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14/4/16

今はそのうち過去になり、みんなおじちゃんやおばちゃん、おじいちゃんやおばあちゃんになるという話

Image by Olia Gozha

           


私は基本的に、人生どんな困難も乗りこえられると思っている。


実際には、乗りこえられるというか、ただ時間がすぎて、新しいことが上書きで記憶に保存されていき、あれ、あんなに苦しかったあのこと、今は思い出しても心が痛まないなーとか、そういう風になれる、と思っている。

よくいう、時間が解決する、ということは、このことだろうと思う。



私がそうなってきたのには、新しいことにいろいろ挑戦してきたこと、環境を変えてきていこと、そんなことが理由になっていると思う。



以前のストーリーで言ったように、私は中学生のころ、一時期不登校だった。

原因は、友達の問題と、家族の問題が重なって心が弱くなっていたんじゃないかなーと思う。




夏休みがきて、「あぁ、ようやく他のみんなも学校にいかない夏休みがきた。これで学校に行けっていわれなくてすむ。。」と心底安心したこと、

逃げ場をさがして不登校についてインターネットで調べたときに、不登校は3カ月以上学校にいっていない期間がないと不登校にならないとあり、

私もこんなに苦しんでるのに不登校とは認めてもらえないんだ、となんだかとっても苦しくなったことを覚えているので、

実質夏休みをのぞいて1カ月くらいだったのかもしれない。


         




その間、電話がなると先生からかも知れないといやなどきどきがとまらず、緊張して、こわくて、すべての電話がとれなくなったり、

人と会うのがこわくてインターホンに出れなかったり、

窓の外から誰かに私が家にいるのが見られてるんじゃないかとこわくて窓の近くによれなかったりした。




文字にするとそうでもないけれど、そのときは完全にクレイジーだった。すべてが怖かった。自分でもそう感じていた。

病院にいけば、対人恐怖症だと言われたんじゃないかと思う。




それから高校まで、思春期だったのと不登校になった原因の心の傷があいまってか、

電車のなかではつねにだれかにばかにされているような気がしたり、

大学まで男の子がこわかったりした。




そんな中で、はじめに私を癒してくれたのは、前の記事にも書いたとおり、高校と、高校の友達だった。

次に出逢ったのは東京の短大の友達、

その次は編入先の大学の友達。

私は本当に友達に恵まれた。心の底からすべてに感謝している。




次の就職時代は最後の方、これでもかというくらい精神的に厳しい日々だったけど、

今、オーストラリアに来て、やっぱり、今を楽しんでいる。



中高からの性格やネガティブさは、長い間ひきずったけれど、いまはあっけらかんとして、とくに多くのことを気にしないおばちゃん化現象の自分を気に入っている。



総じて、私がいいたいのは、人は必ず年をとって、丸くなる日が来るということ。



どんなに辛い今も、いつの日か、そういえば、私の人生波乱万丈だったな、と、思える日が、くるんじゃないかなということ。


やっぱり家族の問題は、なによりも心に打撃が大きいと思う。そろそろ大丈夫そうだ、と思えてきた今、計13年経っている。

私よりもっとつらいことがあった人は、きっとそれ以上かかるんだろう。問題が継続的に続いている人は、もっともっとかかるかも知れない。


でも、私が思うこと。誰かが言っていた。


「小さい時なら、育ちのせいだと言える。親のせいだと言える。でも、おとなになったら、自分で自分を変えていく時期だ。もう、だれのせいにもできない。そうあるのは、自分の責任だ。」


この言葉で、だれかが自分を責めることがあれば、それはまだ、あなたにとってこの言葉が必要じゃないときだからだと思う。

人生にはつねに段階っていうものがある。


言いたいことは、自分を変えられるのは、自分しかいない。だから、辛かったことに、悲しかったことに負けないで、あきらめないでほしい

私は、諦めなければやり遂げられると信じている。とくに、自分の内面のことは。だれかの助けは必要かもしれない。ひとりでやる必要はない。使えるものは使って、なにごとも楽をした方がいい。


大切なことは、思い描くことだと思っている。

どうなりたいか、それがなければ、実現できない。


ネガティブな自分がいやだと思った時期、じゃあ、私はどうなりたいんだろうと考えて、屁理屈でもいいからポジティブにとらえる練習をしていた。


こういう人みたいになりたいなと思ったら、そこを大切に覚えておいたりした。だれかに悔しいことや悲しいことを言われたとき、自分を納得させられるような名言をメモしたりしていた。


日記も、とっても役に立った。楽しかったことだけじゃなくて、悲しかったこと、つらかったこと、くやしかったことも全部書いて、最後には、でも、これがあったから、今日これが学べた、とか、次はこうしよう、とか、そういう風に終わらせていた。


目で見える日記が、自分のネガティブばかりでうめつくされるのが気持ち悪かったり、かっこわるい気持ちがあったんだと思う。



そういうことの積み重ねで、いつの間にかおばちゃんのようになっていた。


    

もしもネガティブからポジティブになりたい人は、ぜひやってみてほしい。


私はいまはもう日記を書いていない。

ほとんど毎日をふりかえらなくなった。

もう、あの頃ほどセンチメンタルでもなくなった。


そう思うと、あの頃もいとおしい人生の1ページだと思う。


今は、やりたいことをどうやってできるか、

なにをやろうか、わくわくして考えている。


人生には、いろいろタイミングっていうものがあると思う。


50歳になった私は、またまったく違う自分になっているかもしれないと思う。



人生はやっぱりおもしろいなーと思う。

    



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