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14/6/12

絵の具も買えない程貧乏だった私が多摩美を中退しビジネスを志し明治大学に合格。しかし納金直前に70万を失う危機にみまわれるも歌舞伎町で1番になり無事入学できたお話

Image by Olia Gozha

自己紹介するのが恥ずかしいので、文字におこしておくことにしました。

こんにちはしみこです。

多くの人に会わせて頂く機会を頂くのですが、私は人見知りでして、なかなか自分の話ができません...。私の過去の話なんてあまり皆様の役にたつものでもないですしね。

歌舞伎町では、6ヶ月で3550人の初対面の方とお話したんですが....おかしいなあ。笑

なので、自己紹介をかねてweb上に文字におこして置いておくことにしました!

(追記20140613fri:適当に書き溜めてここに置いておけば自己紹介がわりになって便利かな、なんて思っていたのですが予想に反してかなりの反響を頂きました!うれしいです!毎日少しずつ書き進めようと思いますので、よろしくお願いいたします。)

(追記20190220Thu:この度は足を運んで頂きありがとうございます!しみこです。「毎日少しずつ書き進めよう」なんて書いた人、誰だよ!私か!笑 4年も放置していました!笑 やりきり力は大事よね!てことで、ビスケットのリリースを機に全部書きました!よろしくお願いいたします。)​


もくじ

1:多摩美在学時代

2:受験時代

3:歌舞伎町時代


1:多摩美在学時代

在学中は人体にマヨネーズをかけていました

先生「『じゃあ来週の授業はあのソフト使うから、そろえておいてね〜ちなみに10万で〜す!』」

生徒「わかりました〜!」

生徒「わかりました〜!」

生徒「わかりました〜!」

しみこ「わかりません!!!10万とか無理です!!」

当時、母子家庭出身の私にとってそれは目にすることの無いような大金でした。実家を担保にして払った学費のうえに積み重なる材料費....。なにかにつけてコストのことばかり考えていました。

そんな時撮影したのが冒頭の作品。

とても好評で、某芸術館の学芸員さんにもたいそう気に入って頂きました。人生チョロいぜって思ってました。

が。

先生1「このマヨネーズは精液を抽象化させているのであって....」

先生2「ソフィーカルをオマージュとしているのね」

先生3「いいね!この体勢はなにを表現しているの?」


大勢の大人に、私の意図とは関係のない様々な評価や憶測を頂きました。

なんとなく、当時の私の目の前に、自分の過去を切り売りしチヤホヤされる滑稽な人生のレールが見えたような気がしました。


ほんとうのことを言うと、

しみこ美大生「うわあ...材料費ないわーあっこのマヨネーズ、○○子にかけたら面白いかな!やってみよ!」

絵の具も粘土も高級なPCソフトも買えなかったので、家の冷蔵庫にあったマヨネーズをかけてみたってだけでした。


ここでまじめな私は悩みはじめます。

母が家を担保にしてまで行かせてくれた大学で、こんなことをしていていいのか。

母が家を担保にしてまで行かせてくれた大学で、こんなことをしていていいのか。

母が家を担保にしてまで行かせてくれた大学で、こんなことをしていていいのか。

自分の切り売りで世の中に提案できる問いなんてたかが知れているんじゃないのか?問いを提供するだけでは無責任じゃないのか?その人生はたのしいのか?誰かの役にたっていると胸をはって言えるのか?


多摩美術大学、年間の学費およそ200万円。

決して安い金額ではありません。
月に一回サイゼリヤに行くのが唯一の外食だった我が家の財布からは特に。

芸術は世界を救う...の?
をめぐって授業中に教授と対立。そのまま退学。

芸術は誰かのためになっているのか。本当に値段以上の価値はあるのか。

現在は芸術のもたらす「問い」の価値も実感をもって理解しているつもりですが、当時はそんな「問い」や「芸術」が世の中の役にたっているとは到底思えませんでした。

「芸術があっても、母子家庭は貧乏だしお腹はちっとも膨れないし誰かの涙さえ拭えない。世の中は解決したい課題だらけなのに、芸術には持続可能性のある形で課題を具体的に解決し続ける力はない...」

また、寄付や補助金等の単発・一方方向のお金の流れではなく、相互方向に行き来するお金の流れが出来上がっていない業界に存続の光はないように思いました。(当時はそう感じました。芸術関係者の皆さんごめんなさい。)

授業中、そんな私の疑問に対して

教授「芸術は世界を救うんだ!」

しみこ「は?本気ですか?全然意味わかんないんですけど」

と、クラスメイトの前で激論(喧嘩)を交えた末、そのまま退学届けを提出しました。

(散々お世話になった挙げ句大変失礼をしてしまった先生には去年の夏偶然再会し、謝罪させて頂きました。先生『おー立派になって!』とおっしゃって頂いて...懐深い....自分生意気すぎて震えます...)


自分は誰も救えないことを目の当たりにした受験時代

大学を辞めた私はぼんやりこんな事を思いました。

ニートしみこ

どんなに良いモノがあっても、それが誰かに届いたり評価されたりしないとな...!良いモノを作ることと、それを届けたりお金にかえることは違うな〜。

だったら、自分は後者を学んでその仕組みをつくろう!

ということで、経済系科目の編入学試験を受けることにしました。

自分で大学を辞めてしまったため、当然ですが受験費用・学費・その間の生活費もすべて自分で賄うことにしました。

朝5時に起き、6時から14時まで渋谷のカフェで働き、そのあと勉強する生活がはじまりました。昼ごはんは近所のコンビニの店長にわけて貰い、カフェに捨てられていた新聞で時事の勉強をしていました。

そう、そしてあれは受験前の秋のことでした。

友人の地元の母子家庭出身の女の子が精神科に入院したのです。

某友人「メンヘラすぎて毎日わけわかんないメール来るから、シカトしてる。メンヘラを治すのは俺の仕事じゃない。そのために入院したんだろ。」

しみこ(若い)「はっ!!?冷たい!友達じゃないの!!? メールくらい返せるでしょ、理解できない!(怒)」

某友人「そんなこと言うけどさじゃあお前に今なにが出来るの?なにも出来ないだろ?」

しみこ(若い)「ぐぬぬ...!」

その夜、私は群馬高崎へと向かいました。

わかっているのは、女の子の下の名前と高崎駅付近の精神病院に入院しているということだけ。

高崎にある精神病院をすべてピックアップし、その女の子に宛てて手紙を書きました。

その数10通。

すべて書き終えた頃、高崎駅のガストはすっかり朝になっていました。

8時すぎでしょうか、駅前で自転車をレンタルし、知らない土地でグーグルカレンダー片手にすべて配達しました。

その時私にできることは、

しみこ(青い)「私も母子家庭出身なんです。これこれこういう辛いことがありますよね。ほんの少しだけわかる気がします。」

というように、ただ、この共感(しかも勝手な)を伝えることだけでした。

完全な自己満足。

本当は群馬に行くまえから薄々わかってはいたのですが...。しかし

なにも出来ない自分、なにも行動しない自分がどうしても許せなかったんです。

まあ、結果私はなにもできなかったんですよね。その子のために。

自分に力が無いと、何も出来ない。こんなにも無力感を感じたことはありませんでした。


そして大事なことがもうひとつ。

群馬行ってないで勉強しろ

案の定、関西の志望大学には不合格、都内の某大学のみその門戸をくぐることが許されました。

3:歌舞伎町時代〜出会い編〜

なんとか合格。数年ぶりに父に頭を下げにいく。しかし....

国立大学用の資金しか貯めていなかったため(私立だったら行くつもりもあまりありませんでした当初)

入学金が無い訳です。

まあ受からなかった自分がいけないという事は重々承知していたのですが
せっかく合格した大学。やっぱり通いたくなってしまったんですよね。

そこで数年ぶりに離婚した父に頭を下げに行きました。所謂ダメもとってやつです。

しみこ「あのう....実は、かくかくしかじかで70万ほど貸して頂けないでしょうか...!ほんと、突然すみませんね!(揉み手)」

パパ「うん、オッケー!」

あっけなくオッケー貰いました。

おっしゃあああああ!

これで晴れて大学生になって商学の勉強ができるぞ!!!

わーいわーい!

桜の花びら舞うなか、受験仲間と連日飲み歩き、送られてきたシラバスをながめ期待を膨らませていました。ああ、思い切って多摩美を辞めてよかったなあ...なんて思いながら。


しかしそんな楽しい気分は長く続きませんでした。

学費等入金直前に父からこんな連絡が入ったのです。

パパ「あ、あのねー例の70万なんだけど、やっぱ無理になっちゃった!ごめんちょ★」


な、なんだってーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

パパ「あ、あのねー例の70万なんだけど、やっぱ無理になっちゃった!ごめんちょ★」

思わず聞きかえしてしまいました。

ああああああああ、他人を頼った私がバカだった。かじれるスネがある親ではなかったのだ。油断した。私が油断したのがいけない。

出来ないことは早めに出来ないと言ってくれ....


自分に責任があるとはいえ、無念でした。

届きそうだった大学生活...

毎日早起きして貯金しながらあんなに勉強したのに...

もう悔しくて悔しくて、涙がとまりませんでした。泣きながら、あてもなく新宿をさまよっていたのです...


大学に入れるのならなんでもやってやる

なぜその時新宿にいたのかはまったく覚えていないのですが、とにかく新宿を歩きながら泣いていました。

しみこ「う....うぅぅぅぅううううぅうぅ....っ」

当時の私は、誰かに助けてと言えるほど強くはありませんでした。

大金を貸して貰えるアテもありませんでした。カードローンとか学生ローンとかもまったく頭に浮かばず。

当時の私はお金に関しても相当に無知でした。

解決法も思いつかず街を彷徨い続けました。

すると

ギャル男「オネーサン、なんで泣いてるの?」

明らかに不審な人に声をかけられました。

普段なら無視をきめこむところを、その日はなぜか足を止めてしまったんです。

しみこ「かくかくしかじかで涙が止まらないんだ。もうおにーさん70万ください。はい!無理だよね!知ってる。ハハッ」

その後の一言に私の運命は決まります。

ギャル男「まじか!俺さ、すごいイイ店知ってるんだよね!お酒とかつぐところなんだけど...よかったら、ちょっと見にいってみない?」

当時の私に、失うものはなにもありませんでした。

ここまで来たら、命を捨てる意外惜しくないかも...。

大学入学をかけて、最後の希望の光に賭けよう....

こうして私は、歌舞伎町一番街の門をくぐりました。




4:歌舞伎町時代


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