
○いきなり質問!
再来月に引っ越しのため、部屋の掃除しているあなた!
こんなボロボロで仕えないゲーム機を発見した場合、どうしますか?
A. ゴミとして捨てます。
B. どっかに売ります。
C.私はゲーム機に興味なし!こんな汚いものを触れません!
.
.
.
.
.
.
.
.
<Aを選んだあなた>
それはちょっともったいない事をしたかもしれません。
千円札をトレイに流された事と同じです。
<Bを選んだあなた>
もしゲーム店やリサイクルショップへ持って無料処分された場合、ご愁傷さまです。
なぜなら、壊れたPS2(ソニー社 プレイステーション2)は今のヤフーオークションでも、2、3000円で売れるかもしれません。
2,3年前でしたら、壊れたPS2本体のみでもヤフオクで最高4800円ぐらい値段で売れました。
<Cを選んだあなた>
ふーむ、これからの話は、人見知りのおっさんの奮闘記ですけど。。。
じゃ、Cを選んだ貴方のために、特別に内容を面白く書いてみますから、よんでみてください。
へい、ヨメヨメ詐欺です。(これ2014年流行語大賞を狙えますかな?)
○知っていますか?壊れたゲーム機の価値?
絶対店に出せない状態のゲーム機(見た目ボロボロ、不良品、付属品なし本体のみ)ですが、海外の経済発展途上国の人に喜んで使われているかしっていますか?
日本では、毎年大体15万〜20万台のプレステーション2 (PS2) が回収されて、海外に輸出されました。
昔あまり知られていなかったリユースビジネスのため、海外輸出専門の回収業者にとってとても美味しい商売でした。

(20ftコンテナに3〜4千台のPS2を詰めれれば、総額1000万円の商品がはいったコンテナに!)
PS2の他に、不要になった型落ちの中古ゲーム(XBOX、初代PS、一部の携帯型ゲーム機)は、壊れても東南アジアや中国や南米や中東に需要があります。
初代PSは、未だに紛争中のアフガニスタンとイラクにもニーズがあります。
XBOXは、なぜか東南アジアでママさんのバーのカラオケマシンとして活躍と聞きました。
現地のひとに修理すしてもらえば、型落ちゲーム機は現役としてバリバリ稼働中!

(タイの「ゲーム屋」さんの風景、「修理」すればすぐ売れるdesu!)
海外では、中古PS2の厚型は結構人気です。需要が安定しています。
もともと、ゲームのタイトル数が多く、本体が頑丈で簡単に修理できる仕組みになっています。
長い年月が立っても、うってよし!守ってよし!
まるで中古ゲーム機の.....イ○ロー的な存在ですか?
個人の推定ですが、こんな日本の型落ち家庭用ゲーム機とジャンク状態のゲーム機の市場規模はおよそ10〜20億円ぐらいと推測されます。
中古の市場規模にしては、ちっちゃいです。
そのため、リサイクル業界の中で、型落ちゲーム機の商売はニッチマーケットだと言われています。
まさにボクシング階級のフライ級です。
ちなみに、リサイクル業界のヘビー級は貴金属・ジュエリーとブランド品です。
(中古貴金属の市場規模は3500億円で、中古ブランド品は2500億円ですから。)
○こんなニッチマーケットに参入した素人の私は....
こんな私ですが、リサイクル業界について知識ゼロからわずか2年間で日本一の型落ちゲーム機の回収事業をつくりました。
年商3億円の事業をつくりました。
私がリサイクル業界のフライ級王者になりました。
本当は運がいいだけです。(後ほど説明します)
この仕事とリサイクル業界に関わる事は本当に偶然しかおもいせんでした。
たまたまdaijobの求人サイトで「シンガポールの企業が日本で中古ゲーム機の事業部の立ち上げる責任者大募集!」の案件を見かけました。
自分はゲーム好きだし、なんか社会貢献できるビジネスだし、仕事内容もすごく面白いし、とりあえず応募してみました。
.
.
この面接へいく前に、ちょっと「自分探しの旅」をして、2年間10件以上アルバイトをやりまくりました。
いろんな面白いそうな仕事を楽しくしてきましたが、虚しさを感じました。
当時の私は、いったいなにをやりたいか自分の生き方に迷っていました。
.
.
面接にいったら、驚きのオンパレードでした。
一次面接はシンガポール会社の創業者(=会長さん)の登場です。
(いきなりラスボスですか!?)
年齢は私より二つ上だけです。すごいエネルギーが溢れる方です。
話を聞くと、本当にすごい人だとわかりました。
・起業後一年間以内に事業の黒字化を果たし、3年連続優良中小企業に選ばれました。
・社員数が20名の会社の年商はなんと、20億円を超えました。(シンガポールの生活物価は日本の半分ぐらいなので、年商35〜40億円規模の日本企業とイメージしていただければよいです。)
・毎月○万アメリカドルをお世話になった国の慈善事業団体さんに寄付し、社長室にいろんな国の団体さんから感謝状が届きました。
会長さんの謙虚な姿勢と中古事業への熱い思いが一番印象的でした。
年商20億円以上を稼ぐ人にみえませんでした。
ジムのインストラクターに見えました。
その時、私は思いました:
なぜ(当時)35才の彼がそこまで成功して、大学院卒業の私は未だに人生を迷っているか、その違いを知りたいです。
すぐ彼の下で働いてみたいとアピールしました。
(面接の後、一回に不採用の通知がいただきましたが、こっちが粘りと情熱を見せて奇跡の採用を果たしたエピソードがありました。)
そして採用された時、会長さんにはこういわれました。
「採用おめでとう!では、事務所を探してこい」!
そうか、前会った場所はレンタルオフィスでした。
事業の立ち上げというより、起業に近い形で仕事をスタートしました。
仕事について大変苦労しました。途中で失敗やピンチを経験しました。
この出会いは私の人生の最大ターニングポイントになりました。
学んだ事がおおかったです。
会長さんはこんな私に大きい仕事を任される事にすごく感謝しています。
○どんな苦労したか ?
・その1・ゴミ置き場での「救助活動」
中古事業が成功するまえに、ちょっと訳があって苦戦に強いられる時期がありました。
半年間をかけて集めたゲーム機は...数十万円分しかあつまっていませんでした。
(そこに理由がありますが、長い話になるため、割愛させていただきます)
いつもニコニコしているシンガポール本部の会長さんは、大魔神モードONでした。

営業の外回りにゴミ置き場からPS2の化粧を見かけたときに、思わずゴミ置き場の方へタイプして箱の中身をチェックした事がありました。殆どスカです。
一回はPS2コントローラーがみつかり、喜んで持ち帰りました。
(よいこ、真似しないでください。)
回収金額100円のPS2コントローラーでした。
でも、わくわくしました。
子供頃公園でピー玉か綺麗な石を拾った喜びでした。
翌週の営業報告ミーディングで回収結果を報告したら、会長さんは極・大魔神モードでした。
・その2・自転車でゲーム機本体を回収しにいく
時に営業先のリサイクルショップのオーナーに私が直接に取りにこないと、ゲーム機を譲らないといわれました。
そうですね〜 いきなり変な外人さんの営業電話をかけて来て、警戒されるでしょう。
そのため、自転車営業(直接営業訪問)は必要です。
一回16台のPS2 (合計35キロぐらいかな) を回収するため、自転車である商店街のリサイクルショップへ訪れました。
自転車の左右のハンドルに2台ずつのPS2をぶら下げ、登山用リック・サックに12台のPS2を詰めて持ち帰りました。
重いです。
とにかく重いです。
中華雑技団のミニverでした。

あまりに異様な風景でした、商店街のおじちゃんとおばあちゃんにじーと見つめられました。
こっちが恥ずかしさをごまかすため、チャゲアスの「YAH YAH YAH」の鼻歌で商店街エリアを脱出しました。(今思えば、余計恥ずかしい格好に....)
我が愛車もうちの鼻歌にあわせるように「ぎーぎーぎー」の悲鳴をあげました。
リサイクルショップの信用をえるために、事業立ち上げの初期はしばらく自転車営業&回収しました。
(そのあと、我が愛車が私からにげたように行方不明に..... 駐輪違反で回収された。T_T)
・その3・徹夜して倉庫のパレットの上で寝ることに

(この種類のパレットの上に寝ました)
商品の検品作業がうまくいかないため、徹夜して倉庫のパレットの上で寝たことがありました。
何回数えても、数があいません。
終電を逃しました。
徹夜決定。
最後は疲れ果てて、パレットの上で寝てしまいました。
朝を迎えたら、顔にパレットの「網マーク」が....。
結局、検品数が合わない件で、シンガポール本部の経理と会長さんに怒鳴られました。
検品作業がうまく行かない時、PS2を数える悪夢をみました。
・その4・食中毒事件
商品を片付けた後、手洗いせずコンピにのにぎりを食べたら、食中毒になりました。
回収した型落ちゲーム機のなかでは、マジ汚いやつがはいっています。
なんか〇〇まみれのPS2を貰った事がありました。
ゴキブリや砂が入ったPS2本体ももらったことがあります。
回収業者に聞くと、そういうゲーム機は山の奥で見つかったか、ゴミの山から抜き出したケースがおおいです。
山の奥?WHY?
まさに野生化したPS2ですね。。。ワイルドだぜぇ〜
とりあえず、食事する前にちゃんと手を洗ってくださいね!

いろいろな失敗と苦労を味わいましたが、意外に苦になりませんでした。
逆に「やってやるぞ」の気持ちが強く、最後はピンチを楽しむ変態になりました。
○自らリサイクル業界の「フライ級王者」を名乗る根拠は?
年間3億円分の型落ちゲームを回収しましたから。
当時の日本最大の家電回収業者(年商87億円のキャリア20年の大先輩)ですら、年間日本円1億強分の型落ちゲームしかあつまっていませんでした。
数千万円分の型落ちゲームが回収できたら、もうすごいぞと業界の「先輩」にいわれました。
つまり、このニッチマーケットの王者になるため、最低年間日本円2億強分以上ののゲーム機を回収しなければなりません。
うちはわずか2年で年間3億円分以上が回収できた事は、型落ちゲーム機回収の日本制覇に等しいです。
ちなみに、その年で回収されたPS2は11万台を越えました。
日本から海外へ輸出する中古PS2の半分以上は、うちの愛情をこめて出荷されました。
あと、型落ちゲーム機の回収業者のドンたちと業務提携していただきました。
その結果、うちの回収ネットワークが一気に拡大しました。
もう終電とか徹夜しなくてもいいです。
会社の人数は私ひとりから10名まで増えました。
得意分野をもつ仲間とスタッフが増え、新しい事業も展開しました。
もうこっちが新規開拓営業をしなくてもいい。
毎週必ず誰かさんの紹介で取引希望のメールが届きました。
会長さんの顔が仏モードになってくれて良かったです。
もう自転車営業しなくてもいい。
毎日数百台のゲーム機が面白いほどに届きました。
日本全国の営業訪問が楽しくてしょうがないです。
ひと月4千500万円分のゲーム機を回収された記録をだしました。
翌年年間4億円分の型落ちゲーム機の回収は射程範囲に。
.
.
その最高回収記録を出した報告を受けた私は、会社をやめる事を決意しました。
突然の引退宣言で、周囲を驚かせました。

○ なぜやめたか?
基本的にこのふたつの理由です。
1。事業を立ち上げた目標をすべて達成しました。
入社初日に、会長さんから事業の目標をききました。
その1)中古ゲーム機の回収業者のトップになる事、
その2)月間4千万円分のゲーム機を回収する事です。(後ほど2千万へ調整)
しかも、1年以内に達成しろといわれました。
それをきいた私は.....
私「むちゃです!1年以内に達成するとはありえません!せめて5年後の目標にしてください...」
会長「この返事を聞くためにあんたを採用していませんよ。はははー(殺気)」
私「失礼しました。(汗) しかし....No.1になることは、時間が必要ではないか?」
会長「いい?私は35才です。おそらくあと20年、いや、15年間ぐらいしか頑張れません。私の夢は我が社を世界へ発展する事です。日本は第一号海外拠点を選びました。」
会長「私が頑張れる時間の3分の1はここに費やしたら、夢は本当に夢に終わりました。はやくこの事業を成功させて、次のステップへ進まないといけません。あんたなら出来るぞ、なぁ!たのむぞ!」
私「..... (さすが会長さん、考える次元が全然違う)」
私「(でもやるのは俺じゃん!そんな無茶な!!!)」
本当に絶対無理だべと思いました。
これは、会長さん(=すごい人)と私(=普通の人)の一番大きい違いだと、後ほどよく実感する事になりました。
立ち上げの目標を達成した時、会長さんへの恩返しと責任を果たしたと感じました。
(補足:市場を調査し当時のNO.1の回収業者の実績を確認した後、月4千万→月2千万目標へ調整しました。会長さんは大きいビジョーンを持て、柔軟に考える方です。でもまさか本当に4千万以上を超えたとは....)
優秀なスタッフがいて、私がいなくても事業が進むので、やめても大丈夫です。
次はヘビー級(中古ブランド)へ挑戦を提案しましたが、本部の事業方針ではないから断念。
基本的にここでやりたいことも全部出し切りました。
燃えたよ・・・燃え尽きた・・・真っ白にな ・・・

そのタイミングで退職した事は、自分はもっと高いところへいけるか挑戦したくなっただけです。
2。20年前に放置した夢を実現したくなりました

事業を立ち上げのおかげて、いろんなモノを学びました。
一番学んだ事は、目標実現へ対する執着心とモチベーションの維持方法です。
やはり本気でやってやるモチベーションはすざましいパワが生まれる。
当時の自分のモチベーションは、この事業は非常に立派なモノだと感じ、純粋に突進しました。
こんな勢いで、営業先は私の事を気に入って、取引先になったことがありました。
環境貢献ができ、裕福ではない子供たちにゲームを楽しく遊ぶ姿を想像したら、ゴミから拾ったゲーム機でも立派な「救助活動」にみえました。(はい、良い子は絶対マネしないでください)
事業目標を達成した時、昔のことを思い出しました。
20年前、いつか自分の手で世界に売れるビデオゲームを作ろうという夢がありました。
私がつくったゲームは皆様に楽しく遊んでもらった姿をイメージしました。
大学頃、ゲーム企業のプランナーとディレクターへ募集しましたが、全滅でした。
そこで、本当にやりたいことが見つからず、適当に「面白そうな」仕事をしました。
やがて、自分の存在意義がわからなくて、無気力な20代をすごしました。
今回の起業の経験のおかげで、自分の一部を取り戻した感じがしました。
貯金があるし、立ち上げ経験もあるし、今のタイミングなら一人でも携帯ゲームがつくれるじゃないか「新生ヒストリカ」の制作プロジェクトをたちあげました。
制作プロジェクトを立上げる前に、当時話題沸騰中の大手携帯ゲーム会社への転職を狙いましたが、縁がありませんでした。(T_T)
「そうか、上がってもらう舞台がなかったら、自分の舞台を作るしかないな」と思い、35才のオッサンがゲーム制作のために起業しました。
また素人の挑戦です。
今度は携帯ゲーム業界へタイプです。
一人で。。。(分からないことが多すぎて、今過労死寸前中)
んまぁ、どんは仕事をやっても絶対苦労するから、本気で好きなやつをやって苦労すればいいじゃん。
という変態になりました。
新生ヒストリカ(ios)が5月28日にリリースしました! iphone/ipad/itouchをもっている方、ぜひダウンロードしてみてください。歴史(ストーリー)と魂(ボイス)をこめたパズルゲームです。
有名になったら、「あ、しっている。これ中古ゲームの回収屋さんが作ったゲームだ。」と自慢できます。
APP STORE: https://itunes.apple.com/jp/app/xin-shenghisutorika/id798552391?mt=8
youtube動画:https://www.youtube.com/watch?v=5yGG3j_gO6Y
TWITTERサイト: https://twitter.com/Neo_Historica
○ なぜ中古事業が成功したか
正直、運が良かっただけ
古参の回収業者はあまりこのニッチマーケットの事を考えていませんでした。
多分殆どの業者さんは、こんな小さいマーケットから3億円以上分の商材が集まるわけがないと決め込んだようです。
(だよね、私もそうおもいました。)
なぜなら、年商87億円規模の大手回収業者さんですら、1億円強分の型落ちゲーム機しか回収できませんでした。
こっちは会長さんが課せられた目標を実現するため、必死の思いで事業戦略と計画を立てて、取引先を増やす工夫やブランディングとマーケティングをおこないました。
私がやめる前に、2500店舗のリサイクルショップ&ゲーム屋さん&回収業者はうちのために型落ちの中古ゲームを回収する事になりました。
うれしい事に、今まで良品状態のゲーム機本体しか買い取らない店は、ジャンク品状態のゲーム機も回収するようになりました。
「汚れOK!付属品なしOK!壊れたゲームでも買い取れます!」ポスターをはる店が増えいました。
今までゴミ拾いに近いイメージのジャンクゲーム機の回収は、一般の人にも喜んでもらう店の買取サービスになりました。
自分がこの業界へ入ったタイミングの運がよかっただけです。
もし先に会長さんのようなNo.1を目指す回収業者さんがいたら、このストーリーが存在しません。
自分はラッキーな人です。自分の運があるほうだし。
私にチャンスと信用を下さる会長さんと取引先さんに感謝しています。
中古事業を支えてくれるスタッフたちに感謝しています。
「すごい人」の思考を見習ってみました
この仕事のおかげて、成功した起業家や上場を果たした創業期の取締役にあいました。
正直、彼らは私と変わらない人間です。
悩みをもっているし、失敗もするし、しょぼいところもあるし。
が、かれらからひとつの共通点を感じました。
彼らは、大きい目標に対して、最初から自分を縛るリミットや制限をしません。
会長さんと一緒に働いてみて3ヶ月目、会長さんと私の違いが分かってきました。
私は、最初からいろいろな事を考え、失敗しないように自分が届く範囲で目標を設定しました。
会長さんの場合、先に目標を設定して、どうやってその目標へ辿り着くか考えました。
しかもその目標は、通過点しかありません。
実は、自分は会長の目標(1年以内トップになれ)を聞いたとき、無理だと、会長を「説得」するように現状を調べて、会長さんに報告しました。
私「....以上の○○○と△△△が原因で、一年以内目標達成は難しいです。前はそのつもりで5年がほしいと言ったわけです。5年はどうしてもだめでしたら3年くださ....い....」
「却下!しかも違う!」
私「......え?」
「1年以内に目標を達成するように、どんな事をすべきかじっくり考えてやってください。本当にだめでしたら、またその時で決める。」
私「..........はい。」
「それにしても、○○○と△△△について、本当に対策なし?」
私「.............あっ!(そうでもないね)」
言われてみれば....◯◯◯と△△△の件は難題ですが、乗り越えない壁ではありません。
(その後、練った対策と事業戦略は立ち上げの成功に繋がりました。)
私は、先にいろんなことを気にして(=考える)、失敗しないようにしました。(=目標設定)
ゲームスの得点スコアに例えるなら、私は1万ポイントの獲得をめざしました。
本当は5万、10万、20万ポイントへいけるかもしれませんが、とりあえず1万ポイントにしました。
会長さんの場合、最初から100万ポイントを目指しました。(=目標設定)
そして、どうやって100万ポイントが取るように攻略しました。(=考える)
最初のトライはもしかして5万ポイントでしたが、早く再挑戦するだけの事です。
そして点数がトンドン伸びて、100万ポイントを越えました。
単純に「目標設定」と「考える」の順番が逆にすれば、見た視野が違います。
どっちがのことが先にやるか全然違い考えになります。
事業を立上げる時、私は会長さんの思考を見習いました。
とりあえず1年間以内に目標達成できるように知恵とアイディアをしぼりだしました。
もちろん失敗した事がありましたが、問題が解決できるように頑張るだけです。
会長さんに怒られたことがありました。
会長さんの怒りは仕事に対する指摘なので、有り難いです。
会長さんは成功に対して謙虚な方で、個人攻撃やいやらがせをしない人です。
私は会長さんに出会って、非常にラッキーでした。
時にひどい失敗をしたにも関わらず、私を信頼してチャンスを下さったことに感謝します。
ですから、会長さんのために事業を成功させてうれしいです。
この成功について、自分はただすごい人の思考をマネしただけです。
時々自分は「普通モード」に戻りますから。
「すごい人」の思考で行動するのは大変です。
自分はまだまだです。
別に自分は会長やすごい人のような思想レベルに達していません。
でも、おかげで視野が広がりました。

○最後に皆様に伝えたい事は?
特にないです。こっちは頑張っている身ですから。
もしかして私のように人生に迷っている人なんかいいヒントになったらいいなと思って書いたかもしれません。
とりあえず、自分の一度の人生だから、自分が納得できる生き方をしてください。
人生の方向に迷ったら、いろいろな事を体験してもよいです。
最後に伝えたい事がありますね。
もし型落ちか壊れたゲーム機(特にPS2、新しいゲーム機種)があったら、ヤフオクに出品してみてください。
ジャンクゲーム機買取OKの店へうってもいいですよ。
どっかの海外の子供さんに喜んで遊んでもらいますから、本当に捨てないでください。
特に山の奥。
野生化したPS2はごめんだぜ。
こんな文章をよんでいただき、ありがとうございます。とくにCを選んだあなた。
<後日談>

このストーリーを掲載した後、知り合いの知り合いからこの写真をいただきました。
これは、当時の私が企画した「店舗さんの買取応援します!新しい買取サービスの宣伝ポスターをあげる大作戦!」です。ラフ画と構造を描いて、優秀なイラスト師さんに仕上げていただきました。
このポスターをはる店を見かけたら、ぜひゲーム機を譲ってください。
*)皆様、このポスターか似ているポスターを見かけたら、「ジャンク品の買取を広めた仕掛人をしっているよ。しかも今ゲームをやっているよ」と自慢できます。

