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14/5/19

中卒底辺だった私が10年以上かけて這い上がる話 2

Image by Olia Gozha

「恨み」をエネルギーにする

中学時代イジメられ、高校をさっさと辞め、フリーターでのんびりお金を稼ぎ、社会へ出るための踏み台として専門学校を選んだ。これまでの経緯や、理由は以下の通り。


1、私をイジメたヤツへ復讐をしたい。ぎゃふん希望。 

2、殴るとかしない。社会的にも制裁はしない。

3、ヤツらが羨むような勝ち組になる。成功して見下したい。

4、デザイナーとか職業的にはめっちゃイメージ良さげ。

5、デザインとかイラスト、色系なら割と得意。


浅慮ですねー。実に浅慮。

ポジティブなものは一切ない。ほんとにない。生き方のスタイルとして今も昔も「恨み」をパワーにして生きています。今でも患っている中二病が未だに治らないのもきっとそのせい。色が好き!作るの好き!イラスト好き!!は幼い頃の根底からずっとあったけど、理由としては薄いかもしれない。それほどまでに渦巻いていたのです。何か怨念じみたもの。


井の中の蛙、フルボッコにされる

意を決して入った専門ですが、みんなレベル高かった。

美大行かずに来た人とかいるし、すでに社会人経験ある人も会社辞めて来たりしてるし、クソみたいな自信とかプライドは見事に粉々になりました。デッサンからやり直し、平面構成をやり、デザインの概念やら何やらを色々教わり、PhotoshopとかIllustrator教えてもらった。

何より友達できたし、学校はそれなりに楽しかった。mixiとかにめっちゃ日記書いたりしてた。Twitterも始めたりしてた。バイトしてフリーターしてたりしたもんで、ちょうど現役で入って来た周りの子と2年の年齢差があったし、それなりに気を使ってくれてありがたかった。年上ももちろんいたし、良い時間を過ごせたと思う。

恋愛はというと、そこから誰かと付き合ったり別れたりしたし、友達以上恋人未満の子が自殺しちゃったりもした。今でこそ普通に話せるけどかなりショックだったし、罪悪感めっちゃあったし、メンヘラ気質も手伝って精神病発症したりしてた。結局2年間あるうちの1年くらいまともに学校行ってなかった。よえー自分。よっわ。


まあでもそこで少し死生感は変わった。生きていれば何年後でも酒が飲みかわせるものね。どこで何をしててもいいけど私が好きな人はできるだけ死なないで欲しいです。


バイク乗ってたら、就職してた

専門学校で尊敬する先生の1人がバイク雑誌の編集長だった。飛行機とかの免許も持つし何かもうよくわからないレベルですごい先生。その先生に紹介してもらってとある出版社のバイク雑誌に就職しました。正直「バイク乗ってる女子」ってただそれだけでなんとかなった感ある。

元々のクズさも相まっていろんな人に迷惑をかけながらも成長できたと思う。東京出てきてからの人のめぐり合わせはほんとにいいものばかりで、それこそ多くの人に感謝しています。そんでもって編集の仕事をしていました。しかしやっぱデザインやりたいわ!ってことで2年と半年ほどで退職。25歳。


フリーランスのデザイナーもやってみた

前職の出版繋がりで様々な人とフリーランスのデザイナーとしてお仕事をもらい、なんとか食えました。というか割と稼ぎ良かった気がする。完全に紙の人、DTPerでしたね。半年くらいワヤワヤーっと仕事してましたが、確定申告メンドイし、青色申告メンドイし、帳簿とかツライ!!と思って就職することにしました。この時点で26歳。だんだん最近に近づいてきましたね。

ベンチャーっぽいIT企業へ就職

ITの経験もないし、勉強も特にしていませんでしたが、10歳頃からインターネットでピーガーしてた私。まあなんとかなるっしょって感じで乗り込みました。

しかし、アホなことにデザイナーで応募したつもりが、ライターで応募してた。受かっちゃった。まあライターでもいいか。編集やってたからそこそこ書けるし。文章は好きである。

というわけで、ITベンチャーの会社でライター兼ディレクターみたいな感じで仕事してました。いや、今もしてるんですけどね。


誕生日と転職

このストーリー書こうと思ったきっかけにまで戻ってきました。

先日誕生日を迎え、27歳になりました。アラサーを迎え、しっかりとBBAの道を歩んでいます。

16歳で道を外したかと思ったけれど、10年が経過した今、意外と普通に生活し、キラキラ社畜生活をしています。アラサーだけど。

とりあえず、今も20の時に立てた目標は変わっていません。

「勝ち組になる」


そんなに意識高くはないんですけどね。勝ち組の定義もあやふやだし。ってか勝ち組ってどうすればなれるんでしょうね…。それでも、これからも、私は誰かを恨みながら生きるのでしょうか。


「這い上がる」とか書いちゃって、あんまり這い上がった感なさげですが、ほんとはもっともっと大変な感じのことはたくさんあります。でもそれはまた別のおはなし。


そして友達いない状態で上京してきたけれど、私と友達でいてくれる人が増えたなあと思います。クズニートだったし、ひきこもりだったけど、歳をとることでまともになったのかもしれない。STORYS見てると結構そういう人多いしね。


ついでに最近WEBディレクターとして転職も決まったのですが、これまでの肩書に一貫性がなく、みんなに「何してんの?」と聞かれまくります。ザ・器用貧乏。

そんなこんなで変化が訪れたので、思考とかこれまでの自分の振り返りとしてのメモ書き程度に書いてたつもりだったのですが、盛大に公開していたようで、現在メチャクソ恥ずかしいモードです。

ソーシャルネットワーク、ツライコワイ。


私の半生、あなたの半生と比べていかがでしょうか?
くだらない? たいしたことない? すごい? どうでもいい?


リアル繋がりある人は出来る限り触れないようにしてください。生暖かく見守って下さい。


自分語りのサービスがあってよかった。

いろんな物を吐き出したいときだってあるんだ。

しかし、今、穴があったら飛び込む所存。

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