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14/4/20

甲状腺腫瘍を経験したアラサー女子のお話(退院後~そして今)

Image by Olia Gozha

こんにちは、おおぬきです。甲状腺腫瘍体験談も、この回で終わりを迎えます。前作から読んでいただいた皆さん、ありがとうございます。

実はこの回を書く前に、旦那が他界した時の話を書かせていただいたんですが、この順番には意味がありまして…その辺も後半で書かせていただきますね。

手術後、微熱が続く

手術後2日間(だったかな)、抗生物質の点滴をしっぱなしだったにも関わらず、なかなか熱が36℃台まで下がってくれませんでした(退院2日前まで微熱が続いた^^;)

退院できるか否かの判定材料で「熱が下がらない」というのはかなりのマイナス要因だったので焦りました。多分、病室の室温が28℃と異常に暖かい(というか暑い)状態だったので、それもあったんじゃないかと…。

首から下げていたドレーンは手術して3日後に取ることができました。

おかゆ食のせいで、噛まずに飲み込む変な癖がついてしまった



↑実際に出されたおかゆ食の一部

手術後しばらくはおかゆ食が出ていました。喉と、嚥下負荷軽減のための食事でしたが、あまり噛まずに食べれてしまっていたので、通常食が出て以降も噛まずに飲み込む癖がついてしまいました。これは退院後もしばらく続きました^^;

手術後、お風呂に入るためのガード

手術後から異様に髪の毛がベタベタしてたので(ってか、手術中に何か私の髪の毛に薬品でもこぼしたのか?っていうぐらいベタベタしていた…)早くお風呂に入りたいと思っていたんですが、手術後4日目だったかな、順番に入れることになりまして、傷口をガードしてもらったんです。


大きなガーゼでガードして、その上をサランラップみたいなものでグルグル包んでもらった状態です。さすがに湯船には浸かれませんでしたけどね^^;

退院前の傷口

(ちょっとグロい画像なのでスクロールされる方、ご注意を!)










これは透明な油紙みたいなものが上から貼られている状態です。テープが貼られている赤い血のにじんでるところ…これがドレーンが刺さってた穴(笑)

傷口は首のシワとまざってだんだん目立たなくなってきています。

甲状腺ホルモン量は満ちていた

右葉をまるまるっと取り除いてしまったため、甲状腺ホルモン量が心配されてましたが、どうやら左葉だけで生産が追いついているようで、以降薬を飲む必要がないと診断されました。後日の1週間後健診、1ヶ月後健診でも問題は出なかったため、通院はこれで終わり。




そして、最後になりますが…




実はこの、私が入院した病院は旦那が脳出血を起こして緊急搬送された場所でもあり、彼が入院した脳外科と、私が入院した耳鼻咽喉科の入院フロアは同じ5階だったのです。

甲状腺腫瘍が発覚し、この病院での手術が決まったとき、旦那は私を守ってくれるだろうか?と考えました。(もしかしたら、同じ手術室で手術したかもしれない)

入院中、あの、最期を看取った個室を覗きにいきました。そこは空のベッドだけが置いてありました。

SCUも見に行きました。ですが部屋には誰もおらず、機能していない状態でした。

そこには居ないと解っていても部屋を覗いてしまいました^^;

退院、その時再会した人

5月1日、私は無事に退院することが出来ました。(後々考えたら、高額医療費で損をしたかもしれない…Orz)退院手続をするため、懇談室で待っていると、見覚えのある顔の看護師さんが来ました。

Kさん「おおぬきさーん! ……って、あれ? あの、おおぬきさん?」

アタイ「あ!もしかして、Kさん?」

はい、このKさん。旦那の最期のお世話をしてくれて、看取ってくれた看護師です。

Kさん「うわああ!お久しぶりです!やっぱりそうだったんだ!」

アタイ「こちらこそ!あの時はお世話になりました!」

Kさん「家族カルテを拝見して、ご主人が他界って書いてあって…お名前がおおぬきだったんで、もしかしたらーって思ってたんですよ!」

アタイ「あははは(笑)」

変な縁があるものですね。もしかしたら、旦那が引き合わせてくれたのかな(笑)


ということで、私の入院体験談、これにて終わりです。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました!

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