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- 投資事業への配属が確約されて入社したのに入社式の日に異動を命じられる | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 13/3/1 投資事業への配属が確約されて入社したのに入社式の日に異動を命じられる Facebook X (Twitter) リンクをコピー 2008年10月に、当時大学4年だった僕はアメーバの会社の子会社の○○モバイルという会社に入社した。CAモバイルの投資先で9月までアルバイトしており、CAモバイルの投資部門が若手を募集しているとのことで応募して働かせてもらうことになった。その後はOJTで紹介で持ち込まれる案件の経営者に毎日会い、デューデリの日々。学生ということでそこまで事業経験もなく、わけがわからない状況で議事録すらまともに取れていませんでした。しかし、かなり密度の濃い日々で、ここでの経験が今の僕のベースを作っていると断言できます。上司とも喧嘩しながらもガチで戦いながら鍛えていただいていました。 2009年4月に、3月は卒業旅行のため会社を留守にしており、久々に入社式で出社。たまたま上司と廊下ですれ違うと、神妙に「後で話がある」といわれる。同期は20数人いたが全て総合職採用で、僕だけ10月に遅れて内定をもらい、事実上部門別採用だった。投資部門で即戦力にするために10月以降はフルタイムで働いていた。夜に上司に呼ばれて話を聞くと「投資部門で採用できなくなった」と言われる。リーマンショック後ということもあり、投資にリソースを割かない方針となったという。え?部門別採用でしょ?うそ?と頭が真っ白に。ただし、内定書には部門別との明記はなかった。事実上の部門別だっただけである。部門での採用がなくなったからといってクビになるわけではないが、この会社での投資以外での仕事に興味がなかった。入社式に配属を覆される。なかなか希有な経験だ。 その後、社内の役員などに政治を試みるも虚しく投資部門への配属は叶わず。配属はキャリアとの交渉の部署となったが、やる気が全く出ず、鬱の手前状態に。その後広告営業に移るが、REP業に意義を見出せず結局2009年12月に退社した。なかなか苦い新卒時代の思い出だ。社会人になってから、社会人1年目が一番辛く、パフォーマンスが悪かった。広告営業などの経験は今に役立ってはいるものの、「会社を信用し切ってはならない」という思考の礎はこの体験にある。会社は従業員の希望を飲むとは限らず、あくまで会社都合である。会社に振り回されるのが嫌でたまらなく、僕はフリーランスとなった。 会社なんて信じちゃいけない。信じられるのは自分だけ。今も忘れられないトラウマ的な出来事です。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- ママチャリ日本一周弾き語りツアー 〜日本語が下手くそやから〜 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 ママチャリ日本一周弾き語りツアー 〜日本語が下手くそやから〜 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 役者!芸人!ミュージャン!! プロ野球選手という夢を諦め 看護師の夢も諦め 次に何になるか考えた僕は とりあえず目立ちたいな〜。 と漠然とした思いがありまして また TVに出たい!! とも思っていた僕は 役者!! 芸人!! ミュージャン!!!! の三択に最終的に絞られました。 最終的にってなんやねん!! てな感じなのですが、もう僕には この三択しかない! と思いました。 う〜ん。 どれがええかなぁー? (※ここからは僕が14歳の時に思っていた心情の話です。今はそないな風には思ってません。) 選択肢その1 ・役者 「役者か〜。演技するってめっちゃかっこええやん!!それに目立つし。けど、役者は監督の指示のもとに役を演じるんやろ。てことは自分の意思でやるとかやないな〜。なしやな!!」 選択肢その2 ・芸人 「芸人か〜。芸人はなかなかええな〜。俺お笑い好きやしな!!やけど笑わせるだけはちょっと物足りんな〜。芸人さんもやめとこう。」 もうむちゃくちゃです。汗 あの頃の自分に会えるなら僕は、思いっきり頭カチ割る勢いでしばきますね。 選択肢その3 ・ミュージャン 「ミュージャンか〜。これめっちゃええやん!!だって自分の思いや気持ちをそのままダイレクトに自分の表現で伝えられる!! それに 俺は日本語下手くそやから、 ミュージャンなら下手くそでも、歌詞にすることでゆっくり、じっくり考えて伝えれるからこれええやん!!」 「それに、マイケルジャクソンはまだ、教科書にはのってないしマイケルなら越せるやろ!!うん よし!!ミュージャンや!!」 と思いミュージャンを目指そう! と当時14歳の僕は心にこっそりと誓いました。 でも面白いですよね〜笑 ミュージャンを目指した理由が 「日本語が下手くそやから!」 ですもんね笑 でもあの時誓った夢を今、現実にしたんやから、ホンマに凄いですわ笑 ある漫画で素敵な言葉があります。 俺は!諦めることを諦めた!!! X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- ☆始めての海外☆ 弾丸 2泊4日オークランド親子2人旅 ~滞在最後の日編~ | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 ☆始めての海外☆ 弾丸 2泊4日オークランド親子2人旅 ~滞在最後の日編~ Facebook X (Twitter) リンクをコピー アラームをたくさんかけておいて、朝6時30分に起きた。 今日は曇り、でもポケモン取るには、炎天下だと暑すぎだから、逆に涼しくていいか。 滞在できるのは、泣いても笑っても今日一日だけしかない。何という短すぎる弾丸旅行。 この旅の目的はポケモンだからね。息子が長い時間満喫できるよう朝早くから出かけよう! という事で、自分の支度を済ませ、息子を7時に起こした。 しかし、起きない。まだ眠るとのこと。 今日一日しかないんだよ。いいの? いいとのこと。 7時30分に起こす。 まだ起きない。 ママ、お腹空きすぎてるんだけど、ねー起きてよー! まだ眠るとのこと。 えーじゃママご飯食べてきていい? すると、ダメとのこと。 8時に起こす。 まだ起きない。 ママのお腹は限界だった。 ねーママお腹すきすぎだよ。ご飯食べてくるねーいい? そしたら、いいとのこと なんかあったら電話してと言って、一階のレストランへ向かった。 レストランの中はお客さんが誰もいない。 まだ、やってない時間なのかな? すると、中に中国人の女性のウェイトレスさんが居た。 オープン?(空いてますか?) イェース、空いてますよ! センキュー! といって ビュッフェスタイルなので、好きなものを取ってくださいとのこと。 そして、何か話してくれたけど、わからなかったので、 I can’t speak English ! と伝えた。 すると、チャイニーズ? ノー、ジャパニーズと返答。 すると、黒人のかわいらしいウェイトレスさんが来て、私は、東京に友達がいるのよ と英語で教えてくれた。 でも、日本語は話せないみたい。 さきほどの中国人が 旅行できたの? って言うので そうよ と答えた。 誰ときたの? と言うので、My son よ でも、今、まだ眠ってて、でも、私、お腹すきすぎてここにきたの ってルー大柴英語で伝えた。 そしたら、別の黒人のウェイトレスさんが来てくれて、バターについて詳しく、説明してくれた。 このバターはね、ニュージーランドのバターなの。 そのとなりにあったバターみたいな形のバターではない何かについて、説明してくれてたんだけど、わからなくって、 Sorry I can’t speak English ! と伝えた。 そしたら、あら、そうなの。 ねぇ誰か日本語話せない? って、さっきの中国人と、かわいらしい黒人に聞いてたんだけど、みんな話せないわ と言って、 もう、話せたらどんなによかったかしらってさっきの黒人のウェイトレスが言ってくれて、 なんか、私も含めて、みんなで楽しく笑ってて、気が合って、すぐ仲良くなっちゃうような4人だった。 女子って、万国共通だわって思った。 国籍とか関係なく、女子ならではのあの雰囲気。なんか、どーでもいい会話で盛り上がるあの感じ。 この時、英語が話せてたら、たぶん世界中にお友達がすぐできるわねっと思ったのだった。 そして、窓側の席で、お外を見ながら、朝食を食べた。 メニューは、 ・カンパーニュブレッド (ニュージーランドバターとチーズを添えて) ・スクランブルエッグ ・ソーセージ ・トマトのグリル ・ハッシュドポテト ・ヨーグルト(チェリーのコンポートを添えて) ・グレープを少々 ・ホットコーヒー あー美味しい! 窓の外から見える景色は、やっぱり、建物が可愛いいな。 途中でさきほどの中国人が来て、お味はどう?とのこと、 とっても美味しいわと伝えた。 そして、食べ終えて、お支払いがわからなかったので、 さきほどの中国人へ確認、するとチェックアウトの時で大丈夫よ とのこと。 センキューと言って、 See you tomorrow ! とのこと。 オーノー、明日はもうこないの。 だって今日帰るんだもの。 って、伝えたかったんだけど、単語が出でこなくて、部屋に置きっぱなしのしゅうやも気になってちょっぴり急いでて、そのことを伝えられないで、 See you tomorrow ! って言ってレストランを後にした。 部屋に戻ると、しゅうやはまだ寝てた。 どんだけ疲れてたんだろう。 そして、まだ眠るって言ってる。 もうー、今日しか滞在できないのにな そしたら、ママその辺お散歩してくるねー。 どのくらい? と言うので、1時間くらいと伝えると、 やだとのこと。 そしたら、30分で戻ってくるよ それなら、いいとのこと。そして、またしゅうやは眠った。 お散歩お散歩。帰り道、間違えないように、曲がるところの目印をみつけた。 昨日は、右に行ったから、今日は左側に行ってみよーっと! ショッピング街だから、色んなお店が立ち並ぶ。 でも、これと言って入ってみたいお店はなかった。 しばらくして、横断歩道を渡って、反対車線をホテル方面に向かってお散歩する。 やっぱり、この街並み好きだな。 なんか穏やかでやっぱり落ち着くわ。 そして、ホテルの少し前の、コンビニっぽいお店に入った。 中には、洗剤とかの日用品とか、フルーツ、お菓子、パン、飲み物、色んなものがあった。 ホテルで小腹が空いた時に食べるように、 チョコレートクッキーと、キットカット、ポテトチップス、大きいペットボトルの水を買った。 そして、ホテルへ戻った。 しゅうやはまだ寝てた。 もういい加減起きないとだめでしょ ってことで、無理やり起こした。 そして、朝食どうする? 下のレストランにする? と聞くと、 またマックに行くとのこと。 マックに着くと、朝マックの時間だった。 ハッシュドポテト、マフィンを注文。 ホテルで食べるとのことで、ホテルに戻って食べた。 早く行かないと、今日一日しかないよ。 すると、 13時からで間に合うよとのこと。 えーそうなの? そしたら、ママ眠くなってきちゃったから、少し眠るね。時間になったら起こしてね。 ってことで、ママ眠る。 数時間であったが、相当深く眠れた。 起きたらすっきりだった。 そして、少し小腹が空いてたので、さっき買ってきたチョコレートクッキーを食べた。 うーん。凄く、麦の味が前面に強調しすぎている。これは食べられない。 では、キットカット、うーん。甘すぎるー。 うん、これも一口しか食べられない。 ポテトチップス、これは普通の塩味。 少し食べて、しゅうやの身支度を整え、いざ、ポケ活へ! しゅうやのポケモンは海辺に出没。 海辺までどのくらいの距離かしゅうやに確認すると、直進500メートルで、普通に歩くと1キロメートルとのこと。 それなら、歩いていける距離だね。 ってことで、しゅうやに道案内してもらって海辺まで歩いた。 海辺の入り口に到着 わー海が見えるよーー!!! So beautiful !!! なんて素敵な港なのーー!!! ママは一人で大興奮! パシャパシャと携帯のカメラで写真を撮る。 やだーお店も全部かわいすぎるー!!! パシャパシャ パシャパシャ シャッターチャンスが沢山でたくさん撮りまくる。 しゅうやはポケ活モード一色だ。 顔色ひとつ変えず、クールにポケ活。 そして、ママの携帯は取り上げられた。 しゅうやは、自分のiPadと別のアカウントで私の携帯でもポケモンをとる。 そして、しゅうやのポケ活ルートに従って、私は、景色を満喫しながら、のんびりとお散歩をする。 わーもう綺麗で美しすぎる! ヨットやクルーザーがところ狭しと並んでる。 かもめも飛んでて、なんて素敵なの! あーこれは、お天気だったらもっと素敵だったに違いない! あー素敵!!! もうシャッターチャンスがいっぱい。 しゅうやに携帯貸してと伝えると、 だめとのこと。 いやいや、もうこれないし、ここは、ママも譲れない。 シャッターチャンスはそんなに多くあるわけではない。 無理やりしゅうやから取り上げて、パシャパシャ撮る。 しゅうやは、めちゃくちゃ怒ってる。 でもでも、ママだって譲れない。 そして、携帯をしゅうやへ戻す。 しばらく歩くと、今度は、この素敵な景色をみながら、思いっきりくつろげる場所があった。 みんな、ワインやシャンパンを飲みながら、外にあるビーチベットで思いっきり、バカンスしている! わー、私もあそこで究極にくつろぎたいわ でも、子連れだと無理ね。 ここは、将来、子どもたちが、独立した後に、素敵な人と来て究極にくつろぐことにしよう~て決めた。 あーシャッターチャンス、またまた、しゅうやから携帯をとりあげてパシャパシャ そして、すぐしゅうやに返す。 しゅうやが怒ってるから、もっともっと撮りたいけど、最小限しか撮れなかった。 しばらくポケ活していると、 iPadを見せ、タクシーでここに行くと言う。 すると、グッドタイミングで目の前にタクシーがきた。 で、iPadをみせて、ここに連れて行ってとお願い。 場所オッケーとのこと。 この方は、インド人の男性、たぶん35歳くらい。 そして、行き先は私は、よくわかってなかったが、どうやらフェリー乗り場らしかった。 フェリーに乗るのかい? と聞かれたので、乗らないと答えた。 じゃ何しに行くんだい? と言うので、息子のPokémon GOと返答。 そーなんだね 息子は何歳だい? 11歳と答えた 旦那さんは、きてないのかい? うーんとね、旦那はいないの。 えーと離婚したから でも離婚の単語がでてこない。 Marry の反対と言って、両手でバツを作って伝えた。 すると、broken ? とのことで イェースイェースと伝えた。 子どもは一人かい? もう一人いるよ え、どこに? ジャパンと返答。 何歳?誰がみてるの? 4歳、私の父と母って伝えて、病気になっちゃって来れなかったと説明。 いつ帰るの? 今日(日付は明日だけど) 今日??? そう、ジャニュアリー、ファーストの3時には帰る わおー迎えはあるのかい? もう、頼んであるよ と、伝えた。 そして、私もたずねてみた。 あなたは、どこ出身なの? すると、ジャパンと言ってる。 ん???ってなっちゃって、止まっちゃった。そしたら、どうやらジョークだったみたいだわ。私、いっつもおとぼけだから、ごめんね、すぐにジョークってわからなくって。 彼は、インド出身なんだけど、奥さんがニュージーランドの人なんだっで、教えてくれた。 それで、なんで別れたんだい? えー、なんでって、モラハラパワハラが20年あって、、、最後は若い女の子と、、、 って、英語にするの難しすぎ! だから、最後のベリーベリーヤングガール って伝えた。 そーなんだ。その子はプリティなのかい? って聞くから、 まあ、可愛いことは事実だから、イェース、プリティガールと伝えた。 そしたら、君の旦那さんはなぜ別れたんだい?君は、so beautiful だよ って慰めてくれた。 だから、センキューと言って、 ほんとにほんとさ、君はほんとにso beautiful と言っていただいた。 だから、センキューソーマッチとお伝えした。 君は何歳なの? 39歳って伝えると、みえないよ、28歳かと思ったよってまたまた、慰めてくださったので、センキューセンキューと伝えた。 そー言えば、この会話全部息子きいてるわ。 まあ、いっか、全部知ってるしね。 しゅうやは、子どもだけど、コナンくんみたいに、子どもの顔した大人みたいな感じだし。 君の職業はなんだい? 社労士、うーん、単語がわかんない。 日本語で答えるのも難しいのに、うーん ってやってたら、となりの息子、社労士の英語をグーグルで翻訳してくれている。 へー、息子、私の職業知ってたんだ、でも、検索してて、くるくる回ってなんか、ネットが上手く繋がってなくて、結局、答えはでなかった。 ソーリー、説明できないわ。 ってとこで目的地に到着。 ポケモン終わったら、電話してくれれば、ここにまた迎えにくるよ とのことで、電話番号もらって、タクシーを降りた。 すると、息子、とってもアングリー。 どうやら、時間切れでポケモンが消えてしまった模様。 おー、でも仕方ない。 確かに道混んでたしね。でも、周りを見渡すと、乗った場所からそんなに遠くない気がする。 距離を稼ぐのに、遠回りしたのかもしれないね。でもまあ仕方ない。 ってことで、目的のポケモン以外を取りながら、またポケ活した。 ここは、フェリー乗り場、タイタニックみたいな豪華客船があった。 あんな、船でゆっくりと旅するのもいいわねー とか考えながら、お散歩していた。 そして、しゅうやは、もうポケ活は終わりでいいとのこと。 では、ホテルに戻りますかってことで、さっきのタクシーは呼ばずにホテルへの道を歩いて帰った。 帰る途中で、大きいサンタクロースとトナカイがビルにくっついているお店に行きたいとのことで、中に入った。 そこで、しゅうやとかずきのLEGOの小さいおもちゃを買った。 そして、街には、ストリートミュージシャンがところどころいた。 しゅうやが、コインを入れたいと言うので、コインを渡した。 そして、しゅうやは、ストリートミュージシャンに出会うたびにコインを入れていた。 センキューと言ってもらって満足そうなしゅうやであった。 あーお腹すいたな。 ママは、ラーメンとか、ご飯が食べたいな。 でも、そう言うお店は見つからなかった。 そして、ホテルに戻ってきた。 あーお腹すいたな。 しゅうやは、まだ、空いてないとのこと。 でも、ママはお腹すいたから、ルームサービスでもとるか?ってことで、 ルームサービスの電話をした。 サーモンのグリル マッシュポテト サラダ 炭水化物がほしかったので、 スパゲティボロネーゼ を注文した。 結構なボリュームで、全部食べられず残してしまった。 でも、美味しかったです。 しばらくして、ホテルでゆっくりした後、 今度はしゅうやがお腹すいたとのこと。 外はもう遅い時間、暗くなると治安が悪いって書いてあったから、ルームサービスとる? と言ってメニューをみせると、食べたいのがないとのこと。 そしたら、下のレストランに行くとのこと。 そして、レストランのメニュー。 なんと、ルームサービスに書いてあったのと、全く同じメニューです。 しゅうやが食べたいのがないとのこと。 えーー でも、このまま出られないよ。 だから、 しゅうやが食べられそうな、牛フィレステーキと、普通のパンがなくて、ピタパンしかなく、ガーリックバターのピタパンを注文した。 ママはすでに、お腹いっぱい。 でもしゅうやも食べきれないとのこと。 だから、一緒に手伝って8割くらいは食べた。 当初、デザートのメニューを食後にお持ちしますねと男性の黒人のウェイターさんに言われてたのだけど、もうお腹いっぱいで入らないから、デザートのメニューをもらう前にレジに行き、ルームナンバーを伝えて、サインをし、 お腹いっぱいで、残してしまってごめんなさい。 そして、デザート頼まなくってごめんなさい。 とっても美味しかったわ。ありがとう。 と伝えた。 すると、気にしないで、センキューとのこと。 バーイと言ってお部屋に戻った。 今日でもうオークランドともお別れだね。 日付がかわって3時には、迎えに来ちゃうから、お風呂入って早めに眠ろうってことで、 しゅうやを先に入れて、お布団に寝かせた。 でもしゅうやは眠れないとのこと。 しゅうやは、僕は眠らないで起きてることにするよ。飛行機の中でねるからいいとのこと。 そして、私もお風呂に入り、帰りの荷造りをした。 そして、ルームサービスで、食べ残してしまったお皿を置いたお盆の上に、お腹いっぱいで残してごめんなさい。とっても美味しかったです。ありがとう。と英語でメモを残しました。 それから、キッチンのカウンターのところに、ニュージーランドありがとう。オークランドありがとうと英語でメモを残しました。 しゅうやに、少しは寝た方がいいよっていったが、眠らないとのこと。 ママは少し眠るね。 ってアラームをたくさん設定して眠ろうとしたが、 結局眠れなかった。 すると、バンバンバンバンと音がする。 しゅうやが何の音? もしかして、銃声かな? そうかもしれないね。 だって夜は治安悪いって書いてあったもん。 それにしては、凄い銃声だ。とても激しすぎる銃声 しゅうやと窓の外をみると、スカイタワーから花火がすごい勢いで発射されている。 なんだ、花火か、そうか、ちょうど、2019年になったんだね。 そして、2人で花火をずっと見ていた。 花火が終わると、ニューイヤーをお祝いするテンション高めの人達の声がよく聞こえる。 うん、うるさくて眠れない。 しゅうやは、やはり、ずっと起きてるとのことだった。 ママは、1時50分まで寝るから起こしてねと言って目をつぶった。 寝付けなかったが、いつの間にか眠っていて、アラームがもう鳴っている。 しゅうやも時間だよと言ってる。 でも、眠すぎて目が開かない。 あと、5分で起こしてね。 また、寝る。 あと、5分で起こしてね。と言って また、寝る。 また、5分と言って何回かやって やっと眠い目をこすりながら、やっと起きた。 身支度を整え、ホテルの部屋をでた。 そして、1月1日2時30分にチェックアウトの手続きに向かったのだった。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 姉として妹の夢を叶えたかっただけなのに、給食のおばちゃんからローチョコレート職人へ昇華した妹の話<1章> | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 17/2/15 姉として妹の夢を叶えたかっただけなのに、給食のおばちゃんからローチョコレート職人へ昇華した妹の話<1章> Facebook X (Twitter) リンクをコピー 「あのさ、ローチョコ、やんない?」 私が妹にこのたくらみを話したのは3年前の秋の初めだった。 実家で求人票を眺めため息をついている妹に声をかけた。 ちょっとズルいんだけど、この話を切り出すタイミングは「いまだ!」と思ってしまったんだよね。 私が急に予想もしないことを言いだすことに慣れていた妹だったが、 「ローチョコ」という初めて聞く言葉に返事をしようもなく「?」という顔をし、首を傾げていた。 妹の長男(自閉症)が大きくなり、次男ももうすぐ保育園。 今までのような勤務体制でも厳しくなってきた妹は子供最優先で生活を送れるように、と他の仕事を探すように。 しかし、求人を探せど自分の都合が最優先される仕事などあるわけもない。 この葛藤は「ママ」をやっている女性なら一度くらいは感じたことがあるだろうと思う。 なぜなら、かくいう私も「子供がいることで就職ができない」という現実を目の当たりにしてフリーランスという道を選んでいる。(勘違いされがちだが、私も妹も決して会社勤務が嫌で独立したわけではない。せざるを得なかったのだ) 私も妹と甥たちの生活ぶりをいつも見ていたし、妹にとっても甥たちにとっても一番いい形のワークスタイルはないだろうか?とずっと考えていた。 求人票を眺める妹の姿は、私にとっては「自営業」に引き込む絶好のチャンスだったのだ。 『大きくなったらお菓子屋さんになりたいな』 私「…ってアンタ、言ってたじゃん?」 妹『は?そんなこと言ったっけ?』 私「…………(遠い目)」 一瞬だけでも 「妹の小さなときの夢を、姉の私が叶える手伝いをしてあげられるかも!こんなこと覚えてた私って…いいおねーちゃんじゃん!」 と思ってしまった自分の気持ちは正直、北風にさらされたようだったが…(笑) それでも妹なら「ローチョコレートの道」でやっていけるという未来絵図が私には見えた。 なので、薄っぺらではあったが私が知っている限りのローチョコレートの情報について伝えた。 ・食べるだけで肌や髪がきれいになること ・食べても太らないこと ・虫歯にならないこと ・糖尿病の人にも低リスクで味わってもらえること ・300種類以上の豊富な栄養素が活きたまま摂れること そして、 ・脳に働きかけるチョコレートであること これが妹の目の色を変えた。 認知症の予防にも良いとされるローチョコレート。 妹も私と同じチョコレート中毒で大人ニキビに悩んでいたが、本当に喰らいついたのはそれが理由じゃなかったように思う。 甥の発育に必要な「何か」が「ローチョコレート」の中にあるかもしれない…と感じとってくれたのだろう。 ズルいって分かっていた。妹を焚きつけるつもりで話をしていた自分がいた。 数年後の今日、妹もこれを読みながら「うわぁ、姉やん、計算高いわ!」と言われようとも、 それでもその時、「今、妹の心を動かさなきゃ!」って思ってしゃべり続けていた気がする。 急展開な話を妹は全て飲み込みきれてはいなかったけど、数分後 『よくわかんないけど、ローチョコ、調べてみる。 ねーちゃんが言うなら、なんかいいものなんでしょ?』 と求人票をしまい、妹は甥たちを連れて実家をあとにした。 【甘からず苦からず、決して旨からず】 初のローチョコレートが試食品として私の目の前に並んだのはローチョコレートの話をした1か月後のこと。 もともとお菓子作りが好きだった妹にとってローチョコ作りはその延長だったのだろう。 最低限の道具はすでに揃っていたし、必要な道具を少し追加し、材料を揃え、YouTubeで動画を調べ、見よう見まねで「ローチョコレート」を作ってきた。 ファーストトライのローチョコレートはシンプルな黒一色ではあったが、 可愛い形のシリコンモールドで成形されたため、見た目は洋菓子店に置いても見劣りしない美しさだった。 「これが…ローチョコレート!!!」 『うん、作ってはみたんだけどさ、味見して?』 私も妹も、ただのチョコ馬鹿姉妹でしかなかったが「美味しい」と言われるチョコレートなら各々いろんな銘柄を食べていた。それなりに舌は肥えていたつもり。 私がかつて日本を飛び出す家出をしたときに買い漁ってきたヨーロッパの喉が痛くなるような甘いチョコレート、カカオ99%の「苦いだけ」のチョコレート、一粒数百円のものまで。 だけど、ローチョコレートにいたっては「旨さ」の基準を知らなった。 だって…新潟には売っていないんだもの(笑) 妹も味見をしながら作ったものの、これがローチョコレートなのかどうかの判断がつかなった。 初めてのローチョコレート体験。 「甘くなくていいね。かといって、苦くもなくていいね。でも…」 『でも…?』 「決して旨からずだね…(笑)」 砂糖・乳製品不使用のチョコレートは一言でいうなら「大人の味」。 大人の味とはいってもポリフェノールの味が強烈だった。 よく分からない人のために表現を変えると、 食べる赤ワイン(しかもフルボディ) といった風味だった。 ほろにがあますっぱい 間違っても手放しで「美味しい!」と喜べるような出来ではなかったが、 それが2人で確認できただけでも素晴らしい第1歩が踏み出せたような気がした。 「体に良いと分かってても、人は美味しくなければ食べ続けられないよ」 「素材も高いし、それなりの値段をつけるなら<体にいい>ってだけじゃ人は買わない」 何度も作り直している中で「自営業」までは考えていなかった妹も、 次第に「売る」ことを視野に入れながら創作活動をするようになっていった。 もちろん、会社員を辞め自営業になると決意した際には、 私が知っているだけのビジネスのノウハウは全て提供するつもりでいた。 12月になる頃、いよいよ妹は「退職」の方向で考えるようになった。 「どうしたら教室とかできるようになるの?私なんかにお客さん集まるの?」 人は、自分に投資しだすと、ある一定の金額を超えた際に必ず「回収」を考えるようになる。 妹の場合は私と違い、ビジネス塾やスクール、情報商材と言うわけではなかったが、 道具や製菓材料につぎ込んだお金と時間を意識するようになっていった。 いわば、これは妹にとっての「自己投資」ってやつだったからね。 それから、私以外の「初めてローチョコレート体験者」の感想をどんどん集め、 製品に反映していき、味だけではなく香りや口どけ、初めて口にする天然甘味料の風味、満腹度などのリアルな声を集めていった。 試行錯誤している中、 私の入っていたビジネス塾の仲間が「ローチョコレート教室」を東京で開催することになった。 妹にもそれを伝えると 『彼女にも会いたいし…行ってみる!』 と教室参加を決意し、東京へ。 当時の彼女と妹の対談動画は今でもYouTube に…残っていた。 東京から戻ってきた妹は彼女の魅力に感化され、 『自分もあんな人になりたい!』と意気込んでいた。 (綺麗な人はいつの時代も男女問わず影響力が大きいようですw) 妹『自宅で教室が出来るようになったりすれば、子供のこともムリせずにお金を稼ぐことが出来るよね…』 私「まぁ、そうだろうね。私見てれば分かるじゃん」 妹『だよね。あのさ…出世払いになるけどさ…色々、教えてくんない?自分で仕事を作る方法!』 当然私は「待ってました!」とばかりに2つ返事で 「ほな、倍にして返してや?(笑)」 と妹を本格的にプロデュースすることとなった。 続く… X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- パニック発作と過呼吸。 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 パニック発作と過呼吸。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 私は小学校の頃から ある日突然、受賞して、登壇するということをして、ビックリし、 なんども心臓に悪いビックリを繰り返していくうちに 22歳の時、ほぼ同棲のように毎日一緒にいた恋人との失恋をキッカケに 凄い滝のような汗と、過呼吸、そしてパニック発作を経験し、電車に乗れなくなり、大勢のいる広場に出られないという 社会生活に影響のでる経験をしました。 【心療内科】へ一年間通って、カウンセリングと軽い睡眠薬と精神安定剤で 減薬して、終了。 そこからよほど【極度の緊張】をしない限り、【パニック発作】も【過呼吸】もなくなりました。 が、そのあとも 私は突然、受賞をする、選ばれるという そして受賞をキッカケに大好きな友達から 妬まれ嫌がらせをうけて、友達を失う。 じゃ、受賞するようなものを 【書かなきゃいい】んだけど 【書くことでストレス発散】をする 【ストレスを昇華】する私に それは、出来なくて そのときに、決めた。 なにを失おうとも それが友人であろうと恋人であろうとも 私の【書くこと】を邪魔するなら 失ってもいい、と。 私の【書くこと】を一緒にやっていく人か、応援してくれる人と 一緒に生きていく、と。 その覚悟をしたら、【パニック発作】にならなくなった。 【驚かなく】なったからだ。 受賞も、【当然】だと、そうなるものだとおもうようになり 受賞できないときは、受賞するまで頑張るようになった。 それが、私の【運命】で 【宿命】だと。 いつか【書くこと】で 誰かの【力になれる】その日まで 頑張ると、決意した24歳の時。 パニック発作が起きてから二年後だ。 人は【覚悟】をすると 【信念を持つ】と 【迷いがなくなり不安にならなくなる】のだと。 私は、もう、決めている 【私のできる範囲で、神推しや推しの力になれるなら書き続ける】と。 それしか、出来ないからだ。 他には何も無い。 ただ、思うのは それが推しに喜ばれているのか わからないときだ。 ありがとうと言って欲しいとか要求したいわけじゃない。 感謝して欲しくて書いているんじゃない ただ【迷惑】に なっていないか、だけは、気になるときがある 私、ポンコツだから オタクで【やりすぎる】ときがあるからだ 教えて欲しい 怒られるのは嫌だけど もし叱られて、治したらそこに まだ居れるなら 治してそこに、居たいからだ。 永く、そこに、居たいからだ。 私は、本当はもう、なにも 誰も...失いたくないからだ 本当は寂しい、悲しい 私が文章を書いても【受賞】しても どうかお願い 私を受け入れて欲しい 一緒に喜んで欲しい、そういう 【友達や仲間】が ずっと、ずっと 私は欲しかったから だから、そういう友達や仲間なら 私はもう・・・失いたく、ないよ 大好きになった人を、もう、 失いたく、ないよ #神推し8 #spoon #ことねぇ #書き手 #Storys #私の人生 #友達とは #仲間 #ワンピース それでも【記憶】に残っている 広場恐怖症の感覚、パニック発作の感覚、そして 【過呼吸】になる怖さ。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 第28話❀9割『捨てる』ことで人生が開運進行形に | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/1/4 第28話❀9割『捨てる』ことで人生が開運進行形に Facebook X (Twitter) リンクをコピー 思考が急速にクリアになったのも 早くも「エッセンシャル思考」の効果? 今日 お台場のレインボーの夜景を眺めていて 昨日、紅白歌合戦の録画を見ていての「にじ」の歌 一昨日 友人から送られてきた「なないろ」のスワロスキーのアクセサリー ちょうど一年前「なないろ」を意識すことになる 偶然が重なる出来事があった。それは今回は割愛するとして 「なないろ」と「虹」が = で この3日間でつながり 今日たまたま「書道」の記事を読んでいて 「書道」を30年ぶりに再開したくなった。と同時に ふっと3歳ぐらいで書道を始めた時 一番最初に書いたお手本の文字が そう「にじ」だったのだ 当時 今用語でスパルタでカリスマと呼ばれていて 何が幼な心で嫌だって感情的で、露骨な「依怙贔屓」 ただ性格は置いておき 指導スキルは見事な「徹底した基礎基本の反復」 正しく先生の望むように書けるまで終わることができず「帰れない」 華やかな賞は獲れても書道が賞を取り先生のプライドを 満足するためのツールと思え 事務的に書いているようで楽しくなかった そんなわけで、「にじ」から始まる感情的な先生を満足させる 「ストーリー」と 反面、基礎基本は スパルタで反復ゆえ 当時 はらい、止め、言われたことが 身体に沁みつき筆持つと感覚が覚えていて多少練習すれば書ける という「三つ子の魂100までも体感」が 相重なり 潜在的にネガティブな思い出だけど捨てられない「書道」の 理想的なイメージだったのかもしれないと ふっと思った。 きっと潜在的に書道を楽しく心から書きたいと思える時期がきたのかなぁ? そのきっかけとなったのが 1年前のテナントさんのお弁当屋さ「なないろ」であり 気づいたのが 「虹」で 今年に入り見たからだろう 今年ってまだ3日しか過ぎていないが・・・ 明日はどんな「なないろ虹いろ」に出愛があるかなぁ わくわく X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 家族のコミュニケーション-その9 たたかれる夫 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 17/1/3 家族のコミュニケーション-その9 たたかれる夫 Facebook X (Twitter) リンクをコピー さて今回は立場が逆転して、暴力を振るう女性、叩かれる夫に注目します。 暴力を振るう女性? 妻を殴る夫について聞くのは珍しくありませんが, 妻にたたかれる夫は多いと思われますか。 暴力に訴えて,家庭内暴力の問題を大きくしている妻は大勢いるのでしょうか。 その通りなのです。 社会学者のスーザン・ステインメッツはこう語っています。 「報道されることの一番少ない犯罪は妻を殴ることではない。 それは夫を殴ることである。…… 平手打ちをしたり,たたいたり,押したりするなど, ちょっとした実力行使をするという段になると, 男女間の実質的な相異はないようである。 たたかれる妻という現象の見られるのは,男性のほうが攻撃的だからではなく, ただ男性のほうが身体的にもっと力があるようであり, より大きな害を加えることができるからである」。 夫がたたかれたという話をあまり耳にしない理由はここにあります。 警察署へ行って(あるいは電話をかけ),がっちりした巡査部長に, 「家内に殴られた」などと口に出せる夫はどれほどいるでしょうか。 しかし,多くの妻たちはまさにそうした暴力を振るっているのです。 夫は妻よりも小柄だったり,年を取っていたり,虚弱だったり, 病気でさえあったりするかもしれません。 また,たとえ自分を守るだけの力があったとしても, 騎士道精神から,あるいは本気になってしまうと妻を ひどく傷付けかねないという恐れから,自分を守ろうとしないのかもしれません。 夫の暴力を声高に非難する妻の中には,自分の落ち度を見過ごしている人もいます。 例えば,妻は夫が夫婦名儀の口座ではなく,夫名儀の口座に入金したことを知ります。 その結果生じた言い争いの際に,妻は夫を平手打ちにします。 数週間後,夫をののしったり,性関係を拒んだりして, 今度は妻のほうが悪いように思え,夫は怒りにまかせて妻を殴ります。 確かに,体にあざが残っているのは妻のほうかもしれません。 しかし,双方とも暴力を振るったという罪があるのではありませんか。 妻の暴力は,爆発を引き起こす火花のようなものとなることがあります。 自分よりも力のある夫が,自分を虐待した場合, 妻はどのような反応を示すでしょうか。 多くの場合に,深なべ,花びん,ナイフ,あるいはアイスピックなど, 手近にある武器をつかんで,それを使いますが,それは悲劇的なことです。 身長157㌢,体重50㌔のロクサン・ゲイの身に起きた事を考えてみましょう。 1977年の新聞各紙によると,この婦人は夫が自分を荒々しくたたくと言っては, 幾度も警察に電話を掛けました。 その夫は,フィラデルフィア・イーグルズというフットボールのチームの 守備側エンドを務める,身長195㌢,体重120㌔のブレンダ・ゲイでした。 とうとう,けんかの最中に,この小柄な妻はナイフをつかみ, 夫の首筋を刺してしまいました。 警察はその夫が血の海の中で死んでいるのを見付けました。 何ができるか たたかれる妻やたたかれる夫という問題の 背後にある幾つかの点を今まで考慮してきました。 不和の根源は人間の不完全さにあり, それは,暴力を振るうようになる傾向はだれにでもあるということを意味します。 現代の生活でわたしたちの直面する数々の欲求不満のために, その可能性はまぎれもないものになります。 嫉妬や憤りなど自分の感情を制御する能力に欠けることも, 暴力行為へと人を走らせます。家庭内暴力は大抵, アルコールの影響の下で起こります。 また,配偶者虐待の罪は,男女双方にあるということも見てきました。 家庭内暴力の原因に関するそのような洞察も大切ですが, さらに多くの事柄が必要とされます。 この問題は広く行き渡っているので, わたしたちは断固として,この問題を未然に防ぐか, 解決するよう努めねばなりません。 次のような質問を考えてはいかがでしょうか。 腹が立ったときどのように行動したらよいだろうか。 アルコール,金銭,あるいは自分の職業に対する 自分の見方が関係しているだろうか。 すでに家庭内に暴力が君臨している場合,離婚するのが最善の策だろうか。 人の人格や反応を本当に変化させるのに,聖書は役立つだろうか。 「夫と妻にかかわる殺人事件のうち,52%は妻が被害者であり, 残りの48%は夫が被害者であった」―FBI犯罪統計。 「夫を挑発する妻も確かにいる。必ずしもそうだとは言えないが, 大抵の場合がそうであると思う。妻が繰り返し夫を殴り, 夫がたまりかねて殴り返すというような夫婦を私は数多く見ている」 ―マーガリート・フォーゲル博士。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 【一人で悩んでいる30代既婚女性に読んでほしい】再婚1年目で相手の○○に応えるのをやめたら夫婦仲がよくなった話 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/7/20 【一人で悩んでいる30代既婚女性に読んでほしい】再婚1年目で相手の○○に応えるのをやめたら夫婦仲がよくなった話 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 本当の私が分からない 本当の私って何?自分が自分でわからなかった。 当時の私は、パートナーに対して、友人に対して、仕事仲間に 対して、イライラする毎日だった。 「どうして出来ないの?」 「どうしたら分かってくれるの?」 いつも相手を責めたてる。 そんな自分を、自分自身がどんどん嫌いになっていった。 どうして私はこんなに怒りっぽいんだろう?? どうしてこんな風にしか伝えられないのだろう? どうして。どうして。。。 「このままじゃダメだ。。」 すぐにイライラするのは私の心が小さいから。 もっと広い心を持って人と接していかなきゃ。。 ダメな私を見せないように取り繕った。 すると、だんだん自分をコントロールできるようになってきた。 「これが大人になるって事なのかな?私も大人になったんだな。」 なんて思って安心していた。 だけどいくら頑張って取り繕っても、自分の内面で感じている感情は変わってはいなかった。 広い心を持っているフリ、ただ怒りを表面に出さないようにしているだけ。 だから心は余計に窮屈で苦しくなっていくばかりだった。 そんな風に過ごしていく内に、だんだん自分のことが分からなくなっていた。。 【社会の常識】や【会社のルール】 【一般的な恋愛観や結婚観としてどうなのか?】 「私はどうするべきか?」 そう考えることで、分からない恐怖から逃れようと必死だった。 もう本当の私が何なのかも分からない。 自分で自分が分からなくなっていた。。。 男性性と女性性? 友人のあき子さんとは4年程前に、セラピスト養成スクールで出会った。 出会った頃のあき子は、とにかく控えめで誰にでも合わせられる人。 「あ、ごめんね」が口癖で、人に対してすごく気を遣っているイメージだった。 彼女とは歳も近かったので、スクール卒業後もたまに会っては、 長時間ガールズトークで盛り上がっていた。 久しぶりに会った時に、彼女の表情がずいぶん明るくなったように見えた。 相変わらず気も遣うけれど、自分の考えなども伝えてくれるようになっていて、なんとなく変化を感じた。 実は数年間うつ病や不眠症に悩んでいたのだと、その日に初めて打ち明けられた。 そしてそれを克服し、海外のアドベンチャーレースに出場していた。 (あきこさんのレポート:うつ・不眠症・ひきこもりだった主婦が3日間で715キロを下る、カナダの世界規模のカヌーレースで世界3位になった話は こちら ※STORYS.JPの別ページに飛びます) それほど彼女の生き方を変えたのがOurGardenというコミュニティだったのだそうだ。 あき子さんはいつも何かを学ぶと、それを誰かにアウトプット(伝える)する事で 自分に落とし込んでいた。 私は彼女が学んだ事を教えてもらうのが好きだった。 分かりやすいし、何より楽しかった。 その日は彼女が女性向けの勉強会で学んだ、『男性性と女性性』というものについて教わった。 簡単に言うと、男らしさと女らしさの特徴とその違いについての話。 その男性性と女性性というのは、 男性でも女性でも、一人の人が両方とも持っているもので、人それぞれ相手や状況によって 発揮される特徴が変化するものらしい。 一通り説明が終わるとあき子さんは、 あき子さん 「主催者の女性はなんとなくエナちゃんに似てる所があるし勉強になると思うから、今度イベントとかあったら誘うねー!」 と言ってくれた。 けれどその時の私は、 私 「私、そういうセミナーとか興味ない!!」 思いきり拒絶した。 そもそもセミナーという響きがすでに恐怖だった。 そういうところに行ったこともないし、絶対何か売りつけてくる危険な場所だと思っていた。 けれど『男性性と女性性』の話がどうも気になる。 主催者の女性の恋愛パターンが自分に似すぎていて、なんだか気になる(笑) 心の中で、恐怖と興味が葛藤していた。 ひとまずあき子さんの教えてくれた事を日常で意識して過ごしてみた。 しかし数週間後、パートナーと過去最大級の大喧嘩が起こった。 私 「いい加減にしてよ!何回言ったら分かるの?!私がどれだけ我慢してると思ってるの?!」 大爆発。。 それでもパートナーには私の気持ちなんて半分も伝わっていない。 そんな状況にうんざりだった。 数日後には私の31歳の誕生日。 パートナーと結婚してちょうど一年が経とうとしていた。 思い描いた30代、思い描いたステキな夫婦関係。 それになれていないことへの焦りと苛立ちを抱えていた。 「私、どうしたらいいんだろう。。。」 ちょうどそんな時に、あき子さんからOurGardenのイベントのお誘いが来た。 「もしかしたら何か見つかるかも?? パートナーとの関係が変わるかもしれない。」 ふと、そう思えて生まれて初めてのセミナーと呼ばれるものに参加する決心をした。 OurGardenのイベントに参加して 31歳の誕生日を迎えた翌日、ついに人生初のセミナーに参加した。 パートナーにはその日の内容は深く話さなかった。 私 「大切な人とより良い関係になるための勉強会に行ってくる!」 とだけ伝えた。 それは前に私がパートナーにあき子さんの変化を話していた時、 旦那さん 「あき子さんってめっちゃ洗脳されやすいんだね~」 と言われたことがあったから。 私はこの言葉がすごくショックだったし、友人を否定された気持ちになった。 「もしも私が同じように変化したら、パートナーはきっと私にも同じように思うんじゃないか?」 とすごく怖くなった。 そして当日。 私はかなり緊張しながら、駅で待ち合わせていたあき子さんと合流した。 彼女の隣にはもう一人彼女の友達もいた。 心の中のワタシ 「あき子さん、いったい何人に声かけているんだろう(T_T)誰でも構わず誘ってるのかな?なんか怖いな。。」 そんな不安もあったが、 心の中のワタシ 「ここまで来たからには覚悟を決めよう!いざとなったらしっかり断ればいいだけ!!」 と自分に言い聞かせ会場に向かった。 会場に到着すると、至るところに花が飾ってあったり可愛いキラキラした女性がたくさんいた。 心の中のワタシ 「ここは一体・・(@。@;)・・私、場違いな所に来ちゃったー!!」 これから何が起きるんだろう、と不安がピークに達した。 イベントがスタートすると映像が流れた。 映画の予告のような映像が始まり、私は一気にその場へ引き込まれていった。 そのイベントでは一人の女性が、 ダメ男な元彼に執着してしまっていた話や、何でも頑張りすぎてしまう性格の事、 そして運命の出会いの話、その人と婚約するまでの話しを元に、 『可能性を広げる事、受け取る事』を学んだ。 そして途中休憩の時に事件は起きた。 ・・・なぜか分からないけれど涙が止まらない。 過度の緊張もあったと思うし、彼女の話に共感し感動したのもあったと思う。 だけどいくら止めようとしても、その涙を止めることは難しかった。 辺りを見渡しても泣いてる人は他に一人もいない。 一体私はどうしてしまったんだろう?? そんな思いのまま、後半のほとんどを泣いたり涙をこらえながら過ごした。 イベントが終わって、主催者のゆりえさんや講師のちはるさんと少し話をした。 そして、また涙があふれてきた。 きっと私は心の中で、ずっと変わりたいと願っていた。 何か変わらなきゃいけないって気がしていた。 本当は、心理学や自己啓発などに興味があったのも事実で。 人知れずそういった本を読んでいた。 だけどさらに深くセミナーで学ぼうなんて思ってもいなかったし、 セミナーに対しての恐怖も消えてはいなかった。 だからOurGardenの本コースに参加する事を迷っていた。 ただ、体の中から訴えかけてくるようなこの涙を、放っておいてはいけない気がした。 そんな風に思ったら、 心の中のワタシ 「最終的にこの選択が間違っていたとしても、それはそれでいいや!(*'-')b」 と何だかよく分からない覚悟のようなものが決まった。 こうして私は本コースに参加する事を決めた。 そして未知の世界へ飛び込んでいったのだった。 日々の変化 本コースでの学びが進むにつれ、自分の中で『男性性と女性性(男らしさ女らしさ)』 についての理解が深まり、日常生活の中でも少しずつ変化を感じる事が増えてきた。 まず、職場でのイライラが激減 した。 今までは常に男性と張り合おうとしていたし、負けたくなかった。 いつもピリピリしていて、頼りにならない人に対して苛立ったり、 やる気のない人を非難していた。 私は今まで、職場では男らしさ(男性性)を発揮している事が多かったのだと思う。 対等に扱ってもらうためには、同じようにしなければいけないと思っていた。 けれど女性らしさ(女性性)を発揮することで、 仕事も人間関係も今までよりも良い方向に進んでいく事が増えた。 例えば前は重たい荷物を運ぶ時に、 ≪重い。。腰痛い。。でも男性に負けたくない!私も同じようにやってやる。≫ と、手を貸してくれる人の好意も受け取らず、ひたすら自分を追い込んでいた。 体なんか壊してナンボだと思っていた(汗) だけど今は、その好意も有難く受け取るようになった。 そしたら仕事も楽になったし、周りで働く男性達の笑顔も増えた。 受け取れば受け取るほど、私も周りも明るくなっていった。 今まで頼りないと思っていた人も、実は私がそうさせていただけで、 私がフォローにまわればしっかりリードしてくれる人だった。 女性である私には、女性としての役割・やり方もあるのだなと実感した。 そして、パートナーとの関係にも少しずつ変化が表れた。 彼から見つめられるようになったり、オシャレになったと言われたり、 パートナーがどんどん男らしくなってきたなぁと感じたり。。 ある日にはサプライズでお花をプレゼントしてくれた事もあった。 これは本当に驚くべき変化だった。 また、『男性性と女性性』両方の視点で見る事で、今まで不満に感じていたパートナーの言動に 理解や感謝ができる部分が増えた。 パートナー・友人・仕事仲間に対してイライラしている自分に悩んでいた私。 いつの間にかそんな私の日常から小さなイライラが減っていった。 『私が変われば世界が変わる』 そんな事は本で読んでいた。 そんな訳ないとずっと思ってきた。 でも、やってみたら実際そうだった(笑) 蓋をした感情との対面 「私いま確かに変化してるし、これだけでも十分すぎる変化なんだけど ・・・なんか自分だけ置いていかれている感じがする。。。」 本コースで一緒にスタートしたメンバーの変化を見ていて、私はそんな焦りを感じていた。 そして、そうやって人と比べる自分がまた嫌だった。 どんどん気持ちが沈んでいった。 心の中のワタシ 「私はこれ以上変われないんじゃないかな??もうダメかも。。」 こういう時のために “場のチカラ” があるなんて講師のちはるさんは言ってたけど、 こんな気分の時にアウトプットする気(本コースメンバーのクローズドな掲示板がある) にもなれないし、メンバー達のシェアを読んでも何のコメントも思い浮かばなかった。 勝手に追い込まれた私は本当にどうしたらいいか分からなくなって、 講師のちはるさん宛てにメールをした。 返信されたメールには、 ちはるさん 「今、本当は感じている感情を認識し感じる事。ヒントは“不安や心配”」 とあった。 心の中のワタシ 「???」 よく理解できなかったけれど、ひとまず言われた通り、 自分の中にある“不安や心配”を紙に書き出してみた。 すると、私はこんなところに不安を感じていたんだ。。と思いがけない気付きがあった。 感じているものを紙でもメールにでもアウトプットしていくことで、 少しずつだけど、自分の感情に目を向けられるようになっていった。 そうして分かったのは、私はマイナスな感情を感じることが怖かったこと。 だからずっとそういう感情に蓋をしてきたという事だった。 「感情を感じきる」 本コースで学んだことのひとつ。 自分の中に本当は<ある感情>を感じないようにしている場合、 それは鈍痛のようにダラダラと時間を掛けて感じているような状態なのだそうだ。 そうやってダラダラと痛みを感じ続ける人が多い。 どうして感じないようにする人が多いのかと言えば、 どこまで沈むか分からない深い深い海に沈んでいくようで怖いから。 自分の中にある悲しみや怒りに、深く深く沈んでしまったら、 その感情に支配されて、もう二度と戻って来られないんじゃないかって不安だから。 それはまさに、私が恐れていたものだった。 だけど行くとこまで行ってしまえば、後は浮上するしかない。 ちゃんと戻って来れる。 そうやって感情を感じきる方法もありますよ! 本コースではそんな風に教わっていた。 辛い思い・恐怖を感じるのが怖いから、 感じないように見ないようにしてきた今までの私。 だけど。。。 いくら見ないようにしていても、無いと思っても消えないものなら もう向き合うしかないじゃん。。 ふとそんな風に思った。 こうして私は、今まで蓋をして見ないようにしてきた・無いものにしてきた 自分の感情に正面から向き合う決心をした。 水と油の母と私 親という人は比較的、感情を大きく感じやすい相手だという。 どうしてもイライラしたり、悲しくなったり、文句を言いたくなったり。。。 感情的になりやすいらしい。 ならば自分の感情に向き合うと決めた今だから、 親に対して感じている感情としっかり向き合ってみよう思った。 かなりの抵抗を感じながらも、他のメンバーがやっていた事を教えてもらい 母への思いを紙に書き出してみることにした。 私と母はいわゆる水と油のようだった。 父の考えていることは良くわかるけど、母の気持ちはいつも理解できない。 そして、私も理解しようとして来なかった。 自分の気持ちばかり押しつけてくる母が苦手だった。 だけど母への思いを書く中で、 色んなものが一つに繋がって、心の奥深くで蓋をしていた母への感情が溢れ出てきた。 それは、本当は母の望むように生きたかったって事だった。 なぜなら、母を喜ばせたかったから、誉めてほしかったから、認めてほしかったから。 何よりも、そうする事で母から愛されたかった。。 だけどできなかった。 人生の分岐点に立ったとき、私はいつも母の望む生き方と正反対のものを選んでいた。 母への反発ではなく、私の望む生き方が常に、母の望むものと真逆にあった。 母の望むように生きたいのに、どうして私はこう生きたいと思ってしまうんだろう。 母が悲しんだり怒っている姿を見るたびに胸が苦しくなった。 母の望むように生きられない私は愛されない、愛される資格のない人間だと思った。 その苦しみから逃れるように、見なくてすむように、私は一つずつ感情に蓋をしていった。 いつの間にか私の心には、母に対しての罪悪感を消すために、 私の選んだことに賛成してくれない母を創りだしていた。 また、それに失敗すれば「ほらやっぱり。」と非難する母を作り出していた。 母から非難されたくないから私は絶対失敗しない、失敗するような事はしない。 泣き言は言わない、困った顔は見せない。 非難されないための人生、どちらの選択が正しかったのかという戦いをずっと続けてきた。 だけど今回、自分の思いを素直に書き出す事で、 これは全て私が勝手に作り出した戦いで、生き方で、私が作った母だったと気付いた 。 実際は散々反対しても、最終的には応援してくれたり祝福してくれた事がたくさんあった。 ただ私がそれを ≪望むように出来ない私は愛されてはいけない≫ と受け取ってこなかっただけだった。 母の事が苦手だったんじゃなくて、本当は好きすぎて大切すぎて、 向き合うのが苦しかっただけだったんだって気付いた。 自分の気持ちばかり押し付けてくる苦手な母を作り出していたのもまた、私だったのだと思う。 母にとっては大切な相手だからこそ、思いを伝えたかった、 お互いに理解し合うことが大事だったのだと思う。 私にとっては大切な相手だからこそ、その人の思いを叶えられるかどうかが何よりも大事だった。 お互いに大切な相手である事は少しも変わらなかった。 ただその違いだけだったんだと思う。 ありのままの私で 私にとっては相手の『望むようにしてあげること』こそが愛だった。 だから『相手の望むように出来ない私は愛されない・愛されてはいけない』 と思ってきた。 大好きなのにそうできない事が苦しかった。 けれど、今回見ないようにしてきた感情を感じきった事で、 この想いは私が勝手に作り上げてきたものだったと気付いた。 そして、 「どうして出来ないの?」 「どうしたら分かってくれるの?」 と、ずっと周りの人を責めていた言葉や怒りは、いつの間にか消えていっていた。 それらの言葉は、本当は自分に向けていたものだった。 そして、自分自身がそう自分に思わなくなっていた。 ≪愛されない≫と恐れて、 なぜできないんだと自分を責めて、苦しんで、もがいて ≪愛される資格がない≫と逃げていたのに、 私は母にも、家族にも、 そしてパートナーからも愛されていた。 誰も私を、『自分の望み通りにしてくれなければ愛さない』なんて 縛り付けたりなんかしていなくて、どんな私も愛してくれていた。 私を縛りつけていたのは、他の誰でもなく私自身だったのだ。 私はいつも愛されていた。 どんな私でも愛されていた。 『ありのままの私』で愛されていた。 求めていたものは、、 パートナーに「大切な人とより良い関係になるための勉強会に行ってくる。」 そう伝えた日から4ヶ月が経ち、本コースの最終日を迎えた。 この日は、メンバーそれぞれが歩んだ4ヶ月の発表の場である帰還式というものが行われた。 共に4ヶ月を進めてきたメンバーの物語は、喜びとともにまた新たな気付きをくれた。 かけがえのない仲間との出会いや、ゆりえさんやちはるさんという師との出会い、 OurGardenに入るきっかけを作ってくれたあき子さんや、OurGardenを通して出会えた 人達に心からの感謝が溢れた1日だった。 その日の帰り道、ふとパートナーに今日までの4ヶ月の話をしたいと思った。 この4ヶ月でパートナーとの関係は、前よりもかなり良好になっていた。 他愛もない会話の中でも変化を感じる事は度々あった。 それでも4ヶ月前に感じていた、 「セミナーに行って私が変化したら、否定されたり引かれたりするんじゃないか?」 という不安がずっとあって、OurGardenの詳しい話はできないでいた。 だけど、 心の中のワタシ 「たとえ嫌われたとしても話したい、感謝を伝えたい!!私がしたいと思うことをしよう☆」 そんな覚悟で思い切ってパートナーに話をしてみた。 するとパートナーの反応は私が思っていたものと違っていた。 否定される事もなく、ひかれる事もなく 旦那さん 「色んな事に気付けて良かったね^^楽しそうだったから心配なんかしてなかったよ。」 と。。。 その言葉を聞いて、私は思わず泣いていた。 でも、この涙はOurGardenのイベントの時に流したものとは違っていた。 あの時は、私はなぜ泣いてたのかわからなかった。 でも、今はなぜ泣いているのかわかる。 『望むようにしていなければ愛されない』という想いは、 やっぱり私が勝手に作り上げていたもので、 そんな風に頑張らなくても、そうなれなくて苦しまなくても、 求めていた『愛』はずっとここにあったんだ と気付かせてくれた。 私はいつも愛されている。 どんな私でも愛されている。 『ありのままの私』で愛されている。 私はずっと愛されてきたのだと再確認できた涙だった。 それをもう一度思い出させてくれたパートナーに喜びと感謝を感じていた。 最後に・・・・ 4ヶ月の最後に講師のちはるさんはこう言いました。 この4ヶ月で全ての事が上手くいって、世界が変わって、 シンデレラストーリーのハッピーエンドになって、 今後は素晴らしい事しか起きない! ・・・なんてことは残念ながらありません。 これからのあなたの物語も続きます。 トレンディードラマの最終回ではないのです。 嬉しい事も、嬉しくない事も起きます。 楽しい事も、悲しい事も、安らぐ事も、怒れる事も起きます。 大変な事も今後もあります。 でも、その時に違う体験をするでしょう。 今まではとは見え方が変わって、感じ方が変わって、違う体験をするでしょう。 望むものに繋がらなかったとしてもそこから何かに気付くはずです。 今まで気づかなかった事に。あなたにとって本当に大切な何かに。 そう、この4ヶ月はまさにそういったことの連続だった。 嬉しくない出来事もあった。でも、そのおかげで大切な事に気付かさせてくれた。 私にとって、とっても大切な事に気付かせてくれた。 そう思うと、この先の事に対する不安や焦りもすーっと消えていった。 より深く人との繋がりを感じられるようになった私は、 また新たな人生の物語へと進んでいくのだと思う。 新しい人生の物語で嬉しい事も嬉しくない事も体験するのだろう。 でも、その時々で何か大切な事に気付いていく。 そう思うと、これからの人生にとても感謝ができた。 そして、また、これまでの人生にも深く感謝していける気がした。 今日まで関わってくれた全ての人・全ての出来事 そしてこれから出会う全てに感謝。 私はそっと“ありがとう”と呟いて、4ヶ月のノートを閉じる事にした。 おわり X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 二度と行くもんかと誓ったインドが今では故郷となった話。そしてこれからも。 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 14/12/30 二度と行くもんかと誓ったインドが今では故郷となった話。そしてこれからも。 Facebook X (Twitter) リンクをコピー いよいよ七年越しのリベンジ。しかも一人でインド 思えば大学の卒業旅行で友達と二人で始めてのバックパッカーでインドにいったのが22歳。 あの時は、街が汚くて、インド人には騙されまくるわ、喧嘩しまくるわ、友人は病気になるわ、予定通りにいかないわ、でインドなんか早く脱出したいと思っていた。 それが、不思議なもので、帰国するとやけにインドが恋しい。そして友達と30歳までにまたインドにいこうという誓いをずっと心に留めていた。 そして30歳を目の前にして、いよいよ7年越しの目標が決行される。 生憎友達はちょうどその頃オーストラリアでボディボードするために行けないってことで一人で行くことになった。 当時は勇敢な強気な友達が率先してインド人相手に喧嘩したり電車のチケットや宿の交渉をしてくれていたので私は人任せでのほほんとしていた。 今回はそのリベンジ。自分一人でどこまでやれるのか。 インド人に弱気にならないぞうっ。 他の旅人ともどぎまぎせず話すぞう! そして第一の目的をマザーテレサの施設でのボランディアをすることに決めた。 QLD(Quality Of Life)に、死ぬこと=生きること に興味のあった私は、マザーはまさにお手本のような人で、七年前に泊まったゲストハウスにもマザーのボランティアをしている日本人が数人泊まっていたのを記憶していた。 施設は世界中からボランティアが集まるそう。 ゲストハウスにはたくさんのボランティアもいるらしいので、とりあえず前に泊まったゲストハウスに直接行ってみよう。そこで情報を得られるはず、とだけきめて航空券を購入。 もうひとつの目的地は南インドのコーチン。 仕事のお客さん(インド人)と個人的に仲良くなって ついでに遊びに行くことになったのだ。 さすが個人旅行の旅、人生何があるかわかりません。たった1週間の旅が、私の人生を変えるなんて。そしてインドをこんなに愛することになるなんて。そんな旅のおはなし。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 旅立ち | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 15/7/7 旅立ち Facebook X (Twitter) リンクをコピー 先日、大切だった人との別れがありました。 20年来の友人であった彼は、一年程前に病に冒され、 彼の人生に置ける最大・最強の敵と必死に戦い、そして 力尽き、天に召されました。 彼と彼の奥さんから出てくる言葉はいつも 楽観的な言葉ばかり。 友人「夏には夫婦で沖縄に行こうと思う。お前は連れて行かないけど(笑) まぁ、土産位買ってくるからよぉ~餞別よこせよ、タップリと!」 二人は判っていました。もう今年の夏は迎えられない事を。 私はただ、笑顔でうなずく事しかできませんでした。 病室の窓には、かすみ草の花。 「この人、男のくせにコノ花大好きなのよ」 微笑む奥さんに彼は、ただ黙って窓際の花を見つめていました。 亡くなる三日程前、見舞いに行った私に彼は 「おい○○・・・もう疲れたよ。少し休みたいんだ・・・」 目に涙を一杯浮かべた彼に私は、何もいってあげられませんでした。 頑張れとも、負けるなとも、弱音を吐くなとも、 あるいは、もういいよ、良く頑張った、ゆっくり休めとも・・・。 浮かぶ言葉や思いはあったけれど、 ただ、痩せこけた、震える彼の右手を握る事しかできませんでした。 彼との最後の別れの日、 彼の周りは、彼が大好きだった、かすみ草の花でイッパイでした。 そして、彼の奥さんが彼の胸元に添えた物。 それは沖縄行きのチケットでした。 後で彼の奥さんに 私「買ってあったんだね、チケット」 奥さん「うん。サヨナラの代わりに彼にあげた。 夏になったら子供達連れて私も行こうと思う。沖縄」 もう少しで梅雨を迎え、そして暑い夏がやってきます。 彼が楽しみにいていた暑い暑い、沖縄の夏がやってきます。 今年は、私にとって本当にサヨナラを言わなきゃいけない事が 沢山ある年になっています、 その度、抱えきれない後悔や反省、臓腑をえぐる悲しみや痛みに 襲われますが、振り返りつつも、一歩ずつ、時には立ち止まっても 前に進もうとおもいます。 今、松山千春さんの「旅立ち」と言う歌を思い出しています。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- 余計なお世話 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 余計なお世話 Facebook X (Twitter) リンクをコピー 自分の興味ある人間が 付き合っている仲間であったり、 恋人であったり、 ご主人や奥さんに対して、 「なんで、あんな人と?」と 「あの人の付き合ってる相手、 何処がいいのさ?」 「なんであんな優柔不断な女(男)と?」 「絶対、自分の方が上やわ・・・」 なぁ~んて思ったり。 「自分やったら、あんな人間選ばんわ。」 ↑ 人の勝手だろうが!って事を 自分は別 とばかりに、 しかし、自分の興味を引く人間が、 何故あんな相手を選ぶのか? と、 やはりどうしても考 えてしまう。 逆に、申し分無い素敵な人と 上手くやっていても 「どっかでボロが出るに違いない。」 「なんか欠点あるはずや・・」 「そのうち別れるやろ」 上記のような思考は、 誰にでもあるのではないか? 本来自分自身が 宇宙の地球という星に 生まれ育って、 「ここに居て大いに結構」 と、自分の事を認め、 自分の弱い部分も 強い部分も受け入れると、 他人の選択や人生に関して 寛容になるので、 あまり他人が誰とどう過ごそうが ・・はずなのに、 自分の弱さや欠陥を 見ようとしないので、 他人の選んだものや人に対して 過剰に反応して だが、他人を通して見ると、 まさか自分の事とは思ってもみないので どうしても錯覚してしまう。 例えば、好きになった人が 他の女の人と結ばれたとしよう。 「何であんな女? 裏を返せば、自分に対して やっかんでいるのは、実は 自分の不出来さを病んでいる自分に対して なのだ。 「~べき」という不出来な自分に対して 完璧主義をあてがってしまう為、 自分のできないことを 他人の選んだ人に対して 祝福どころか、 難癖つけたがる完璧主義が顔を出すから 腑に落ちないし、「なんで?」となる。 自分はココに居ていいし、 楽しんでもいいし、 泣いてもいいし、 笑ってもいい。 誰に何をされたとしても、 全て自身の向上のための プロセスな訳で、 という事を知ると 見えてくる世界は確実に変化する。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→
- この頃 | STORYS.JP 人生物語
STORYS 人生物語は、10代〜80代のリアルな体験談を集めたキュレーションサイトです。感動ストーリーを読んで、あなたの日常に共感とインスピレーションを。 17/6/3 この頃 Facebook X (Twitter) リンクをコピー この1か月の間に、ご近所のお年寄りが3人も亡くなった。あまり親しくしているわけではないが、早朝の救急車のサイレンにドキッとする。長閑で、穏やかな山間の里にもこんな日常が潜んでいるのだと改めて感じているこの頃である。 近頃は早朝から、にぎやかに鳥たちのさえずる声の大きさに驚く。窓を開けると、さわやかな風と共にこの鳥たちのさえずりに、耳を奪われる。どの木にいるのかと思いきや、庭先のブルーベリの実を食べにやって来ている。仲間を呼んで楽しんでいるのだ。川辺にはセキレイやカモのつがいが居たりする。バードウオッチングの本でも買って来ようかな。 庭には昨年咲かなかった花がよく咲いている。何にもなかった庭がにぎやかに色づいてきた。昨年確かにいたのに沢ガニに全部食べられてしまって一匹も居なくなってしまったメダカも、三島の友人から貰ってきて大きな水槽をもらって入れてみた。今年は大事に育てよう。 畑を整理して、土も入れ替えて、トマトやピーマン、トウモロコシと欲張って植えてしまった。ベランダのカウンターに作った葉物野菜の中に昨年からの落とし物の種から、シソやエゴマの葉が沢山出てきて、毎日収穫している。エゴマの葉は朝のサラダに毎日つかっている。先日、外出から戻ってみると玄関先になんとサニーレタスの袋が2つもあった。どなたかわからず、3-4日お礼も言わず、いただいてしまった。野菜の自給自足は定着しつつある。人生を豊かに生きる、ちょっとした無理をしない頑張りも慣れてきたような気がする。 世の中は騒々しいことが多すぎて、考えさせられることだらけ。そんな中、先日タイから友人が来た。久々に、東京銀座で会食した。人の多さと新しいビルやブランド店の多さに戸惑う。どこに居ても、時は移ろい、やがて歳を重ねる。 宇佐美の海辺を犬と散歩を楽しみ、二度目の夏を迎えようとしている。 X (Twitter) ←前の物語 つづきの物語→ PODCAST Go Go Go あなたも物語を 話してみませんか? 物語を投稿する→ フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」 情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般... つづきを読む→ 大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。 今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ... つづきを読む→ 受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1 僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で... つづきを読む→ あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と... つづきを読む→ あのとき、伝えられなかったけど。 受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分... つづきを読む→ ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話 爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと... つづきを読む→ もっとを読む→

