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バックパッカーに憧れて海外に行ったら、殺されかけた話

Image by Olia Gozha

 

はじめに

本書に書かれている話は、全て僕自身が経験した実話です。

 今回は、大学生時代にあったお話をさせていただきます!


筆者のあらすじ

小学生・中学生時代は全く勉強をしていない学生であったが、高校時代に入り、猛勉強をし、愛知大学法学部へ進学をする。勉強後、全国模試の偏差値が勉強前と比べ、30以上上げることができた。

 小学生までは、人の気持ちを考えない、いわゆるガキ大将で、小学4年生の頃に、その罰が当たったのか、紫斑性腎炎という大きな病気にかかり、半年間の入院生活を送る。


その後、心は段々と弱くなり、中学生にして初めて『いじめ』に直面する。『死』を意識していたが、親友である友人に助けてもらい、徐々に仲の良い友達が増えていく。

 中学2年生の頃に両親の離婚が重なり、自分の人生がどうでもよくなり、不良(ヤンキー)となる。

 中学不良時代は毎日のように喧嘩の日々を過ごす。喧嘩、万引き、暴走族を立ち上げるなど、毎日好き放題に過ごしていた。

高校進学をするつもりはなかったが、父の説得により、名前を書けば入れるような底辺高校に進学することになる。

 

 高校進学をしてからも、ヤンキーを継続し、地元で最強の暴走族を潰す。

高校入学をしてから3ヶ月の間に、二度の停学処分をくらい、退学処分ギリギリのところで、ある一人の先生に出会い、勉強に目覚め、人生が180度変わる。勉強に目覚めた後、国際弁護士を目指し、愛知大学法学部に進学することになる。

 

愛知大学法学部に進学後、日本以外の世界を知るため、大学4年生の頃に一年間、休学をし、アジアとオーストラリアへバックパッカーの旅に出る。

 その後、建設業界に就職するが、仕事がハードかつ人間関係に悩み、鬱病になり、二年を経て、離職する。

鬱病になった後、大学在学中にご縁を感じた長野県で心を癒そうと、なんのツテもコネも仕事もないまま、長野県へ移り住む。

 

 長野県へ移住、教育サービス業である塾運営会社に就職し、最速最短で課長職に就く。

 入社三年目に結婚をし、その後、三人の子を授かり、順風満帆な人生を送っていた頃、ある日妻がマルチ商法の商品にはまっていることに気が付くが、時すでに遅し。妻との関係がうまくいかず、離婚をすることになる。

離婚後、子供達と会うために転職をし、現在に至る。


目次

大学時代

◇青い流星... 6

◇運命... 9

バックパッカー生活... 14

◇バックパッカー生活~中国編①ぼったくり事件... 14

◇バックパッカー生活~中国編②闇タク事件... 17

◇バックパッカー生活~シンガポール編①... 27

◇バックパッカー生活~シンガポール編②... 28

◇バックパッカー生活~マレーシア編... 34

◇バックパッカー生活~タイ編①コーンおばさん事件... 37

◇バックパッカー生活~タイ編②アユタヤ... 40

◇バックパッカー生活~タイ編③消防士ドラッグ事件... 44

◇リスタート... 51

◇バックパッカー生活~オーストラリア編①シドニー~ホームシック... 52

◇バックパッカー生活~オーストラリア編②パース~ドレッドヘアー事件... 54

◇バックパッカー生活~オーストラリア編③ケアンズ~トム事件... 59

◇バックパッカー生活~オーストラリア編④ブリスベン... 64

◇バックパッカー生活~オーストラリア編⑤ブリスベン~グラント暴走事件... 68

◇天国に行ったちゃーちゃん


大学時代

◇青い流星

 

 愛知大学へは自宅から、電車で片道1時間、その後スクールバスで30分ほどかかる山奥にあった。人混みが苦手な僕は、高速道路を使って、車で通うことに決めた。

 

ラーメン屋のアルバイトを辞めてから、高校3年生まで勉強ばかりしていて、アルバイトをしていなかったので、当時、車を買うお金は持っていなかった。父に車の相談をすると、父は、「会社に使ってないトラックあるから、自分で好きなようにせえ」と言ってくれ、僕は翔太を連れて、父の会社に置いてある、そのトラックを見に行くことにした。

 

 父の会社の端の方に、青色のトラックが置いてあった。トラックの中は資材置き場になっていた。

 

「・・・これが噂のトラックか!」

 

翔太に昼飯を奢る代わりに、トラックの掃除を手伝ってもらい、二人で一日かけて、ぼろぼろのトラックをピカピカにし、運転できるようにまで、カスタムした。

 

僕達は、そのトラックを『青い流星』と名付けた。

『青い流星』の後部座席には、グアム旅行に行ったときに、ワイルドなハンバーガー屋さんで買った、ドクロマークの旗を掲げ、ホイールは知り合いの車屋さんで使っていないピカピカのホイールをつけてもらった。

 

僕は大学まで、『青い流星』で通うことに決めた。

 

 

 大学の入学式当日、大学の先輩方がまず初めに『青い流星』に目が行く。『青い流星』の周りは、大学の先輩方でいっぱいになった。

 

「お前何者なの?!仕事しとるの?なんでトラックなの?超かっけぇんだけど!」

と先輩方から質問責めを受けた。

 

「お前みたいなやつはぜひ柔道部に入ってくれ!」

「いや、こいつは根性がありそうだから、ラグビー部に入るべきだ!」

と、ゴリゴリの体育会系の部活やサークルの方から勧誘を受けたが、僕は初めから高校時代から続けているダンスサークルに入ることに決めていたので、勧誘はすべて断った。

 

 

 大学生活が始まってからの僕は、大学生活を全く楽しめていなかった。大学受験を終え、すっかり目的をなくし、燃え尽き症候群になっていた。高校生のときに7股されてから、彼女もおらず、大学受験を終えた僕は、大学受験の頃のように勉強もしなくなったので、やりたいことや目的がなくなってしまっていた。また、大学は学校というよりかは、遊びに来ているような学生が多く、集団で群れて行動している人も多かったので、どうしても肌に合わなかった。

 

そんな中、唯一楽しかったことは、ちゃーちゃん(祖母)とパチンコに行くことぐらいだった。ちゃーちゃんは、僕の母親が出て行った後、僕が中学3年生のときに、父が大阪から愛知に呼んで、一緒に住んで、家のことをやってくれていた。

 

◇運命

 

 大学では、『とうじ』というやることなすこと全てがぶっとんだいかれ野郎、通称『脇汗』と、『こうへい』という顔にでっかいほくろがある、裸でコンクリートにスライディングするような、いかれ野郎、通称『ほくろマン』と、『けいた』という一日の授業時間の半分程、トイレにいつもこもっている、通称『うんこマン』と、『こうたろう』という、いっつも鼻毛を抜いては「ねぇじょーじ見て。めっちゃ太い鼻毛抜けたよ」と鼻毛を見せてくる、いかれ野郎とよく一緒に行動していた。

 授業がないときや、授業と授業の空き時間があるときは、大学内にあるジムで筋トレをするか、ダンスサークルへ行って、ダンスをしていた。

 

当時、国際弁護士になると決めていた僕だったが、弁護士になるまでには、ある程度段階があると大学の教授から教わった。その段階とは、①行政書士②司法書士③弁護士④国際弁護士という順番で勉強し、順番に資格を取るべきだということだったので、僕は行政書士の勉強から始めることにした。

 

 

 ある日、『脇汗』と『ほくろマン』と三人でプチ旅行に行こうと決めた。旅行先は近くの温泉街にした。

 

 

 旅行当日、宿泊先のホテルに到着し、ホテル内で晩ご飯を食べていると、4人組の女の子が向かい側に座っていることに気が付いた。

当時イケイケだった僕は何も考えずに「ちょっと行ってくるわ!」と2人に告げ、4人組の女の子に声を掛けた。

 

 

「一緒に飲もう!」という承諾を得て、一緒に飲むことになったのだが、脇汗とほくろマンは乗り気ではなかったようだったので、僕一人で4人組の女の子と一緒に飲むことになった。

その中の一人に、『さき』という女の子がいて、その日をきっかけにさきと仲良くなった。

 

さき達4人組は、バスガイドをしていて、勤務先は僕の地元の近くだった。そこは、僕の自宅から車で40分ほどかかる場所だった。

 

それから、さきと何度か一緒に会い、僕達は付き合うこととなった。

 

 

 大学3年生のとき、さきはカラーコーディネーターという資格を取りたいと考え、バスガイドを辞め、専門学校に通いながら、アルバイトをすることにした。さきが勤めていたバスガイドは寮制で、さきの地元は僕の地元からは遠く、さきが実家に帰ってしまうと僕の家から遠くなってしまい、会うのに時間がかかってしまうので、バスガイドを辞めた後、僕の家に住むように伝えた。

父に「さきを僕の家に泊まらせてほしい」と相談した所、「かまへん」と一言で了承を得た。それから、さきはカラーコーディネーターの資格を取るために専門学校へ行き、無事資格を取得した。

 

 

 大学で国際弁護士になるための勉強をして過ごしていたある日、僕は「このまま何の爪痕を残さずに大学を卒業して、就職することになるのか」と漠然と将来に不安を覚えた。

 

「どうせだったら今しかできないことに挑戦しよう」

そう思い、やりたいことリストの作成をした。

その中に、「海外に行きたい」と書き、それを実現させたいと思った。

 

 

 大学4年生のとき、その夢を叶えさせるために、一年間休学をし、半年間必死に働いてお金を貯め、半年間海外に行くことにした。僕は海外に一人で行くつもりだったが、さきも一緒に行きたいというので、さきにも海外へ行くための軍資金集めを手伝ってもらった。

 

それからはアルバイトを計17個(ラーメン屋・ビル警備・交通警備・引っ越し・コンビニ×2・防火設備点検・宅配ピザ・塾×3・家庭教師・ゲレンデでの住み込みバイト(レンタルショップ屋・スノーボードインストラクター・ペンションでの接客業務)・接客販売・大学内の就活支援センターでの事務作業・)程かけ持ちをし、睡眠時間は高校のときのように、平均3時間、少ないときは1時間ほどで、ほとんど寝ずに朝も夜も必死で働き、半年間で200万円貯めることができた。

 

 

 海外の行先はどこでもよかったのだが、さきも一緒に行くので、安全面と料金面を考えて、とりあえずアジアに行くことにした。まず初めに、シンガポール行きのチケットを買った。

それから僕のバックパッカー生活が始まった。

 

ここからは、実際にそのときの日記が残っていたので、当時の日記をそのまま残そうと思う。

 

バックパッカー生活

◇バックパッカー生活~中国編①ぼったくり事件

 

 初めてのバックパック生活に緊張感とわくわく感で寝れなかった。夜中準備してたら、そのまま朝が来た。

 

 朝5時頃に家を出発して、6時頃に空港に到着。

空港には、スーツ姿のサラリーマンや、何の仕事をしてるか分からないが、オーラが漂っている人がたくさんいた。そんな中、でかいバッグをしょっている僕とさきは、かなり浮いていた。

 

いざ飛行機へ!

 

 中国経由でのシンガポール行きだったため、一度、上海で降りて、入国審査をグルグルと回り、また飛行機に乗って、広州という所に着いた。

 

腹も減っていたので、広州の空港内で、色々ウロウロしていたら、喫茶店みたいなカフェがあった。店員らしき中国人が僕達に声を掛けてきた。笑顔で愛想が良かったので、僕達は、その喫茶店に入ることにした。

店員から、ピザやコーヒーを勧められた。海外で初めて外国人に声を掛けられ、少し不安な気持ちがあったので、「まず、メニューを見せて」と言ってメニューを見ると、メニューには、ピザ『100yen』カプチーノ『228yen』と書いてあった。

 

「ん?ピザよりコーヒーのほうが高いな。でも、ピザ100円ってめちゃめちゃ安いな!さすが中国!」と思い、ピザとカプチーノを頼んだ。

 

 届いたピザは、半径5㎝ほどの大きさの明らかに冷凍ピザだったが、普通においしかった。ピザを食べていると、さっきとは別の中国人が僕達の方に歩いてきた。その人は片言の英語で、「次のお客さんがいるから、早くお会計をしてくれ」と言ってきた。

 

お会計を見ると、『328yen』と書かれていた。

 

「328yen。間違いないな」

値段を確認し、店員に328円を渡すと、店員の女の子が「は?」みたいな顔をして、店の裏に戻って行った。

 

僕は、「お会計が済んだ」と思い、店を出ようとすると、先ほどの店員が、店長を引き連れてきて、僕の顔を見るやいなや、「お金が足りない」と言ってきた。

 

「ん?これ328yenって書いてあるじゃん」

僕がそう言うと、店長は、

 

「これはyenじゃない!元だ!」

と大声で、怒りながら言ってきた。僕は、

 

「いや元ならgenって書けよ!」

と店員に言ったが、全く話が通じず、仕方なく僕は、328元を払うことにした。

 

「328元は日本円でいくらなの?」

と聞くと、店員が電卓をはじき、僕に見せてきた金額は、なんと『5300円』だった。当時、1元16円ぐらいだった。

 

「・・・やられた、、よく見たら周りの外人、誰も何も頼んでねーし・・・っていうか、カプチーノ一杯で3700円って高すぎるだろ。。。」

 

「旅にトラブルはつきものだ」とそのときに実感した。

 

 

◇バックパッカー生活~中国編②闇タク事件

 

次の経由地へ行く便は、翌日だったので、僕達は、一度広州空港から出て、広州市内で一泊してから、空港にまた戻ってくることにした。

空港内の無料WIFIでインターネットに接続し、空港から近い、その日に泊まるホテルの予約をした。中国語の表記が多かったが、なんとなく色々試してみたら、予約することができた。

 

 ホテルへ向かうため、空港を出ると、空港を出たすぐの所にタクシー乗り場があった。一列は行列で、もう一列は誰も並んでいなかった。

 

僕は、「ラッキー!!空いてる!!」と思い、誰も並んでいない列へ並ぶと、突然、上下テカテカの真っ黒なライダースジャケットを着た、少しいかつめの中国人が僕に声を掛けてきた。

 

その男は携帯を僕に見せながら、「My son!!My son!!」と言い、男が持っている携帯の待ち受け画面に映っている小さな男の子が、『俺の息子だ』と強く主張してきた。

 

僕は、「わかった、わかった、それで、ここに行きたいんだけでもいくらなの??」と聞くと、男は、

 

「ここだったら、100元でいいよ!」

と言った。

 

先程、カフェでぼったくり事件に遭い、ひどく落ち込んでいた僕は、強い不信感を持っていたので、「100元だね?絶対に100元だね?」とその男に何度も料金を確認した。

 

「OK!OK!」と男は、大きな声で返事をし、僕達を車まで連れて行った。

 

「ふー、ここまで疲れたなぁー」

さきと話しながら、車へ乗り込むと、目の前の光景に目を疑った。

 

「・・・、メーターが・・・ない。」

 

「タクシーには普通、メーターがついているはずだよな。車に乗る前に、車の上に〇〇タクシーの看板がついていたのは確認済みだ。中国のタクシーは、メーターがないのか?いや、昔見た中国映画では、中国のタクシーはメーターがついていたぞ。なんで、さっきの行列で並んでいた人達は全然並んでいない列へ行かなかったんだ?。。。」頭の中に色々な疑問が浮かび上がり、急に不安になってきた。

 

上下ライダースジャケットの男にもう一度確認をする。

 

「目的地のホテルは、空港から1㎞の距離だから、10分ぐらいで着くよね?で、料金は100元で間違いないよね?」僕がそう言うと、男は、「OK!OK!」と言いながら、車を出した。

 

 

 車を出してから、30分ぐらいが過ぎたときに、上下ライダースジャケットの男は、車を急に止め始めた。外を見ると、周りは、街灯でまぶしく、高級感が漂う超大型ホテルと、その横にカジノのような施設があった。

 

「ここじゃないよ!もう30分ぐらいたってるけど、いつ着くの?!」

僕が、上下ライダースジャケットの男にそう言うと、男は、

 

「ギブミーパスポート!スーン!」

と「早くパスポートをよこせ」と何度も言ってきた。

 

旅に行く前に、旅の心得の本を買ったのだが、その本には「空港の税関以外でパスポートをよこせと言われても、それが例え警察官と名乗るものであっても、渡してはいけない」と書いてあったのを思い出し、僕は、「絶対に渡すもんか」と男に抵抗をし、決してパスポートを渡さなかった。

 

5分程度、そのやり取りがあり、男は諦めて、どこかに歩いて行った。

 

車の中にさきと二人で取り残された。

さきは震えていた。

 

「俺達どうなるのかな。何があってもさきは守るからな」

 

「このまま車を降りて、逃げよう」かと一瞬思ったが、ここがどこか全く分からないし、タクシー料金を払わないまま逃げてしまっては、のちに料金を多めに請求されてしまうかもしれないと思い、僕達は、車に残ることにした。

 

 

10分後、男が車に戻ってきた。

 

男が運転席に乗ると、助手席に、別の男が乗ってきた。

その男も上下真っ黒なスーツを着ていて、車に乗るないなや、僕達の方を見て、「がはは!」と笑い、運転席の男と大きな声で、中国語で話していた。

 

 

 車を出してからすぐ、男は、高速道路に突入し出した。

 

「一体どこに行くつもりなんだこいつらは。このままさきと山奥に連れられて、どこかに埋められてしまうのだろうか」

 

僕は震えが止まらなかった。心底ビビっていた。「でも、さきは俺以上に怖い思いをしているんだ。こうなってしまったのも、俺がしっかりしていないからだ。さきごめんな」と心の中で思っていた。

 

男は、高速道路に入り、車のスピードをグングン上げ出した。

どんどん前の車を追い越し、急に反対車線の側道を走りだした。

反対車線から来る車と、すごいスピードで、すれ違い、男達は「ガハガハ」と笑いながら、楽しんでいた。

 

「・・・怖すぎる。ちょっとでも運転操作を間違えれば、一瞬で死ぬぞこれ。っていうか、高速道路になんで反対車線の間にガードレールないんだよ」

 

びくびくしながら、30分ほど経った頃、男は、高速道路を降りた。

 

「はぁーよかった。。。これで安心だ。」

そう思った矢先、男はUターンをして、また高速道路に乗り、元来た道を走り出した。

相変わらず男達は「ガハガハ」と笑いながら、中国語で話している。

 

「もうだめかもしれんな」

そう思ったとき、目的地のホテルへ到着した。

 

「・・・よかった。。。」

 

空港を出てから、1時間半ほどが経っていた。

 

体の震えが残ったまま、100元を取り出し、運転席の男に渡そうとすると、男は携帯を取り出し、電卓機能で数字を見せてきた。

 

電卓には、『3000元』と書いてある。日本円にすると、約5万円ほどだった。

 

そのとき、僕の怒りや色々な感情がとうとう限界を迎え、男に、

 

「空港から1㎞の距離で、100元って最初言ったろうが!お前ふざけんなよこら!」

とゴリゴリの日本語で怒った。

 

すると、助手席の男が運転席で半立ちになり、「おぉー!!!」と大声を出し、何かを僕の首元へ向けてきた。

 

「・・・・チャカだ」

 

「・・・マジかよ。あぁ死んだわ。これで撃たれて俺は死ぬんだ。俺の人生こんなもんなのか。何も爪痕を残さずに死んでいくのか俺は。さきはどうしよう。俺が死んだらさきは無事に逃がしてくれるだろうか。。。」

 

頭の中に走馬灯のようなものが半分見えた。

 

「ちょっと待ってくれ。わかった。今は死にたくないから、お金を払うよ。3000元だね。はい」

僕は運転席の男に、3000元を渡した。

すると、男達は急に笑顔になり、「サンキューサンキュー!」と言い、僕達を車から降ろし、どこかに去っていった。

 

「・・・生きてた。。。。さきも無事だ。。よかった。。。。」

急激な緊張から放たれた僕は、ものすごい吐き気を感じ、近くのどぶで30分程吐いていた。

さきが僕の背中をさすってくれて、だんだんと吐き気が収まった。

 

 ふらふらしながら、ホテル内に入り、フロントでチェックインをしていると、フロントの男の人が僕達に「大丈夫でしたか?」と声を掛けてくれた。

 

「もしかして、僕が外で吐いていたのを見られていたのかな?」と少し申し訳ない気持ちでいると、フロントの人が続けてこう言ってきた。

 

「さっきの運転手だよ。あいつらは、地元で有名な『ギャング』なんだ。あいつらは、観光客をターゲットに、悪いことをしたり、色んなホテルに入っては、ロビーで騒いだり、唾やガムを床に吐いたりして、嫌がらせをしてくるんだよ」

 

「・・・『ギャング』って。。。もう映画の世界じゃん」

 

これまであった状況をフロントの人へ話をすると、「本当に生きててよかったね。今日はゆっくり休んでください」と優しく声を掛けてくれた。

「あと、今は広州で日本人に向けたデモが行われているから、観光は控えた方がいいよ」

と言っていた。

 

 

 部屋に入り、怖い思いをした僕は、ベッドへ倒れこんだ。

「風呂入らなきゃ」と服を脱いで鏡を見ると、髪の毛が真っ白になっていた。

 

「これやばくないか?北斗の拳で、トキに『秘孔心霊台』を突かれた後のレイじゃん」

僕は、若白髪だったので、もともと少しだけ白髪はあったのだが、そのとき鏡で確認した白髪は髪全体にまで広がっていた。その後、ネットで調べると、『人は急激なストレスを感じると、短時間で髪の毛の色素が抜ける』ことがあることがわかった。

 

 

 その後、風呂に入り、テレビを見ていたら、広州の市街で、日本人に向けたデモが行われているニュースが流れていた。映像の中では、地元の人が、日本企業の店に石などを投げつけ、日本企業が運営する販売店を壊していた。

 

「さっきフロントの人が言っていたのはこれか。。。明日は観光するのやめようか」

 

その夜は、死んだように寝た。

 

 

◇バックパッカー生活~シンガポール編①

 

翌日、広州を観光する予定だったが、デモがあったので、観光はやめて、空港へ直接行った。

空港までのタクシーは、フロントの人に手配を頼み、メーターがついているタクシーで、ホテルから、空港まで行き、10分もかからずに到着した。

 

空港では、次の便まで、コンビニで食事を済まし、空き時間は、携帯のアプリや、持ってきた本を読みながら過ごしていた。

 

 

 夜中の1時にシンガポールに着いた。

泊まる宿も何にも決めておらず、ネットも通じていなかった。「まぁなんとかなるやろ!」と思い、ホテルがありそうな、栄えている場所へタクシーで行った。

 

栄えている場所に着き、周辺をうろうろしてみたが、宿らしき建物が見当たらなかったので、近くに宿があるかどうか、周囲の人に聞きまくり、やっとのことで安宿を一件見つけた。

 

 

 安宿に入り、指定された部屋の入り口のドアを開けると、目の前にベッドがあった。

広さは三畳ぐらいで、シャワーもトイレもないベッドしか置いていない部屋だった。

「寝れればなんでもいいわ」と思った。自分的には魔法人グルグルの主人公のニケにでもなったみたいだった。宿も魔法陣グルグルの漫画に出てくるなかなかいい宿を期待していたが、想像とはまるで違った。

「まあ寝る所があっただけでもよかった」と感じ、その日は空港で買った、全然美味しくない現地で売られている水を飲みながら寝た。

 

 

◇バックパッカー生活~シンガポール編②

 

朝9時頃にノックが聞こえた。

僕は、そのノックの音にめちゃめちゃビビって飛び起きた。

怖がりながら、おそるおそる扉を開けると、身長180㎝ぐらいの黒人が、「ヘイ!朝食持ってきたぜ!」って言ってきて、かなりびっくりした。

 

 シンガポール初の朝食は、焼いてない八枚切りのパン1切れと、カリッカリの細長いベーコンと、ツナ缶がそのまま丸ごと一個、あとコーヒーカップに入ったお湯と粉末のインスタントコーヒーだった。

 

「見た目はどうあれ美味い!」

 

 朝食を食べ、ネットも有料のWIFIしかなかったので、無料のWIFI探しを兼ねて宿を出た。

 

「やっぱシンガポールっていったらマーライオンでしょ!」

 

 マーライオンを見に行くのに、電車で行こうと思い、ふらふら外を歩いていると、地下鉄のような『MRT』というものがあった。

 

「ん?『MRT』?なんじゃこれ?」

 

 近くにホームレスらしきおじいちゃんがいたので、「『MRT』とは何か」聞いてみたが、おじいちゃんはとても酔っぱらていて、ほとんど何を言ってるのか聞き取れなかった。

 

とりあえず電車だということは分かったので、元気良く、「せんきゅー!」と言って、下へ降りて行った。

 

 『MRT』の中に入り、現在地は『ブーンキイ』という所だと分かった。

車掌さんに「マーライオンまでどうやって行くか」を聞くと、「『クラークキー』で降りれば見れる」と言うので、クラークキーを目指した。

 

 

 クラークキーに到着し、バーガーキングがあった。お腹もすいていたので、バーガーキングに入った。日本のバーガーキングにはない、「マッシュルームチーズバーガー」と「チキンウイング」という手羽先を食べた。

 

駅から、2時間ほど歩くいた後、ようやくマーライオンに到着した。

マーライオンの周りには、観光客がたくさんいた。間近で見るマーライオンは、想像以上に大きくド迫力だった。

 

 

 マーライオンから歩いて、『チャイナタウン』という所に到着。

海外にはどこへ行ってもチャイナタウンのような場所ががあるようで、チャイナタウンには、名前の通り、中国人がたくさんいた。

 

他の観光客の外国人と色んな現地情報の話をしていると、どうやら『リトルインディア』という所があって、そこの近くの宿が安いらしいということで、僕達はリトルインディアを目指すことにした。

 

 

 『MRT』に乗って、リトルインディアへ行くことも考えたが、観光客の外国人が言うには、ここからリトルインディアまで歩いていける距離だというので、歩いていくことにした。

 

歩いてリトルインディアに向かっている途中、本当にちゃんと着くのかと、不安になりながら、道端の人にリトルインディアはどの方向かを聞きながら歩いていた。途中で全く違う方向を言う人がいたので、到着に一時間ほどかかった。

 

 

 リトルインディアに着くと、インド系の黒人がたくさんいて、男同士で手を繋いで歩いていたり、道端に座って、素手でご飯を食べている人が大勢いた。

 

僕達は、疲れ切った体を癒すために、ホテル探しをしていた。町中へ入り、途中で公衆トイレらしきものが目に入った。トイレに入ろうとすると、おばちゃんに声を掛けられ、いきなり、「マネー、マネー」と言われた。

 

「えっ?ここ有料なの?公衆便所じゃないの??」

そう聞き返すと、おばちゃんは、「ここは有料だよ。公衆便所じゃない。ティッシュも有料だよ」と言ってきた。

 

仕方なく、お金を払い、トイレへ入った。

 

トイレを出て、さきが来るのを待っていると、先ほど声を掛けてきたおばちゃんが外にいた。おばちゃんとシンガポールやリトルインディアのこと、おばちゃんは何を仕事にしているのかなど、話をしていると、どうやらおばちゃんは、トイレの受付係と清掃係、洗濯物を預かって、洗濯をし、乾燥までして洗濯物を返す、日本でいういわゆるクリーニング業を行っていることが分かった。そして、おばちゃんの名前は、『イーマ』と言った。

 

さきがトイレから戻り、そのことを伝えると、「丁度洗濯物がたくさんあるので、ターニャに預けたいなぁ」と言うので、イーマに洗濯物を預けることにした。イーマに、「近くにホテルはないか」と聞くと、近くに『Kerran Hotel』という料金は少し割高だが、綺麗なホテルがあるというので、直接そのホテルへ行き、値段交渉をした。安全かつ、ぼったくられる心配はないと判断し、そのホテルに泊まることにした。このホテルは、シャワーも使うことができ、お湯がちゃんと出るホテルだったので、安心かつ、快適に泊まることができた。

 

 

 翌日、僕達は、『ドービーゴート』という場所の近くにある、シンガポール国立博物館を目指した。

向かっている途中、大きなショッピングモールがあり、フードコートで、チキンライスと魚の頭ラーメン、シンガポールBBQを食べ、昼食を済ませた。魚の頭ラーメンは、その名の通り、素ラーメンの上に魚の頭がのっているラーメンだったのだが、全く味がせず、一日履いた靴下のにおいがし、全くおいしくなかった。

 

近くにご飯を食べるところもあり、ホテルもあり、洗濯もでき、イーマのように色々な話ができる人がたくさんいたリトルインディアは、とても居心地がよく、僕達は、二週間ほど、リトルインディアに滞在した。

 

その後、僕達は、マレーシアに行くことにした。

 

 

◇バックパッカー生活~マレーシア編

 

 シンガポールからマレーシアへは、飛行機で行くことにした。

マレーシアへ到着後、現地の人に「おすすめの観光スポットはどこか」聞くと、「チャイナタウンはご飯がおいしい」というので、チャイナタウンへ行くことにした。

 

チャイナタウンまでは、シンガポールで電車を乗った経験を活かし、マレーシアでの電車移動は、スムーズにできた。

 

 

 チャイナタウンの駅へ着き、歩いていると、川が見えてきた。

川に流れる水は、どす黒く濁っており、そこら中にゴミや嘔吐物などがあり、壊れた自転車や自動車までも、川に捨てられていた。また、道路には、至る所に大量のゴキブリがいて、日本のゴキブリとは比べ物にならないほど大きかった。

 

 

 チャイナタウンの繁華街へ入り、中華系のおいしそうなにおいがプンプンしてきた。

人がたくさんいる屋台の前に、串焼きのようなものが見えたので、近くへ行ってみた。串に刺さったものをよく見ると、サソリや、イモムシ、ゴキブリのようなフナ虫などのゲテモノだった。僕は、「日本ではまずこういったものは食べないだろう」と思い、サソリの串焼きを食べることにした。サソリは、とにかく固く、食べられるところが少なく、あまりおいしくはなかった。

 

ゲテモノ串焼きゾーンの横には、虫かごの中にウシガエルほどの大きさのカエルが大量にぎゅうぎゅう詰めにされており、お客さんから注文が入ると、その場で調理されていた。日本ではまず見ることができない光景だったが、ショックが大きかった。

 

 

 中華街で食事を済まし、ホテル探しをしていると、『レッドドラゴン』というホテルの前に、ぼろぼろの服を着た眼鏡をかけている日本人のおじさんに声を掛けられた。

 

そのおじさんは『村田さん』と言い、村田さんは何の仕事をしているのか聞いてもよくわからず、「マリーナベイを作ったのは俺だ、俺は、マレーシアのお偉いさんとコネがある」など、よくわからないがすごい話を聞いていてが、本当かどうかよくわからなかったので、半分疑いながら話を聞いていた。

 

村田さんは、レッドドラゴンのフロントでいつも酒を飲んでいた。村田さんの嘘か本当かわからない話は面白かったので、僕達はレッドドラゴンへ泊まることにした。

 

僕達は、マレーシアに二週間ほど滞在し、今度はタイを目指すことにした。

 

 

◇バックパッカー生活~タイ編①コーンおばさん事件

 

 タイまで、初めは、鉄道で行くことも考えたが、「鉄道では、国境をまたぐ際の手続きで、たまに悪い奴がいて、お金をだまし取られる可能性がある」と、村田さんに教えてもらったので、飛行機で行くことにした。

 

 

 タイに到着し、いつものように現地の人に、おすすめの観光スポットを聞くと、タイはバンコクの三大寺院(ワット・プラ・ケオ)、アユタヤにある木の根に包まれた有名な仏像の頭(ワット・マハタート)、アユタヤ遺跡群にある、寺院(ワット・チャイワッタナラーム)、アユタヤにある全長28Mの寝釈迦仏像(ワット・ロカヤスターラーム、ストリートファイターのサガットのステージの後ろに寝ている仏像)が有名らしく、僕達は、まずバンコクの寺院へ行くことにした。

 

バンコクへ到着すると、たくさんの観光客がいた。寺院の横に、大きな噴水があったので、噴水で一休みすることにした。

 

しばらくすると、一人のおばちゃんがにこにこしながら、僕達の方へ近づいてきた。おばちゃんは、コーンを油で揚げたものが入ったビニール袋を持っていた。

 

「怪しいな」と思いつつ、僕が、「何か用ですか?」と聞くと、おばちゃんは、片言の英語で、「これはハトの餌なんだ。あなたもハトにあげたいですか?」と話してきた。

 

「これは有料ですか?」と聞くと、おばちゃんは、何も言わずに、満面の笑顔でビニール袋に入ったコーンを2・3粒僕へ渡してきた。

 

僕は、「これだけ笑顔でいい人そうだし、観光客がこんなに大勢いるところで、騒ぎになるようなことはないだろう」と思い、2・3粒のコーンをハトにあげた。

 

すると、おばちゃんの笑顔は、急に怒った顔に変わり、「ワーッ!!!」と奇声を上げ、僕に「1粒2000円!!金払え!!今あなたは、7粒あげたから、1万4千円払え!!!」と言い出した。

 

「やっぱりか。どうして俺はいつもこういうことに巻き込まれるのだろうか」と思っていたが、中国での空港でのぼったくりや、広州でのタクシー事件でトラブルに対しての免疫を付けた僕は、おばちゃんに「警察を呼ぶので、警察が来たら詳しく話をしよう。」と冷静に話をした。

 

すると、『警察』という言葉を聞いたおばちゃんは、急に怒った顔から笑顔に変わり、「ジョーク、ジョーク」と言いながら、足早にどこかへ歩いて行った。

 

 

 その後、三大寺院へ入ろうとすると、入り口でセキュリティに止められた。どうやら三大寺院に入るには、肌の露出を控えないといけないらしい。

僕達は、半そで半ズボンのサンダルで旅をしていたので、長袖、長ズボンと靴を買う必要があった。僕達のようなカモがいるので、三大寺院の近くには、当然服を販売している店が多くあった。服の値段は、日本とは比べ物にならない程安かったが、現地では、超割高だった。服を買わないと、中に入れないので、仕方なくぼろぼろの服を買い、三大寺院を観光することにした。

 

バンコク観光後、次は、アユタヤへ行くことにした。

アユタヤへは、電車で行けることが分かり、電車で向かった。

 

◇バックパッカー生活~タイ編②アユタヤ

 

 アユタヤへ着くと、タイで有名なタクシー『トゥクトゥク』がたくさんあった。

中国での闇タク事件があったので、ぼったくりに遭わないように慎重になりながら、トゥクトゥクの運転手を探していると、一人の男の人が、声を掛けてきた。

 

「あなたは日本人ですか?私は日本の漫画が大好きです!特に『ろくでなしブルース』が大好きです!知っていますか?」

 

『ろくでなしブルース』は僕がもっとも大好きな漫画だったので、その男の人とすぐに分かり合うことができ、僕が行きたい観光地を案内してくれることになった。

 

アユタヤ遺跡群にある、寺院(ワット・チャイワッタナラーム)の観光中に、簡単なロープで仕切りがある場所にあった看板に「ここには地雷が埋まっている可能性があるので、立ち入り禁止」と書いてあったときは、かなり驚いた。戦争後、地雷が撤去されていない場所だった。

 

 行きたかった観光地を全て回った後、アユタヤにあるホテルに泊まることにした。

疲れ切っていた僕達は、寝れればどこでもよかったので、駅から一番近いホテルで泊まることにした。

 

 

ホテルに入り、部屋のドアを開けた瞬間、ドアから数10匹のゴキブリが外へ出ていった。

 

「さすがにこんな部屋に泊まれん」

 

フロントに戻り、「他に部屋はないか」聞くと、「ここは観光地だから、部屋はいっぱいで、空き部屋はない」と言われた。

 

他のホテルを探し回ってみたが、夜遅い時間だったせいか、空き部屋のあるホテルが見当たらず、仕方なく、先ほどの部屋へ泊まることにした。フロントからゴキブリの殺虫剤を三本ほど借り、部屋に入った瞬間に電気を付けて、部屋中に殺虫剤を振り撒いた。

 

「ふーっ。これで寝れる」

そう思い、電気を消して、寝ようとすると、かすかに『かさかさ』と音が聞こえる。

 

「最悪や」

 

電気を消すと、『かさかさ』と音がするので、電気をつけたまま眠ることにした。

 

 

 しばらくすると、外から、「ドンッ、ドンッ!」とウーハーが効いた爆音が聞こえてきた。僕達は飛び起きて、何が起きたのか確認するために、外へ飛び出すと、ホテルの前の道で、色んな店が、露店の準備をしていた。酒を飲みながら、ダンスをしている観光客もたくさんいた。

 

どうやら、ホテル前の道では、夜中になると、パーティが始まるようだった。

 

「いったい、これは何時まで続くのか・・・」

近くの人に聞いてみると、朝の7時ぐらいまで続くという。

 

「・・・・寝れん」

 

ホテルへ戻ろうとすると、片足と髪の毛がない女の人が、赤ちゃんを抱きながら、道端に座っていた。その人が僕達の方に近づき、「マネー、マネー」と言ってきた。他の外国人観光客にも同じように、近づいて「マネー、マネー」と言っていて、外国人観光客は、片足と髪の毛がない女の人を手で追い払っていた。

 

僕は、外国人観光客とは同じように手で追い払ったりすることは、どうしてもできなかったので、片足と髪の毛がない女の人に、ポケットに入れていた小銭を全て渡した。すると、近くにいた、小学生ぐらいの男の子と女の子達が、一斉に僕の所に集まり、「マネー、マネー」と手を差し伸べてきた。僕は、ポケットの中が見えるように、「もうない!」と言うと、男の子と女の子達は、他の観光客に物乞いをしに行った。

 

一人の外国人観光客が、僕に声を掛けてきた。

「彼らは、物乞いを仕事にしているけれど、働きたくないから、こうやって、僕達観光客をターゲットにお金をタダでもらおうとしているんだ。母親が抱えている赤ちゃんをよく見ろ。あれは偽物の赤ちゃんだ。人形だ。あぁやって彼らは、情をかけさせて、お金をもらおうとしているんだ。君はもう少し周りをよく見て、自分を守った方がいい」

 

母親の赤ちゃんをよく見ると、本当に人形だった。ひどく複雑な気持ちだった。

物乞い達が、働きたくないからこうやって物乞いをしているのかどうかなんて、本当のことはわからないが、この状況をどうすることもできない自分に苛立ちを感じていた。

 

その夜は、疲れ切っていて、寝たかったが、ゴキブリの恐怖と、外の爆音に悩まされ、一睡もできずに次の朝を迎えた。

 

 

翌日、僕達は、現地の人におすすめ観光スポットを聞き、次は『プーケット』という場所へ行くことにした。

 

 

◇バックパッカー生活~タイ編③消防士ドラッグ事件

 

 プーケットへ行くには、バンコクに一度戻る必要があったため、行きで利用した電車を使って、移動をした。

 

 

 プーケットに到着し、いつものようにホテル探しをしていた。

市街の中心部分に、割安で質の高い木造のホテルがあったので、そこへ泊まることにした。

 

屋台で売っていたガパオライスを道端で食べていると、50㎝ほどの猫ぐらいの大きさのネズミが急に草むらからジャンプして現れ、走り回っていて、現地の人が捕まえていた。海外は、生き物の大きさが、日本よりも大きく、全てが規格外である。

 

アユタヤでは一睡もできなかったので、その日は、倒れこむように眠った。

 

 夜中、腕にチクチクするのを感じ、目が覚めた。

目を開けると、僕の腕に大量のアリが群がっていて、一気に眠気が飛んで行った。腕がチクチクしていたのは、アリに腕を咬まれていたからだった。

なぜ、アリが部屋に大量にいたのか、なぜ僕は大量のアリに咬まれていたのかはよくわからなかった。

 

 

 翌朝、歯磨きをしているときに、天井から、タランチュラほどの大きさの蜘蛛が落ちてきて、殺虫剤で朝からバトっていた。

 

 タランチュラとのバトルの後、ホテルのバルコニーでタバコをふかしながら、くつろいでいると、目の前に消防署があることに気が付いた。消防車の前で、僕と同じようにタバコをふかしながらくつろいでいる一人の男性がおり、僕の方を見て、「こっちへ来い」という素振りをしていたのが見えた。

 

「OK、OK」と合図をし、僕は、ホテルから出て、その男の所へ行った。

その男は、消防士のようで、英語も流暢で、話が合った。

 

「夜、パーティをやるから、お前も来い」と言ってきた。

もし危険だったら、困るので、僕一人で行くことにした。

 

 

 晩御飯を食べた後、さきにホテルで待つように伝え、僕は男が言うパーティに参加しに行った。

 

パーティ会場へは、レンタルバイクで向かった。

 

パーティ会場へ着くと、仕事終わりの消防士が一斉に集まり、その中には現地の若い男女が大勢いた。

僕をパーティに誘った男が、「酒は飲めるか?」と言うので、僕は「飲める」と返事をすると、ショットグラスを僕に持ってきた。

勧められたものを断るのは失礼かと思い、僕はショットグラスを一気飲みした。

一気飲みし終えると、グラスの下の方にザラザラとした粉のようなものが溜まっていることに気が付いた。

 

しばらくすると、急に泥酔のような症状になり、ろれつが回らなくなり、舌が痺れ、のどの渇きを異常に感じてきた。

先ほどの男に、「飲み物に何か入れた?」と聞くと、男は笑いながら「ドラッグ」と言い出した。

 

「は?ドラッグ?なんで?」

僕がそう言うと、男は、

 

「楽しいじゃん」と返してきた。

 

その場にいる男達は、全員、マリファナを吸っており、「お前も吸うか?」と何度も誘われたが、僕は、断固として断っていた。

 

僕は、「飲み物が欲しい」と言うと、男は、「じゃあ飲み物を買いに行くから、俺の原付の後ろに乗れ」と言うので、原付の後ろに乗った。

 

 コンビニに入り、コーラを買っていると、男は、若い女の子に、白い粉が入った袋を渡し、女の子からお金を受け取っていた。

 

「これは覚せい剤じゃないか?やばくないか?消防士だろこいつ」

 

パーティ会場に戻り、とうとう、歩くこともままならなくなってきた僕は、ホテルへ帰ることにした。男に、「今日はもう帰る」と言うと、「今日のことは誰にも何も言わない」という条件で、帰してもらうことになった。

 

 

 レンタルバイクが置いてある場所へ行き、エンジンをかけようとすると、行きに被っていたヘルメットがなくなっていることに気が付いた。

 

「・・・パクられた。最悪だ。。。」

 

仕方なく、ノーヘルで帰ることにした。

 

バイクに乗って、5分ほど経った頃、道路で一台のパトカーに止められた。

 

「ヘルメットはどうした!これから署に行くので、俺の後ろについてこい!」

 

「・・・・・・最悪だ。ヘルメットをパクられて、すぐにノーヘルで警察にパクられて、酒も飲んでるし、しかも酒になんか入れられて、、、、もし酒の中に入れられたのが、本当に覚せい剤だったら、どうしよう。アルコール検査とか薬物検査をされて、捕まったら、最悪終身刑とかあるんじゃね。。。」

インターネットで調べると、『海外で、外国人が覚せい剤を使用して、警察に捕まったら、終身刑がになる場合がある』と書いてあった。

 

「・・・終わったわ。さきにまたもや迷惑をかけてしまう。最悪だ。。。」

 

そう思いながら、警察署の待合室で待っていた。

 

 しばらくして、警察官がやってきた。

 

僕は、『ヘルメットは盗まれて、仕方なく、ノーヘルで帰るしかなかったこと』を何度も何度も必死で説明し、今回は見逃してほしいとお願いした。すると、警察官は、「よし、わかった、今回は罰金だけで見逃してやる」と言い、数千円の罰金だけで済んだ。

 

 罰金を支払い、警察署を出て、「・・・あっぶねー、死ぬかと思った」と思いながら、ふらふらしながら、ホテルへ戻ると、さきはまだ起きていた。

 

「大丈夫だった?」と心配してくれ、僕は安心したのか、トイレへ行き、一時間ほど吐いた後、死んだようにベッドで眠った。

 

 

翌日、生きていることに感動をし、そのあとは、タイの観光を楽しみ、僕達は日本へ帰ることにした。

 

 

・・・と、ここで日記が終わっていた。

 

 『海外でぼったくられる』ことは日常茶飯事で、海外に行ったことで、『日本がいかに安全な国なのか』を肌で思い知ることができた。

 

 

◇リスタート

 

アジアから帰国後、一年間の休学期間が、まだ4か月間残っていた。

僕には、まだやりたいことがあった。

 

やりたいことを叶えるため、僕は、残りの4か月間で、またお金を貯めて、今度はオーストラリアへ行くことを決意した。オーストラリアへ行く目的は、オペラハウスを見る、ワーキングホリデービザを取り、現地で働く、現地で英語を使い、英語力を上げるためだった。

 

アジアへバックパッカーをする前に貯めた200万円は、全て使い切ったので、また一から貯めなおすことにした。

 

 

 以前行っていたアルバイト先へ、『もう一度働きたい旨』を伝え、寝る間も惜しんで、働き、3か月で、100万円貯めることができた。一日の睡眠時間は3時間程度だったが、自分がやりたいことをやるために使う時間や苦労は、僕にとって、全く苦労とは感じなかった。

 

さきは当時通っていた専門学校の試験があったので、一緒には行けず、オーストラリアへは、僕一人でバックパッカーをすることにした。

 

 

◇バックパッカー生活~オーストラリア編①シドニー~ホームシック

 

オーストラリア出発当日、旅をする前は、やはり、わくわくして眠れず、朝まで荷物の準備をしていた。

 

朝5時に家を出て、オーストラリアへ出発。

 

 空港へ到着し、オーストラリアの自然を感じるために、まずは、オペラハウスまで歩いて向かうことにした。

 

オペラハウスに到着し、『これがオペラハウスか』と余韻に浸った後、現地の人におすすめの観光スポットを聞くと、「『ボンダイビーチ』というビーチがとても綺麗」と言うので、ボンダイビーチに歩いて向かうことにした。

 

ビーチに向かっている途中、僕の祖母(ちゃーちゃん)から急に電話がかかってきた。ちゃーちゃんから電話がかかってくることは、珍しいことだった。

 

「じょーじくん元気か?」

「うん、元気だよ。ちゃーちゃんどうしたの?なんかあったの?」

「なんもないよ。ほなまたな。」

「ちゃーちゃんはさみしくなって電話してきたんだろうな」と思っていた。

 

 

 3~4時間ほど歩き、ビーチへ到着。

ビーチはとても綺麗だった。ビーチで一人体操座りをしながら、自分の世界に入っていると、急にホームシックにかかり、家族が恋しくなって涙が出そうになったが、めげずに堪えた。

 

何度か現地の人に話しかけてみたが、なぜか英語が伝わらなかった。

オーストラリアの英語は、海外でも特になまりが強く、『ei発音』を『ai発音』で言うので、僕が日本で習った英語がなかなか通用しなかった。例えば、エブリ『デイ』をオーストラリアの人は、『エブリダイ』と言ったりする。

 

 

 ボンダイビーチで、数日間過ごした後、次に『パース』という場所へ行くことにした。パースは、オーストラリアの西側にあり、サンセットがとても綺麗だということがわかったので、それを見るために飛行機でパースへ向かった。

 

 

◇バックパッカー生活~オーストラリア編②パース~ドレッドヘアー事件

 

 パースに到着し、空港からタクシーで、『スカボロビーチ』というところまでサンセットを見に行った。パースでのサンセットはとても綺麗だった。

 

 サンセットを見た後、パースの市街へ戻り、ピザ屋でピザを買い、道端で食べていると、現地の中学生ぐらいの男の子達が「ピザをくれ」と声を掛けてきた。

 

「まぁ中学生ぐらいだし、いいか」と思い、ピザを一切れ取り、渡そうとすると、男の子達は、僕が持っていたピザをお皿ごと盗んで走っていった。

ピザは買ったばかりで、まだ一切れしか食べていなかった。

 

「俺って騙されやすいのかな。。。旅はトラブルがつきものっていうけど、本当にトラブルばっかりだな」

 

 

 パースの市街で、ホテルを探しに歩いていると、シェアハウスが見えた。

僕はそれまで、シェハウスに泊まることは一度も経験したことがなかったので、経験のために利用することにした。

 

その夜、インターネットで、『オーストラリアで働くために必要なこと』を調べていると、どうやら現地では、『現地の携帯を持っていた方が現地の人と連絡が取りやすく、お金も掛からない』ということがわかったので、翌日、携帯ショップへ行き、使い捨てのプリペイドカードで利用できる携帯の契約をすることにした。

 

 

 翌朝、携帯ショップへ行き、英語が伝わりづらい中、なんとか携帯の契約を完了した。

 

「よーっし!これでいつでも働ける準備ができたぞ!」

 

気合を入れなおし、シェアハウスのロビーでくつろいでいると、ドレッドヘアーの若い男性が声を掛けてきた。

 

「やぁ君は日本人かい?何しにオーストラリアへ来たのかい?」

 

ドレッドヘアーの男性は、とても話しやすく、怪しい雰囲気も感じられなかったので、その男性との会話をしばらく楽しんだ。

 

 

 翌朝、シェアハウスのロビーでくつろいでいると、またドレッドヘアーの男性が声を掛けてきた。

 

「やぁおはよう!ちょっと頼みがあるんだが、、、」

 

一瞬、怪しい気配を感じ、身構えていると、ドレッドヘアーの男性は、「もし君が携帯を持っていたら、親に電話をしたいから、携帯を貸してほしい」と言ってきた。

僕は、「ここで、断る理由がないし、電話料金とか請求するのもケチだから、3分を条件に貸すことにしよう」と決めた。

 

「あぁいいよ。ただし、この携帯はプリペイドカードで、残高も少ないから、3分までにしてくれ。」と伝えた。本当は、まだ一度も電話はしていなかったので、残高はMAXに入っていた。

 

ドレッドヘアーは、「OK!わかったよ!」と満面の笑みで返事をした。

 

買ったばかりで使い方もほとんどわからない携帯を取り出し、男性に渡した瞬間、ドレッドヘアーは、僕が渡した携帯を持って、全速力で外に走って行った。

 

何が起きたかわからなかった僕は、一瞬固まった。

 

「え?これは盗まれたのか?それとも、何か理由があってどこかに走っていったのか??」

そんなことを一瞬考えたが、明らかに盗まれたという実感し、慌てて外へ出たが、ドレッドヘアーの姿はどこにも見当たらなかった。

 

 

シャアハウスの受付に、「ドレッドヘアーはまだ今日ここに泊まる?」と聞いたところ、「そんな人はもともとこのシャアハウスには泊まっていない」と言っていた。

 

「・・・最悪や。。。シェアハウスの住人だと思わせて、物を盗んだんだな。。」

 

買ったばかりの携帯と、すぐに別れのときが来てしまった。

 

それから、僕は、現地では決してプリペイドカードであろうとも携帯は契約しないことに決めた。

 

 

◇バックパッカー生活~オーストラリア編③ケアンズ~トム事件

 

 インターネットや現地の人情報から、シドニーの北側にある『ケアンズ』という場所で、『ピッキング』と呼ばれる野菜の収穫でアルバイトができ、そこには、僕と同じような『オーストラリアで働きたい日本人』がたくさんいるということがわかった。僕は、ケアンズでピッキングのアルバイトをするため、飛行機でケアンズへ向かうことにした。

 

 

 ケアンズへ到着し、市街地にある『海外から来た外国人が現地で働くための仲介業者』へ向かった。

 

仲介業者の中に入ると、日本人の女性がいた。

僕は、「現地で働くにはどうすればいいか」聞き、これまでの行き当たりばったりな旅の内容を伝えると、「アンビリーバボー。もう少ししっかりと準備をしてから、オーストラリアに来るべきだ」とひどく説教を受けた。当時の僕は、自分の力で、何かを成し遂げたいという気持ちが強く、そういった準備は自分自身の手で行うつもりでいたので、仲介業者に頼むことを初めは考えていなかった。

 

仲介業者の女性は、「仕事を紹介するためには、履歴書を書くことが必要だ」と言い、僕は慌てて履歴書を書いた。

 

 しばらくして、農家で、僕を採用してくれる所が見つかり、ホテルへ戻った僕は仕事が見つかった喜びを感じていた。

農家の場所は『ブリスベン』という、ケアンズから飛行機で片道3時間ほどの距離がある所だったが、「どこでもいいからとにかく働ければいい」と思っていた僕は、そこで働くことに決めた。

 

 

 その日の夜、晩飯を買いにスーパーへ行き、スーパーの前でタバコをふかしていると、一人の小柄な男性が僕の方に近づいてきた。

その男性と世間話をしていると、その男性は、カナダで、国際弁護士をしていて、オーストラリアでも仕事があったので、今はオーストラリアにいるようだった。

 

男の名前は『トム』と言った。

 

僕も、大学で法学を専攻し、国際弁護士を目指していたので、「こんなチャンスは二度とない」と感じ、トムから「国際弁護士の実際の業務内容や、国際弁護士の苦労や大変さを聞こう」と思い、トムとたくさん話をすることにした。トムは、カナダ人で、英語でのコミュニケーションが取りやすかった。カナダの英語は、日本で学んだ英語の発音とかなり近く、とても聞き取りやすく、英語を話したい僕にとっては、貴重な経験になった。

 

 トムとしばらく会話を楽しんでいると、トムが、「家に来てほしい」と言い出した。

僕が家に行く理由を聞くと、トムは、「シェアハウスをしていて、家には僕の友達がたくさんいるので、友達も交えて君と楽しみたい」と言ってきた。

 

一瞬、怪しい気がしたが、話を聞いていると、悪い人には見えないし、「トムの友達が、トムよりも、もっとすごい人達かもしれない」と思ったので、僕はトムの家に行くことにした。

 

 

 トムのシェアハウスに到着し、中へ入ると、換気されておらず、部屋中煙が漂っていた。部屋の中は、異様な匂いがした。僕はその瞬間、すぐに「大麻だ」と確信した。

オーストラリアでは、現地人に限り、大麻の使用は合法だった。

 

危険を感じ、僕はトムに「外で話そう」と伝えると、トムは、「だったら、君のホテルへ行こう」と言い出した。ホテルなら安心だが、「荷物だけは盗まれないようにしよう」と心に決め、ホテルに行くことにした。

 

ホテルへ向かう途中、トムは大麻を吸いながら、途中途中の店で、アルコールを買い、酒を飲みながら歩いていた。

 

 

 ホテルに到着し、先ほどの会話の続きを楽しんでいた。

 

しばらくすると、トムが真剣な顔をして、急に黙りだした。

 

「じょーじ、外を見てごらん」

 

僕は鏡側にいて、外を眺めた。

 

すると、トムはいきなり、僕のケツを触りながら、

「じょーじ、君はなんてかっこいいんだ。」「僕は実はゲイなんだ。僕は男が大好きなんだ。したい。君も男が好きだろう??」と言い出した。僕は急に獣化したトムに驚愕した。

 

「ちょっっっと待って!!!!俺は、ゲイじゃない!!女の子しか好きじゃない!!!やめてくれ!!無理無理!!」

 

電車で痴漢にあった女性の気持ちは、こういうものなのかと感じた。

 

トムは、「僕は大麻を吸って、アルコールを飲むと、ゲイになるんだ。さぁしよう。お願いだ。じょーじ」と何度も何度もしつこく迫ってきた。

 

「・・・これも経験になるのかもしれない。。いやいや、何言ってるんだ俺!馬鹿か!!オーストラリアに来て、外国人にケツ掘られましたなんて、シャレにならんぞ!笑い話にもならねぇ!俺のプライドが許さんよ。折れずに断り続けよう」

 

客観的に自分を見て、「これも経験になるかもしれない」と訳の分からない経験主義が発揮し、ほんのわずかな一瞬、許してしまいそうになったが、やはり、僕は女の子が好きだと再度考え直し、何度も迫ってくるトムを断った。

 

「帰ってくれ!頼む!!無理ーーーーー!!!」

15分程の格闘の末、ようやくトムは諦め、帰っていった。

 

「・・・あっぶねぇーーー。。。もう少しで、ケツ掘られるところだった」

 

マジで危ない経験となったケアンズの夜だった。

 

どうやら、オーストラリアは、LGBTに寛容な国で、ゲイ達は、笑顔でいつもニコニコして、マッチョな体系な男性が好みなようであった。僕は、両方とも当てはまっていたので、ゲイにモテたようだった。

 

 

◇バックパッカー生活~オーストラリア編④ブリスベン

 

 僕が採用となったアルバイト先の農家があるブリスベンへ飛行機で向かった。

農家の担当者とメールでやり取りをし、待ち合わせ場所で待っていると、僕と同じように働く予定の日本人の方が、3名ほどいた。

 

農家の経営者は、イラン人で、名前を『アレックス』と言った。アレックスには、日本人の奥さんがいるらしく、僕達の住む所は、シェアハウスで、5~10人と一緒に生活をするらしい。当日の仕事内容は、仕事がある日の前日にわかるらしく、主に、ブロッコリーやスプリングオニオン(大きな玉ねぎ)、キャロット、レタスの野菜収穫を行うようだった。業務内容は、『当日、見て覚えろ』ということだった。そして、朝4時頃、自分達が住むシェアハウスに車で迎えが来て、そのまま現場へ行き、業務終了時間になったら、迎えに来て、家まで送ってくれるようだった。報酬は野菜の種類によって、時給制や歩合制で分かれていた。

 

 

 僕が住む予定のシェアハウスに到着した。

見た目はボロボロ。こんなところに人が住んでいるのかというレベルでボロボロの建物だった。

 

中へ入ると、薄暗い部屋の中心に、インド人が3人とアフリカ人とエストニア人がいた。エストニア人の名前は、『グラント』と言い、全身毛がなく、身長が2M近くあった。アフリカ人の名前は『ブラハン』と言い、黒人のおじいちゃんだった。

 

 

 翌日朝3時に起き、迎えの車がシェアハウスに着く前に、ストックで買っておいたクッキーを食べ、迎えの車に乗り、現場に行った。その日は、スプリングオニオンの日だった。

 

業務内容は、『スプリングオニオンについた泥をジェット機能が付いたシャワーでひたすら洗い流し、洗ったスプリングオニオンをかごに詰めていく』というシンプルな内容だった。

途中途中に支配人が偵察に来て、「泥が付いている!全部やり直し!!あなたこれで何度目!」と毎回キレられながら、洗い終えたスプリングオニオンが入ったかごをひっくり返されていた。

 

昼食時間を含め、一日10分間だけ休憩をすることができ、一日10時間労働だった。そんな労働環境では、ゆっくり世間話なんてできるはずはなく、支配人は僕達労働者を『奴隷』のように扱っていた。

 

この日は、10時間働いて、80ドルしか稼ぐことができなかった。

 

 

 給料日が迫っていた。

給料日は、労働者全員が一斉にアレックス(支配人)の家に集まり、各々封筒に入った給料袋を受け取る。

アレックスの家に行くと、家の前で行列が起こっていた。

 

給料を手に入れた僕は、食料を買いに、買い物に行くことにした。

現地のスーパーへ行き、必要なものをかごに入れ、かごをレジまで持っていくと、スーパーの綺麗な女性店員に「お前はアジア人か」と声を掛けられた。

「そうだよ、俺は日本人だよ!日本って知ってる?」と話し返すと、その店員は、「お前らアジア人には、物を売らない!かごに入れたものを全て返してこい!」と言い、購入を拒否された。

 

 

その後、一緒に働いている日本人にスーパーであったことを話すと、「私も購入拒否されたことがある。田舎の人達は、昔アボリジニ人っていう民族の文化が残っているらしくて、アジア人に偏見を持つ人達がいるみたい。アボリジニ人は昔アジア人に虐殺されたみたいで、アジア人に恨みを持っているらしいよ」と言っていた。

 

スーパーで買い物ができなくなった僕は、コンビニでクッキーなどのお菓子を買って、生活するしかなかった。

 

その後、キャロットやブロッコリーなどの過酷な業務を3週間ほど行っていた頃、事件が起こる。

 

 

◇バックパッカー生活~オーストラリア編⑤ブリスベン~グラント暴走事件

 

全身毛がなく、身長が2M近くあるグラントとは、シェアハウスで同じ部屋になったこともあり、少しずつ仲良くなっていた。毎晩、仕事終わりに、リビングでグラントとアフリカ人のブラハンと『オーストラリアに来た理由や世界全体の社会問題、それぞれが思う、故郷の良いところ、悪いところ』などの話をしていた。

 

ブラハンが、口を開く。

「俺は、第三次世界大戦は近い未来起こると思うんだ。今は北朝鮮のミサイル問題があるので、それにアメリカがしびれを切らし、戦争になる。その場合、お前の国『日本』も巻き込まれるぞ。お前は戦争を経験したことがあるのか」

 

「戦争の経験はしたことはないな。これまでの日本で起こった悲惨な戦争については、俺も歴史で何度も学んではきたけど。第三次世界大戦は起こってほしくないなぁ」

僕がそう言うと、ブラハンは、自分の携帯を取り出し、携帯の画面を僕に見せてきた。

 

「ヒューッ、、ドンッ!!!」

「ダダダダダダ!!」

「キャー、ギャー、ワァー!!」

 

携帯の画面から、銃撃の音や、爆撃の音、人間が叫ぶ声が漏れていた。それは、動画ではなく、テレビ電話で繋がっていた。

「今、アフリカでは戦争が起こっている。デモに近いが、国内紛争が起こっているんだ。俺の国では、物心つく前から、銃を所持するように教育を受ける。俺の弟は、10歳の頃、銃で人を殺し、15歳の頃、戦争で死んだ。もちろん俺も銃を撃った経験がある。人を殺したことがある。これが世界のリアルな状況なのさ」

 

 

・・・・言葉が出なかった。マジの戦争映像をリアルタイムで見て、今も戦争で人を殺したり、死んでいく人々がいると思うと、震えが止まらなかった。それと同時に、日本がどれだけ安全安心な国なのかを認識し、日本人に生まれてきてよかったと心の底から感じた。

 

「こういった経験も日本だけに滞在していれば、決して経験できない経験だ」と感じた。

 

 

 リビングで話をした後、自分の部屋に戻ると、グラントが注射器を出し、自分の腕に注射をしていた。

 

「おいおい、それって覚せい剤?体に悪いからやめたほうがいいよ」

僕がそう言うと、グラントは、

 

「俺がオーストラリアに来た理由はこれだ。オーストラリアでは、大麻の使用が許されているから、覚せい剤の取り締まりも俺の祖国エストニアよりゆるいんだ。ほっとけ」

と言ってきた。

 

薬物をしている大男と一緒の部屋で眠るのは、ものすごく怖かったので、僕は、その日は、別のシェアハウスへ行き、泊まらせてもらおうと考えた。

僕が泊まるシェアハウスの近くに、日本人だけで住んでいるシェアハウスがあったので、そこへ行き、事情を話したところ、「問題ない」ということで、泊まらせてもらうことにした。日本人のみんなは、その日、お好み焼きを焼いていて、世間話をしながら楽しく晩御飯を食べていた。

 

みんなで話していると、突然、家の外でがさがさと物音がした。

 

「ん?だれか来たかな?」

 

部屋にいるみんなが耳を澄ませる。

そのとき、グラントが叫びながら、玄関を蹴破って入ってきた。

 

「じょーじはいるか!!!あいつ俺の財布を盗んでどこかに行きやがった!!!見つけたら殺してやる!!」

 

もちろん僕は、グラントの財布なんて、盗んでいない。

 

グラントの目は血走っていて、手にはサバイバルナイフを持っていた。

 

その場にいる日本人のみんなは、グラントに飛びつき、5人がかりでグラントを押さえていた。

 

「じょーじ逃げろ!!こいつラリってる!!やばい!!」

 

僕はすかさず、裏口からシェアハウスを出た。

 

 

走って逃げ回っていると、近くに交番があった。

 

交番の入り口には鍵がかかっていたので、入り口で、「ヘールプ!!!男がナイフを持って俺を殺そうとしていて、追ってきているんだ!!」と言うと、警察官は、「お前アジア人か?」と聞いてきた。

 

「そうだよ、日本人だよ!そんなこといいから早く助けてくれよ!」

僕がそう言うと、警察官は、

 

「今日の業務時間は終了だ。」

と言って、扉を閉めた。

 

それから何度叫んでも、僕の応答に答えてくれなかった。

 

「アジア人だからって、警察官が困っている人を助けないとか狂ってるだろ!!」

僕はそう思いながら、草むらで一人でおびえていた。すると、一人の日本人の女の子が、僕の方に近寄ってきた。

 

「大丈夫?状況さっき聞いたんだけど、私の家に泊まる?」

 

女神が降臨してきたんじゃないかと思うほどの感動を覚えた。

 

 

その日は、その女の子が泊まるシェアハウスに泊まらせてもらうことになった。

女の子の名前は『ちーちゃん』と言った。

 

ちーちゃんが泊まるシェアハウスに着き、気持ちを落ち着かせながら、世間話をしていた。そのシェアハウスに泊まっている人達は、みんな、この仕事や不満を持っていて、仕事をやめたいと感じていた。

 

ちーちゃんが、話す。

 

「支配人のアレックスっているじゃん?あいつに逆らったら絶対だめだよ。あいつやばいみたい。うわさで聞いたんだけど、去年、ここで働いていた日本人がアレックスの所に行って、仕事の不満を言って、仕事をやめたいって言ったら、アレックスが急に怒りだして、その子の頭からバケツで熱湯をかぶせて、その子全身やけどで入院したらしいよ」

 

「なんじゃそりゃ。バケツで熱湯かぶせるとか頭おかしいだろ」

 

グラントのこともあり、アレックスのこともあり、僕はその夜、この仕事をやめて、この町から出ることに決めた。

 

 

 次の日、仕事があったのだが、グラントがシェアハウスにいるかもしれないと思い、自分の部屋には帰らなかった。

 

僕は、仕事の時間になるまで、家の近くの草むらに隠れていた。

 

しばらくして、家に誰もいなくなったことを確認し、部屋に入り、急ぎ足で荷物をまとめ、バス乗り場まで、とにかく走った。

 

 

無事、誰にもばれずにバスに乗ることができ、どこに向かっているのかわからないバスの中で、僕は極度の安心を感じ、日本に帰ることに決めた。

 

 

・・・こうして、バックパッカー生活~オーストラリア編は幕を閉じた。

 

 

 日本では、良くも悪くも決してできない経験をオーストラリアで経験することができた。帰国後、待っているのは予想もしない現実だった。

 

 

◇天国に行ったちゃーちゃん

 

オーストラリアから帰国して、数日後のある晩、飼っていた犬の『ゴン』が急に「キャンキャン」と外で遠吠えをしていた。ゴンは、僕が小学2年生の頃に家族となった。当時、ペットショップに行ったときに、ゴンのあまりのかわいさに僕が一目惚れをして、母親にねだって飼ってもらうことになった。

ゴンは普段、とても大人しい犬で、夜キャンキャン鳴いたのは、今までで一度もなく、僕は違和感を感じていた。僕は心配になり、ゴンに近寄り、

 

「ゴン、どうしたの?なんかあったか?お腹空いたか?」

と言い、ゴンのおやつをあげたが、ゴンはいつものように嬉しそうにしっぽを振って答えてくれていたので、僕の考えすぎかなと思っていた。

 

 翌朝、ゴンは息を引き取っていた。昨晩あげたおやつは食べていなかった。

僕は、すぐに動物病院の先生に電話をし、ゴンの状況を電話で伝えたが、「死んでしまってからはどうすることもできない」と言われ、先生が言うには、死因は、老衰とのことだった。

 

「昨日のゴンの鳴き声は、最後の叫びやったんやろうな」

 

 

 ゴンが亡くなって、2・3日が経った頃、ちゃーちゃんの様子に異変を感じた。

僕の兄の名前や身近にあるものの名前が出てこなかったり、幻覚や幻聴を言うようになっていた。

ちゃーちゃんは、THE大阪のおばちゃんで、いつも明るく、笑っているおばあちゃんだったので、初めは、いつもの冗談かと思っていたが、度を超すほど何を言っているのかわからなくなり、自分ではどうすることもできなかったので、父に相談することにした。

 

父に相談した結果、ちゃーちゃんを病院に連れていくことになった。

病院で検査をしてもらうと、ちゃーちゃんは、肝硬変と糖尿病を患っていることが分かり、尿の排出がうまくいかず、アンモニアが体全体に広まり、同時にアルツハイマーを発症していた。

 

『家で介護をされたり、老人ホームに行って老人として扱われたりすることは絶対にやめてくれ』という、ちゃーちゃんの要望を聞き、自宅で生活すると決めたその日の夜、ちゃーちゃんは突然倒れ、救急車へ運ばれ、入院することになった。

 

 

入院してからは、意識はあったが、話すことはできず、目でぱちぱちと反応することしかできなくなっていた。

 

入院することになってから、一週間後、ちゃーちゃんは天国へ行ってしまった。

 

最後に

最後までご覧いただきまして、有難う御座いました!!


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