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14/5/29

Vol.1『高校で上の下クラスだった男が、プロテニスプレーヤーを目指した』話

Image by Olia Gozha


僕の波瀾万丈な人生。






その始まりは いつからだったか?

今回は、それを綴っていきたい。


具体的には、高校2年生だった当時がその始まりの様だ。


中学からテニスをやってきた、キャプテン・部長等の肩書きは背負っていなかったが、

ポジション的にはレギュラーであり、部内で1番、もしくは2番目(エースのw君とは当時の親友、かつライバル的存在)であった。


卒業アルバム↓



また、中学はそこそこの強豪校であり、団体・個人戦での上位入賞をそれなりに

していたことで有利に高校進学を決めた。

よって、高校入学後もテニス浸けの毎日と青春を謳歌するつもりだった。


しかし、入学直後にも関わらず、進学先の高校は諸事情により

部員がほぼ全員辞め、廃部寸前に追い込まれたのだ。


人数が極端に少なくなってしまい、試合にも満足に出場できない日々。。



最初こそ、「一日練習しないと、打球感を戻すのに三日かかる

分かっていたので自分は練習を続ける」

という意志の元、自宅から40分程掛かるK高まで、

サーブ等の打球練習を行うためだけに一人で通ったり、市内のテニスチームにも

参加し練習していた。


だが、部員の極端な減少で、「試合に出れない、活躍の場すら与えられない

という、どうしようも無い無念に苛(さいな)まれ続けた。


そして、その悔しさは当初、学内の定期テストに向けられた。

テニスで味わうはずだった達成感、その鬱憤(うっぷん)を、テストの成績で

晴らそうとしたのだ。


練習は続けつつも、達成感の方向性を変えたことで、

成績は学内で3〜5番をキープし、正直悪くはなかった。(約90名中)

後に進学する大学も、入試を受けずに推薦で入学出来ていたと思われる。


ただ、それは長くは続かなかった。

『やはりテニスで達成感を味わいたい。』


ここからだろうか、僕の波瀾万丈な人生が始まったのは。。




−次回に続く–






































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Image by Jukka Aalho

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