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14/6/18

自律神経失調症から復活したスタイリスト    その1

Image by Olia Gozha

【大人への偏見が変わった瞬間】


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このSTORYSでも少しだけ病んでいたことがあることは、
お話させて頂いたんですが、
今回、もっと細かくお話しようかなと。

スタイリストってタイトルですが、

この頃はスタイリストではありません笑


それでも今思うとこの頃の経験が、

今やっていることに関してかなり重要な位置を締めているなと感じるので、

絡めてお話していくつもりです。




僕はとにかく豆腐メンタルなもので、
昔はもっとネガティブでした。
基本、闇属性で他人をすぐ羨んだり、
心の中ではすぐ人のせいにしていたりもしました。
そして、自分が正義のヒーローかのような言動もありました。
単純に自分が正しいということで、自分を守っている臆病者だったわけです。



、、、いざ話すと恥ずかしいな笑



特に大人への偏見はひどく、

学生時代にあまり年上の人との接点が無く、

多少は交流のあった親戚は自分さえ良ければ他人はどうなっても良い、

という人ばかりだったので、

大人はみんな汚いと思いこんでいました。


父や母や祖父母は尊敬していますが。

尊敬出来る大人があまりいなかったんですね。



大学時代にアパレル(内定をもらっていた企業)でバイトをやりましたが、

そこでも汚い大人や身勝手な人もいたので、

ますます嫌いになっていきました(良い人もいた)

(まさか、この頃はスタイリストになるとは思わなかった)




大学を卒業する頃。

大人嫌いは多少は緩みましたが、

どこかには受け入れられない大人像みたいな感じがありましたね。


自分も大人と言えば大人なんだけど笑



僕自身、就職はしようとは思っていましたが、

同時にずっと描いていた詩を本気でやるという夢も諦めきれませんでした。

(就職して詩を描くという発想は無い)


アパレル企業の内定を辞退した後、世間体のため就職活動していましたが、

そんな僕に甘い企業はありませんでした(当たり前 笑)


卒業後にさすがに無職はまずいと思ったので、

ひたすらバイトに応募。

それでも3回落ちて、

やっと入ったバイト先で転機がありました。


いろんなバイトをしましたが、

職場という名前が付く場所で、

ここまで居心地の良い場所は他にはありませんでした。

(他のところも良い場所はあった)


とにかく、出会う大人の方々がみんな良い人なんです。

先にやっているバイトの先輩方(素敵な奥様方)

は皆さん優しく、息子や弟のように、接してくれました。

あ、皆さん弟のように接してくれました笑



大学卒業したての生意気なガキの僕の話すことを聞いてくれたり、
認めてくれたりしました。

時折思い出すと、この頃に出会った方に出会わなければ、
もっととがっていて、人の言うことに耳を貸さずに、
自分だけしか信じない浅い人間になっていたでしょう。

この場を借りて、いろんな場でも言わせてもらっているのですが、
本当にありがとうございます。


この頃の経験が、人のことを否定せずに認めて、

自己重要感を与えるという今やっていることの、

きっかけになった出来事だと感じています。

そして、周りへの感謝を忘れないということも、

教えて頂いたきっかけでした。



バイト先の居心地が良くて、1年半以上いました。

その間に、詩集を一冊出せたので、
少し満足した部分もあり、
どうしようかなとは思っていました。



周りの方々は心配して頂いていたようで、

「ひゆき君は就職とかどうするの?」

「これから就職活動しようかなぐらいは思っています」

「だったら○○に入っちゃえば?」

○○とは今働いているバイト先の会社です。


厳密に言うと、応募した会社ですね。

そこに仕事を依頼された会社に行っているので。


僕をかわいがってくれた社員さんに、

バイトリーダーさんたちからも話してくれたようで、

「ひゆき君にやる気があるなら、自分から社長に頼むから」

「お願いします」


ここで最初はバイトだけど社員にもしてもらえるとのことだったので、

入ることになりました。


だけど、この頃はまさか自分が心の病になるなんて思わなかった。



その2に続きますよ。



その1の本編はここまで何ですが、

まだ、病む気配すら無いですね。ここまでだと笑


アパレルに入ったときも、ちょっと病んだときはあるんですが、

仕事というものに関して最初にとことん悩んだので、

就職とか仕事ってこんなものなのかなぐらいにはどこかで思っていたんだと思います。

まだ思える余裕があったんですね、学生でしたし。


心身ともに余裕が無くなっていく時期の話がその2なので、

合わせて読んでもらえると嬉しいですね。

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