
今からもう7年以上前の話だ。
20歳になってお酒の味を覚えた僕は毎日のように友達と飲んでいた。
その日の夜も友達と飲む約束をしていた。
場所は新宿歌舞伎町、様々な人々やネオンが交じり合い、朝まで眠ることのない東洋一の繁華街だ。
予定の時間より早く着いてしまった僕は駅東口の喫煙所で煙草を吸って時間を潰していた。
しばらくするとポケットの中の携帯が振動して鳴り始めた。
自分「もしもし。」
友達「あ~ごめん、今日行けなくなった。」
自分「マジ?もう新宿着いちゃったよ。」
友達「ほんと、ごめん。また今度飲もう。」
そう言うとあっけなく電話は切れてしまった。
そんな不測の事態に戸惑い苛立った僕は2本目の煙草に火を付けた。
「今日、これからどうするかなあ…。」
謎のロマンスグレー紳士現れる。
ちょうど2本目の煙草が燃え尽きかけたときだった。
気が付くと目の前に白髪を短く綺麗にまとめ、紺のスーツを着た中年の男が立っている。
紳士というイメージがぴったりのその男は白い歯を見せて僕に話し始めた。
ロマンスグレー「お兄さん、これから飲みに行くの?」
自分「いや、その予定だったんだですけど、ドタキャンされちゃって…。」
ロマンスグレー「そうなんだ(笑 じゃあこれから1人で飲みに行くのかな?」
自分「それをどうしようか考え中です…。」
いきなり話しかけられて最初は戸惑ったものの、ロマンスグレーのフレンドリーさに心を少し開いた僕はそのまましばらく彼と世間話を続けた。
大きな紙袋を持ったおじいちゃん現れる。
ロマンスグレーとの世間話も尽き始め、その場を後にしようとしたときだった。
前から大きな紙袋を抱えたおじいちゃんが笑顔でこちらに向かってくる。
すると自然に僕とロマンスグレーとの話の輪に加わり、3人での会話が始まった。
おじいちゃん「暑いね~今日は。ほんとに暑い。何してるの?2人で。」
ロマンスグレー「この兄ちゃんが、飲むのドタキャンされたっていうから、まあいろいろ話してたのよ。」
おじいちゃん「ドタキャン(笑 兄ちゃんも災難だな。そうだ、これからみんなで飯食いに行こう。腹減ったんだよ。」
自分「いや、そんな…いきなり…。」
おじいちゃん「これも何かの縁だよ。金は俺が出すから。」
そう言うとおじいちゃんは抱えていた紙袋の中を僕たちに見せた。
紙袋の中ではお札や小銭が乱雑に散らばっていた。
自分「なんで紙袋にお金入れてるんですか?危ないなあ。」
おじいちゃん「財布はめんどくさい。それより早く行こ。」
自分「財布はめんどくさいって…。」
すると、それまで腕を組んで黙っていたロマンスグレーが口を開いた。
ロマンスグレー「俺、良い店知ってるよ。」
おじいちゃん「ほんとか、じゃあそこ行こ。」
そんな2人の勢いに流されて結局僕はこの2人と食事に行くことになった。
知らない人とどこかに行く不安もあったが、この予想外の展開にワクワクしている自分もそこにいた。
飯を食う場所=カラオケ屋!?

ロマンスグレーに案内されてたどり着いたお店は歌舞伎町のカラオケ屋だった。
自分「…カラオケ屋って食事する場所じゃないよな。まあ一応食事は出来るけどさ。」
ロマンスグレー「ここ、ここ。飯も食えるし、歌も歌えるのよ。」
おじいちゃんの方はカラオケ屋に対する知識がないらしく納得した様子だ。
部屋に入るとさっそくそれぞれ食べたいものとお酒をオーダーし始める。
僕は生ビールとカルボナーラを頼んだ。
おじいちゃん「ここ、歌えるんだろ。」
そう言うとおじいちゃんは吉幾三を歌い始めた。
僕はおじいちゃんの歌に手拍子したり、自分も歌ったり食べたりした。
そうしているうちに時間は流れていく。
だが、時間が流れていくうちに自分の中である違和感が大きくなっていった。
おじいちゃん「ほら、もっと近く来なよ。」
おじいちゃんはことあるごとにそう言い、たびたび僕の膝に手で触れる。
ロマンスグレーはなぜかそれを煽っている。
違和感はやがて確信に変わる。
自分「…これは、どう考えても、そういうことでしょ。まいったな。」
消えたロマンスグレー

お酒の勢いとロマンスグレーの煽りによっておじいちゃんの僕への接触は更に激しくなっていた。
僕はこの状況を一度仕切り直そうと思いトイレに立った。
「はあ…。まあ上手くおじいちゃんの攻撃をかわして早く帰るしかないなあ。」
決意を新たにして僕は再びカラオケの部屋に戻った。
すると驚いたことにロマンスグレーの姿が消えていた。
おじいちゃんがぽつんと座り、僕の方を笑顔で見ている。
自分「あれ?あの人はどこ行ったの?」
おじいちゃん「ああ、なんか用事出来たとか行って出て行ったよ。」
自分「はぁ…。」
僕は状況を上手く掴めないままソファに座った。
すると唐突におじいちゃんが話し始めた。
おじいちゃん「このあとどこ行く?飯も食ったし。」
自分「このあと?」
おじいちゃん「あれ、何も聞いてないの?マネージャーから。」
自分「マネージャーって何?」
おじいちゃん「さっきまで居た人だよ。あの人兄ちゃんのマネージャーなんだろ。」
自分「!?」
おじいちゃん「さっきあの人が7千円で兄ちゃんと一晩自由に出来るって言うから、7千円払ったよ。あれ?聞いてないの?」
自分「!?」
おじいちゃんの口から出た衝撃的な事実に僕はパニックに陥った。
そして、とにかくこの場から一刻も早く逃げなくてはという思いに駆られた。
自分「すみません、お腹痛くて、またトイレ行ってきます。」
そう言うと僕は部屋を飛び出して、そのままカラオケ屋からも飛び出した。
カラオケ屋を脱出して

カラオケ屋を脱出して歌舞伎町の通りに出た僕は何とか危機を逃れた安堵感に落ち着いていた。
と同時に僕を騙して7千円でゲイのおじいちゃんに売ったロマンスグレーへの怒りが湧上がった。
自分「あの野郎!!」
しかし時間が経ち、落ち着くにしたがって僕の中で何か罪悪感のようなものも湧き上がるのだった。
自分「考えてみればあのおじいちゃんもロマンスグレーに騙された被害者なんだよな。」
自分「このまま逃げたら、僕は奴の片棒を担いだことになるんじゃないのか?」
振り払おうとしてもその罪悪感は僕の心にまとわりついて離れようとしなかった。
そしてそれは僕にある行動を起こす決心を促した。
自分「カラオケ屋に戻って、おじいちゃんに真実を全部説明しよう。」
僕は歩いてきた道を引き返すと再びカラオケ屋に足を踏み入れた。
再びカラオケ屋へ

カラオケ屋に戻ると変わらずおじいちゃんは座って酒を飲んでいた。
おじいちゃん「お、遅かったな。大丈夫か?」
自分「まあ、はい。いや、ちょっと話さなくちゃいけないことがあるんです。」
そう言うと僕はロマンスグレーは僕のマネージャーでもなんでもないこと、僕たち2人は彼に騙されたのだということをおじいちゃんに説明した。
僕の話が終わるとそれまで黙っていたおじいちゃんが口を開いた。
おじいちゃん「そうか…ひどいことするなあ。たった7千円で。でも正直に話してくれてありがとな。」
そう言うとおじいちゃんは紙袋の中から1万円札を2枚取り出し、僕に差し出した。
自分「えっ。」
おじいちゃん「これは今日一緒に付き合ってくれたお礼だよ。それと本当のことを言ってくれたお礼でもある。」
自分「いや、でも。」
おじいちゃん「いいから黙って受け取りな。」
その後しばらくして2人はカラオケ屋を出た。
おじいちゃん「また、あそこで会ったら飯一緒に食べような。」
そう言うとおじいちゃんは歌舞伎町のネオンと人混みの影に消えていった。
あのときのおじいちゃんの寂しげな顔は今でも覚えている。
それから

あの出来事から約7年が経った。
結局その後おじいちゃんにもロマンスグレーにも会うことはなかった。
おじいちゃんは今でも紙袋を抱えて元気にしているだろうか?
ロマンスグレーは相変わらず人を騙しているのだろうか?
今となっては知る術はない。
この話から学べる教訓は3つある。
・知らない人についていくのは危ないからやめよう。
・正直者は意外と得をする。
・カラオケを食事する店だというロマンスグレーを信用するな、だ。
長文お付き合い頂きありがとうございます。
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