それは、僕がまだ中学2年の時のことです。
僕は教室で、いつも通り友人とたわいもない会話を楽しんでいました。
すると突然、大きな声が聞こえてきたのです。
『キモい!!』
僕は、声のした方向へ顔を向けました。
すると、一人の女子が、僕を睨みつけていたのです!
そして、気がつきました。
放たれた『キモイ』の言葉は
まぎれもなく僕のことを指しているんだと!!
正直、戸惑いました。
大勢のクラスメイトの前で、悪口を言われた劣等感……。
なによりも、プライドが心底傷つきました。
そしてこの出来事がきっかけとなり、
僕のヘタレ人生が始まったのです。
まず、周囲の人の目が怖くなりました。
特に女子です。
みんな僕のことを『キモイ』と思っているかもしれない。
心の中で恐れがどんどん膨らんでいきました。
通学時に女子とすれ違うだけでもビクビクしていたのです。
たわいもない会話で女の子が笑っているときには、
『きっと、俺の悪口を言って笑っているに違いない・・・』
いま思えば、とんだ勘違いの被害妄想ですが、
当時の僕にとっては、それが現実だったのです。
次第に、自分に自信がなくなり、
どうせ僕は『キモイ』人間なんだ……
と、マイナスの感情が溢れるようになりました。
正直、この時期が一番辛かったです。
人の目を気にして家から出ることさえ億劫になることもありました。
一般的に言うところの引きこもり状態にさえなりました。
自分のことが大嫌いでした。
自分のことが嫌で嫌で、
心の底から変わりたいと思っていました。
そうやってしばらく、悶悶とした日々を過していたのですが、
でもあるとき、ふと思ったのです。
『ここまで来たらもうこれ以上失うものはないな』
今当時のことを振り返っても、
本当にそう思うしかないぐらい人生のどん底にいたのです。
でも、
そう考えるようになってから少し気持ちが軽くなりました。
『どうせ失うものなんてないんだ。
だったら何も恐れる必要なんてないじゃないか!』
そこから自分を変えるため死に物狂いで努力しました。
もちろん女の子とろくに目も合わすことができない臆病者が
昨日、今日でいきなり変われるはずはありません。
壮絶な戦いの日々の始まりです。
誰でもない自分自身との戦い・・・
自分の中にいるヘタレを克服するための戦いの人生が幕をあけたのです。
正直、つらいことも多々ありました。
『やっぱり俺はダメなんじゃないか・・・』
心が折れそうになることも数えだしたらキリがないくらい経験しました。
というか、実際に心が折れたことが何度もありました。
しかし、それでも諦めなかったのは、”ある2つの感情”が僕を支えてくれていたからです。
この”2つの感情”のおかげで、僕は東大に合格し、さらにはカワイイ彼女まで作ることができたと思っています。
このストーリーでは、その”2つの感情”について話していくので、
最後までお付き合いいただければ幸いです。
それで、
『失うものはもう何もない』
そう考えるしかないほど
追いつめられた暗黒の中学時代を終え、
僕はめでたく、地元ではそこそこ名の知れた
公立高校に進学しました。
他に勝てるものが何一つなかったため、
勉強だけは人一倍頑張っていたのです。
中学まではスポーツができたり、
ケンカが強かったり、
話が面白かったりするやつがモテていました。
しかし、僕は小さい頃から病弱で、
スポーツに打ち込んだことはありませんでした。
そのため運動神経も悪く、
それが大きなコンプレックスになっていたので
部活はやらずに放課後は
毎日ゲーセンに通うことが楽しみの『帰宅部』でした。
でも、周りの友達は部活で毎日筋トレをしたり、
走り込んだりしてるわけですから
力の差はますます広がります。
小さい頃からケンカをして
勝ったことは一度もありません。
話も面白いか面白くないか以前に
女の子と目を合わせるだけで赤面していました。
用があって話しかけようものなら
緊張と不安で心臓が張り裂けそうになっていたのです。
そのくせ、『女なんて嫌いだ!』なんて強がる
ヘタレっぷりでしたから当然バカにされるわけです。
友人と思っていたやつにはバカにされ、
ちょっとやんちゃな奴らからは不当な扱いをうけ、
そしてとどめには女子から『キモい』と言われ・・・
『いつかこいつらを絶対に見返してやる!』
いつしかこんな感情が芽生えるようになりました。
かといって、いきなりスポーツができるようになったり、
腕っぷしが強くなったり、話が面白くなったりするわけではありません。
だから、勉強だけは必死になって頑張りました。
勉強だけが唯一の取り柄だったからです。
負けず嫌いだった性格も幸いして、
今までなんとか腐らずに生きて来れたんだと思います。
『こいつらは今は俺のことをバカにしてるけど
いつか絶対に成功してバカにしたことを後悔させてやる』
この気持ちから来るエネルギーは凄まじいものでした。
今思い返せば、あのころの気持ちが
僕の原点だったのかもしれません。
そう、これが1つ目の感情です
今でも信じられないくらい
当時は勉強していました。
もともと「できるタイプの人間」ではなかったため、
成績を伸ばすのにも人より時間がかかりました。
でも、勉強以外に取り柄がなかったので
人一倍頑張るしかなかったのです。
そして努力の甲斐あって、
見事に地域の公立校ではトップ10に入るぐらいの
進学校に入学できたのです。
同じ中学からは6人ほどその学校に進学しましたが、
誰一人としてクラスが同じになる事はありませんでしたし、
お互いに名前ぐらいは知っている程度の仲でした。
つまり、誰も自分のことを知らないのです。
もはや過去の自分を知る者は一人もいない。
僕は新たな環境を勝ち取ったのでした。
ここからが高校時代の幕開けです。
紛れも無く僕の人生にとってターニングポイントとなる
『新時代』の幕開けでした。
高校に入学する事が決まってからは
まず美容院に行くことを決意しました。
本当は薄々気づいていたのです。
自分の何が原因で女子に『キモい』と言われたのか。
まず一つ目の理由として、
僕はアニメや漫画が大好きでした。
友達と平気で誰も分からないようなマニアックなアニメのことで
盛り上がっているようなキモオタでしたから、
そりゃ当然「気持ち悪い」と思われても仕方ないのです。
また、当時の僕は一切、髪型や服装に気を使ってませんでした。
もともと天パな上に、毎日髪の毛を整えることなくボサボサのまま登校していて、
おかげでついたあだ名はブロッコリーやカリフラワーや
二つ合わせてカリッコリーなど、ろくなものがありませんでした。
また服装も「これから虫取りにでも行くんですか?」と尋ねたくなるような格好をしていました。
あのとき、もっと身だしなみに気を使っていれば、どれだけ良かっただろう?
と今では思うのですが、当時の僕はひねくれた性格をしていたものですから
素直にそれを認めることができなかったんですね。
『なんであいつらはバカ高い金を払って美容院なんかに行くんだ。
それも2、3ヶ月に一回ならまだしも毎月毎月通いやがって。
そんなことに金を使うぐらいなら
貯金したほうがよっぽどいいわ。』
本当は彼らのことが羨ましかったんだと思います。
ちょうど中学2年のときに両親が離婚し、
僕には妹が1人いるのですが、
僕と妹は母親についていきました。
母親の力というのは偉大です。
決して裕福ではありませんでしたが、
何不自由なく暮らしていました。
もちろん贅沢をすることは許されません。
人によってまちまちですが、
周りの友達は毎月親から数千円のお小遣いをもらっていました。
一方の僕はゼロです。
「0」です
だから何か欲しいと思ったら
それまで貯めていたお年玉を切り崩さなければなりません。
そんな事情があったものですから
人と比べるとかなりケチでした。
本当に欲しいと思ったもの以外、
絶対に買わなかったのです。
だから『髪型に金を使うのなんてバカらしい』と
近所の1000円でカットしてくれる床屋で髪を切っていました。
しかも3ヶ月に1回というペースです。
髪の毛が女の子みたいに
長くなることもありました。
そりゃ『キモい』と思われても当然です。
でも、当時の僕は素直じゃありませんでした。
『俺が悪いんじゃない。
人を見た目で判断するあいつらが悪いんだ
女なんか糞食らえ』と。
しかし思春期真っ盛りです。
本心ではモテたいと思っているのです。
完全なる自己矛盾ですよね。
だから余計に苦しい思いをする羽目になりました。
しかし、中学を卒業してからの僕は素直でした。
『自分を変えたい』という強い思いのもと、必死に努力しました。
まず『入学祝い』ということで母親が通っている美容院に
連れて行ってもらいました。
最初は勇気がいりましたが、
担当してくれた美容師の人はとても気さくな人で、
僕みたいなヘタレとでも楽しく会話をしてくれました。
腕も確かで海外で修行をしていたそうです。
今でも実家に帰るたびに彼に髪型を整えてもらっています。
かかりつけの美容師ですね。
今では彼に自分の近況を報告し、
お互いに将来の夢やビジョンを語り合うことが
実は僕のひそかな楽しみだったりします。
そして、彼のおかげで、それまでクセっ毛でボサボサだった髪の毛も
ようやく、まともな髪型になりました。
それでも前髪のクセだけは強かったので、
彼の強いススメもあって、
近くの電気屋でヘアアイロンを買いました。
また、それまで『ワックスをつけたら禿げる』などという
何の根拠もない馬鹿げた迷信を信じていたので、
髪型をセットするという概念はなかったのですが、
その美容師は丁寧にワックスのつけ方まで教えてくれました。
『ワックスをつけるのが当たり前なんだ』と。
自分の中の常識がいい意味で崩壊した瞬間です。
もはや『禿げませんか?』なんて
恥ずかしくて聞けません(苦笑)
美容院でワックスとヘアスプレーを買い、
家に帰るときの僕の目は
希望に満ちあふれ、輝いていたことでしょう。
あれだけ面倒くさいと思っていたことも
慣れてしまえばそれが当たり前になります。
それからはちゃんと毎朝髪をセットしました。
朝起きて顔を洗って、飯を食って、
歯を磨いて、それから髪をセットする。
買ったアイロンで前髪を伸ばし、
ワックスとスプレーで自分に合う髪型を作りました。
そして来たる高校の入学式当日、
僕は不安と期待が入り交じった
何とも言えない興奮を覚えていました。
『これから俺の新しい人生がスタートする!』
もう二度と『キモい』だなんて言われたくない。
言わせるものか!
そんな思いを胸に僕の高校生活は始まったのです。
はっきり言って入学式の時のことはほとんど覚えていません。
長ったらしい校長先生の話があったり、
部活の紹介があったり、
その後、教科書を買いに行く時間があったりと、
訳が分からないままその日が終わったような気がします。
家へ帰ってきた僕はクタクタに疲れていたのだけは覚えています。
期待と不安から来る興奮と緊張から一気に解放されたからでしょう。
その日は晩ご飯を食べ終わると
すぐに眠りに落ちました。
そして息をつく間もなくして僕の高校生活が始まったのです。
最初は授業ごとに自己紹介をさせられました。
もともと大勢の前で発表するのが苦手なため
自己紹介は苦痛でしかなかったのですが、
「失態を晒すまい」と必死に体裁を繕いました。
あとで先生に『表情が固い』と言われてしまったので、
相当緊張していたんでしょう。
ひょっとしたら周りにもその緊張が伝わっていたかもしれません。
もともと塾の知り合いや中学からの友達が同じクラスにいる人、
あるいは活発な性格の人たちは
すぐにクラス内でも仲良くなっていきました。
一方の僕は、小さい頃から人見知りで、
誰も知り合いがクラスにいないため、
しばらくは一人でお昼ご飯を食べる生活が続いたのです。
完全にスタートダッシュ失敗です。。。
そんなある日の昼休み
いつもと同じように
一人で弁当を食べようとしていた時のことです。
もうクラス内では仲のいいグループがいくつかできていたのですが、
その中でも一番大きいグループの一人が話しかけてきました。
『よかったら俺らと一緒に飯食わん?』
あまり表情には出しませんでしたが、
内心はとても嬉しかったはずです。
彼には本当に救われました。
もしそのときの彼の誘いがなければ
ずっと一人ぼっちでお昼ご飯を食べていたのかと思うとゾッとします。
彼が声をかけてくれなかったら今の自分はいなかったでしょう。
だから、感謝してもしきれないぐらいです。
その時はもちろん二言返事でみんなと一緒にご飯を食べました。
彼とはもう久しく会っていませんが
かなり仲のいい友人の一人だったのを覚えています。
そこからは早かったですね。
『自分を変えたい』『見返してやりたい』という気持ちが強かったので、
毎日ちゃんと見た目にも気を遣い、
なるべく笑顔を絶やさず、
またゲームやアニメの話題は
一切出さないようにしていました。
すると気づいた頃には友達が何人もできていました。
中学までは表面的な付き合いも多かったですが、本当に心から友達だと言える。
そんな友人に恵まれたのです。
そうこうしているうちに僕にもあだ名がつけられました。
いま思い返しても恥ずかしいあだ名だと思うのですが、
そのあだ名とは・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
『プリンス』です。
信じられます?
中学では公衆の面前で女子に『キモい』と言われた
人間が『プリンス』ですよ。
信じられないですよね。
別に自慢がしたいわけではありません。
それくらい見た目を変えることの
効果は絶大だってことを知ってもらいたいだけなんです。
よく、「女性にモテるためには第一印象が大事だ」なんて言われますが、
あれは本当なんだと確信できる出来事でした。
特別何もしていないんですよ。
やったことと言えば髪型を変えたことぐらい。
あとはアニメやゲームの話をしなくなったことぐらいか。
もちろん、たまたまいろんな条件が重なったというのもあります。
中学時代は部活をやっていませんでしたから
肌はわりと綺麗で白く、また細身だったのも一つの要因でしょう。
しかし、あり得ないですよね。
自分でも信じられないぐらいです。
女子に『キモい』とまで言われた自分が
今度は『プリンス』と呼ばれるようになったのだから。
とはいえ、それでモテるようになったかというと、
現実はそう甘くはありません。
ここまでの話だけ聞くと、僕が高校デビューを果たして、
女の子にモテまくって、充実した青春時代を謳歌したんだろうと思うかもしれません。
しかし、現実は・・・
友人はたくさんできました。
『高校の付き合いは一生の付き合い』なんて言葉がありますが、
本当にその通りで中学時代に比べればはるかに深い仲だったでしょう。
しかし、友人と聞いてわかるかもしれませんが、みんな男友達です。
女友達と言えるような仲のいい女の子は一人もいませんでした。
0ですよ。ゼロ。
どんなヘタレにだって少なくとも1人か2人ぐらいは
女友達がいるんじゃないでしょうか。
まあそれはいいとして。
当時の僕はやはり中学時代に女子に言われた『キモい』の一言が
トラウマになっていたこともあり、女の子が大の苦手でした。
女子と目が合うだけでもドキドキするし、
自分が分かる話題を目の前の女子が繰り広げていても
割って入る勇気はないし、
いざ話すことができたとしても
とにかく笑って自分の緊張をごまかすばかりで、
何をしゃべっていいかも分からず、
一向に仲が深まることはありません。
完全なる『ヘタレ』だったわけです。
それでもやっぱり『モテたい』という
気持ちはあったので、色々と頑張ってみたのですが、
そうそううまくいきません。
文化祭で頑張って仕切ってみたり
軟弱な自分を変えるために部活をやってみたり
恋愛本や心理学の本を読んでみたり
時にはかなり遠回りすることもありました。
今なら絶対にそんなことしないだろうなと思えるような
ムダなこともたくさんしました。
その経験は結果的にムダではなかったわけですが、
もし現代の僕が高校時代に戻ったら
もっと効率よく彼女を作っていたでしょう。
僕は『プリンス』というあだ名までつけてもらったにも関わらず、
どこか自信がありませんでした。
何をやっていても内心はビクビクオドオドしていたのです。
自分でもそれがなぜなのかは分かりませんでした。
負けず嫌いな性格のため、
自分の弱いところを表に出すようなことはしなかったものの、
何をやっていても満たされることはない。
そんな毎日を送っていました。
それはひょっとすると思春期特有のものなのかもしれません。
学生というのはどんなに楽しそうにしていても
心から満たされることはありませんから。
しかし、それを差し引いても
当時の僕は自分に対する評価が低かったと思います。
『いつかあいつらを見返してやる』
という感情が原点にあったので、
勉強も続けていて成績も上位をキープしていました。
そんな感情で自分が勉強していたなんて
気づいたのはもっと後になってからなんですが。
また、部活もほとんどサボることなく、
一度は下げてしまった成績もなんとか回復させ、
部活と勉強を両立していました。
そのため毎日クタクタでしたが、
少なくとも充実した毎日を送っていたはずです。
でも自信がなかった。
それは幼少期にいじめにあったことが原因かも
しれないし、親が離婚してしまったことが原因かもしれないし、
中学時代に女子に『キモい』と言われたことが原因かもしれない。
それは分からないのですが、
とにかく自信がなかったんですね。
だから彼女を作るどころか、
女子に話しかけることもできず、
女子と目が合うだけで赤面していたのです。
ひどいときにはなんだか周りの友達が
キラキラ輝いて見えることもありました。
実際にはあり得ないですよね。
だって周りはみんな同じ高校生だし、
人間生きていれば何かしら悩みは持っているはずだから。
でも、当時は本当に周囲の人間が
まばゆいばかりに輝いて見えたのです。
『みんなはこんなに充実した毎日を送っているのに
どうして俺はこんなにもみじめな人生を送っているんだろう・・・』
自信がないからうまく行かず、
またうまく行かないから自信をなくす。
完全なる被害妄想の負のスパイラルです。
そんな感じで、かなり自信のない人間だったのですが、
高校時代は恋多き時代でした。
・・・といっても、全部一方的な片思いです。
覚えているだけでも5回は失恋しました。
5連敗です。
失恋と言っても、
当時の僕に告白をする勇気なんてなく、
知らない間に好きな子に彼氏ができていて
撃沈するというのがいつものパターンでした。
まだそれだけならいいのですが、
その彼氏に限って、
いつも僕と仲のいい友達なんですね。
同じコミュニティ内だと
すぐに誰と誰が付き合ってるか
分かってしまうのでたまったもんじゃありません。
だから悔しさはいつも100倍です。
悔しくて悔しくてたまったもんじゃありません。
そして自分のふがいなさを思い知ります。
めちゃくちゃ凹みます。
その度に大きく自信をなくしていました。
無気力になってふて寝することも度々ありました。
『時間がたてば忘れるだろう』
ある種の現実逃避です。
自暴自棄になって人に迷惑をかけるよりは
はるかにマシなのですが、
問題の根本的な解決にはなりません。
その結果、5連敗もしました。
中でも一番ひどかったのが、
高校の卒業式のことです。
僕には高校生活の最後の最後まで
好きな子がいました。
とても明るく、ぽっちゃり系のカワイイ子です。
テスト前なんかにはよく勉強を教えたりして
いい感じになり、次第に彼女に惹かれるようになりました。
しかし、残念なことに告白をする勇気もなければ、
デートに誘う勇気すらありません。
普通ならせめて連絡先を・・・と思うのでしょうが、
当時はケータイすら持っていませんでした。
そして月日は流れ、あっという間に卒業式です。
『最後の最後なんだから告白しなきゃ絶対に後悔する。』
そう思って卒業式に臨んだのですが、
結局、いろいろと自分に言い訳をして
告白できずに高校生活最後の日を終えたのです。
ここまでヘタレが過ぎると
自分のことが嫌いになります。
悔しさを通り越して、自分の情けなさに呆然としながら、
校舎の窓からその子が帰っていくのを
何もできずにボーッと眺めていたのを今でも鮮明に覚えています。
ただ、卒業祝いということで、
ケータイを買ってもらっていたので
連絡先だけは交換することができました。
もちろん自分から聞く勇気なんてなく、
相手から聞いてくれたのでした。
それからしばらく連絡をとることもなかったのですが、
僕は一度東大受験に失敗していて、
でも「親に迷惑はかけられない」と自宅研修、宅浪をしていたんですね。
ただ、浪人生活を続けているとかなりストレスがたまります。
最高で一日に4回ぐらいオ○ニーすることもありました。
ちょうどパソコンも家に導入されて
ネットインフラが整ったので、
それまでの生活と比べたら天国みたいなものです。
しかし、それが災難の始まりでした。
あれは6月頃だったでしょうか。
どうしても好きだったその子のことが忘れられず、
思い切ってメールを送ることにしたのです。
ただ、それまで女子とメールなんてしたこと
ありませんでしたから、どうすればいいか分かりません。
そこでネットでいろいろと調べてみたんですね。
『メール 口説き方』みたいな感じで。
そして書いてある通りにメールを送ってみました。
一通一通送るたびにドキドキしていたのは
今となってはいい思い出です。
ドキドキしながら、返信を待っていました。
そして返信が来たら速攻で開き、
また内容を考えて送る。
こんなことを繰り返していました。
ただ、そのままだと埒が明かないので
とうとう意を決してデートに誘うことにしました。
ちょうど夏だったので
『花火大会にでも行こ』
みたいな内容だったと思います。
今まで以上にドキドキしながら、
送信のボタンを震える指で押しました。
こんなにも1分1秒が長いと思ったことはないでしょう。
どれくらい時間がたったのかは覚えていません。
30分だったかもしれないし
10分だったかもしれない。
でも、僕にはその時間が何時間にも思えるくらいに、
とてつもなく長く感じたのです。
そして、ついに返事が来ました。
緊張と興奮で心臓が爆発しそうになりながら、
そっとメールを開封すると、
『都合が合えば行こう』
細かい内容は覚えていませんが、
たしかこんなニュアンスの返事だったと思います。
そのときは、あまりに嬉しくて
思わず飛び跳ねるほど興奮しました。
しかし、『都合が合えば行こう』
この言葉の本当の意味をその時の僕には知る由もなかったのです。
何があったのかというと、
『都合が合えば行こう』
文面だけ捉えればOKの返事ですが、
これって実はやんわりと断っているんですね。
本当にOKなら『都合が合えば』なんてつけません。
『都合が合えば行く』ということは
『都合が合わなかったら行かない』ということです。
つまり、後で断りやすくするための常套句なのです。
『この日はどう?』
↓
『その日は都合が悪いから無理』
↓
『じゃあこの日は?』
↓
『その日も忙しいな』
ここで気づけばいいですが、
気づかずに『じゃあいつなら空いてるの?』
なんて送った日には
『気づけよ、空気読めないな』と思われて、
たいてい無視されます。
この時も完全にそのパターンでした。
彼女からメールが送られてくることは二度となかったのです。
結局、付け焼き刃で学んだ小手先のテクニックだけじゃ
うまく行かないことのいい証明ですね。
それからは大変でした。
何が大変かっていうと
ヤケになってオンラインゲームにハマってしまったのです。
たしか10月から11月にかけてでしょうか。
受験生にとっては大事な時期です。
その大切な時間の大半をゲームにつぎ込んでしまいました。
宅浪ってものすごく孤独で、たまに来る友達からのメールや、
友人と飯を食いに行く時間がものすごく貴重なものに思えるんですね。
いや、実際に貴重なのですが、ただ会ってしゃべるだけでも
この上ないくらいに楽しいのです。
「人に飢えている」という表現がピッタリでしょう。
そんな飢えた心理状態のときに
好きな子にアタックして撃沈したものだから
心がすごく不安定なんですね。
だからオンラインゲーム内のチャットで
人とコミュニケーションをとれるのが
あまりに楽しくて、やめられなくなったのだと思います。
昼夜も完全に逆転していました。
昼に起きて飯を食ってゲームをして、
夜ご飯を食べてまたゲームをする。
こんな廃人生活が2ヶ月も続いたのです。
しかし、12月にさしかかり、
いよいよセンター試験も間近になってきました。
『このままでは去年の二の舞になってしまう』
そう感じた僕はゲームをやめることを決意しました。
ただ、人間の意思ってそこまで強くはありません。
決意したところで、またふとしたきっかけで遊んでしまうのは目に見えています。
だから、まずゲーム内の装備とマネーを
所属していたギルドの団長にすべて渡し、
『リアルが忙しいのでしばらく休みます』
とだけ伝えました。
そして、受験が終わるまでは二度とプレイしないように
ゲームの起動ソフトをパソコンから削除しました。
ただ、それでも一度崩れてしまった勉強のペースを
取り戻すのには時間がかかります。
モチベーションだってなかなか湧いてきません。
試験が目前に迫り、焦るばかりです。
もう後戻りはできない。
プレッシャーが重くのしかかります。
『もうやるしかない。
やる気が出ないなんて関係ない。
やるかやらないかだ!』
背水の陣と言ったところでしょうか。
そこからは猛烈に勉強し、センター試験は
現役時代を遥かに上回る成績でクリア。
2次試験も最低点から10点ほどプラスで
なんとか東大に合格することができました。
12月に入ってからは一度も
ゲームをすることはなかったのですが、
途中でプレッシャーに押しつぶされて諦めそうになることもありました。
それでも諦めずに、僕のモチベーションを最後の最後まで
支えてくれたものは何だったと思います?
これが2つ目の感情なのですが、
「将来できるであろう彼女に
『私の彼は東大生なんです』と言わせたい!!」
これです。
この気持ちがあったからこそ
12月からは途中でくじけることなく、
一気に追い上げることができたのです。
そして、念願の東大合格を果たせました。
十分すぎるほどの成功体験ですよね。
『リア充なキャンパスライフを送るんだろう』
そう思いますよね?
しかし、現実は違いました。
『東大生はモテるだろう』などという
何の根拠もない期待は見事に打ち砕かれたのです・・・
見事に東大に合格した僕は4月からいよいよ上京し、
一人暮らしという未知の環境に放り込まれました
いま思えば僕は恵まれています。
環境を変える機会が2度もあったからです。
一度目は先述した通り、高校に入ったときで
二度目は大学に入った時です。
環境を変えることで
過去のしがらみからは完全に解放されるんですね。
生きるも死ぬも自分次第。
そんな状況を2度も経験したことは
僕の人生にとってかなりプラスでした。
夢のキャンパスライフに大きな期待と不安が入り交じった
なんとも言えない感情を抱えながら
いよいよ僕の大学生活はスタートしたのです。
最初の一ヶ月は
もう何がなんだか訳がわからないぐらい
めまぐるしく時間だけが過ぎていきました。
慣れない土地での生活、
生まれて初めて挑戦する自炊、
サークルの新入生歓迎コンパ、
時間割を自分で埋めるという新しい感覚、
急に難しくなった大学での講義・・・
そのどれもが僕にとっては新鮮で
とてもワクワクさせてくれました。
ただ、あまりにもはしゃぎすぎて
風邪をこじらせ、気管支炎にまで
なってしまったのはいい思い出です(笑)
無理もありません。
毎日、朝から学校に行って、
放課後はタダ飯のために
新歓練習やコンパに出歩いていたのだから。
風邪をひいてもなお、
体にムチ打って毎晩飲みにいって、
偏った食生活を続けていたから
いつぶっ倒れてもおかしくない状態でした。
それだけ楽しかったんですよ。
特に、『大学では絶対に彼女を作ろう』と決めていたので(笑)
いろんなサークルを回って
いろんな人たちと出会えるのが何よりも嬉しかったのです。
「人に飢えていた」浪人時代を送っていたのも大きな理由ですね。
基本的に出会う人は初対面なので
何度もいろんなサークルに顔を出すことで
必要最低限のコミュニケーション能力も身についていきました。
高校のときに独学で学んだ
心理学やら何やらの知識を使って、
女の子と会話するためのいい練習にもなりました。
何人か連絡先を聞き出すこともできて
初対面での会話にはかなり自信をつけていったんですね。
そして、5月も下旬になるころ、
僕は一番タイプの子がいるテニスサークルに
入ることにしました。
テニスサークルと言えば、
リア充なキャンパスライフの代名詞と
言ってもいいかもしれません。
僕自身、そんなイメージに憧れて
最終的にテニスサークルに入ったのだから。
しかし、実際に入ってみたら
大したことないってのはよくある話です。
たしかに女友達はたくさんできました。
周りに女がいるのが当たり前になるので
日常会話レベルなら卒なくこなせるようにはなったのです。
大学に入るまでの僕は女性と
普通に会話することすら困難だったのだから、
それを考えると大きな成長でしょう。
しかし、日常会話は日常会話です。
どんなにそのレベルでコミュニケーション力を磨いても
友達以上の関係になれることはないんですね。
それまで連絡先を交換した女の子からも
そのうち無視されるようになってしまいました。
そもそも第一印象で
それほどプラスじゃなかったのでしょう。
しかし、何が何でも彼女が欲しい!
そんな気持ちで僕はサークル内で一番カワイイと思った子に
猛烈にアタックしていました。
他にもその子のことを狙っている奴がいることを知り、
僕のハートにはさらに火がついたのです。
今では「若かったなー」と思いますね(苦笑)
不思議なものでこうしてアプローチしていると
自然と恋愛感情が湧いてきます。
会って話したり、メールでやり取りしたり
周囲の人間に相談したりするうちに、
どんどんその子のことを好きになっていきました。
ライバルに負けたくないって気持ちと、
自分がその子のことを好きなのを周囲も知っていたので
引くに引けないという気持ちが後押しして、
浪人時代に撃沈して以来、
久しぶりに本気で人のことを好きになったのです。
最初は順調でした。
連絡先を交換した後は
マメにメールをしていて
相手の反応もかなりよかったのです。
時には電話したりしながら
彼女との距離をつめていきました。
そうこうしているうちに時は流れ、
あっという間に夏休みに入りました。
彼女と楽しく花火大会に行ったり
海に行ったり、BBQをしたり
お祭りに行ったりして
楽しい夏休みを過ごす
・・・はずでした。
はずだったのですが、
いつしか好きだった子の態度はそっけなくなり、
毎日やりとりしていたメールの頻度も
どんどん落ちていきました。
現実は彼女はおらず、
出会いもほとんどないという状態。
『これが現実か・・・』
リア充な大学生活とはほど遠い
夏休みを過ごしながら、
そう思い知らされたのです。
「おいおい、いつになったらカワイイ彼女ができるんだよ」
と思った方、お待たせしました。
ここから、僕に初めて彼女ができたときのストーリーに入ります。
僕が初めて彼女を作るためにしたことはただ1つです。
何をやったのかというと、
連絡先を知ってる女の子全員に
空メールを送ったんです。
もうあまりに彼女が欲しくて、
好きな子に振り向いてもらえず、
ヤケになっていた部分もあります。
今思えば「よくやったな」と思いますが、
その結果一人から返事が来ました。
前々から少し気になっていた、
黒髪で身長が高く、お姉さん系のカワイイ子からでした。
「なんか空メール来たけど間違い?」
すかさず何食わぬ顔で返事を出しました。
「あれ?空メールやった?
せっかく夏休みやしどっか遊びに行こうよ」
それから少し間があいて・・・
「今度はちゃんと届いたよ(*^o^*)
うん、遊びに行こう」
結果として、人生で初めてのデートに行くことができました。
それで初めてのデートはドキドキものでしたが、
これが思った以上に楽しく、また会話も盛り上がりました。
そして、「今度ディズニーに行こう」という話にまで発展したのです。
そこから先は・・・分かりますよね?
2人でディズニーに行ければ、そりゃもうカップルになったようなものです。
ディズニー当日は1日中、いろんなアトラクションに乗り回して、
最高に楽しんでいたのですが、日も暮れてきた頃、
突然、雨が降り出してきたんですね。
僕は折りたたみ傘を持っていたので、
その傘を開いて雨をしのごうとしたそのとき。
その子は一瞬、「どうしようかな」と迷っていました。
そして、僕が「どうしたの?」と聞く間もなく、
彼女は僕の傘に入ってきたのです。
それも僕の腕に彼女の腕を絡めながら。
この瞬間、「行ける」と思いました(当たり前ですが)
と同時に恥ずかしい話ですが、
興奮のあまり、勃○していました(笑)
今までにない経験だから仕方ありません。
そして、帰り際、僕の方から彼女に告白し、
無事に付き合うことになったのです。
こうして、思いのほか、
あっさりとカワイイ彼女まで手に入れてしまったのですが、
僕が自分のストーリーを通して伝えたいことは2つです。
1つ目は、
人は変わろうと思えば変われる
ということ
何度失敗しても、何度挫折しても諦めなかったのは
「変わりたい」「いつか見返してやる」という思いがあったからです。
「いつかバカにした奴らを見返してやる!」という強い感情が原点にあって、
「絶対に変わるんだ」という強い意志があったからこそ、
女子に「キモい」とまで言われ、それがトラウマになって引きこもっていた僕でも、
東大に合格し、カワイイ彼女まで作ることができました。
今では男の恋活支援なんて仕事もやっているくらいです(笑)
今の僕と昔の自分じゃ、
普段の言動も考えていることも180°違います。
「変わりたい」と思うのであればその意志を貫いて欲しい。
諦めなければ必ず変われるのだと信じて欲しい。
それがこのストーリーを読んでくれているあなたへの僕の願いです。
そして2つ目は、
動機なんて何でもいい
ということ。
僕が東大を目指そうと思ったキッカケは
高校1年の時に親が気まぐれで買ってきた「ドラゴン桜」に触発されたからなんですが、
「今までバカにしてきた奴らを見返してやる」
「東大に入れば人生バラ色だろう」
「東大に入ってモテまくって、作った彼女に『私の彼氏は東大生なんです』と言わせたい!」
動機なんてこんなもんです。
今じゃ鼻で笑ってしまうような動機です。
でも、それが大きなモチベーションになったのも事実。
そこに強いパッションを感じるのであれば、
たとえ不純な動機だろうと、人に笑われてしまうような動機だろうと
なんだって構わないと思うのです。
その動機がキッカケで大きなことを成し遂げた例だって
世の中にはたくさんありますよね。
女にモテたくてバンドを始めたら、
いつの間にかメジャーデビューしていたみたいな。
だから、何か成し遂げたいことがあるのなら、
何か達成したい目標があるのなら、
不純なものでも何でもいいから一つ動機を作ることをオススメします。
その動機が諦めそうになったとき、
くじけそうになったとき、
あなたの心を支えてくれるでしょう。
その動機があなただけのストーリーを紡いでくれることを祈ってます。
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というわけで、かなり長い文章になってしまいましたが、
ここまで読んでくれてお疲れ様でした&ありがとうございました。
また気が向いたら
「初めてできた彼女とその後どうなったのか?」
「大学に入ってから大きく変わることのできた”たった1つのキッカケ”」
などのストーリーを書いていこうかなと思っています。
もし今回のストーリーを読んで良かったと思っていただけましたら、下の「読んでよかった」のボタンをクリックいただけると嬉しいです。
それでは、またどこかでお会いしましょう。
To be continued?
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追記
予想以上に反響があって、正直ビックリしています。
いつの間にか「編集部のオススメ」になっていて、
Facebookに大量のお知らせが来ていたときには正直ビビりましたw
反応をくれた人に感謝の意も込めて、また続きを書いて行きたいと思います。
To be continued
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ヘタレで引きこもりのどうしようもないクズ人間でしたが、
今では大学に通いつつ、男の恋活支援などのビジネスを手がけています。
現在の活動はこちらからチェックできるので、よければ覗いてみてください。
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