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14/5/23

私のアメリカ移住

Image by Olia Gozha

離婚後、3歳の息子の手を引き渡米。私の条件下で出来たアメリカ移住。その経緯を語る、連載実話。




私は現在、アメリカはネバダ州、ラスベガスに住んでいる。

ここに日本から移住して、15年が過ぎた。


これから、何度かに分けて、

渡米のいきさつや、色んな経験談を綴って行こうと思う。


どれ位の人達が、私の書いたものにに興味を持つかわからないけれど、


海外に住みたくても、勇気の無かった人、諦めていた人に、こう思って頂きたい、


"この状況下で、海外に移り住んだのなら、私にも出来るはずだ!"


と、


そのうちの、きっと誰かには、役立つかもしれない。



通常、日本から海外に移住する人達は、数種類の理由に分かれると思う。


*親の仕事の都合で、海外に住む。


*結婚相手の海外転勤、もしくは独身でも海外転勤で、海外に住み始める。


*転勤では無く、元々海外の企業に就職して海外に住む。


*学生として、留学目的で、海外に住む


*国際結婚で、ご主人の国に住む


*アメリカの場合、日本でアメリカの永住権抽選に応募して、当たったから、渡米する。


*ワーキングホリデー等の、時別な期間限定の労働ビザを持って、その期間だけ海外に住む。


だいたいこのようなメインの理由と条件で、海外に数年間住んだり、もしくは、移住される方が多いと思う。


私の場合、ちょっと違っていた…


現在の日本の英語教育は、小学校から始まると聞いたが、


私達の時代の日本の英語義務教育は、中学一年生から始まりだった。



中学一年生の英語の先生は、その年新任の若い M 先生。


M 先生は、丸顔にデカイ鼻が印象的。


新任の英語の先生と聞いて、カッコイイのを期待していた女子には、かなり期待外れの第一印象。


ハッキリ言って、教え方は、緊張緊張で、下手くそだった。ただでさえ、日本人にとって、外国語を習うと言うのは、難しい。先生自体は、留学された経験が有って、発音はまあ良かったものの、教え方がイマイチ優し過ぎるというか、単調だったのかもしれない。

お陰で、英語が大嫌いに成った私…


中学一年生の夏休み1ヶ月位前に、その M 先生がクラスのみんなにこう言った。


「夏休みに、アメリカやオーストラリアの一般家庭にホームステイするプランが有る。現地の生活に触れてみたい人は、僕の所に、申し込み用紙と、案内をもらいに来てくれ。費用はもちろん安くは無いが、英語を学ぶ、いい経験に成るぞ!」


えっ!ホームステイ?


海外に数週間でも住めるの?


なになに?


いってみたい!!


英語大っ嫌いの私が、なぜ、ホームステイと言う言葉に、こんなに魅力を感じたのかわからない。


早速その日、家に帰ると、母親に、今日の情報を告げる!


ものすごーく、エキサイトして、目をキラキラさせて、母親に話したのを覚えている!


ホームステイに、アメリカに行きたい!と……


が、


             答えは、即答


「うちにはそんなお金は無いよ!馬鹿馬鹿しい!」


ガーン……



私の父親は、私が、1歳8ヶ月の時に他界して居る。


母親は、一人で私を育ててきた。


実は、母親と父の年の差は、なんと26歳!!!



父は、私の母と結婚する前に、離婚経験が有り、その前妻との間に、息子が二人と、数人の愛人が居たそうだが、そのうちの一人の人は、女の子を産んで居る。


私には、腹違いの兄弟が、三人居るわけだ。


歳も私とはかなり離れている…


前妻の二人の息子のうちの弟の方に、一人息子が居た。


私はその息子の息子と同い年で、数年間、同じ学校に通った経験が有る。


これ位、母と、父は歳が離れていたのだ。



なんでも、父は、田舎では有るが、大地主の一人息子で、それはそれは財産を持って居たらしい…


土地、家、山をたくさん持って居たので、一生働かなくても食べていける状態だった。


その父は、割烹料理屋等によく通い、そこで当時働いていた、26歳も年下の私の母親に出会ったのだ!!


母の結婚は、周りから、玉の輿と言われた。地元の人で父の名前を知らない人はいない程、本当に地主だったからだ。


母は、いくら地主に嫁いだとはいえ、先立つものを何か残そうと、父親と二人で、自動車教習所を運営し始めた。


その当時、昭和の時代、うん十年前に、黒塗りの多分トヨタクラウンだかなんだかの、教習所用の車を、新車で20台以上買える程の余裕が有ったのだから、きっと、本当にお金持ちだったに違いない…



母は、若い時から、高血圧で、時々生活にも支障をきたす程、酷かったらしい。心臓にも障害が有り、20代で、心臓発作も経験して居た。


心臓発作が起きた時の為に、常に

ニトログリセリンを1条ペンダントに入れて首から下げていた。


妊娠すること自体が難しい身体だったらしく2回の流産を繰り返し、私を身ごもった。


出産は、異常に高い血圧が続き、普通分娩が不可能な状態だったらしい。


普通分娩が不可能だと、帝王切開に成るが、持病の心臓病が有る為、

麻酔がかけられない身体だったらしい。


麻酔をかけることで、高血圧の為ショック死、もしくは、心臓が止まる可能性が有り、母のコンディションでは、心臓蘇生が無理という判断だった…


今の医学ならば、なんとか麻酔の方法も有ると思うが、当時、昭和の40年代…


母子ともを守るため、当時の医者は、母のお腹のほんの表面だけ局部麻酔をして、私を無事に取り出したらしいが、


ほとんど麻酔なしでの帝王切開なので、手術室は地獄絵図だったと、病院の外で待っていた人達から聞いたことが有る。


親戚の叔母さんや叔父さんは、震え、泣いていたらしい。


父親は、余りの状況のショックに、病院の外でうずくまって居たと、叔母さんに聞いたことが有る。



やっとの想いで、自分の死をも覚悟で、私を出産した当時の母親は、とても幸せいっぱいだった…



が、それも、私を出産後、一年ちょっとで、一気に幸せの絶頂から、どん底に落とされることに成る…


続く

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