会った」 「このお店は頑張ってお金払ってお蕎麦食べた」 「このお店ではよくリリックを書いていた」 いろいろ面白いが、リリックを書いていたというあたり、 ラッパーなのかもしれない。 中でも気になったのは、 「裁判沙汰を起こしたお店」 というエピソード。 「裁判沙汰を起こしたお店」という思い出話というのが、 助手席のタトゥーの男が酔っぱらって揉め事のなかで殴ってしまい、 慰謝料を請求されるハメになったこと。 その時に、後ろに乗っている男に弁護士を紹介してもらい、解決する。 という後ろに乗っている男とタトゥーの男の初めての出会いであり、 救ってもらった出会いだとか。 酔って、揉めて、殴ってしまう。 は定番であり、何度かあるそう。 見た目からいくと、そのことに驚くことはなく 警戒心も高くはならなかった。 何がそんなに警戒心を拭いさるのか、 決定打はないまま目的地に到着した。 支払いを終え、降りる時、 タトゥーの男は「ありがとうございます」と丁寧に言った。 見た目は良くても横柄な奴だっているからな~と、 決定打を得た嬉しさの余韻に浸りながら見たタトゥーの男の後ろ姿は ガラの悪い歩き方だった。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 初めての海外。 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 16/5/11 初めての海外。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー あれはグアムに行った時、ぼくが小学校4年生の頃だったと思う。 家族みんなで初の海外、僕は弟がいた。 弟はまだ小学校3年生だった。 今でも覚えているが、あの日はじめてのおつかいをした(in 海外) しかも、初日だったものでグアムは日本語がほとんど通じることを僕らはしらなかった!!! その為、緊張も半端じゃなく、またお兄ちゃんとしてやはり恥ずかしくない対応をしなくてはいけないと思っていたので全て知ってる英語だけで押し通すことにした。 僕は甘いモノが嫌いで、炭酸ジュースが何より好きだった。 はじめてのおつかいは、カフェで飲み物を買って、家族がまつフードコートへ戻るというものだった。 「Hi!」 戦いははじまった 僕は弟の手前、だいぶ余裕を出しつつ 「Hi!」 とこたえた。 しかし、なぜかあの時の僕にはコーラは日本語だと思っていて、 知っている英語はチョコレートしかなかったので、とてつもなく嫌いなチョコレートパフェを食べるはめになった。 しかも、両親がビデオをとっていたため、何度も辱めをうけるはめになったというわけだ。 弟はおとなになった今でもあの時のことを話しても、何も覚えてないとこたえる。 はじめてのおつかい(in グアム) X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 大学で保育の勉強をしていたのに、新卒で「納棺師」になった話(1) | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/11/24 大学で保育の勉強をしていたのに、新卒で「納棺師」になった話(1) Facebook X (Twitter) リンクをコピー 短大でも専門学校でも、国家試験さえ通れば取れる保育士の資格。 元々は児童養護施設の保育士になりたくて、社会福祉の面からも広く学べる4年制大学の保育系学科に進学した。 キャンパスライフって『オレンジデイズ』みたいなの想像してたけど(笑) 自分で興味ある科目選んだりバイトしたりとか。 実際には資格取るための必修科目を選ぶとほぼ自動的に時間割も出来上がって…補講もあるから本当に大変だった。 大学入学してから1年半は地元から片道3時間電車通学してたから、(1日の4分の1は電車!)送り迎えしてくれてた両親にはすごく迷惑をかけていた。 冬になると、タイツ履いて寝て素っぴんで電車。日の出前だから夜中みたいなもんで、明るくなるに連れて山の曲線が綺麗に線をなして…懐かしい~ X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 《日本代表⇒ベンチャー⇒逃げる⇒漫画喫茶⇒兄の起業》タナクロを起業するまで。 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/2/11 《日本代表⇒ベンチャー⇒逃げる⇒漫画喫茶⇒兄の起業》タナクロを起業するまで。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 株式会社タナクロ で代表を務めております田中淳也です。今回は僕が起業するまでの道のりを書いてみようと思う。みんなが自己紹介書いているのでこの流れに乗って恥ずかしいこと含め、僕の恥ずかしい過去も全てWeb上にさらけ出しちゃおうと思います! ちなみにタナクロは超ざっくり言うとファッションブランド古着の買取・販売をオンライン上で行ってるEC運営会社です! バーバリー専門通販サイト ゴスロリファッション服の通販サイト ロリータ服/古着の買取専門サービス 登山用品や、テント、アウトドア用品の専門買取サービス スノーピークなどの有名ブランドのキャンプ用品、テントの買取サービス ブランド、宝石、骨董品の買取専門サービス ウレル ネクタイのレンタルサービスKASHI KARI メンズファッション情報サイト ※こちらの記事はタナクロ公式ブログ の転記になります。 ■夢見たオリンピック 僕は小学校4年生の頃からテコンドーという格闘技をしていました。大学は強豪校の大東文化大学へ。4年間テコンドー漬け。オリンピックを目指して僕なりに頑張る日々でした。ユニバーシアード競技大会 に出場したりしました。でも、ある日オリンピックを目指す事を諦めてしまう出来事が起きたのです。 ■自分には競技を続ける資格はない ある試合の日、僕の1個年下で長く日本代表をしていた子の試合を見ていました。試合の途中、彼は何度も吐いていました。極限まで減量をしていたんだと思います。僕は彼の戦う姿を見て、自分がテコンドーをやっている事すら申訳なく思いました。これは本当に衝撃的に覚えています。 「自分にテコンドーを続ける資格はない。競技を続けたとしても彼に勝てるわけがない」その時は本気でそう思ったのです。自分では全力でやっていた“つもり”だったのですが、甘かったんでしょうね。そう思わせる程、彼の試合中の姿は鮮明に僕の脳裏に焼き付いています。 これが2008年の頭頃の出来事だったと思います。その日の試合は無惨な形で負けました。アジアテコンドー選手権のテコンドー日本代表選考会。これが僕のテコンドー人生最後の試合になりました。※下は大東文化大学テコンドー部 の仲間たちとの写真。痩せてたなあ… ■福岡のベンチャー企業にUターン就職 2011年福岡に戻り「社員3名の映像制作会社カウテレビジョン 」で働き始めました。地元の先輩の紹介で入社。社長(通称TAKAさん)はテレビ局の元ニュースキャスター。とにかく頭が良く思考の回転が速い。 僕はTAKAさんの元、小さなベンチャーで1年弱、しごかれました。 当時 僕が住んでいたのは実家がある福岡県宗像市。田んぼばかりの田舎街です。 そこから博多区天神にあるピエトロビル まで電車で通って仕事をしていました。 テコンドーで培った体力があったので体力面できついと感じた事は一切なかったです。 仕事が終わって、毎日地元で深夜まで飲んでも朝起きるのは何にもきつくなかったし。睡眠時間3時間とかでも“体力的には”全然辛く無かった。 逆に入社1ヶ月目で鈴鹿サーキットに取材 に行かせてもらったり、翌月にはタイ・メーホーソンというワケの分からない土地にまで連れていってもらって遭難しかけたり 。東京の国際宝飾展で行われたベストジュエリードレッサー賞 で芸能人を撮りまくったり。自分がカメラの前でリポートしたことも 。 今までの人生とは全く違う経験で刺激的な日々。大変でしたが、とても楽しかった記憶があります。 参考リンク→東京・福岡で動画制作をご検討の方は是非連絡してみてください。素晴らしいクオリティの動画制作会社です。 ■イエスマンだった僕は、次第に疲弊していく 「はい!」 「わかりました!」 「ありがとうございます!」 これが僕の印象だったのかな。元気があって、レスポンスも早いTHE体育会系。 テコンドーの時の感覚が染み付いて取れなかったんだと思います。 何を言われても断らないし(断れない)何を言われても同調する方向性で答える(機嫌を伺う)今思うと全く自分を出せていなかったと思う。 社内で社長しかいなかった営業という大役も新人の僕が少しずつ担う方針になった。 その理由は「適正検査の結果が僕だけ営業向き」だったから(汗 基本的に行う仕事は「社長室101 」という地場の企業のインタビュー動画を制作すること。 電話のアポ取りは、相手の会社の事業内容も理解出来ていないのにやってました。 要領も悪いし、取材先の社長の名前は間違えるし散々な日々だった(全て自分が悪いが、めちゃくちゃ怒られまくった 笑) とにかく毎日怒られるのが怖くてビクビクしていました。社長に声をかけられるだけで心臓がバクバク。電話は社長が席を立った時にかけるように無意識に社長の動きばかりに意識がとられていた。とにかく怒られたくない、怒られたくない、それだけしか考えてませんでした。 そんな日々が続き少しずつ自分の中に変なストレスが溜まっていきました。行きの電車では何度も吐きそうになったり、途中下車も何度もあります。 目の前に座ってたおっさんめがけてぶっ倒れ、香椎の駅員室に連れて行ってもらった事もあった。会社に行くのが恐怖だったのかも。朝オフィスの扉を開ける時、いかに気合を入れて開けるのかが日課でした。 帰る前に行う社長との対面ロープレは最高にきつかったです。ヘビに睨まれたカエル。何を言ってもダメ。今考えるとあのメンタルでやって上手く行く事なんていっこも無いと思う。本当に未熟でしたね。最後は気づかれないようにこそっと帰ったりしてました(気づかれてましたが) そんな日々が続いて、僕の神経はどんどんすり減る。減る。減る。 今考えるとあの時、なんで周りに相談しなかったのかなーって思う。相談するって思考が全くなかった。やっぱり“何も出来ない自分”を認めたくなかったんだと思う。親にも、兄にも、社長にも、友達にも言えなかった。そして僕は社会人として恥ずべき愚行を行う事になります。 ■僕は、逃げた。 ある朝、出勤するため家を出て東郷駅へ。気づくと会社と逆方向の電車に乗っていました。これは冗談でも何でもないのですが本当に気づいたら反対方面の電車に乗っていたのです。嘘じゃないです(笑 そして北九州・門司港まで行った。海が見たかったのかな(昔から釣りが大好きで魚が釣れなくてもぼーっとしてるだけで楽しい)スーツを着て、海辺をずーっと歩いていた記憶がある。他に何したかは覚えてない。会社にはインフルエンザってメールしたのかな?(この辺の記憶は本当にうろ覚えです) しかし、翌日も普段通りスーツで家を出る(実家暮らしでした)親にも「会社に行ってない」とは言えなかったから。ただ逃げ出した日か次の日か、地元の親友達と飲みに行ったのは覚えてます。 「俺明日から東京行くけん」「東京で挑戦したいっちゃん」 そんな感じの事を宣言したと思う。現実は「ただ逃げたかっただけ」 ただの言い訳。翌日、会社にも親にも言わずに東京に飛んだ。 全てから逃げた。福岡から逃げ出したかった。自分を守る方法がそれ以外見つからなかったから。とにかく一刻も早く現実逃避したかった。 ■漫喫での生活 全財産18万円(たった…)をポケットに詰め込み、テコンドー時代の相棒グレゴリーのボストンバッグに「服」と「本」を入れた。 結局、僕は漫画喫茶で暮らす事になる。数日泊まらせてもらおうと思っていた友人からの連絡は途絶え、埼玉の川口駅近くにある漫画喫茶で訳1ヶ月を過ごした。アルバイトは東京に来るタイミングでネットから見つけていた。居酒屋(銀座・蔵の桜 )だったので仕事は夕方から。満喫にいるとお金がかかるので、昼間は職場近くのマックで毎日5、6時間をつぶしていた。新橋のSL広場にあるマック。ホームレスのおっちゃんががよく隣に座っていた。当時の愛読書は「思考は現実化する 」 自分は少しでも前を向いていると思い込みたかったので、自己啓発ばかり読んでいました。惨めで嘘つきで言い訳だらけの日々でした。親の電話も全部無視。会社からのメールも全て無視。かろうじて兄にだけ生きてるってコト、メールしたと思います。 ある日、自分の状況を東京に住んでいた中学の同級生に相談した。そしたら「じゃあウチに住めよ」って言ってくれた。 6帖一間での“3人”暮らしが始まりました。なぜ3人かというと友人は彼女と同棲していたから。 彼女は「みほ姉」 いくら彼氏の親友といえ、ワケの分からん男が急に一人来て6帖一間で暮らす事にストレスが無かったはずはない。シングルの布団で川の字で3人で寝る。みほ姉・友人・僕。今考えたら本当に申訳ないです。 それでもバイトから帰りると「じゅんやくん、ご飯あるから食べなー」って食べさせてくれる。食費もかなり工面してもらっていました。そして一番ありがたかったのは【僕のこと何も聞かないってこと】とにかくそっとしてくれていた。後から2人に聞いた話だと、聞いたらヤバいんじゃないか、という空気が漂っていたらしい。2人には本当に頭が上がらない。ありがとうございます。これから一生かけて少しずつ恩を返していくね。 そんなアネゴ、みほ姉は今、美人姉妹と二人で花屋さんを経営している 。とてもお洒落なフラワーアレンジメントのお店。(本当に素敵で早速お母さんに贈りました) 精神的に一番辛かった時、腐らず生き延びられたのは当時関わってくれた友人・知人・家族のおかげと思う。その時ばあちゃんから届いた2通の手紙にも励まされた。今でも大切に持っている。 ■スープカレーを作る日々 そんな日々が続き、これじゃダメだと思って居酒屋と掛け持ちでスープカレー屋でバイトを始めた。 超繁盛店のスープカレー屋 だったのですが1歳年上の店長にすごくかわいがってもらって、とにかく仕事が楽しかった。スマートな店長で、飲食のイロハを叩き込みながら僕を指導してくれた。少し職人気質な所はあったがセンスはずば抜けていた。 給料は多い時で月に37万円ぐらい。時給1000円だったから休みはあんまり無かった。 それでも最高に楽しかった。毎日朝から晩までやる気に満ちてた。 ■兄と幼馴染が、起業 バイトの日々を過ごしていたある日 兄貴と幼馴染みが2人(共同代表)で福岡で車のタイヤ・ホイールを売る会社(株式会社カイショー) を立ち上げた。びっくりした。兄はそんなタイプじゃないって勝手に思っていたから。 僕は興味津々。すぐに電話した「1ヶ月手伝わしてよ、給料はいらんけん」 そういって僕は兄達の会社の手伝いに約1ヶ月間、福岡に戻った。 とにかく彼らは楽しそうだった。毎日会社に行って笑って、笑って、笑って、仕事をバリバリこなす。今でも思うが、僕の考える理想のチームだし、誰に何を言われようと自分達の信念だけは決して曲げないスタンスだ。つい先月会社に遊びに行った時も立ち上げ当初と全く同じ空気を感じた。もっと彼らの生き方を学びたい。※3人で釣りに行った時の写真。 当時 兄から言われた言葉で印象的な言葉がある。 「起業して、朝起きて仕事に行きたくないって思った事ないけんね」この一言に嘘偽りは一切無いと思う。それは二人を見ていればすぐにわかる。 ■お前、何しに来たとや?利益ぐらい作れ! 僕は車の事はさっぱりわからない。それなのに毎日タイヤの会社に行って何をするのか? 雑用しか出来なかった。タイヤを洗ったり、振込に行ったり、梱包したり。 そんな時、兄貴が僕にこんな事を言ったのを覚えている。 「お前、なんか自分で利益出せ。会社の金使っていいけん、自分で稼げ」 僕は少し考えて「うん、分かった」そんなやりとりだったと思う。 それが今の事業を始めるキッカケ。会社のお金を使わせてもらい洋服を仕入れて売る。当時は利益こそ出せなかったが、元手は取り返せたような気がする。そんでまぁ一人が暮らしていくにはこれぐらいで十分なのかなーって思い東京でも続けてみることにした。 東京に帰って貯金100万を全て仕入れにまわした。兄貴からも100万円借りて全て仕入れにまわした。月末の支払いが出来そうになく何度も兄貴に頼ったりした。とにかくがむしゃらだった。資金繰りなんて考えた事無かった。今思えばデタラメだったなあ。 そんなこんだで、一人じゃ大変になったから仲間を増やして株式会社にした。職業訓練で修行していた大学の同級生 も入ってくれた。それから少数で訳もわからず働きまくった。とにかくがむしゃらに。今は三期目に突入している。 こんな自分でも会社を作って心から大切にしたいと思える仲間が出来た。本当にスタッフに支えられている。人は誰でも波があったり、逃げ出したくなったり、実際に逃げだしたりすることはあると思う。でも僕は自分自身が大きな挫折・失敗を味わったからこそ、そんな人たちの気持ちが本当にわかってあげられるのではないかとも思う。 夢というか、なりたい自分を見つけられたら最高に幸せだと思う。(僕自身、理想の自分にはまだまだ、全然なれてないけど)それが見つかっていなければ、見つかるまでグダグダ生きてていいと思うし。ただそれが見つかったなら、今度は本気でそれに向かって突き進めばいい。だからこそ、そんな時に支え合っていけるような仲間をたくさん見つけられたらいいと思うのです。 と長々しく書いてしまいましたが何となく僕の生態は伝わりましたでしょうか。こんな事ネットに公表してどーすんだって思われるかもしれませんが自分を振り返る良い機会かと思いまして色々思い出して書いてみました。 たかだか30年弱生きて来た僕が言うのもあれですが、人は一人じゃ生きていけないですね。これからも仲間達と一緒にいろんなものを積み重ねていこうと思います。 とても長くなりましたが、とにもかくにも皆様、タナクロをどうぞよろしくお願い致します。 ※タナクロでは現在一緒に働いてくれる仲間を募集しています。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 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  • 私が女性消防士になったわけ。3 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/12/21 私が女性消防士になったわけ。3 Facebook X (Twitter) リンクをコピー  こんにちは!  「私が女性消防士になったわけ。1 」「私が女性消防士になったわけ。2 」を読んでいただいた皆様!ありがとうございます!! ハジメマシテの皆様、よろしくお願いします!!    さて、モロモロの理由がありまして救急救命士の専門学校に行くことになり、その後学校にあまり馴染めず困っていたところまでは前の話。  皆様、いきなり質問ですが救急車って消防署にいてるのは知ってました?  恥ずかしながら…私は救急車は病院からやってくるものだと思い込んでいました。(でもこれは…消防士になってからもよく周囲にビックリされたのでそう思い込んでるのは私だけじゃないはず!w)    で、なんでそれを知ることになったかと言うと。  救急講習って知ってます? 心肺蘇生法とか応急手当の方法を簡単に教えてくれる講座が消防署や地域のコミュニティーで開かれていたりするんです。(詳しくは最寄りの消防署までお問い合わせください!!)  例の交通事故を目撃して何もできずにいた私は、少しでも何かできるように知りたいと、自分の住んでいるマンションの自治会が救急講習をするというの聞きつけて参加することにしたのでした。  さてその朝。  ワクワクしながら集会所に行ったのを覚えています。そうしたら…  救急車と消防車が停まってる!!えっ!!!火事!? …なわけではモチロンなく、救急講習の講師として消防署のみなさんが来てくれていたのでした。 そう、私はここで初めて知ったのです。。。救急車の人は消防士さんだと!!! つまり、あの白い車に乗りたければ消防士になるしかない。 (消防士ってあの火を消す消防士だよね?? 綱渡りとかしちゃったり、消防署のまわりをランニングしてるあの人たちよね??ってかまず女の人っていたっけ???) さぁ大ピンチです。 こちとら、ただでさえ小学校の頃からマラソンやかけっこではビリッケツ。テニスをすればボールは顔面で受け止めちゃうほどの運動オンチ。それに加えて2年間の浪人生活で貯めこんだ脂肪がタップリ。どないすんねん、ほんま。 20歳からの挑戦が始まったのでした。。。 さて、少し長くなったので初めての患者さんの話は次回にご紹介します! 乞うご期待!!w X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 覚悟。それが親になるときしたこと。 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 覚悟。それが親になるときしたこと。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 結婚するとき、覚悟してなかったけど 【子ども】が出来ると【覚悟】をした。 【親】になることを。 子どもの責任を持つことを。この覚悟は、しないと出来ない。虐待する親がいるのは、この【親になる覚悟】が出来ていない。 人は、どこかで甘えがある。 仕事に対しても 趣味に対しても。 【プロになる】そう決めた人が凄いものをなぜ生み出してくるのか 【覚悟】に他ならない。 【これでやる。極める。やっていく】覚悟しているかいないかで 取り組み方は 当たり前だけど、変わる、と思うよ。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 偏差値、模試追放!バンザイ!! | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/10/5 偏差値、模試追放!バンザイ!! Facebook X (Twitter) リンクをコピー 質問 1. 模試では1つにつき満点から2点ずつ減点していますが、本番はどのような採点方法になるのですか? 2、 先生は本番で8割超えをされるということですが、模試ではどのくらいの点数になるのですか?  回答 1、  本番の採点がどのように行われているかは秘密でしょう。それで、私は実際に京大二次を7回受けて推測するしかなかった。その考察結果はブログに載せてあります。↓ http://ameblo.jp/takagishigemi/  ただ、私の会った大学の先生は名古屋大学の教育学部の教授たちですが(名大卒や京大卒)受験生の方たちが考えるような厳密な人たちではないです(笑)。自分が彼らの試験を受けて、コンパなどで話した印象ですが。   要するに、「英語の内容が理解できているか」だけがポイントなので全体の理解ができていると判断したら模試のような細かい採点はしないと思われます。  2、 ご存知のように、模試は本番より点数が落ちます。合格できるような点数をつけて本番で落ちたら予備校に抗議が殺到してしまいますから。トラブル回避のために必要な措置です。 私の経験は中京圏で名前を言えば誰でも知っている大規模予備校、塾、専門学校で講師を14年間やったという限定つきでの発言ですが、英検1級を持った英語講師に会ったことがありません。  これは統計的に考えても納得がいきます。7つの旧帝の定員を各3000名として2万人ほどの定員に3倍以上の受験生が押し寄せます。大雑把に言って6万人以上。冠模試だと7割ほどの受験生が受けるとして、少なく見積もっても4万人。 それを採点する採点官が一人100枚採点するとしても、400人必要になります。旧帝受験者の答案を採点するのなら、受験生の上を行く学力がある人が採点すべきなのは言うまでもありません。  しかし、河合塾も、駿台も、旧帝卒以上の学力のある採点官を400人以上確保できるわけがない。講師でさえ旧帝卒の先生に会ったのは中京地区では、私以外では1人だけでした。  実際、ここ三重県では帰国子女の中学3年生のある塾生は英検1級を持っていましたが、調査によると中学教師で英検準1級以上は3割。高校でさえ準1級以上は5割。つまり、2級の先生が1級の生徒を指導しているわけです。 和田秀樹さんの「新・受験技法」によると、模試でD,E判定でも合格する人もいれば、エール出版の「合格体験記」によるとA判定どころか、全国1ケタ順位でも不合格になった恨み節が書かれたりしている現状です。 結論、 「模試は、占いよりはあたる」(笑)   東大や京大受験生は、(ボーダーを越えている場合は特に) 「自分より学力が低い採点官が採点している」   と思った方が現実的です。 文部科学省は9月3日、平成25年度「英語教育実施状況調査」の結果を発表した。英検準1級以上相当の英語力を有している教員は小学校が0.8%、中学校の英語担当教員が27.9%、高校の英語担当教員が52.7%であることが明らかになった。 たとえ、京大合格者でもボーダー65%程度だから医学部のように8割合格をめざしている子の添削は無理。 私の10回受けた京大模試の結果は残っていませんが、本番より1割は低かったと思います。つまり、6割から7割程度だったと思います。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 個人でMoodleを使う 第3回 また失敗 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/3/16 個人でMoodleを使う 第3回 また失敗 Facebook X (Twitter) リンクをコピー  まだMoodle設定できていない… Minibirdは、「Moodleを使えない」ということがわかったのは前進かな。 Moodle2.6は無理 MySQLのバージョンが古くかつアップグレードの予定はない。これは私がRequirementsをちゃんと確認していなかった。完全に私のミス。でも最新版に対応しているって思い込んでいた。MySQL5.5ぐらいはあると思い込んでいたし、逐次アップグレードしているのかと思っていた。でもサーバのDBバージョンアップするってWordPress使っている人とかに大きな迷惑になるだろうし。しょうがない。 Moodle2.2なら、MySQLバージョンが5.0でもOK。インストールしてみた。  php拡張 intlがない。Minibirdサポートに聞いたら対応予定なし。サポートの反応が早くて助かる。 無料のサーバでphpもMySQLも最新のもの…XREAというサーバがあることがわかった。 新サーバは無料でも1GBと書いてあったが、やっぱり50MBしかなかった。足らない。Moodleは150MBぐらいあるし、そこに画像とかのコンテンツを乗せていくから1GBはほしい。7日間無料のをお試しすることにする。 ちなみにFTTPでアップロードしているが、全フォルダ一気にとか、ミラリングをすると、アップロード出来ないファイルがあるので、フォルダを3つずつアップロードしている。面倒。 アップロードしたが、なんかダメ。 早速Scriptエラー。 2.2にしておこうか。もう一回クリーンインストール(ということばでいいのか。DB削除して作り直し、サーバのファイルも削除し。。この削除もちょっとずつ)してみてダメなら、2.2をトライしよう。 そういいつつも Free Hostiaは結構サクサク動くことがわかった。コンテンツを色々と作ってみた DNS浸透したからだろうか。なんて昨日思っていたら、今日はデータ書き込みエラーで使えない。 コンテンツを上げたから、容量オーバーかもしれない。 最終的には!クイッカか、Sakuraだ! あるいは、VPSがDTIで月額500円だということなので、VPSで行ってみようか。 Gitとか全然わからないけど、勉強だ。 一番、スペックが良くて安いのはXreaのよう。月額200円。 Value-Domainエコサーバとどう違うんだろう。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

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