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14/5/15

音楽との出逢い。それは人生の大きなターニングポイントの一つとなった。

Image by Olia Gozha

こんにちは。長野県小谷村-OTARI-の古民家で宿を運営しているたつみです。

自分の過去を書きまとめる作業、4回目でございます。

誰もが持つ過去から紡がれる物語の断片を。

自己満足にもネットの世界へ解き放つ次第です。

お暇な方はどうぞお付き合いいただければこれ幸いにございます。



京都に、家。あんで??

-2002年5月

たまり場と化した大阪高槻の実家をぼくは、高校1年生になった5月に出たのです。

当たり前の様に進学先は友人達と同じ公立高校。

という、当たり前過ぎる展開に持たんでも良い疑問を根に持った中学三年の秋。

当たり前の様に進学先は友人達と同じ公立高校。

と、思っていたであろう母親にぼくは進路についての話を切り出しました。

さすが我が母。

ぼくは予想だにしない、いや。出来るはずのない母からの提案に度肝をぶち抜かれたのです。


たつみかずき(15歳)「あんさー。高校の話やねんけどさー。」

「あんたももうそんな時期か。高校は高槻か近くの公立いくんやんな?」

たつみかずき(15歳)「いや。高槻出たいねんけど。神戸か京都。ちょっと高槻から遠いとこ行きたいねん。」

「あんたまたけったいなこと言いだして!2年生のときのひきこもりといい。あんたはいっつもいっつもほんま。。(以下略)」

たつみかずき(15歳)「いやさ。高槻では十分友達もできたしさ。十分楽しんだからさ。今度はぼくが知らん人らばっかりの場所で心機一転、高校デビュー!!そんなんしてみたいんよねー。折角環境変わる訳しー。高槻は帰ってきたらいつでも友達いるしさー。」

「あんたはほんまいつもいつも。。(以下略)」

我が両親はこてこての公務員。

「我が家は貧乏貧乏」との口癖も、中学の頃からそれがただの口癖であることに薄々気がついておりました。

家は確かに大きい訳でも新しい訳でもきれいな訳でも全くない。

車も初期型ステップワゴンを乗り潰しておりました。

とは言え。毎年定期的に行われていた北海道旅行1週間や、ぱんぱん過ぎる冷蔵庫や、ぼくを山村留学に3年も行かせていたこと。

極めつけは。。母親が転がす不動産。。。神戸に3件。

物件購入の翌年におこった阪神大震災のときに母親が寝込んでいたことを思い出します。

結局奇跡に全て無事だったんですが。不動産?!!て。。。


たつみかずき(15歳)「と、言うことで。お母様の持つ神戸のワンルームに住みながら神戸で高校生活。なんて、素敵なスクールライフを息子はエンジョイしたいのです!!」

「このすねかじりが!!それやったらな、かずき。京都にし!神戸は全部入居者さんおるさいかい。」

たつみかずき(15歳)「京都でもええねんけどさー。それやったらこっから通わなあかんやん。」

「ちゃうねんちゃうねん。京都にもな、家。あんねん。京都駅から徒歩10分かからんとこやで。」

たつみかずき(15歳)「あー京都に家あるんやー。それなら京都もええなー。駅近かー。なおさら。。って。。。。??!」

京都に母親の4件目のワンルームが存在する事実が発覚?!!

「これはペンですか?」「いいえ、違います。これは消しゴムです。」

「ベンはジョンよりも少しだけ背が高いです。」「しかし、マイクがクラスで一番背が高いです。」

「私は神戸に住みたいです。」「いいえ、神戸ではなく京都に住めばいいでしょう。なぜならそこには家があるからです。」

そんな日常会話から紡がれた言葉の弾丸がぼくを直撃したのでした。

そんなこんなで、ぼくのハイスクールライフは古都京都の街中から始まったのでした。

あれ?もしかして。。たつみくん?!!

ぼくが通い始めた京都市街から北西の私立高校はまるで学園ドラマの舞台になるような建造物でした。

コンクリート打ちっぱなしのスタイリッシュデザインに、制服はなんとかという有名なデザイナーが手がけたものであるようです。

同じ中学校からこの高校に通い始めた友人はたった10名未満で、ぼくは相変わらずに協調性のない純粋無垢な男の子キャラで縦横無尽に初めましてな同い年との友情を育んでいったのでした。

高校生にもなると、特にキャラによってのグループが確立されていきます。

ちょっとやんちゃなグループに、スポーツ系な爽やかグループ、真面目系にオタク系。

それはそれはグループによってこれまでもカラーリング違うのか〜。

といった交友関係にぼくは興味津々なのでした。

ぼくはグループに属することが中学生の頃から好みではなかった為、どのグループにも隔たり無く首を突っ込む交友関係を構築していきました。


5月になったある日。

ぼくは思いがけない再会を果たしたのです。

この出来事が、ぼくの人生の中で大きなターニングポイントの一つになります。


??「あれ?もしかして。。たつみくん?!!」

たつみかずき(16歳)「はい。。えーっと。。え?!!あれ?!!。。。あれ?!!お久しぶりです!!って、え?なんで?この学校なんですか?!!」


それはぼくが小学生の頃、長野県の小谷村-OTARI-(現在宿運営をしながら棲家としている地域)に山村留学時代で生活していたときの先輩だったのです。

その先輩はぼくの一つ上で、とは言え山村留学で一緒になった時期はなく。

山村留学卒業生として小谷村に遊びにきた際に面識を持った先輩なのでした。

過ごした時間は2日くらいではあったものの、小学生ながらとても優しく紳士的な方であったことでぼくの中では強く印象に残っていたのです。


山留の先輩Yさん「久々だねー。って、まさか自分の学校にたつみくんが通ってたなんて。驚きだよ。」

たつみかずき(16歳)「ぼくもですよ!!ほんと久々ですねー。だって、一度お逢いしたの、まだ小学生でしたもんね。雰囲気、全く変わってないですね。笑」

山留の先輩Yさん「たつみくんも、ね。笑どう?学校には慣れた??(以下略)」

たつみかずき(16歳)「先輩、ちなにみ手に持ってるの、ギター?ですよね??バンドやってるんですか??」

山留の先輩Yさん「そうそう。軽音楽部なんだよ。で、いまバンドやってるんだよ。」

たつみかずき(16歳)「へーそうなんすかー。かっこいいっすねー!!ぼく、音楽とかきいてるだけで精一杯ですよ。」

山留の先輩Yさん「あ。そうそう。いまさ。バンドにボーカルいないんだよね。たつみくん、唄ってよ。」

たつみかずき(16歳)「え?!!ぼくが?ボーカル?!!。。。はい。いいっすよ!!むしろ、やらせてください!!」

山留の先輩Yさん「よし、じゃあ一回練習みにきてよ。じゃあまた連絡するよ。連絡先教えて!!」

まさかの再会にして、まさかのバンド加入。

高校生活開始から1ヶ月が経った頃のことでした。

棲家も京都駅の駅裏に移り、バンド活動も開始。

いい感じにトントン拍子に、ぼくの新生活がスタートしたのでした。


バンド活動に燃える高校生、たつみです

山留の先輩Yさん「じゃあたつみくん。そこら辺に座って聴いててよ。」


ドラムの先輩がワン・ツー・スリー・フォーとスティックを鳴らし、ジャーーーン!!

と、練習場所である教室になんの音かわからない爆音が響きます。

音が空気を揺らし、教室の窓ガラスをばりばりと揺らし、ぼくの鼓膜に届いた音は。

耳から体の中に入り、心臓を揺らしました。

「え。かっこいい!!!」

ぼくはその空間で鳴り響いている音に心奪われたのです。

音楽、マジでかっこいいよ!!

ぼくの知らない世界がそこにはありました。

音は心に響く。

そんな瞬間を心の奥深くで感じたのでした。

鳥肌のような、身震いのような、息をのむ。そんな感覚でした。

それはきっと、言葉に表現したなら【感動】

という感情で、そのときのその感覚が。

ぼくにいまも尚音楽を続けさせている一つの理由です。


一曲の演奏が終わり、ぼくはその音の余韻に浸っておりました。

山留の先輩Yさん「この曲、たつみくんに唄ってもらうから。よろしくね。」


その瞬間、ぼくは「ボーカリスト」というジョブを装備した訳です。

音楽。

それは、遠い遠い世界の光り輝くステージの上でのみ鳴り響く異質な形である。のだと、思う程ぼくからは縁遠いものでした。

その、音楽。というものにぼくはこれから片足を突っ込むことになるんだ。

ぼくは知らない世界へ足を踏み入れたのでした。


「はい。がんばります。」

そう言うとぼくに一枚のCDが渡されました。

【Deep Purple】というバンドのものでした。


山留の先輩Yさん「それイギリスの有名なハードロックバンドね。その中からいま演奏した「Highway Star」と絶対どこかできいたことある「Smoke on the Water」やるから。歌詞みて唄えるようにしといて。じゃあ練習日、また連絡するから!」

ぼくは興奮冷めぬまま帰宅し、すぐさまその音源を聴きました。

かっこいい。やっぱかっこいいよ!!

。。でも。。。


こんな難しい曲唄えるかーーーー!!!!!!

ぼくは心の中で発狂したのでした。

どんな曲かご存じない方はどうぞ一度聴いてみてください。

ボーカリストというジョブを装備したばかりのたまねぎ戦士たつみくんに唄いこなせるような楽曲ではないことが皆目検討がつきますので。

「Highway Star」「Smoke on the Water」


そんなこんなで初ステージとなる秋の学園祭に向けてバンド活動は開始されました。

イギリスのハードロックと、若干のメンバー編成を変えて日本の有名すぎる「愛しのエリー」の3曲が学園祭での課題曲。

ぼくはどうやれば人間離れしたあの高音を歌い上げることができるのか?!苦難の日々を過ごすことになりました。


その頃ぼくはひょんなことから生徒会の一メンバーともなっており。

学園祭では実行委員をやりながら「生徒会」と書かれた腕章を付け初めてステージに挑みました。

高校の多目的ホールのステージは満席で、同級生や先輩達の視線を浴びながら課題曲を熱唱。

満員御礼の凄まじい声援を浴びながら、ぼくは初めてのステージを終えたのでした。


音楽は世界を変えることができるのか?
そんなことわからないけど、確実にぼくの世界は変えたのです。

その後、学園祭後夜祭での中庭ライブで何故かぼくらのバンドがトリを務めたこともあり、周囲はぼくのことを認知するようになりました。

当時ぼくは諸先輩方から「エリー君」と呼ばれており、黄色いお声をいただくこともしばしば。

華麗なる高校デビューに有頂天になっておりました。が、束の間。

ドラムの先輩の強引な人間性が問題となりバンドは空中分解。

ぼくはボーカリストとしてのジョブを装備したまま取り残されることになりました。

ただ学園祭で唄を唄っただけのただの高校一年生。

音楽的な知識も、実力も皆無。ただ唄うだけならカラオケと同じ。

思い出だけを残し、バンド活動もこれで終わりか。。そんなことを思う晩秋の頃でした。

ぼくをバンドに誘ってくれた山村留学(ギター)の先輩Yさんがぼくにこんな話をしてくれました。


山留の先輩Yさん「たつみくんに見てもらいたい映画があるんだよ。【Blues Brothers】っていうんだけどね。音楽のこと、もしもっと知りたいと思うなら見てみてほしいんだ。音楽のこと、もっともっと好きになるはずだから。」

ぼくはレンタル屋で先輩に教えられたブルースブラザーズという映画を探しました。

サングラスに黒服の二人が映ったジャケットのものがありました。

その映画がぼくの音楽に対する考え方をがらっと変えることになりました。

初めて先輩たちの演奏を聴いたときの感動という感情。

あの感覚が、映像の向こうで奏でられる音楽から、その動きから、その言葉から。

ぼくは圧倒されたのです。


音楽って、ただメロディーがあるだけじゃなくて。

思想も言葉も文化も歴史もファッションも。

全てを含めて音楽なんだ!!


そんなことをその映画で感じさせられたのです。

かっこいい!楽しい!!と思っていた音楽が。

もっともっと深い意味で’好き’になった瞬間でした。


ぼくはそれからがむしゃらに音楽にのめり込んでいきました。

たくさんのバンドと関わり、たくさん音楽を聴いて、曲づくりも始めました。

初めて上がったライブハウスのステージで自分の無力さを知りました。

ステージの上では全く言葉が出ず、曲が始まっても全ての人が壁にへばりつき腕組みをしておりました。


‘ただ唄うだけのカラオケ人'

そう言われることが悔しくて、音楽についての自身の価値観を構築していきました。

楽譜が読めなくてもできる楽器をやろう!そう想い部室のドラムを叩き始めました。

【京阪ガール】というインディーズで活動していた軽音学部の先輩のライブについて周り物販のお手伝いなんかもしておりました。


二年生となった学園祭でぼくは初めてドラムとしてステージに上がりました。

二年生になってから入部した放送部で昼休みの放送を私物化し、好き勝手な音楽を校内にまき散らし賛否両論をいただく日々を過ごしました。

MDに4倍速録音(LP4)し、各5時間程のジャンル分けしたMDディスクを持ち歩き爆音で音楽をたしなむ日々を過ごしました。


その頃のぼくの生活はまさに、音楽が中心となっていたのです。


映画ブルースブラザーズは1980年に公開された音楽映画。

電子楽器が盛んにバンドで取り入れられる時代の流れに反する形で、ブルース・ソウルを中心としたブラックミュージックに光を当てた作品でした。

内容は、施設で育った義兄弟の二人がブルースバンドを結成し、税金が支払えずに差し押さえられそうになる施設を救う。といったもの。

音楽映画のはずなのにコメディ要素がふんだんで、カーアクションが盛り込まれ、ショッピングモールが破壊され、ロケットランチャーが主人公に発射される、という謎の場面があったりとツッコミどころ満載な作品なのです。

道中に多くのミュージシャンが登場し名演を繰り広げます。

音楽が商業的ではなく、音楽に対する愛と音楽を演奏するミュージシャンの想いを具現化したような作品でした。

ぼくは人々とは逆に、1940年代頃からの古い音楽から徐々に派生していく音楽ジャンルを辿り音楽をむさぼっていきました。


音楽が持つ意味。

その時代にその音楽が生まれた意味。

時代背景と音楽は密接に関係しているのです。


ブルースは差別を受けていた黒人たちの嘆き哀しみのブルー。

ジャズは自由を求める黒人たちの自由への憧れ。

ソウルは魂の叫び。

ロックは戦後の人々の怒りと不安をぶつける場所。

パンクは労働階級の主張。

ヒップホップは殺し合わない為の音楽での戦い。

テクノは楽器ができない人の音楽への欲求。


これらはぼくが感じたあくまで主観でのものですが。

名曲のカバーや打込み音楽が中心のいまの時代は、いったいどんな時代なのでしょうか。


とまぁ、暑苦しくなる話は割愛して。
高校生の頃からのめり込んだ音楽は、それまでのぼくが見ていた世界をがらっと変えるものとなったのです。


お父様。私、旅に出たいのです。

幼少の頃から父親とさほど多く会話をしていなかったぼくですが。

と、言うよりその頃の父は昭和の頑固おやじ!!THE亭主関白!!

に憧れる傾向が恐らくあったのだと思います。

無理に無口ぶり威厳を演出していたのだと、振り返れば思うことが多々あります。


そんな父が幼少時代からぼくによく語りかけていた言葉。

それが

「お前は広い世界を見ろ。」

だったのです。


小学4年生からのど田舎へぼくを島流しにした山村留学でも、たしか例の言葉をぼくに浴びせておりました。

そんなこんなで、せっかくお父上がそのような言葉を申してくれるので。


ぼくは高校二年生の冬、カナダへと旅立ちました。

旅立つ、と言ってもただの短期留学です。

たつみかずき(17歳)「お父様。私、旅に出たいのです。」

「ほほう。どこに行きたいのだね。」

たつみかずき(17歳)「どこでも良いです。雪が降って、英語圏の国であれば。」

「そうか。それではどこに行きたいか考えたまえ。」


語学を学びたいのか?と聞かれれば、正直それが本位という訳でもなく。

ただ、父が言う様に。広い世界をみてみたいなー。なんて思っていたのです。

結果、たまたま留学フェアなんてものを開催していたカナダのエージェントの方にお世話になり、ぼくの留学先はカナダとなったのです。


そのカナダ留学で、ぼくは音楽に助けられる経験をいたしました。

意気揚々と通い始めたカナダの高校では、思いの外言葉の壁が厚く。

ぼくは生まれて初めて‘孤独’というものに殺されそうになっていたのです。。


これ以上書くと慈悲深い読者皆様の貴重なお時間をあまりにぼくの為に費やしてしまうことになってしまいます。

が故。続きは後日。

【音楽に国境は存在しなかった。言葉がなくても語ることのできたカナダ5ヶ月留学。】

にて。


長文&乱文を最後までお読みいただきありがとうございます。

もしよろしければ現在活動しているバンドと運営している宿のリンクを下記に記載いたしますので、どうぞご高覧いただければこれ幸いにございます。


◯現在活動しているバンド

小宮山門前ブルースバンド HP

小宮山門前ブルースバンド 初音源1st.THE DEMO PV


◯運営している宿

古民家ゲストハウス梢乃雪 HP

梢乃雪二号館ゲストハウスカナメ Fb


文:たつみかずき




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