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14/5/11

平凡な会社員が、“脳出血で倒れて働き方を考え直した”話【第八回】

Image by Olia Gozha

苦しんでいるのは僕だけじゃない

2009年12月末。救急病院から大学病院へ転院した初日はめまぐるしく終わった。

入院した部屋は4人部屋で既に入院されている方が3名いたが、年末ということもあり皆は自宅に帰っていった。

12月の頭から入院していたため既に季節感も無くなっていたが、そういえば年末を迎えていたのだ。僕はまだベッドから自由に動けない状態だったこともあり、4人部屋に一人取り残される形となった。

考えてみれば、いつもは大晦日から正月に掛けて必ず自宅か実家で過ごしていたので、病院で過ごすのは初めての経験で寂しいものであった。家内も看病に来てくれていたが、自宅に帰ってからは独りで過ごすお正月だったはずなので、本当に寂しく不安な思いをしていたことだろうと思う。


お正月の食事は、病院もお正月仕様だった。小さいが鯛の尾頭付きがついてきたので、少しだけおめでたい気持ちを味わったが、すぐに現実問題にぶちあたってしまった。

既に、右手が使えず左手で食べていた僕にとっては、魚を食べることは高難易度の技術であった。試行錯誤をしてみたが、やはり左手でお箸を使うことは断念し、結局フォークに刺して齧り付くという原始的な食べ方しかなかった。それに加えて、お雑煮も出たのだが、この餅がまた曲者でうまく嚥下ができない僕にとっては、かなり命がけの食事となった。お年寄りがお餅を喉につまらせる恐怖をこの歳で経験したことになる。


お正月料理との激闘の日々も終わりを告げ、同部屋の入院患者さんたちが少しづつ戻ってきた。

部屋での配置はというと、僕のベッドは部屋に入ってすぐ左側にあった。僕の向かいは60代ぐらいのSさん。隣は僕と同年代ぐらいのYさん。そして斜め向かいは70代ぐらいのMさんだった。

入院してしばらくすると皆の病状が少しづつわかってきた。

僕のベッド向かいのSさんは脳腫瘍で入院されていた。1月には手術の予定があるらしい。

Yさんは一度中学生の時に脳腫瘍で入院し、今回また症状が出たので入院したとのこと。僕のように歩行器までは使っていなかったが手すりを掴みながら歩いていたし、言葉を発するのも苦労しているようだった。

Mさんは別の病院で背骨の手術をしたらしいが、経過が良くなくて下半身が思うように動かなくなったそうだ。いつも車いすで移動していた。

見た目ではよくわからなかったが、周りの患者さんは僕よりもっと重い病状を抱えている人も少なくなかったのだ。救急病院にいた時は、周りに比べて自分は重症だと思い込み悲観にくれていたが、それは独り善がりだったことに気付き始めていた。


僕の病状はというと、転院時のスパルタ?指導で目眩はだいぶましになり、座ることができるようになっていた。しかしながら、複視や相変わらず右半身の痺れなどはそのままだった。

出血跡がなかなか引かなかったので出血原因がいまだ特定できていなかったが、後遺症は収まらないものの、病状は安定してきていたので、1月8日に脳血管の造影撮影をすることに決まった。

医師「脳出血の原因でもっともやっかいなのはAVM(脳静動脈奇形)なので原因がそれでないか検査します。」

「AVM…ですか??」

医師「ええ、先天的に脳の血管に奇形があって、動脈と静脈がつながっている場合があるんですよ。そこから出血する場合があるので、原因がそれでないか検査してみます」

「…よろしくおねがいします…」

僕の脳出血の原因は、まだ特定されていなかったが、出血の度合いや状況(多分、生きているということ)からみると「海綿状血管腫」が原因でないかと救急病院の医師も言っていた。

でも、もしもAVMであった場合は他にも同様の箇所がある可能性もあるので、手術の必要性も含めて検査する必要があるということらしい。

検査方法は、足の付根の動脈からカテーテルを脳まで通し、脳内で造影剤を投与しながら脳血管を撮影するとのこと。

動脈に注射するので検査後は絶対安静にするように、寝返りもダメと聞かされ少し不安にはなったが、大手術をするわけではないので、

こんなことで怖がっていてはダメだ手術する人はもっと大変なんだから…と思いながら、検査の日を迎えようとしていた。

<つづく>


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