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14/4/10

思いつきでフィリピン・カンボジアを回りサッカーボールを寄付してきたら死にかけた。②

Image by Olia Gozha

何とも言えない緊張感の中、僕はそのビザサポートをしている所(見た目ただの民家)に着いた。



誰もいなかった。。。



道路脇に座り込み、さあどうしようかと。




と、思った時。


「あっもう来てたんだー!」

「お金おろしてきたよー。」


てな感じであの日本人が現金を持ってきてくれた。


その時その人が神様に、救世主に見えた。笑

泣きそうになりながらお礼を言ったのを今でも鮮明に覚えている。

本当に本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。(建物の見た目だけで怪しいと思っちゃってごめんなさいと言いたかった。笑)



しかも、そこにいたフィリピン人から近くに学校と孤児院あるよー。と言われ連れて行ってもらうことになった!




ここから、本当の旅の目的が始まる。




最初に着いた学校。

正直、緊張しまくってどう説明すればいいのかもわからない。


とりあえずその学校の先生を呼んできてもらう。

自分がサッカーボールを配りに(寄付しに)、日本から来ていることを説明しもらってくれるか聞いてみた。


そうすると、笑顔でもちろんです!と言ってくださり、生徒たちを集めて喜んでくれた。



スッゲー嬉しかった。



今まで味わったことのない喜びだった。

自分のただの思いつきで。見ず知らずの異国の人間が勝手に訪ねてきて、勝手にサッカーボールを寄付しただけで。こんなに喜ばれるとは思ってもみなかった。


その時の写真です。



ちなみに断られた場合のプランは全く考えていなかった。笑


そんなこんなで、生徒との交流や先生方と話す機会も持て有意義に1校目での寄付を終えた。





次に向かったのがある孤児院。

そこにはなんと日本人の女性がボランティアとして働かれていた。つい先日大変な目にあっていた僕からしたら彼女がものすごく逞しく見えた。

彼女に施設を案内してもらい、ここにいる子たちの現状を聞きいろいろと思うことがあったことを覚えている。その時初めて自分がなんて恵まれてたんだとも思った。

そうは言っても、ここの子供たちはすごくいきいきとしておりこっちが元気をもらえるぐらい。



もちろん、サッカーボールも受け取ってもらえた。

そのボールでバスケットをしだした時には、おい!っと突っ込みをいれたが、まあいいや。楽しんでくれれば。笑


(フィリピンではサッカーよりバスケットの方が人気らしい。)


その日は最高の気分でベッドに入ることができた。なんて素晴らしい一日だったんだと。



それから観光したり。同じホステルに泊まってる人らと遊んだり。カナダ留学時の先生と再会したり。iPhone盗まれたり。笑


楽しい日々が続き、僕は違う都市にも行ってみようと考えるようにもなった。

そこで目についたのが、ビガンという町だったフィリピン北部の田舎で町並みがきれいな場所だとホステルのスタッフが言っていた。と、いうことでそのビガンという町に行くことに。


マニラからラワグという都市へ飛行機で。そこで一泊しバスでビガンへ。

そのバス、1車線の舗装されていない道路をすごいスピードで走るのだが、レースゲームの雑魚を抜くかのように乗用車や軽トラックを抜く。さすがに怖かった。笑


ちなみに僕が見た軽トラック・2tトラック、すべてISUZUのトラック。あのCMソングが頭に流れていた。ISUZUって、日本企業ってすごいなと思った。笑



さて、バスはビガンへ着いたのだがホステルのお兄さんの話は本当だった。フィリピンがまだスペインの植民地時代の町並みが残っていた。本当に美しかった。特に馬車で町を回ると昔へタイムスリップよう。



馬車のお兄ちゃんにどこか学校ある?って聞いたらすぐそこにあるとのこと。

早速行ってみることにした。


その学校は町一番の規模の小学校だった。

歴史のある建物だったが、破損部分がいくつもあるような感じ。

一つ一つの教室に案内されると、生徒が毎回みんなで声を合わせて挨拶をしてくれた。

ここの先生に、日本人が来たのは初めてだからすごく嬉しいと言われ、僕も自分みたいな訪問者を受け入れてくれてありがとうと伝えると、フィリピン料理だと言ってランチをごちそうになった。


自分が持ってきたボールで生徒たちが楽しそうに遊んでいるのを見て本当に良かったなと。先生からも何度もありがとうと言われるし、ビガンの人達はマニラの人達より暖かい人が多い気がする。

本当にビガンに来てよかったなとしみじみ思っていると何となくお腹に違和感が。。。。


あのランチ。あのごちそうになったフィリピン料理の後からお腹の調子がおかしい。笑


僕はその後、一度マニラに帰ってからカンボジアのシェムリアップへ飛んだ。

その間、トイレが友達になりつつあった。笑




つづく。







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