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14/5/28

華僑大富豪の懐に入ることができた最初のキッカケは「素直さ」を持っていたことだった

Image by Olia Gozha



実は、今まで周りにヒタ隠しにして来たことがある。僕は周りの誰にも言って来なかったが、とある「秘術」を使って、現役サラリーマンとしての業務。さらには、アフター5のビジネスの世界で活動して来た。


だから僕は、現役サラリーマンとしても普通の日本人では成し得なかったレベルで華僑に入り込み、華僑の本場のフィールドの中で大きな結果を叩き出すことができたし。


アフター5(ファイブ)の1日2時間程度の活動の中でも、香港とか中国本土とか、日本居住者たちから見れば人里離れた辺鄙な場所に住んでいたにも関わらず、巷の経営者たちに勝るとも劣らない結果を叩き出すことができたのだ。


僕これまで水面下でコッソリ使ってきた「秘術」とは、一体どんな「秘術」なのだろうか?


恐らく、僕と共に歩んで来た方々程疑問に思うはずだ。。。「なんでこんな普通の感じのやつが、こんなことができるのだろうか?」


大抵、僕にはじめて会った人たちは、僕のあまりにも平々凡々な普通っぷりに、「こいつはできないやつだ・・・」と先入観で決めつけてくる。


けれども、つき合っていく内に、平凡なはずの僕が、普通ではない結果を叩き出せてしまうことに、疑問を持ち始める。。。僕自身、これまで何度も体感してきたパターンである(笑)。


・なぜ、一介のサラリーマンに過ぎなかった僕が、毎日2時間ほどの副業としての活動だけで、億単位のお金を稼げるのか?


・なぜ、サラリーマンの父、地方公務員教員職の母という、平凡な家庭で生まれ育った僕が、次から次へと、本物の情報をもたらしてくれる、大富豪たちや神がかった秘伝を秘め持つ人たちを、引き寄せられるのか?


・なぜ、独立起業後も、一流のパートナーたちに囲まれて、彼らからの助けを得ることで、多くの人たちを魅了するビジネスを構築し遂行できるのか?


・なぜ、海外の僻地とも言われる辺鄙な場所に住んでいるにも関わらず、誰よりも先回りする形で、大きな人の流れが生まれる場所を読み、そこに待ち構える形で、先にビジネスを構築すできるのか?


・なぜ、大きな失敗をしながらも、致命的なレベルには至らず、失敗から得た経験を、自分の力に取り込み、新たな産みの原動力に転換できるのか?


たとえば僕が、香港大富豪や中国大富豪、100億円不動産王、物販大富豪など、数々の大富豪と巡り合い直接訓えを受けたり、グランドマスターや、黒田先生や、ドクターサイなど各道での異常な能力を持つ方々と巡りあい直接訓えを受けたり、サラリーマンでありながら@SOHOを一人で構築した鬼才平城寿さんと盟友としてパートナーシップを組んだり。これらの、事実だけでも、冷静に考えただけでも、引き寄せ具合が普通ではないと理解頂けるはずだ。


特別な家庭に生まれ育ったわけでもなく、威圧感も凄みも無い、一見どこでもいる、どちらかと言うと影の薄い普通の人間にしか見えない僕が、よいしょよいしょでは、特別な力を発揮して結果を叩き出せるのはなぜか?


種(タネ)の無い手品が無いように・・・当然ながらこれらの結果を出せた背景には、カラクリのようなものが存在する。


・・・僕は「華僑大富豪」たちから「秘術」を学び、それを活用して来たのだ。


そして、その「秘術」は・・・実は「華僑」と呼ばれる人たちから直接教わって来たのだ。2003年~2010年までの間「華僑」の中でも特に、大富豪として暗躍している方々から直接。


「郷に入れば郷に従え」。僕はこの「華僑の大富豪」たちから教わった「秘術」を、そのまま使ってみることで、本業の中ではさらに深く「華僑」の中に入り込み、アフター5の活動の中でも、通常なら決して出会うことのない方々を引き寄せたり、大きな結果を叩きだしたり、前進するための力とすることができたわけである。


・「華僑」に入り込んだ
 ↓   ↓   ↓ 
・「華僑」から教わるようになった
 ↓   ↓   ↓ 
・「華僑」とのやりとりで活かした
 ↓   ↓   ↓ 
・「華僑」の懐にもっと入り込めるようになった
 ↓   ↓   ↓ 
・「華僑」からさらに深く教わるようになった
 ↓   ↓   ↓ 
・「華僑」とのやりとりで活かした
 ↓   ↓   ↓ 
・「華僑」の懐にもっと入り込めるようになった
 ↓   ↓   ↓ 
・「華僑」からさらに深く教わるようになった
 ↓   ↓   ↓ 
<<以降繰り返し>>

簡単に図式化すると、こういう具合である。


これまで「秘術」に特化する形で語って来なかったのは、それぞれの出元が違っていたこともあり、全ての「秘術」がバラバラになっていて、体系化されていなかったからだ。


ところが、ここに来て、2003年~2010年の「華僑」の懐での活動の中で、「華僑大富豪」たちからバラバラに教わったことが、ようやく体系化できた。


2013年にとある物理法則を理解して以来、それまで点と点になっていた全ての「秘術」をつなぐことができ、システムとして体系化することができたのだ。


まあ、それも、もっと早くやろうと思えばできたのだけど、ご存知のように、現役サラリーマンを引退してからは、豪遊と暴飲暴食がたたり、100キロ超の贅肉デブに。。やる気も継続力も皆無の状態、ほぼ惰性で生きていたので、あえて新しいことを立ち上げようとは思っていなかったのだ。


でも、今は違う。「双龍門」第76代掌門(継承者)グランドマスター黄龍英先生の治療によって、ボロボロになっていた肝臓を治療。食事、生活習慣、ジョジョの奇妙な冒険に出てくるような特殊な呼吸法のお陰で、100キロ超あった体重は74キロになり、体重が減るのと同時に、全ての症状が良くなった。


そんな中で、万全の体調であると実感すると共に、やる気が最高潮になり。僕が本当にやりたいことは何なのか?それが明確に頭の中に浮かぶようになった。


その一つが、僕が2003年~2010年の香港・マカオ・台湾・中国本土・・・などの華僑圏の活動のなかで習得した「華僑大富豪」たちが密かに活用「秘術」を体系化し、僕の仲間たちに伝授することだ。


やる気や継続力、集中力の元となる、肝臓と腎臓が強くなって来たので、僕がこれまで「華僑大富豪」たちから学んで来た「秘術」を、ようやくシステムとして体系化することができるようになった。


僕がこれから明かしていく「秘術」が、僕からメッセージを受け取る周りの仲間達にとってどういう反応になるのか分からないけれども。勇気を振り絞って「秘術」を公開する決意を固めることにした。


「秘術」の中に、日本人が「倭僑」として「華僑」たちと対等にやりあえるようになれるヒントが隠されていると思うから。


ビジネスにしろ、投資にしろ、仮にこれを知らない状態で、世界というフィールドで戦おうとすれば、ONE PIECE(ワンピース)で言えば、普通の人たちが「覇気使い」に正面から立ち向かおうとするようなもの。

HUNTERXHUNTERで言えば、普通の人たちが「念」を使いこなす人たちに正面から立ち向かおうとするようなもの。

ありえない位、不利な戦いを強いられることになる。だから、僕と同年代の日本人が「倭僑」として立上り、本当の意味で世界で活躍できるようになるためには絶対に必要だと考え、意を決して公開する決意を固めたのだ。


僕の知る「秘術」の正体を知ってもらうために、まずは僕が「秘術」を本格的に体得することになった、その経緯をお話して行きたいと思う。


最初は、そもそもどうやって僕は、日本で生まれ育った日本人でありながら、「華僑」たちの懐に入り込むことができたのか?


この部分からお話していこうと思う。



▼華僑大富豪たちに受け入れられた最初のキッカケ


僕は2003年に生まれて初めてアジアの地を踏んだ。当時勤務していた玩具メーカーの営業&マーケティング担当として、会社からの辞令を受けて、香港支社に赴任することになったのがキッカケだった。


香港赴任後初の任務。


香港にあるトイザらス、ジャスコ(現・イオン)、ユニー(現・アピタ)などの、代表的な売場を見に行った時のこと。売場を歩いていて違和感を感じた。


それは・・・僕が勤務していた製造メーカーの商品が、米国デザインの商品パッケージで、棚に陳列されていたからだ。


商品のパッケージの上部を確認したところ、埃がかぶり、現地のお客様に購入いただいている様子は無かった。



▼香港人と日本人の感性は違うのですか?


香港の販売代理店オーナーとの商談の時、売場で撮影した写真を撮影、プリントアウトしていた資料を差し出して、素直に聴いてみたのだ。

日本で販売されている商品の、売場での陳列例の写真を差し出しながらたずねた。

孔明「「香港の売場を始めて見て驚きました!香港人と日本人、僕たちは一見これほどまでに、似ている人種なのに、香港の方々は、日本人と全く文化が違うのですね!日本ではこの手の米国風デザインの商品パッケージは全くうけないのですが・・・。(英語)」」

香港代理店オーナー「「香港人だって日本人と同じだよ。本来はコッチの日本版パッケージの方が好きに決まっているじゃないか!米国版のパッケージは私もナンセンスだと思っていたよ。(英語)」」

孔明「「え?香港の方々も同じように思うのですか?それなら、なぜ今まで日本版の商品パッケージにしなかったのですか?(英語)」」

香港代理店オーナー「「え?そんなことできるの?今まで子供向けの商品は米国版のパッケージしか海外では提供できないと、過去の担当者たちから聴いていたから・・・。(英語)」」

孔明「「当然可能ですよ。ただし、その分、アジアだけで工場への最小発注数量だけは、必ずクリアする必要はありますけどね(笑)(英語)」」


当時、ようやく英語を使って一人で商談できるようになったばかりの頃だったのだが(TOEIC265点だった)、片言の英語を駆使しながらも、それまで米国版パッケージで展開されていた商品を、日本風商品パッケージにして、販売することが決定した。


「日本風」というのは、商品パッケージの背面や、商品情報など、大部分は英語なのだけれども、表から見たテイストが「日本版パッケージ」っぽい。。。という、日本版商品パッケージと、英語版パッケージを融合させたような形。それまで無かったアジアオリジナルの商品パッケージだった。


ただし、これを実現化させるためには、最小発注数量をクリアしないければならないので、香港以外のアジア各国の販売代理店にも協力頂き、今までよりも多くの注文を頂戴することになったのだが。。



▼日本風パッケージの商品が飛ぶように売れた


そして・・・商品と連動したテレビ番組の放映と共に、日本風パッケージの商品を、実際に売場に並べて販売開始してみたところ・・・。凄いことが起こってしまった。


商品の選定も良かったのだと思う。まだクリスマス商戦にもなっていない、平月の週末なのに、各売場では、次から次へと日本版パッケージの商品を香港現地のお客様が手に取り買って頂けた。


香港だけではないらしい・・・なんと、香港から逆に並行輸入という形で、面白いパッケージの商品として、日本にも流れて行ってしまったらしい。。。


香港代理店の営業ダイレクターからも、僕の携帯電話に直接連絡があり。週明けに追加生産をかけるための緊急ミーティングを開催することになった。


僕が香港に赴任して最初にやったこと。それまで「海外で」「英語だから」という理由だけで、米国向けに作られた商品と、全く同じパッケージの商品ラインになっていたところを、日本風商品パッケージに変更したことだけ。


これを、可能な限り全ての新商品に対して、徹底的に行っただけなのだ。


実際にやったことはそれだけ。商品の中身自体は変わらず、商品パッケージの変更だけで、商品は売場という売場で、飛ぶように売れた。


商品の良さ、本来持つ世界観を、日本独特の文化の結晶である商品パッケージを通して、香港現地の方々に理解してもらうことができたのだ。


香港だけでは無い。同じく日本風デザインのパッケージに同意してくれた他の国。当時僕が香港から営業&マーケティングとしての担当していた、台湾、中国本土、タイ、ベトナム・・・などの他のアジア各国と地域でも、売場での販売具合が跳ね上がった。


なぜか日本にも、「香港版」として逆流して輸入されるようになって、ヤフオクとかでもカテゴリーができはじめた。


それまでも、大人向けの商品は、日本語版そのままの商品で、買って頂けることが確認されていたが、子供向けの商品では、「現地の子供たちは日本の文化を理解できず買ってもらえない。」とされていた。


結果、商品パッケージを、日本独自のデザインを活かしながら、英語を組み込む。。。ローカライズ(現地化)を行ったことで、アジア各国の子供たちにも、日本から来た商品として、購入頂けることが分かったのだ。


その年・・・僕は香港赴任初年度でありながら、過去最高記録の売上・利益の結果を叩きだすことができ、本社で表彰された。どちらかと言うと、約4年間、日本の本社で勤務していた時の僕は、うだつがあがらないダメダメ社員で、表彰など夢のまた夢だった。


この手の表彰を受けたのは、社会人になってはじめてだったので、「記念の盾」を家宝として大切に、押入れの棚の上に飾っていた(今でもある。笑)。



▼日本人自体が日本の文化を理解できずに起こる機会ロス


挙げたのはあまりにも分かりやすく単純な例だが、時として日本の文化というものは、伝える側の日本人自体が、ポイントを良く理解していないことがある。


異国だから、海外だから、アジアだから、僕たち日本人自らが勝手に創り出してしまった、「海外は日本とは違う」という先入観によって、思考を止めてしまうことがある。


たとえば、日本の昔ながらのメーカーに良くあることだが、「メーカーにはメーカーのプライドがある。メーカーは商品のことは、メーカー自身が全て決めることが重要だ!」これが、大多数の日本のメーカーの人間の脳内を占めるセオリーだったりする。


結果、メーカーの人間が、あくまでも日本国内で培った過去の常識を元に、海外に展開をしようとするわけで・・・結果として現地との接点を全く見出すことができないまま、推し進めてしまっていたりするわけだ。

「「アジアではこの商品は売れないね・・・。」」


商品を対象国に販売した製造メーカーの担当者が「アジアでは売れない」と決めつけてしまい。

現地代理店「「日本の商品は日本をよく理解しているお客様じゃないと買わない。」」


商品を日本の製造メーカーから購入して、現地で販売する販売代理店側も、「日本の商品はごく一部の日本フリーク(マニア)しか理解しない」と決めつけてしまうようになる。


結果として、本来日本の製造メーカーが培ってきた素晴らしい文化が元になって創られた商品を、アジア各国の現地の方々に理解してもらう機会を損失してしまうのだ。


だから僕は、本来その商品(モノ・情報・サービス)そのものが持つ、日本の文化特有の世界観や設定などを大切にしながら、アジア各国現地の方々との最良の接点を探り、本当に「現地化」する形で、現地に伝承して行きたい。。。というスタンスの元、香港での業務に取り組んだ。


「メーカーの常識」ではなく、あくまでも培ってきた文化を現地化させるために。現地で「素直」に思ったこと、感じたことを、販売代理店に確認を取りながら、その中でのやりとりで出てきた妥協点というものを、疑うこと無く実行したことで、突破口を見出したわけだ。


まあ、キーマンとか呼ばれる方々がたまたま異動になっていたりの入れ替わり人事で。結果として、香港に赴任したばかりの、当時の直接の上司が、タイ人とシンガポール人で、「なんでもやっていいよ!」状態だったのが恵まれていた。


それでも引き続き周りの日本人系の諸先輩方からは、「メーカーの人間が客の言いなりになるなよ!」とかの決まり文句は、引き続き教わり続けたが、「ハイ!」と返事だけして、頭のなかでは完全に無視していた。


結果的に・・・この一つのアクションによって、当時僕はまだ、片言の英語しか話せなかったにも関わらず、香港代理店のオーナーをはじめ、アジア各国の代理店のオーナーたちから信頼を勝ち取ることができた。


「素直さ」をアピールできただけでなく、その「素直さ」が金(かね)を生み出すのに直結したので、それは正直ラッキーだった。


香港代理店のオーナー、並びに、アジア各国の代理店のオーナーたち。つまり、華僑系の大富豪たちの心の扉を開き、懐に入れてもらうことに成功した重要な一手となった。



▼現役サラリーマンを続けていると忘れてしまいがちなこと


日本の良い大学を卒業し、大手と呼ばれる会社の中で、現役サラリーマンとしての活動を続ければ続ける程、陥りがちな落とし穴がある。


それは、「素直に感じた問題を問題と捉えること。」「問題をお客様視点で捉えてみること。」だ。


大卒で大手・・・この環境にからの延長で会社に身をおいていると、周りもそういう人種で固められていると、「ある意味での自我」が強くなり自分本位な考えが植え付けられてしまうのだろう。


「大手メーカーの人間」そのプライドだけが高くなり、自己中心的な考え方に陥りがちになる。


僕も日本の本社で4年間働いていたが、その4年目最後の年に配属された、営業統括部という約70名も営業だけが押し込まれた状態でいる部署に配属されてしまった時、上司や先輩たちから無理やりこの思想を植え付けられそうになった。


けれども、入社したばかりの頃に、たまたま僕に営業のイロハを教えてくれていた上司・先輩たちの思想がすばらしく、そしての方々の考えの方がが正しいと思い込んでいたため、思想を受け入れることはなかった。


その素晴らしい上司・先輩たちの多くは・・・創業一族ではなく、外から来た銀行系の方が社長になってから始まった、残酷なる大量リストラによって、ほとんどいなくなってしまわれたのだが。。。


思想が合わない。。。その結果・・・約70名も営業だけがいる部署の中では、完全に立場や存在感を失い・・・単なる役立たずの人間になった。


会社を辞めるか?それとも、英語をしゃべれないけど(当時TOEIC265点)、逃げることを優先に海外に高飛びするか?と思っていたところ、様々な偶然も重なり、香港に脱出を図ることができたわけだが・・・。


僕が赴任する前の香港の担当者たちも皆、「大卒で大手」特有のプライドのようなものがあったようで、あくまでも日本のメーカー主体の「正義」や「ルール」のもの、ビジネス活動をしていたらしい。


だから、今一つ「華僑」が客先となるアジア市場で伸び悩んでしまっていたのだ。


けれども、僕は「素直さ」を忘れずに持つことができていたために、思った事をそのままお客様に聴き、お客様の意見を取り入れることで、初年度から大きく当てることができた。


さらには、それまで何年間も担当してこられた諸先輩たちよりも、「華僑」の深い部分に飛び込むことに成功したのだ。


「販売代理店VSメーカーの担当」という垣根を超えて、「華僑VS日本人」という垣根も超えて、「人VS人」という形で、プライベートを含めて語り合えるキッカケを手に入れたのだ。


後から、まさかこれがキッカケで、彼ら華僑大富豪たちから直接、様々な「秘術」を教わることになるなど、この時は想像もしていなかったわけだが。。。


追伸


巷にも「華僑大富豪の訓え」と呼ばれるようなものが出回っているが。「華僑大富豪の訓え」には、絶対に欠かせない「とある物理法則」が絡んでいる。


本物の「華僑大富豪の訓え」かどうかを見抜くためには、この「とある物理法則」が含まれているか?「とある物理法則」に基づいて構築されているものか?これを確認する必要がある。


これが無いものはアンコが入っていない「どら焼き」ほど嘘っぱちということになる。


僕のお話を聞いてもらう内に、この「とある物理法則」とは一体どのようなものなのか?これも、理解頂けることと思う。

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