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14/6/9

母が肺がんになり、そして死ぬまでの1年間

Image by Olia Gozha

告知の時

それは一昨年2012年の11月の後半だった。母より「お父さんから話がある」というメールが来ていた。僕と父はかなり仲が悪く、人生において会話を交わしたことがほとんどない、そんな父から何の話があるのか。どういう要件かと続けてメールしたところ「自分の体調に関して」と返ってきた。

少々不安にとらわれながらも、会社の昼休みに電話をしてみた。

「お母さんな、肺がんだそうなんだ。」

「ああ、そう・・」

「詳しい話を家族を交えてお医者さんがしたいというから来てくれないか。」

「ああ、わかった・・。」

本当はもう少し色々聞いたような気がするが、全然頭に入っていなかったと思う。あの日の出来事はかなり鮮明に思い出せるが、あの会話だけは覚えていないのだ。頭が真っ白になるというのはああいうことを言うのだろう。

てっきり癌センターにでも行くのかと思っていたら、最初に診てもらった町医者で話をするらしい。僕は会社の上司二人に話し、早退させてもらった。正直気が進まなかったので、もし上司二人の強い勧めが無ければ早退していなかったろう。

総武線の新検見川駅で待ち合わせをした。父の車に近づくと、後部座席に悲しそうに座っている母の姿が見えた・・。

町医者に着き、少し母と話をした。癌の話ではない。この町医者は最近通ってるんだ・・とか、最近できたばかりで綺麗でしょ・・とか。そんな他愛もない話だった。

そして、30分ほど待っただろうか、医者に呼ばれて姉とその旦那さん、父、母、そして私と診察室に入った。

会話の内容を書こうと思ったが、正直これも覚えていない。鮮明に・・と書いておきながら恥ずかしい話だが、覚えているのは「家族みんなでサポートしていかなきゃいけない」というドラマのようなお医者さんのセリフ、そして手術は出来ないため、抗がん剤を投与すること。詳細な容体はがんセンターの結果待ちであること。その3つだけだった。

そして帰り際、母はいつももらっている薬が出るのを待つというので、私は先に姉の旦那さんの車に乗って家に帰ろうとした。その時にも母は病院の外に一緒に出て、わざわざ来てもらって申し訳ないということをしきりに言っていた。その日はとても寒かった。早く病院の中に入れと言っても母は聞かないのだ。そして、僕は母に今度会ったら言おうと思っていたことを伝えた。

「5月に二人目の子供が生まれるんだよ。」

母は何とも言えないような顔をしていた。いや、悲しそうな顔に変わりは無かった。少しでも喜ばそうと、生きる気力を持ってもらおうと思ったのだが、あまり意味がなかったかもしれない。胸が締め付けられそうな思いを抱えて、僕は家路に向かった・・。

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