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  • ブラック企業の脱サラ凡人が本を出すテレビ出演アーティストになった金コネ才能なしの成幸物語6 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/1/11 ブラック企業の脱サラ凡人が本を出すテレビ出演アーティストになった金コネ才能なしの成幸物語6 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 本を出せるか、編集者にジャッジされた 本を出したい気持ちを公開した後、参加者同士で交流を深める時間がありました。 そこで知り合った15名の中の1人に、エネルギーあふれる主婦 の方がおられました。 その方(Tさん)はなんと関西からこのために東京に来られているという、行動力のある女性で驚きました。 (ここまで向上心のある主婦の方は実際ごく少数だと、後に実感する) ここで本を出すことになったTさんは、出版への想いを分かりやすく皆に教えていました。 奉仕の精神がハンパじゃなく、「著者の資質」 のようなものを初めて感じました。 それから後日、十数名の編集者の前でプレゼンテーションをする機会がありました。 僕はそこで絵を描きながら、出版企画をプレゼンすることになりました。 「ブラック企業からアーティストになるべく、脱サラしました! それから独自の成功方程式を組み立てて現在このような結果を出しました。出版ではこのノウハウを公開しようと思います!」 編集者たちの目の前でA2サイズの絵を描き上げて、その後パワーポイントで自分の出版への想いを語りました。 7分という短い時間にエッセンスを凝縮させて想いを伝えることができ、終わった時に充実感が広がりました。 (まるで部活の試合が終わったかのような感じ) そして、その後のバイキング形式の懇親会では、ある出版社のMさんと熱く話すことになりました。 Mさんは僕のプレゼンを正面の一番前で観てくれていたこともあり、率直な感想を聞いてみたいという思いもありました。 「普通なら、お金もコネも才能もなかったら、夢をあきらめると思う」 「けど、川名さんは夢に向かってちゃんと生きている」 「その生き方をなにも飾らないでそのまま文章にしてみては?」 「ノウハウ本よりも、これまでどう生きてきたかのストーリーを読んでみたいです」 そう僕に語りかけているMさんの目には、情熱あふれる強い光が宿っていました。 本に込める想いと、本を手に取った人の人生。次世代の若者。想いをつないでいくことが、僕にはダイレクトに伝わってきたのです。 いつの間にか、僕は食事する手を止めて、独自の哲学や教育論を語っていました。 「素を出せる相手」 だと感じたから。 他の出版社の編集者と話している内容とは、圧倒的に会話のレベルが違っていたのです。 (あくまで僕が出会ってきた編集者たちの中で) まずは出版関係の人と会って、自分の想いを伝えてみてはいかがでしょうか? <出版の夢を叶える成幸ステップ 6> ・実際に編集者からアドバイスをもらってみる パート7:原稿を書くスイッチの入れ方 につづく。。。 *出版決定! 2014年に書き溜めていた僕の人生が本になりました。 凡人高校生からテレビ出演するアーティストまでの具体的な「ストーリー」、人生を変えてくれた「成幸者たちの教え」、凡人でも最速で「夢を叶える生き方」については、この本をお読みください。 ●タイトル:金なし! コネなし! 才能なし! でも 人生を後悔しない“僕が選んだ生き方" ●出版社:メタモル出版 ●著者:スプレーアートアーティスト YOSHI / 川名慶彦 ●ISBNコード:978-4895958738 ●価格:1,300円(税別) 「金なし! コネなし! 才能なし! でも 人生を後悔しない“僕が選んだ生き方"」の購入キャンペーンページはこちらです。 *内容紹介 スプレー缶を操り、短時間で幻想的な絵を書き上げるスプレーアートの第一人者、スプレーアートアーティスト YOSHIこと川名慶彦による初の自伝。 今でこそテレビなどでスタジオの喝采を浴びるアーティストだが、かつてはコンプレックスの塊だった! 金なし! コネなし! 才能なし!   三流高校→ブラック企業→脱サラ貧乏という中で、見つけた光とは? 一度アーティストとして成功をつかみかけるも、自分を見失い仕事ゼロのどん底を経験、そこからいかにして這い上がったのか? いかにして夢を見つけ、その夢を自分のもとにたぐりよせるのか? 波瀾の半生から学び取れる「凡人でも好きなことで生きていく方法」。 *出版社からのコメント 幸せになりたい!  成功したい!  ビッグになりたい! そんなふうに考えたこと、ありませんか? でも、凡人だから自分には無理。 ほとんどの人が、漠然とした成功を夢見て、簡単に諦めます。 でも、夢をかなえられるのはもともと才能があったり、環境に恵まれていたりする人だけではないのだと、スプレーアートアーティストYOSHIさんが教えてくれます。 落ちこぼれでも、凡人でも、意識さえ変えれば夢をつかむ権利は誰にでもある! 好きなことに夢中になって、それで生きていくためのヒントが詰まった一冊です。 >本の注文ページはこちらです。 *著者リンク ●スプレーアートアーティスト YOSHI オフィシャルサイト X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 結婚で1番大切なことは何か?イギリスでイタリア人の主人と話し合ったこと | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 16/11/14 結婚で1番大切なことは何か?イギリスでイタリア人の主人と話し合ったこと Facebook X (Twitter) リンクをコピー 英国登記所 (GRO: General Register Office)にて入籍 イギリスで結婚。20日後に急にロンドンで入籍することになった話! 先月末、イギリスでイタリア人の彼と入籍した手続きや準備、国際結婚で1番大切なことは何か?について話し合ったことについて書きます。 専門家には頼らず自分たちで手続きした! イギリスの結婚の手続きやビザの申請など、専門家に依頼される方も多いのですが私たちは自分たちで手続きをすることにしました。 ちょうど、今年はEU離脱も決まったので専門家の人も今後のことはわからないような状態 だったので、自分たちで順を追って手続きをしようということに。 また、主人がイタリア人でイギリス人ではないので、イギリスで入籍するにあたってイギリスの大使館に電話しても具体的なアドバイスをいただけませんでした。 頼もしい国際結婚先輩の友人のアドバイスもあり、とても恵まれていました。 彼女は、フランス人男性と結婚され可愛いお人形さんのようなハーフのお子様が2人いらっしゃるのですが、フランスの人男性もイタリア人男性もEUビザというカテゴリーになるので手続きに関して近いものがありました。 実は、イギリス人男性との入籍は手続きが大変難しいと言われていて、フランス人やイタリア人男性との結婚の方が手続きがシンプルなのです。 イギリス人男性との入籍の場合、男性の収入が一定のボーダーラインに達成していなければ手続きできないような話を聞きました。 イギリスでは、偽装結婚ではないかの審査がある! 結婚の日が突然決まりましたが、手続き自体は8月くらいから少しずつ準備していました。 イギリスでの入籍は、日本のように入籍日を決めることができず、手続きにもかなり時間がかかります。 イギリスでは、この2人が結婚して良いのか?偽装結婚の疑いがないのか?という審査が1ヶ月〜2ヶ月くらい あります。 わたしと主人も、レジスターオフィスで審査を受けました。 レジスターオフィスとは何!?と思いますよね。 英国登記所 (GRO: General Register Office)です。 登記役場と言えばわかりやすいでしょうか? 日本でいう市役所や区役所みたいな感じです。 英語でレジスター(register)とは、(生死などの公的な)記録、登記、登録、登録簿、登記簿 というような意味があります。 そのオフィス(office)ということは、オフィスは日本語で事務所なので、レジスターオフィスは登記役場 ということになります。 お互い退席して、レジスターオフィスの女性と1対1になりいくつかの質問を受けました。 実際に聞かれた質問 お互いの名前のスペルや誕生日などを聞かれました。 すごく簡単じゃん!と思っていたのですが、落とし穴がありました! わたしが4月生まれで、主人が5月生まれで、誕生日が近いです。 今年はバラバラにお祝いするのではなく、2人のバースデー祝いに5月に海外旅行に行きました。 お互い初めてのアイスランド旅行で興奮していた時期だったので、お互いの誕生日の日にちよりもアイスランドの記憶が濃いです。 その為、わたしも主人もお互いの誕生日の西暦と月は覚えていたのですが日にちは間違えました 笑 再会して、付き合うまでは何度も誕生日占いなどをしていて覚えていたのですが、なぜか付き合いだしてからは日にちを忘れていました 笑 しかし、審査で重要なことは、相手の生まれた西暦と月 みたいで、日にちまでは正確でなくて問題ないみたいです。 また、わたしの国籍についても聞かれました。 国籍はかなり審査の中でも見られているような感じはしました。 例えば、わたしが難民だったり、経済環境の悪い国の出身ならば審査が難航したかもしれません。 わたしも主人も初婚でわたしは日本人なので、審査は最短期間で通過しました。 20日後に急に入籍することになった! このような偽装結婚ではないかなどの審査の後に、入籍する日を予約する流れがイギリスでの入籍の流れになります。 これは国際結婚だからではなく、イギリス人でも同じです。 このようにゆっくりゆっくりと手続きをし、レジスターオフィスの手続きもなかなか予約が取れない状態で大変もどかしいイギリスでの結婚の手続き。 また入籍する日も、自分たちでは決められず、会場が空いている日を待つ形になります。 入籍の会場の予約も半年後まで埋まっているとレジスターオフィスの人が言っていたので、わたしたちも来年になると思っていました。 半年後だとわたしのビザが切れてさすがに入国も難しくなってしまうので、式典の金額をグレードアップさせることにしました。 グレードアップした式典なら予約がしやすいので、早めにできるかな?と思っていましたが、 レジスターオフィス 「今月空いてますよ?」 わたし 「え!今月できるの!?」 とびっくりしました!! さすがに今月は早いでしょう!?と驚きましたが、EU離脱問題もあり法律が変わる前にした方が安心だということになりました。 また、わたしのビザが11月23日に切れるので、それまでに入籍して正式に夫婦という形の方が入国審査で問題がないです。 2016年10月31日、結婚式というよりは入籍式をした! 何日か入籍できるお日にちをいただきました。 たまたまハロウィンの日が空いていて、主人も仕事が休みやすい日でした。 七夕婚やバレンタイン婚は聞いたことがありますが、ハロウィン婚は珍しいし何かの行事の日のほうが忘れなくて良いかと思いました。 入籍式の時間は30分と言われました。 日本では入籍の日と挙式やパーティーは分けるみたいですが、海外では同じ日にするみたいです。 入籍後もパーティーなどはせずに、夜に2人でちょっと高級なレストランで静かにお祝いしたいと主人が言ってくれたのでそうすることにしました。 式は、華やかで素敵だと思いますが、そこにこだわると国際結婚は大変難しいです。 わたしもロンドンに来て11ヶ月で知り合いもあまりいないし、2人で美味しいものを食べに行くことは楽しいと思ったので大賛成でした。 本来なら家族くらいは呼べたら良かったけれど… 今回、結婚が20日後でとても急だったので、お互いの家族は呼ばないことにしました。 結婚は2人だけでなく、家族と家族の付き合いだからそれは親不孝だ! と思う方もいるかもしれません。 しかし、実際に直面してみてわかりました。 国際結婚は、日本人同士の結婚とは違い、国際結婚は本当に世界規模の次元 です。 まず、わたしの両親は日本語を話します。 主人の母はイタリア語です。 わたしと主人は英語で会話しています。 主人の母は英語は話せないそうです。 英語ならうちの両親も多少はわかるかと思いますが、わたしも両親もイタリア語は全くわからない ので、言語だけでもなかなか難しいです。 20日後の入籍だとしても、イタリアから主人のお母さんには来ていただいたら良いのではないの?と主人に聞いたのですが、呼ばなくて大丈夫ということでした。 わたしの両親は日本なのでさすがに遠いですが、イタリアからなら駆けつけられるのでは?と思ったのですが、それでも30分の式典の為(しかも全てが英語の式典)に海外にわざわざ来ていただくのはちょっと申し訳ないね、ということになりました。 主人と話し合ったことは『国際結婚で1番大切なことは何か?』 わたしたちは今回の入籍について、結婚式にこだわるのではなく、まず入籍して今後のことは2人で決めようということでした。 『結婚で1番大切なことは何か?』 まずは2人が結ばれること。 わたしたち、夫婦の結論でした。 それは、盛大に派手な結婚式をすることではありませんでした。 主人とは、2013年にオーストラリアのワーキングホリデーで出会い、昨年イギリスで再会しました。 オーストラリアで主人のビザが切れてしまい、一度別れています。 たかがビザですが、されどビザ。 ビザがなければ、わたしたちはカップルの状態だととても大きな波にのまれることになるのです。 もう離れた手が離れないように、たった1枚の紙にサインをしよう、 それが2人の結論だったのです。 わたしたちは、家族になれること、とてもシンプルだけれどそれが結婚であり大変うれしいことでした。 世界を飛び越えて、新しい一歩になる道を築けたことを幸せに想います。 (結婚報告後、国際遠距離恋愛している友人からもメールをいただきました。 もし、国際結婚で悩まれている方がいたら、少しでも何かを感じる記事になっていたら幸いです) X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 15の夜 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/10/9 15の夜 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 二十歳までに彼女ができなければ、成人式は風俗に行こうと、15の夜に思った。尾崎が盗んだバイクで走り出してる時、僕はこんなことを考えてママチャリを走らせてた。 誰のおかげか知らないが、小・中学校の義務教育では、全く女性に縁がない時代を過ごさせてもらった。たぶん、僕のおかげだろう。 まず、バレンタインデーが大嫌いだった。小5の時。前日から妙にそわそわした気持ちになって、好きな子から「もしかしたら、もしかしたら」という甘酸っぱい気持ちをかかえ、当日「あっ、今日はバレンタインですか?まあ、僕には関係ありませんけど」みたいな顔で登校する。こういう日があると、いちいち自分を偽らなくてはいけないので、いけない。さらに「全く、僕には関係ないので、先生、授業を進めていきましょうか」などと言う顔つきで「チョコ入ってるかも知れん」と机の中をさり気なくゴソゴソする。その答えを知るやいなや、さびしい気持ちにおちいるのだ。 勝手に期待して、勝手に自分を偽り、勝手に落胆する。勝手の三段活用。ならば「勝手にしやがれ!」と思い、学校などを休んだら「あいつ、絶対、バレンタインを意識してるんだぜ」と同級生に陰口を叩かれそうなので、絶対、休めない。第一、こんな理由で親も休ませてくれないだろう。とにかく、もてない男子ほど、この日を意識することはないと思う。 バレンタインデーが終われば、こんな気持ちも終わるはずなのだが、僕の場合はもっとタチが悪かった。当時、少年ジャンプに連載していた「アフタヌーン」を読んでいて「バレンタインデーにチョコは渡せなかったが、10日過ぎて、主人公の女の子がやっと渡せた」という物語があったのだ。それを読んで「なるほど、なるほど」と納得しなくていいのに、鵜呑みにしてしまった。なので、僕のドキドキは10日間の執行猶予がついてしまい、バレンタインデーから10日目が過ぎてやっと「やっぱり、もらえなかった」と感じる。女子とは、なかなか罪深いものだ。 そんな僕も中3の時に告白されたことがあった。自宅で受験勉強をしてると、母から「知らない人から電話よ」と言って、受話器を渡された。相手からは「同じ中学で一つ年下の女子です」と言われた。名前を言われても全然、知らなかった。用件を聞くと「好きです」と答えられた。これまでの生涯で、そんな四文字の言葉を自分が聞くとは本当に思ってなかったから、頭がおかしくなった。「ふえーふえー。ふー」と、その時の脳みその動きを擬音語にしたら、こんな感じの音が出ていたと思う。アドレナリンが「今日はみんなお祭りだよ」と言わんばかりに出てきて、手は汗だくになり、喉がカラカラに乾いた。そんな状態で出てきた第一声は「これって、もしかして、どっきり?」だった。「えっ!?」と、かなり相手も驚いていた。違うのか、やっぱり違うのか。これは鵜呑みにしていいのか。あまりにも女性に慣れていないので、どうしていいか分からなかった。「ちっ、違います」と相手側。「そっ、そうなんだ」と僕。10秒ほど、お互いに沈黙が流れる。「とっ、とりあえず、今は受験が終わるまで、あまりそういうことを考えられないから」と、いつの間にか口走っていた。「そうですか。わかりました」と言って、電話は切れた。その当時、僕には、こんなにでっかい幸せをいれる容器を持ち合わせていなかった。はっきりいって、ビビっていたのだ。電話が切れて、放心状態の僕に母は「スーパーで、ひき肉、買ってきて」と言ってきた。 盗んだバイクでもないし、行き先は駅前のスーパーだけれど、僕は一生懸命にママチャリをこいでいた15の夜だった。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 高校で不登校、大学で4年間休学していた引きこもりが、沖縄で就職して人生変わった話3 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 16/10/30 高校で不登校、大学で4年間休学していた引きこもりが、沖縄で就職して人生変わった話3 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 中学校での運命の出会い 中学校になって家庭科の授業で幼稚園に行くことになりました。 背が学年1低かったので私は「ちび」をバカにされていました。 授業で幼稚園に行くことになったとき同級生にいつものようにからかわれました。 クラスメイト 「しばたはちびだから幼稚園児より低いんじゃないの?ちいさいって言われるんじゃね?」 けい 「(どうしよう・・・・・)」 今思えば大したことないやりとりでしたが、 当時の私は本当に心配で行くのが嫌で仕方なかったのです。 ですが職場体験は本当に素晴らしいものになりました。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 四角関係 第三話 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/12/13 四角関係 第三話 Facebook X (Twitter) リンクをコピー そしたら、携帯が鳴った。深夜2時過ぎ。 僕もツレも、こんな時間に誰だよ?と訝る。携帯を見ると「Sちゃん」と表示されてる。マジかよ。こんな時間に電話って。無視して寝てたいとこだが、電話に出る。 「もしもし?Sちゃん?どうしたん?」 と精一杯元気そうな声で応対する。けど、Sちゃんは無言だ。 あれ?電波悪くて切れた?で画面を見るけど、アンテナはバリ3(古いなこの表現)。 「もしもし?もしもーし?」 と何度か話しかけてみると、うっすら聞こえてくるすすり泣く女性の声が聞こえる。泣いてるんかい。 「どしたん? 泣いてるんか。何があったん?言うてみ?」 と尋ねてみるもただただ泣いてるだけで返答がない。「Mとなんかあったの?泣いてちゃわかんないよー。深呼吸してさ、落ち着こうよ」となだめてみる。 こちとら38度超えてる状態の深夜2時過ぎ。 泣きたいのはこっちだ。 すると、何かを話そうとしてる雰囲気はあるものの「あ・・あの・・あのね・・・あ・・・」って感じで言葉にならない。えづいてるというか、もう呼吸が荒れまくり。 心境としては「犬のおまわりさん」である。 そっから1時間くらいは経過しただろうか。友人たちは友人たちで話し合ってたから別に迷惑はかけてないけど、俺の意識というか体力がやばい。かなりしんどい。 いや、いつでも電話しておいで、とは言ったけどさ・・・ まさかこんな時間に電話してくるとは。 あかん、頭が回らん。「Sちゃん、ごめん。俺、ちょっと風邪で熱あってさ、しかも今、ツレの家なんだ。今度聞くからさ・・・」と言ってみたところSちゃんも泣きじゃくりながら「・・・うん」と言ってるのはわかるけど、切ってくれない。全然泣き止まない。そっから1時間。彼女の泣き声を聴き続けた。よくそこまで泣けるな、と感心しつつ午前4時。 「Sちゃん、もう4時だからさ。今日はもう寝よ?寝ないとさ、カラダに悪いよ?明日もバイトじゃないの?また聞くからさ、もう寝たほうがいいよ」と伝え、半ば強引に電話を切った。ものすごい疲労感だったのを覚えてる。 そして翌日、当然、熱が引くこともなく。フラフラで家に帰ってソッコーで寝る。 昼ごろに家に帰ってきて、そこから家で寝てるけど、なかなか熱がひいてくんない。 Sちゃんの話はなんだったかなーと思うも、自分もキツイので、電話はしてない。熱ひいたらファミレス行って聞くかーと思いながら、先ずは風邪を治さないとと思って無理やりでも寝てた。眠くないけど。 寝付けなくて深夜2時。電話が鳴った。 「え?」と思ったら相手はSちゃんやった。ちょっ待てよ。いや、普通さ、体調悪いのわかってるんだからさ、さすがに間隔あけない? と思いつつも電話に出る。「もしもし?Sちゃん・・・?」と聞くと電話の向こうでうっすら 「ひっく・・・グスッ・・・」と聞こえてくる。 もはやホラーである。 まだ泣いてるの???いや、ずっと泣き続けてるわけではないだろうけど、え?また?俺、また泣き声聞き続けるの??? 結局、理由は聞けないまま、泣き声を聞き続けること2時間。彼女との電話が切れた。充電かなんかだったか忘れたけど、ちゃんと会話できなかった。 それからほどなくして、別れたという話をバイト先で聞いた。 確か、もうひとり相談相手がいたのかな?から聞いた。あらら~と思いながらSちゃんが心配だった。 ファミレスに行ってもあまりSちゃんと会わなくなってた。 理由はたまたまのタイミングでもあったんだけど、就職活動や留学(Sちゃんは結構頭いいのだ)の準備だかなんかで、いつ行ってもいる、という状況ではなかった。 そうなると、気になってきちゃってね。僕の悪いクセですが。その頃には完全にSちゃんを好きになってました。いや、これでね、もしSちゃんと付き合ったら「彼氏彼女を交換したんか」って感じになってしまうので、マズイよなぁーとは思いつつも好きになってしまったもんは仕方ない。 それに、色々と相談に乗ったし、無理もしてきたわけですよ。何かね、こう打算的な?「あれだけ親身になったんだからつきあってくれるんじゃないか?」みたいなのもあって。 で、ある日、バイト先に久々現れたときに(僕はSちゃんがいようがいまいが、元々ファミレスに行ってたからね。週一くらいで)、Sちゃんのバイトが終わってから店の外でコクった。 Sちゃんも雰囲気察してたんだろうね。見事にごめんなさい。 無理です。ときっぱり。冷たい反応。というか少し迷惑そうだった。 うっそ、マジで?と頭真っ白になったけど、とにかく笑顔で「そっかーわかったよー」と取り繕って帰宅。泣いたというより哭いた。 けど、友達関係は続けられるからいいや、みたいな感じで前向きに考えていたんだけど、ある日突然音信不通。メールは届いてるっぽいけど反応なし。 そして、メールも届かなくなった。マジかよ・・・。よくできるね、そんなこと。 そんなことするような子には見えなかったんだけどな・・・。 女ってこえーなって。 と思いながらT子が巻き起こした騒動によって俺が最後に哭きを見るというそんなお話でした。 後日談 T子とMは結婚しまして、幸せかどうかは知りませんが、子どもも産まれたそうです。 2度と会いたくないです(ま、向こうもだろうけど)。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 人生を変えるために、ブラジルに美女捕まえに来ましたっていう日本人がもっといてもいいと思った話2 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/11/12 人生を変えるために、ブラジルに美女捕まえに来ましたっていう日本人がもっといてもいいと思った話2 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 日本人の勤勉さは現地ブラジル人から大きな信用を勝ち取り、あらゆる産業に影響力を持つようになった。それにつれ、日系人のカルチャーが次第にブラジルに根付き、現地ブラジル人に受け入れられていった。 そう、先人達が撒いた種、それは日本カルチャーである。ブラジルではあらゆる場面で日本を感じることができ、食、アニメ、美容等多岐にわたる。近年の日本カルチャーに対して理解が深いのは日系人が大きく影響しているのは間違いない。いくつか例を挙げてみたい。 食 カイピリーニャというブラジルの有名なカクテルがあるがそのベースに使われているカシャーサを日本酒に変えたサケピリーニャという飲み物が現地に浸透しており、日本酒が一般に普及している。また、すき家がサンパウロの市街地を中心に9店舗ありもちろん24時間営業しているので、クラブ帰りに牛丼食べて帰ろうなんてこともしばしば。そして、リベルダージと呼ばれる地域にある日本街では安価な日本食レストランが多く一般的な食べ物として日本食が普及している。 アニメ 毎年20万人動員する世界最大級のFestival do Japaoという日本文化イベントが開催されていたり、(ジャパンエキスポは入場無料のため来場者が多いが本イベントは有料であり、それでもこれだけの来場者数がいるというのは驚異的) コスプレ人口がとても多くなんならレベルもかなり高い。日本で開催される世界コスプレサミットでブラジルは3回優勝しており、これは過去最多。 美容 美容関係では日本人/日系人経営のサロンが多く、SOHOという日本人経営のサロンは20店舗以上フランチャイズとして存在する。日本で美容の勉強をしてきた人はお店の看板スタイリストとして扱われ、給料は通常のスタイリストの倍以上に跳ね上がる。また日本品質に対する信頼も他国に比べ高く、サロンで扱うはさみ、バリカン、ドライヤー等は日本製であることが多い。加えて、ブラジルでは2年遅れで日本の流行りがくると言われている。例えば少し前までエクステが流行ってたり、最近は現地サロンがデジタルパーマの機械を日本から輸入し始め、ブームが生まれつつあったりする。 数か月の滞在だけでもこれだけ多くの日本を感じることができた。これだけ日本から影響を受けているブラジル人が我々日本人に興味を持たない訳がない。 ただ、そうであれば日本の血を受け継ぎ、かつ現地ブラジル文化も理解する日系人で十分セクシーブラジル人からの需要は満たされるのではないか、我々純日本人は太刀打ちできないのでは?と思う方もいるだろう。 そんな心配はいらない。現地日系人に日本で育った我々が負けない点がある。それは今まさに最先端の日本を知っている点であろう。 ブラジルにいる日系人は戦前・戦後移り住んだ方が大半であり彼ら子孫の2世、3世が現在日系社会を支えている。日系人2世、3世の方々は顔つき、性格等は日本人であるが彼らは既に日本語は話せないケースが大半である。日本人独特な美的センスも薄れルックスでいうと中国人に近いと言えばわかりやすいだろう。もちろん彼らにとって今の日本についてはネットでの情報が限界であり、充分な情報を持っているようには思えない。 つまり、我々日本人がブラジルに行くことは2年先のトレンドを知る者が洗練された出で立ちで現れるようなものである。これだけで十分な突破口となりうる。 今の日本カルチャーで育った我々日本人はブラジルで大きな需要があるにも関わらず、それに気づかない日本人はこの穴を埋めきれていない、というのが私の意見である。 では、ブラジル人美女をゲットするには具体的にどうすればいいのか? この点については体験談を交えながら次回説明していきたい。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 架空請求のお電話。 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/10/12 架空請求のお電話。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー まぁ、そんなに記録しておきたい記憶でもないんですが、ネタ(経験)としてはまぁ貴重なのかなぁーって思ったので。 えーともう何年前だろう? フリーになったときだから28のときか。もう10年前のお話です。 事務所で普通に仕事していたところ、携帯が鳴りました。 携帯を見ると知らない番号からの着信でした。 その当時は営業でもあったし、プライベートではサークル作ってリーダーやってたし、名刺配りまくって、携帯番号教えまくってたものですから、知らない番号からの電話なんてしょっちゅうで、とにかく電話が鳴れば出る、そんな状態でした。 とりあえず出てみると相手は男性のかた。 「えー以前、登録されたサイトの利用料金がお支払いされていないようなので電話しましたー合計で25万円(税抜)になりますねー」 と、結構ぶっきらぼうな言い方で言われた。 こちらとしてはお客さんからの電話だと思い込んで電話に出たためしばらくは頭に?が出まくり。 「サイト?」「料金?」「支払い?」なんのこと? 「え?仰られている意味がわかんないんですが・・・」 と言ったところで、何やら出会い系サービスの名前を言われてハッと思いつく。 「架空請求じゃーん!!」 と。そっから他愛のない攻防が続く。 「こっちも支払っていただかないと困るんですよ~」   「え、でも使ってないですよ?何故金を払う必要があるの?」 「いや、使われてますよ。証拠ありますから~」   「じゃぁ、その証拠を送ってくださいよ。それを確認させていただいてからにします」 「いや、それは見せられないんですよね~」 なんだそりゃ?w 言ってること無茶苦茶やん。まぁ、でもそんなもんなのか。 「いやいや、それだったら払えないですよ。そんな大金特に。」   「あなたもしつこいですねぇ。払ってもらうためにあなたの家まで行きますよ?」 絶対に名前を言わないのな。知らないから当然なんだけどさ。 「え?家ですか?僕の自宅わかるんですか?」   「えぇ、わかりますよ。あなたが普段使ってる駅も家の場所も全部わかりますよ?     調べてありますから」 「え?じゃぁ僕の家の近くの駅も使う電車も知ってるんですか?」   「はい。全部調べはついてます。あなたが毎朝使う電車で後ろから押されるかもしれませんよ?」 このアタリで、こいつ結構バカかもって思いましたwww ちょっと悪ノリして聞いてみたんだけど、僕は車で事務所まで行ってるし、後ろから押されるって殺害予告?それって脅迫じゃないの? ちょっとおかしくなってきて笑ってしまったのが伝わったらしく、相手が怒りだした。 「おい、コラ、金を払えと言ってるのがわからんのかぁ?」   「いや、ですからこんな状況だと払いたくても払えないですよね?証拠ないんだし。」 「あー?なめとったらかんぞー!! 俺はなぁ、◯◯組(某大手の組織さん)のモンなんやぞー。    お前、今度ヤりに行ったるからなぁー」 あーぁー組織名出しちゃったよ。それって完全アウトですよね・・・。 ここらあたりでうっとおしくなってたし、覚えてない部分もあったから端折ったけど1時間ぐらいは喋ってる。仕事もやりかけだったので会話の途中で「ピッ」とそのまま電話切った。 そのあと、連続して同じ番号から着信が何回もありウザいので着拒否をしたところ、今度は違う番号からかかってきたけど、どうせこれも同じ人間が違う携帯からかけてきてるだろうと容易に想像できたので無視。 帰宅途中に警察署に寄ってその日あったことを話してみました。どんな対応するのか、反応するのかを見たかったし興味あったんで。 警察官は笑いながら聞いてたし、そんなの言われても困る、そんな反応でした。まぁ、そりゃそうだよな。一先ず、着歴にあった携帯番号をメモしてもらい、警察には会話の内容を簡単に伝える。 「組織名出したの?そのひとwあちゃー」ってそんなノリだった。 やっぱそれ出すのってダメなんですね。 家に帰り携帯の機種というか本体はそのままに番号だけ変えることはできるのかを調べたところ、変えることができるのがわかったので翌日ショップに行って事情を伝え、番号を変えてもらいました。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 1981年、「尾崎豊」的心のKくんのこと。 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 16/4/25 1981年、「尾崎豊」的心のKくんのこと。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー  1981年、「尾崎豊」的心のKくんのこと。    名古屋大学を卒業して、私は愛知県の刈谷市で塾講師を始めた。その頃は、不登校の生徒が増えて社会問題化していた。Kくんも、その1人だった。私の担当していた上級クラスの生徒だったから、成績は良かった。  いや、良すぎた。 子どもたちの集団離れ  (田中治彦)  1980年代前半、YMCAやボーイスカウト、児童館、青年の家といった青少年健全育成団体の発信する、"忍耐""団結""奉仕"といったメッセージは子どもたちの心に届かなくなった。これらのタイプの運動は行き詰まり、子どもたちの集団離れが起こる。その結果、不登校という現象が出てくる。  彼を気に入っていたのだが、他の先生方は、「Kくんのクラスの担当だけは嫌です!」と毛嫌いしていた。それは、彼が「先生は、中京大学卒でしょ。ボクを指導するだけの学力がない」と講師をバカにする傾向があったからだ。  彼は、学校でもトラブルを起こしていた。当時、愛知県には「中統」という模試があった。Kくんは、この模試では常に校内で1番であったのに、校内テストの結果はボロボロだった。「学校のテストは、入試の傾向にもレベルにも合っていないから、やる価値がない」と言ったそうだ。  もちろん、家庭訪問でこってり文句を言われたそうだ。親はオロオロしていたそうだが、Kくん本人は何にも気にしていない風だった。  Kくんは、テニスも上手だったらしく愛知県の大会でも上位に食い込んでいると聞いた。ところが、彼は顧問の先生に「先生は、テニスの素人じゃん」と言い放ったそうだ。トラブルになり、退部したらしい。ちょうど、中学3年生で引退直前だったから、目立たずに処理されたと噂で聞いた。  そんな彼は、卒業直前に不登校になった。そして、塾の授業が終わったら、私のところにやってきて、こう言った。 「タカギ先生。ボクの家庭教師になってもらえませんか?塾は今月でやめます」  私はビックリした。塾生でなくなれば、私が塾の勤務時間外に教えてもいいのかもしれないが、塾長には話せない。彼は、中学生のくせにどう調べたのか知らないが、義務教育では落第がないとか出席日数は満たしているとか言って、「もう学校も塾も行かない」と言った。  結局、私は彼の家庭教師を引き受けた。彼は、刈谷高校に合格した。刈谷高校というのは、今年(2016年)東大13名、京大17名合格の愛知県では有数の進学校だ。 刈谷高校は名古屋大学合格者数では愛知県トップです。いや全国一でしょう。昔々愛知八中と呼ばれ、名古屋大学は旧制八高です。名古屋市のマークは丸に八です。名大は刈高でもつの自負心でしょうか。  その後、私はアメリカに渡ったのでKくんがどうなったのか知らない。彼が私を家庭教師に指名したのは、名古屋大学卒で講師の中で学力が一番高かったことだけではなくて、「必ずしも、教師の言うことに耳を傾ける必要はない」という、彼の理解者だからだったと思う。  実は、自分も中学3年生の夏休み前に、学年主任に「夏休みの課題の問題は役に立たないと思うので、自分で問題集を選んでやりたい。提出しなくていいですか?」と言った過去がある。私は、中3の夏休みの課題を提出していない。  私の勤務していた、ユタ州のローガン中学校は午後2時半になると消灯で真っ暗。生徒も教師も、みんな帰宅。掃除係のジョージだけが、残っていた。クラブ活動などなかった。  Kくんが、アメリカの中学校に通っていたら何の問題もなかったと思う。アメリカでは基本的に「思ったことを口にしても構わない」という表現の自由が保障されていたからだ。  職員室でも、若い教師に向かって「最近の若い教師はなっとらんねぇ」と、面と向かって話していた。ケンカ腰ではなく、淡々と話していた。生徒会でも、ベストスマイリングガールとか、一番嫌われ教師とか、みんなの前で発表していた。  Kくんのように「学校のテストは、入学試験の傾向に合っていません」と言うのは問題ない。ただ、「そのとおり。受験準備は、別のところでやりなさい」と指示されるだけ。事実は、事実。主張は、主張。本当のことを口にして、何が悪い。  帰国後に、自分の塾を始めたときも、私は自分のやり方を変えなかった。  「学校の英語の先生と発音が違う」と生徒に言われたら、怒りはしない。「どちらを信用するの?」と尋ねると、「分からない」と言うから、分からせる方法を考えた。生徒が一番信用するのは何か尋ねたら「英検かも」と言う。  それで、英検1級、通訳ガイドの国家試験などに合格してみせたら、「学校の先生より信用できるかも」と言ってもらえるようになった。  「先生は名古屋大学卒だけど、本当に京都大学に合格できる英語や数学の力があるの?」と尋ねられたときも、怒らない。当たり前の疑問だからだ。だから、50代で京大を7回受けて、研究した。成績開示したら、英語8割、数学7割だったので、納得してもらえた。  すると、Kくんと似たタイプの生徒が集まりだした。Mくんは、塾に来た初日に、隣の女子に「どうして、これが解けないの?」と言い放った。私は驚いた。バカにしているのではなくて、純粋に不思議なのだ。  でも、隣の女子はしばらくすると塾をやめてしまった。  Hさんは、私に 「先生、恋愛の感情って、DNAが種の保存のために命令しているだけですよね」  と尋ねてきた。私は、そういうタイプの生徒の扱いに慣れているというか嫌いではないので、自分の私見を伝えておいた。いずれにしても、中学校では「変人」扱いを受けている子だった。  四日市高校なら、このタイプの子は珍しくないし、ローガン中学校なら変人扱いなど受けるわけもない。Hさんは、旧帝の医学部に合格した。  現在のことを書くと、人物が特定されるので書けないが、今もそういう子がいる。私は、そういう子を変人と感じないので、向こうも安心するのだろう。逆に、多数派の子たちから「先生は、変人」と言われてしまうが。  「変人」とは、なんだろう?それは、多数派の言うことに疑問を呈し、果敢に常識にチャレンジする子だと思う。私が北勢中学校の頃は、男子は丸坊主が常識だった。小学校を卒業すると、強制的に全員頭髪を丸坊主にさせられた。  そんなやり方は、独裁国家のやり方。  三重県は、47都道府県の中で「日教組」の組織率が100%というダントツの1位の県だ。勉強ができる子は、できない子に教えるのが常識。それも、班を組ませて強制的に。  もちろん、クラブは強制。制服も強制。学力差など無視して、全員同じ宿題も強制。そんな環境では、Kくんタイプの子でなくても、息苦しいこと、この上ない。  卒業(尾崎豊)1985年  行儀よくまじめなんて クソくらえと思った 夜の校舎 窓ガラス壊してまわった。 逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった  信じられぬ大人との争いの中で 許しあい いったい何 解りあえただろう うんざりしながら それでも過したひとつだけ 解ってたこと この支配からの 卒業。  落ちこぼれも、浮きこぼれも、学校などクソくらえでいい。アメリカの中学校のように、午後2時半には消灯にして帰宅させればいい。クラブなし、制服なし、宿題なし。  強制的にヤクザみたいな生徒と、研究者タイプの生徒を同じクラブに放り込むから、イジメが起こる。アメリカの中学校のように、クラスも解体して、大学のように授業毎に教室を移動する方がいい。  左翼の先生は、激怒するだろうが関係ない。  問題は、学校だけではない。私のいる受験産業も、問題だらけだ。私は、名古屋の7つの大規模塾で14年間勤務経験がある。多くの講師を見てきたが、Kくんが見たらあきれ返る講師がたくさんいた。  だいたい、四日市高校が落ちた講師が、四日市高校受験生を指導するとか、英検2級の講師が、1級の生徒を指導するとか、おかしいだろう。学校の授業がダメなのに、教師を退職した講師って、どういうこと?  学校の同じ授業を、DVDや動画で見せて「最新式のコンピューター施設」なんて、呆れられても当然だ。暴走族講師とか、ヤンキー講師など、もってのほか。パフォーマンスは要らない。  でも、一番の問題は感情的な講師が多すぎること。生徒に、「先生ではボクの指導は無理」と言われて、冷静に対処できる風土が日本にはない。そういう対処ができる教師、講師はほとんどいない。 京都府宇治市の学習塾「京進宇治神明校」で同市立神明小学校6年の堀本紗也乃さん(12)が刺殺された事件で、逮捕されたアルバイト講師で同志社大4年の萩野裕容疑者(23)=同市寺山台=が宇治署の調べに対し「日ごろから相性が悪く、一対一になった時『あっちに行って』と言われ、カッとなってやった」と供述していることが10日、分かった。  偏差値追放、業者テスト追放のやりすぎで、昨年(2015年)三重県唯一、最大であった業者テストだった「三進連」が倒産した。これで、現在中学3年生の受験生は、他校との学力比較はできない。学校では、競争をあおると学力順位は隠蔽されたままだ。  これで、どうやって受験校を決めろと言うのか!落ちてしまうではないか。 これで、地上の楽園が完成したと喜んでいる教師がいる。ふざけるな!!ここは、北朝鮮か! こんな三重県に生まれなかったら・・・ X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 【第2話】恋する惑星:シンガポール1996年、ベンクーレン通りの安宿にて | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 【第2話】恋する惑星:シンガポール1996年、ベンクーレン通りの安宿にて Facebook X (Twitter) リンクをコピー 部屋を出ようとする僕はバイク便に呼び止められた。「あのー、この子、昨日こっちに着いたばっかりで、マーライオンが見たいって言ってるんですけど、よかったら一緒に行きませんか?」僕もマーライオンは見たことがなかったので、その提案に乗って見に行くことにした。午後の真昼のぎらつく日差しを浴びて、僕とバイク便とその子は宿があるベンクーレン通りを出発した。行きのバスの中で、その子は国際基督教大学の学生で、バイク便は彼女の先輩であることが判明した。彼女(これからICUと呼ぶことにする)は、おとなしい感じのこれといって特徴のない感じの子で、これから1か月ほど東南アジアの国々を回る予定。そこで、まずはバイク便が沈没しているシンガーポールに入って、彼から旅の指南を受けるのだという。ICUはバイク便に好意を持っている感じがあったけど、バイク便はそれを上手に受け流していた。きっと僕が誘われたのも彼女を上手に受け流すための方便だったに違いない。世界3大がっかり観光地に恥じないにほどにマーライオンはあっけなかった。そして、バイク便の弾除けに上手に使われた僕は少し嫌な気分になっていた。それでも、ICUは嫌な顔一つせずにバイク便と僕に均等に話しかけてくれた。「シンガポールの町もそうなんだけど、東南アジアはここそこに植民地主義の影響みたいなのがあって、いたたまれないんだよね。」バイク便が帰りのバスでこうつぶやいた。ICUは目をキラキラさせて返答する。「えー、私には何も見えてないかも。シンガポールだって、発展した近代的な街並みって感じで。」バイク便は無言で夕焼けのビル群を眺めている。「バイク便さんの目からシンガポールの町ってどんな風に映ってるのかなあ。私も1か月旅したらバイク便さんと同じ風景がみられるかな?」まったく居場所がない僕。今このバスは目の前のこの二人のためにこの都市国家のビル街を疾走している。恋する惑星、僕の頭の中ではあのクランベリーズのDreamsが流れる。スカしてんじゃねえ、バイク便。バイク便のくせに。この沈没野郎め。でも、僕はわかっていた。バイク便は決してスカしてこんなことを言ってるんじゃないことを。そうこうして、バイク便とICUと共に部屋に戻ってくると、僕のベッドの下のアイルランド人の男性も戻ってきていて、部屋の住人が全て揃っていた。このアイルランド人は27、8歳くらいでジェイソン・ステイサムをメタボにした感じのツルッパゲのマッチョゴリラ。僕ら3人が部屋に戻ってきたときにはちょうど、同室のイギリス人女性に自分の商売道具であるハーネスを体中に巻き付けて同時に自分の筋肉アピールを展開中だった。体中にベルトを巻き付けてこいつはこういう趣味があるのかと思ったけど、バイク便の説明ではゴリラは水中溶接をするフリーの潜水士でシンガポール港の現場に通っているとのことだった。フリーの潜水士って今でもよくわからないけど、とにかくそういうことらしい。「もともとは北海油田の基礎工事なんかをやってたんだけどな、とにかく寒いのと、それにでかい事故があって会社が傾いちまって、それからは中東と東南アジアの現場を回ってるんだ。しかし、まったくハードな仕事だよ。」ゴリラは胸筋をぴくぴくさせながら、どや顔で話している。こんな話をキャサリン妃にちょっと似たイギリス人女性はにこやかに相槌を打ちながら聞いている。「すごいわ、それってプロフェッショナルな仕事よね。」ゴリラはますます調子に乗ってキャサリン妃にしゃべりまくる。その上のくるくる巻き毛のフランス人はそれを冷ややかに眺めている。「よし、じゃあ、今からこいつ(つまり僕)の歓迎会ってことで一杯飲みに行こう。うまいギネスを飲ませるパブが近くにある。あ、でも昨日はこの子(ICU)の歓迎会だったかな、あーはっは!」ゴリラは僕に向かって上機嫌でこうまくしたてる。ってことで、マーライオンから戻ってきて早々、ゴリラ、キャサリン妃、バイク便、ICUと僕の五人でバプに行くことになった。くるくる巻き毛はこの歓迎会を辞退した。パブに入り、初めにギネスを1杯だけ飲んで、顔を真っ赤にしている僕を見てゴリラが言う。「おまえ、もう出来上がっちまったのか。情けねえ奴だ。じゃー、お前はこれでも飲んでろ。」ゴリラは僕の目の前にトマトジュースをどんと置いた。僕はビール以上にトマトジュースが嫌いだ。僕以外の4人は英語で話しまくる。その内容は半分くらいしかわからなかった。でも、バイク便が親切に話の要旨をタイミングよく訳してくれたおかけで、僕も話の輪に加わることができた。キャサリン妃は可愛い外見とは裏腹にかなりの熱血漢で、湾岸戦争当時、日本がお金だけを出して派兵しなかったことを辛辣に非難した。「世界の平和を守るにはやっぱり誰かが血を流さなくちゃダメなの。英米はそれをやっている。日本は金だけ出して血を流す覚悟がない。卑怯だわ。」これに対しバイク便は憲法のこと、国内の政治状況のことを引き合いに出して派兵は難しいことを説明する。なかなかの理路整然とした説明だ。ICUはうっとりしてバイク便の横顔を眺めている。しかし、キャサリン妃は納得しない。適当にできあがったゴリラがそれでも気を効かせて、微妙にズレた話をする。「オレは日本人とも一緒に潜ったことあるけどな。あいつらはなかなかやるぞ。少なくともアメリカ野郎よりは肝が据わってたかな。まあ、でも、もしこれが北海油田だったらあいつらも逃げ出すだろうけど。うわっはっは。」結局は、自分の自慢に落ち着き上機嫌のゴリラ。それを上手にいなしてキャサリン妃は話を続ける。執拗に日本を責め続け、僕ら三人は少し彼女を持て余しつつあった。「結局、日本は私たちが血で守った平和にただ乗りして石油を使っている。日本人に中東の石油を使う権利はないわ。」そこで、僕も何か言おうと思ったけど英語では言えなかったから、だいたいこういう内容をバイク便に話してもらった。「もともと、パレスチナ問題はイギリスの二重外交が原因でしょう。それに、イラクはもともと親米だった国。石油で散々儲けたけど、言うことを聞かなくなったから潰した。世界の平和と言うけど、この前のルワンダ内戦で英米は何をしたのか?結局、石油が出るところには出かけるけど、ルワンダのように何もないところには行かない。そういう戦争に日本が関わる筋合いはないと思います。」キャサリン妃の顔が蒼白になり、その後、真っ赤になった。すぐに彼女はパレスチナ問題とイラク問題は別だし、今はルワンダ問題について話しているのではないとかいろいろ言い訳した。それ以降の話は覚えていない。でも、帰りのバスではなぜかみんな仲良しで、ゴリラとキャサリン妃は何かよくわからない歌を歌ってるし、うっとりICUとそっけないバイク便は相変わらずだし、僕はといえば飲めないビールを飲んで世界はぐるぐる回っていた。結局、キャサリン妃にとって議論はちょっとしたスポーツか酒のつまみみたいなもので、本当に日本人が卑怯とかそういうふうに思ってるわけじゃあなかったのだ。たまたまその場に日本人が3人いて、それ向きの話題を提供しようとした彼女なりのサービス精神だった。でも勝気な彼女は途中からちょっと暴走してしまったのだけれど。つまり、キャサリン妃も良い人だったのだ。それは、彼女のICUに対するふるまいで十分にわかったし、バイク便の理路整然とした説明にも一目置いているような気がした。僕だけが状況を読めずに熱くなって、一発かましたつもりになってたことを帰りのバスで気がつき、恥ずかしくなった。そして、5人が部屋に戻ったその夜、僕たちとくるくる巻き毛の間に事件が起こった。つづく X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • 580円の代償 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/6/2 580円の代償 Facebook X (Twitter) リンクをコピー ある夏の物語。 事務所から約2km離れた土木事務所まで歩いて行った。 用事を終えて外に出ると雨がぱらついていた。 すぐに止むであろうと思い、遅めの昼食も兼ねうどん屋で雨宿り。 のつもりが、雷雨になってしまった。 傘がない・・・ つい陽水の歌を口ずさみそうになる。 店の軒先で佇む事約10分。 タクシーに乗るかどうか悩んだがどうしても腕があがらなかった。 580円がもったいなくて。 しかもなぜか腹が痛い。 店に戻って「う○こさせて下さい」と言うことが出来ないシャイな中年。 道路の向かいにはコンビニが見えている。 雷雨の中駆け込もうかとも思ったが、びしょぬれの中年が店に入るなり便所に駆け込む姿も哀れに思えて出来なかった。 それから約20分後、やっと雷雨が過ぎ、腹痛の波も治まったので事務所に向け2kmの道のりを歩き始める。 道程の中程でまたおそってきた。腹痛の波が。 しかも先程の雨がうそのように激しい日差しが襲いかかる。 高校球児が「ほとばしる汗」をきらきらと輝かせているほぼ同時刻に、自分は「にじみでる油汗」をあふれさせていた。 苦痛に耐えながら歩き、残り約500m。 経験ある人も多いと思うが、「あともう少し」と気が緩むところからが本当の戦いである。 「ロバート・デ・ニーロだったらこんなときもきっと平然とした顔をして歩くはずだ」 等と考えながら、デ・ニーロになったつもりで歩き続ける。 ちなみにこのときイメージしたのはゴッド・ファーザー2の時のデ・ニーロ。 別に「う○こ」がまんして歩くシーンがあるわけではないがなんとなく・・・ なんとか事務所に到着。 全身汗まみれ。雨に濡れたのと同じくらいに。 すぐにびしょぬれのTシャツを脱いで便所に駆け込む。 すると、あら不思議。便座に座ると素っ裸。 新しい発見であった。 皆さん、便所に行くときは上になにか着ましょう。 でないと、なんだかとってもはずかしい気分になります。 たとえ自宅だとしても。 そして、便座で自分に言い聞かせた 「タクシー代580円浮いたから良かったじゃないか・・・」 高校球児のほとばしる汗よりも 中年男性の悲哀に満ちた脂汗の方がドラマが詰まっていたあの夏のひとときを私は忘れることはないだろう。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

  • もう一度走る<<20>> | STORYS.JP 人生物語

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  • TDD ( Timebox Driven Development ) という考え方 | STORYS.JP 人生物語

    STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/4/23 TDD ( Timebox Driven Development ) という考え方 Facebook X (Twitter) リンクをコピー この 10 ヶ月スマホのアプリを幾つか作った経験から、自分の中で反省をし改善をする必要があると感じていることがあります。 それはプロジェクトの進捗管理とタイムマネジメントです。 まず前提としてB to C のもの作りは外部環境から決められた納期がないのでプロジェクト管理・タイムマネジメントがとても難しいです。 期限を決めてプロジェクトに取り組んでいても、「機能を増やしたい」「バグが出た」「アイコンが決まらない」「このエフェクトを少し直したい」といった理由でじゃあ少し伸ばすか。しょうが無い、今週リリース予定だったけど来週にしようみたいな事が多々あります。しかし、そういったものが積み重なると、あれ?これって先月くらいに終わってた予定じゃなかったっけ?!といった状況が当然ながら生まれます。 ここで問題なのは、誰も手を抜いている訳じゃないのにズルズル遅延しているということです。周りに状況を説明してもそれじゃあ仕様がないよね。となるわけです。 しかし、考えるまでもなくこういう状態はとても良くないです。時間制約がない中で行動をすると、人間は自分を律することがとても難しくなります。 これを回避するためには、プロジェクトの管理・タイムマネジメントの意識を予めチーム内でコンセンサスを取っておくというプロセスが必要だと感じています。それは、根性論で長時間働いて期限を守ろう!というスポ根的なものでは勿論なく、プロジェクトの目的を設定し、期限内で出来る最大効果は何かという一点にしぼる事から始まるのではないかと思います。 時間制約のある中で行動をすると人間の思考は無駄が省かれスリム化し、効率も発想もよくなります。自分で自分を追い込むと人は案外柔軟に対応できるものです。今のチームではこれをTDD ( Timebox Driven Development ) などと提唱して動いております。 So far 良い感じ! X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

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