あえてプー太郎になり、便利な日常と縁を切ることで新しい何かを見つける旅へ
2002年のある、29歳の誕生日に・・・
わたし「(来年はもう30代か、、、)」
わたし「(・・・そうだ!日本一周しよう!)」
誰でもやろうと思ったらやれるのに、意外と誰もやってないこと。そんなトライをしたくなった。

「そういえば、日本人として日本に生まれたのに、まだ知らない日本の土地がたくさんあるな。。世界も見てみたいけど、まずは日本だな!」と思いたち、早速上司へ報告。
わたし「あのう、日本一周してくるので会社辞めます」
上司「#★*+!○※?」
「日本一周して帰ってきたら仕事が見つかるのか?」なんて心配はまったくせずに、早速準備開始。
今思えば色々と向こう見ずな人間だった・・・。
#なぜ世界一周ではなく日本一周なのか。それはクルマが大好きだったので、まずは走って回れる日本をターゲットに。ちなみにクルマはホンダのCIVICタイプRというスポーツカーでマニュアル車(!)

レカロシートで車中泊・・・。
どういう風に日本一周するか、自分ひとりで考えた
今回の一番のテーマは「自分ひとりで企画したことをひとりでやりきること」だ。よく、誰かといったのか、と聞かれるが完全自由が必要だったので、1人単独でのトライである。
まずは簡単にルールを作成。
ルール1:海岸線の道路(下道)を利用して、東京から反時計回りに一周する。ただし、北海道に渡る際はフェリーを利用する

図解すると、こう。

フェリーで、本州⇔北海道は移動。
ルール2:宿泊施設は利用せず、基本、車内泊とする

実際の様子はこんな感じ
ルール3:見積もった距離が10000kmで最大2ヶ月だったため、それまでに東京に戻れなかった場合は、リタイヤとする。また、身内の不幸などの場合にも、中止する

結果からいうと、2002/09/08~2002/10/23の計46日間で14427km走破し、途中リタイヤすることもなく、完走できた。一番かかった経費はとにかく「ガス代」。
それでも当時はハイオクでも100円/Lくらいだったのでいい時代だったなあ。
#当時、テレビ番組の鉄腕ダッシュでもソーラーカーで1周の旅をやっていて、あちらは沖縄の方まで回って17704kmとのことなので、お互いに似たようなルートを通ったのかも。
せっかく珍しいことをやるので、興味を持ってもらえた人に何か発信したくなった

#退職前に立ち上げた新規事業「TRAM」のマスコットキャラクター。せっかくなので、PRしながらまわることにした。

さて、2002年の夏頃なんて、ココを今読んでる人で、どれくらいインターネットを使ってたろうか?
その頃といえば、Amazonが日本ではやりはじめたとか、ドコモがカメラ付きケータイを発売、とか、FF11がサービス開始したとか、映画少林サッカーがやったり、そんな時代。

ISDN・・・(当時、撮影)
黙々と毎日ひた走るのもストイックでよかったのだが、どうせならと、毎日車内からPHSでネットにつなぎ、自前のホームページを更新することにした。
例えば、紀伊半島を回ってる頃のホームページ更新はこんな感じ。自由気ままにもほどがあるテイスト
ココカラ--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
天下の台所から陸の孤島へ(2002/10/17)
天候:晴れ間の向こうに。気温:17度(21:30)。湿度:45%。体調:英気を養ったため快調。
走行開始時メーター:42079km 走行終了時メーター:42356km
ルート:中百舌鳥駅前のイトコの家→県道28号→R310→県道34号→県道204号→県道29号→県道63号→県道204号→R26→県道65号→田倉崎→県道7号→R26→ケヤキ通り→和歌山駅→ケヤキ通り(戻)→R42→県道20号→R42→県道23号→県道24号→県道188号→R42→県道210号→県道206号→県道31号→県道33号→県道31号→県道34号→R42→道の駅「イノブータンランド・すさみ」

今日見かけたCIVICTYPER:EK9 0台。EP3 0台。今日もスポーツカーすらサッパリだった・・・。
道行く車のナンバープレートの変遷:「和泉」→「和歌山」
今日で40日目。30日過ぎた辺りから1日1日が重く感じるわ。
久しぶりに9時過ぎまで寝てた。暗い部屋だからか、疲れがたまっているせいか・・・。 朝食を済ませた後、広島ブリに洗車をする。
ついでに日々の更新風景寒い日は膝の上のPCが 暖かくて良い感じですが、暑い日は・・・(以下略。それでもこの体制で2時間も 打ち込んでるとさすがに体が痛いです・・・。
国道から県道へ入り、田倉崎を目指す。途中、山道で和歌山県になった。 加太海岸というらしい。途中、県道65号が2つに わかれて、山道とトンネルになるらしく、山道の方にいったら、なんか峠走りの 跡が路面に・・・。そういうスポットなのかもしれず。いかにもなところで 距離も短く民家も無かったので・・・。
今日のヒット!!!まったく意味がわからん。 シートベルト系第2弾。連れもシートベルトをしよう、という意味だろうか・・・。 関西便なのか、、、和歌山の方言なのか・・・。謎は多い。

もらった弁当を食べて、前日分の執筆をして、23時前に就寝。ここの道の駅は結構 騒々しい感じ・・・。変わりに24時間開いていると思われるテーブルと椅子がある ので、翌日はそれを使って執筆しよっと。かなり三重は見所ポイントが 多そうだ・・・。伊勢、津、鈴鹿、四日市・・・。ぱた。
ココマデ--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
毎日大体こんな調子で毎日欠かさずアップしていた。

今だったらiPhoneとブログとかで済むし、GoogleMapとかもなかったので、紙の地図でその日その日走る道を確認しながら走ってた(カーナビはあえてつけてなかった)

こ・・・これさえあれば日本中どこへでも行けるさ(震え声)
さらに個人メールマガジン配信もやってみることに
たまたま知り合った(当時)エン・ジャパンの社員の方に薦められてよせばいいのに、1日1回、メルマガも配信することにした。(その方とは、その後Facebookで再会)

twitterやfacebookはおろか、mixiもGREEもブログもまだなかった時代。なので集客のしようもなかったのだが、こんな見ず知らずの意味不明のメルマガに150人くらいの読者がついて嬉しかったことを覚えている。
内容はこんな感じで毎回、飽きない工夫を取り入れていた(読者とのQ&Aとか。これも今思うとホリエモンメルマガよりもずいぶん先取りしてたな(苦笑)ホリエモンと出会う前だけど)
実際の配信内容はこんな感じ。テキストメルマガなので、当然、文字ばかりで味気ない。
ココカラ--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
旅メルマガ 6週目(2002/10/13~10/19)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 2002年10月13日発行 第033号
== I N D E X =========================================================
(1)今、ワタシ、ここにいます
(2)最近、これ食べました
(3)現在の東京からの走行距離情報
(4)読者からのお便りにお答えします(投稿があった場合のみ)
(5)沿道の様子・行き交う車の様子・食べ物の様子、トラブル・ハプニング
(6)今日もどこかで、つぶやきを
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(2)最近、これ食べました
10/22編
朝:「セブンイレブン」で「メロンメロンパン(130円)」、「紅茶花伝ホット」
昼:「さくら亭」で「冷やしたぬきそば(840円)」
夜:「ピッコロボスコ」で「パンチェッタとハーブのペペロンチーノ(1280円)」
「ブラッドオレンジジュース(500円)」
パンチェッタとは、豚バラの塩茹で?みたいののとのこと。
静岡~神奈川はなんか、蕎麦屋が多かったです。
あまり朝早いと、肉まんのケースがまだはじまっていなくて寂しい。よく冬は
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(3)現在の東京からの走行距離情報
2002/10/09 355km
2002/10/10 200km
2002/10/11 424km
2002/10/12 323km
割りと走ったつもりがやはり山道だと伸びないし、燃費も悪いわ~。
2002/09/08~14 走行距離 2698km
2002/09/15~21 走行距離 2171km
2002/09/22~28 走行距離 2163km
2002/09/29~05 走行距離 2290km
44L給油達成(涙。残り1L、、、寒かった。
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(4)読者からのお便りにお答えします(投稿があった場合のみ)
Q.現在、仕事についてますか?ついてなければ、旅の終了後になにかアテがあるのでしょうか?無い場合は、何をつかって探してますか?御教授いただければ幸いです。
A.新しい方からの質問です。ありがたいです。やや、予想外な質問ですが・・。
一言で言えば、無職です。プーです。実家も家業をやっていないので継ぐということもできませんし、アテもまったくありません。。。
でもそれは今回の旅はそもそもそういう状態を前提としているので、それを気にするのはナンセンスかとも思いまして。
質問の意図にもよるのですが、もし、再就職のことが気になって思い切ったことができないのであれば、最近読んだ本に、タリーズコーヒー社長の書いた、「すべては一杯のコーヒーから」という本があるのですが、その中で「7000万円の借金をして銀座に1号店をオープンさせるとき、近くのコンビニに走って自給を確認して、ウン十年働けば死ぬまでには返せることを確認した、」というエピソードがのってました。
自分もコンビニくらいでは働かせてもらえると思っているので、餓死することはないと思っています(笑。7000万借金する度胸はさすがにありませんが。綺麗な道が明日以降も保証されていればそれはそれは安心ですが、中々それではより大きなカベに挑めない、という話はバックナンバーでちょっと触れています。
もっと具体的な話では、近頃で言えば、転職、というキーワードでインターネット検索すれば、死ぬほどヒットすると思いますし・・・。どうとでもなるかと思います。利用するかどうかは別問題ですけどね。
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(6)今日もどこかで、つぶやきを
大体、朝、走る前に今日の道路を確認する。ある点を始点にたどっていき、元の場所に戻る道路というのも結構ある。それがしょぼかったりするとパスしたくもなるのだが、もし、こうして「無駄だなぁ」と思う道を、どんどんはしょっていくと、最後には東京から出ることがなくなってしまうことになる(東京から出て東京に戻るので)
無駄なことを省く、それが合理化なのだが、どこまでが無駄でどこからが無駄ではないのだろうか。見方次第で、全て無駄にもなるし、意味があるともいえる。
人間、生まれてから何かしら、「無駄」か「そうでない」ことをして、結局最初の場所に戻る(死ぬ)だったら、「これは意味がなさそうだ」と思って及び腰になるのではなく、まずはやってみる、という姿勢がやはり大事だと思う。年をとればなおさら。
自分はかなり計画魔なところがあるので、立てた計画にないことを「無駄」と思ってしまい、つい手を出さない傾向があるので、100の計画に20の無理・無駄を加えるぐらいでいけたらいいな、と感じている。
ココマデ--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
寝食以外は、毎日走るか、何か書くか、くらいしかやることがなかったので、好きなことをここぞとばかり書きまくってた。HTMLメールにしてもよかったかが、当時はHTMLメールはウイルスをばらまく「悪」だった(苦笑)なので没に。

各地のおもしろ看板やご当地食べ物情報を発信し続けた。いや、、、わかめって、、、

「けさい」、って!?

最北端の食堂なんて、普通、東京からマイカーでいきません。

いきなり崖とかなんでしょうか・・・・

一度いくべし鳥取砂丘

いや、、、だから、柵とか、ないんですか・・・

もはや意味不明の次元ではない
一番辛かったことは、自分との戦い
誰しも、日々、何かルールに管理されて動いている。月曜が来たら会社か学校へ行くし、時間が来たらご飯を食べて眠る。テストや評価面談のタイミングはあるし、進級や異動もある。
つまり我々は普段、お腹が空いてなくても時間がきたらご飯を食べ、眠くても眠らない、見えないなにかに縛られて生きているのだ。
しかし、毎日が完全に自由で「完走する」というゴールだけが決められた中にいると、例えば好きなときに好きなだけ走り、食べて、寝ることができるがゆえに自分で「ペース」をつくらなければならず、自分で自分を管理する必要がある。
それゆえに一番意識したのは自分との対話。わかりやすく言えば体調と精神状態の管理。
体のおかしいところはないか常に意識し、無理せず、またバランスよく食べて眠る。また、毎日誰とも話さずに走る場合もあるので、気持ちが塞ぎこんでいないか、もう一人の自分がチェックする。
実際には旅の先々で知り合いやメルマガの読者との出会いがあり、幸い病気にもかからず危機的な状況にはならなかったのだが、ここで培われたセルフコントロール力は、あったと思う。

夜、道に迷って小道でクルマをぶつけてしまったり、タイミングよく銭湯がなく頭のかゆみに悩まされたり、トラブルもなくはなかったが、健康であればこそ、大した問題にはならなかった。

唯一、サイドに痛恨の接触ダメージ

北海道は9月でも10度以下だったので、クルマで寝て起きたとき凍死してないか、不安になったことはあったが(苦笑)

こんなところで寝泊まりしたり。
あとはPHSなんて、全然つながらない時代だったのでそこもドコモのムーバだったらかなりストレスは軽減されたかもしれなかったが、それも含めての旅だったのでよしとしよう。

そして、さすが日本の技術。車自体のトラブルには全然悩まされず、ホンダサマサマだった。
結局、日本を一周して、自分は見つかったのか、何が見えたのか

まだ暑かった9月上旬に出発し、長袖が欲しくなる10月下旬に、郵便物がポストにあふれる自宅に無事に帰京した。平日だというのに何人か、ゴールのお祝いにきてくれていたのは嬉しかったのを思い出す。

ハチミツとクローバーという漫画で、自分を探すためにチャリで旅をするエピソードがある。

見えない未来への恐怖を克服するためにひた走る、あれだ。誰しも、こういう気持ちになる瞬間はあるのではないだろうか。

結論から言うと、あれから12年経ったが、やはり何かつかめたという感覚はない
それでも、きっと今ではもうやらない、やれないことをできたことは、若いのもあったろうけど、自分の人生における1ページとして非常に価値があったと思っているし、この後にライブドアで働くときにもここでの経験は生きたと思っている。

福岡で知り合った走り屋のみなさん。行く先々で面白がられたり、応援されたりした。
また、完走後、メルマガの(会ったこともない)読者から「面白かったのでカンパしたい」という申出があったり、行く先々で泊めてくれた人が何人かいたり、その中で誰かの人生の刺激になったのなら、それは嬉しい事だし、「日本ってこんなサイズなんだな」という実感値を持てたことも大きかった。

同時に、東京で見知ったことなんて、ほんの一部分に過ぎず、もっともっとたくさんのことが、各地にはあると知った。東京の常識、地方の非常識。世界は広い。
「今、できないと思っていることは、本当にできないことなのか?」
単に、自分でできないと思い込んでいないか?コップに入れられて見えない天井を作られたノミは、コップを外されてもそれ以上、ジャンプしなくなるという。
若者よ、見えない天井をはずして、生きていこうではないか。

#その後は、いろいろな会社を経験して、今は日本一周へ旅立つ前にいた会社に再び戻っています。人生、何があるかわかりませんね。
※次回は、同じことをやっても面白く無いので、スーパーカーで全国道制覇くらいはやりたいものである(スポンサー募集!)


