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14/5/23

私のアメリカ移住 (3)

Image by Olia Gozha


離婚後、3歳の息子の手を引き渡米。私の条件下で出来たアメリカ移住。その経緯を語る、連載実話。


その後、小さな町から、宮崎市に引っ越し、学校も変わったが、

いじめに合うことも無く、大勢の新しい友達に恵まれ、順調に楽しい毎日を過ごす。

高校卒業後、大学進学を母や親戚は望んだが、お金も掛かるし、これ以上、母親への負担を増やすのは気が引けて、就職する。

しかも勉強は面倒くさいし。


就職先は、全く希望の所では無かった…親戚一同が、将来の私の結婚の為にと、大きなお世話を焼いて、当時、県のお偉いさんの一部に入っていた、母親の叔父さんに頼み込んで、私の就職先を勝手に決めて来た!


一応、面接に行ったが、全くやる気なしの面接にも関わらず、他の素直な人達を落としてでも、コネで面接にやって来た私を合格にしてくれた…


なんと言う日本社会…


が、一応、仕事を頂いた以上、精一杯自分の出来る限り、働かせて頂いた。職場でも、みんなと仲良く、毎日笑いが絶えず、全く問題無く過ごしたが、


違う…何かが違う…


将来の結婚の為や、その相手を見つける為に、私は生きて居るのでは無い!!


と、その就職先を一年で辞めて、

先ずはブテイックのバイトにつく。


母親は、ものすごーく怒った!!


安定した職場から、バイトに成ったからだ…しかも、親に相談なしで…


私は、ポジティブで無鉄砲で無計画


気持ちの向くままに行動するのが大好き


それで、間違ったり、後悔したことは、生まれて一度も無い!


親にも相談しない。


結果だけ報告する。


大事な決断は、今まで全て、自分一人で決めて来た!


自慢だ!!?


その後、東京にも、一年ちょっと住んだ。

どんな所か、田舎者なので、感じてみたかった。


感想は、私には、ぜんぜん向いていない


東京で働かれてる人達は、本当に偉いと思った。


私は、あの、混雑した重圧感に、耐えられなかった…


のんびり、海の近くの、

サーファー天国 = 宮崎が向いている


地元に戻り、デパートの中のブランドもののブテイックで接客業につく。

その後、数年後知り合った人と結婚する。


彼氏は、常に居た。


いろんな人との恋愛は楽しかった。


でも、結婚と言う経験もしてみたく成った。

結婚適齢期だったのも有る。


そんな時に、現れた人が、私と同じ誕生日の人だった。


アホみたいに、運命を感じて、結婚!


若気の至りでは無い。場数は踏んで居たので、落ち着いてみようかなあ?と思ったのだ。


結婚はトントントンと進み、その後、男の子を出産。


結婚した相手は、料理屋の息子。


地元では、老舗で、彼のお婆さんの代から続いて居た。

お婆さんの代には、総理大臣もお見えに成った事が有ると、自慢話を聞いたことがある。


彼の両親は、彼が中学生の時に離婚している。父親の暴力が原因らしい。

彼は、母親の元で育った。父親を、非常に憎んでいた。

母親を毎晩の様に、酔っ払っては、暴力を振るって殴っていたからだ…

母親は、暴力を振るわれても、子供達の将来の為、離婚せずに我慢していたが、そのうち父親に愛人が出来て、その人と一緒になる為、離婚をさせられたらしい。


が、長男で有る彼は、親が離婚していても、父親の料理屋の後取りとして、私との結婚後に、家の家業を継ぐ為に戻って行った。


その後、彼との結婚は、私の息子が1歳半の時に終わりを迎えた。


理由は、

まあ、離婚は、

どちらが悪いでは無く、

             

             どちらも悪い。


彼の父親へ対する、怒り等の愚痴を、毎日毎日聞かされ、

子供を産んだばかりで、ホルモンのバランスが、崩れに崩れていた私は、そういう事を聞くのに嫌気がさした。

器が小さく成ったのだ。


人のことをかまっていられない状態だった。

ケミストリーも、全く感じなかった。


あの、同じ誕生日のミラクルはどこに行ったのやら…


ふと、思った。


こういう環境下で、子供を育てて、息子は幸せと思うのかなあ…?


私は何をする為に、この世界にいるのか?

夢ってなんだったっけ?


息子が、1歳の時に別居、

1歳半の時に離婚が成立。


その後、シングルママと成り、仕事の毎日。


母子家庭だから、貧乏だ。


特に、実家が裕福とかでは無いから、とにかく働いた。

でも、辛いとか全く感じなかった!

離婚して、解放され、ウキウキだった!


そんなある日、私の故郷である町役場から、緊急の連絡が入る…



続く







































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