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14/4/9

SUZUKI RG250Γ WW仕様5型を点検してみた

Image by Olia Gozha

前回の整備から6ヶ月、時々エンジンをかけてはきたものの、さすがに春には乗りたいと思い、またも整備が嫌いなのに、ガレージから引っぱり出したのが2月。

そのまま、庭のコンクリートの駐輪場にシートをかけて置いたまま、年度末の仕事に追われながら、父の初彼岸やインフルエンザで寝込む等で全く触れず。

その後、ようやく目処が付いて来た日にシートを外す。あちこちにオイルやグリスを充填しつつサビや汚れをチェック。まあ、外観はそんなに酷くなっていない。

さて、エンジンをかけようか・・・ん_?フロントタイヤが全く動かない。Fブレーキレバーは・・・ガッチガチだ!もしかして 固着 した_?ゲーロゲロ。

キャリパーの分解整備を考えると急に気分が悪くなってきたので、その日はそのままシートをかけて終了。そして、その2日後にそれは起こった。

父が亡くなった為、実家寺院の住職に就任(会社と兼業だが)する事になり、宗務庁に免許状を貰うための研修にでかけた。その中で教官からの一言。

「住職たるもの、地域の方々から眉を顰められるような行為は厳に慎んでいただきたい。例えば過度の飲酒や粗暴な振る舞い、また改造車や自動二輪車の運転・・・」

「排気量の大きなハーレーのような大人の趣味を感じるものは、お布施の使い道という点で何か言われる事もあるだろうがセーフ。」

「がスポーツタイプでマフラーを交換したものや、環境汚染が問題になったタイプ(2ストね)はねぇ・・。お寺の収入外で購入したと言っても世間の見方は・・。」

昔の住職達は農地解放で急速に貧しくなった事や、衣を着たまま乗れる手軽な乗物としてラビットやシルバーピジョン等のスクーターを愛用していた。父もラビットの125ccを2台所有していた。

今のようなビックスクーターが無い頃だし、その後もHONDAのスペイシー125ccを愛用していた。父の夢はいつかハーレーのファットボーイに乗る事だったが、とうとう果たせないまま逝ってしまった。やはり世間体を気にしていたようだ。坊主はスクーター止まりだと。

戦後日本では、プロレスやボクシングスポーツや自転車や競馬は興業・ギャンブルからスポーツに昇格した。車もレストアや蒐集が趣味として認められてきた。がバイクだけ地位が低いのは何故?

仕方が無いのでビッグスクーターか屋根付きスクーターに乗り換えるしか無いか、と思い始めた今日この頃。

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Image by Jukka Aalho

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