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14/4/9

平凡な会社員が、“脳出血で倒れて働き方を考え直した”話【第四回】

Image by Olia Gozha

そして、感覚が失われ始めた

2009年12月初旬。僕が緊急入院した病院は、朝6時が起床時間らしく時間になると一斉に蛍光灯が煌々と点けられた。

蛍光灯は思いの外明るくて、なんだか警察の取調室で電灯をつきつけられているような気がして、あまり気分のいいものではなかった。



僕の体はというと、夜が明けたらマシになっているのでは? との願いも虚しく、やはり二重に見えることには変わりなく、右半身の痺れもそのままだった。


しばらくすると、お茶が配られた後、朝食が配膳された。何となく病院食はあまり美味しくというイメージが合ったが、結構美味しく食べることができた。(まだ、この時は…)

それからしばらくして家内が来てくれた。家内の母親は、何度か入院していたので勝手もわかった様子で、必要なモノをいろいろ持ってきてくれ有り難たかった。


僕はといえば、とにかく初めての入院でいまいち要領も得ず、ただただ点滴を打たれながら出された食事を食べて寝る、そしてトイレにいくだけの生活となった。

入院してからは、朝6時に起きて夜9時に寝るサイクルとなり、

「生活サイクルだけは、入院してるほうが人間らしくて健全だなぁ」

などと、まだそのころは呑気に考えていた。


しばらくしてから、4、5人の入院患者がいる大部屋に移されることとなった。ベッドの回りはカーテンで仕切られているので、周りの状況はよくわからなかったが、救急病院と言うこともあり事故で骨折して入院した人たちが多いようだった。


それから一週間ほどが過ぎ、入院生活にも慣れてきた頃、会社の上司や後輩たちがお見舞いに来てくれた。

上司「大丈夫か?この際だからゆっくり休んどけ。仕事のことは心配すんな。」

上司からは、こんな感じの言葉を掛けられ、本当に安心させてもらったのを今でも憶えている。僕はというと後輩に「こんな風にならないように無理するなよ」と、まだ余裕をかましていた。

それから何日か後、仕事のことを聞きたいと課長と同僚がお見舞いに来てくれた。一応、憶えている限りのことは伝えはしたが、如何せん記憶を頼りに話したので、うまく伝わったのかは心配だった。


入院してから2週間目にかかろうとした頃、少しづつ進行していた痺れはその範囲を拡大してきていた。トイレに行く時は歩行器が必要となり、用を足している間も二日酔のように頭がグルングルン回っており、手すりをしっかり持っていないと立っていることも困難になりはじめた。




どうやら三半規管に麻痺が進行しているのか、平衡感覚が失われはじめ、”大”の時は本当に意を決して行かなくてはならなくなり、便座に座ることもままならなくなってきた。また、右半身の痺れはお尻にも達していたので、うまく気張ることもできず排便も困難になってきていた。

こんなにトイレが大変なこととは今まで全く考えたこともなかった。

「これは、本格的にヤバイことになってきたぞ…ほんとに社会復帰できるんか?」

僕がふらふらとトイレに行くことを家内が心配して、トイレに近い部屋にベッドを移してもらった。しかし、歩行器をつかって歩くことすら困難になり始めたため、遂にはベッドの横におまるを置いてもらうことになった。

「この歳になっておまるで用を足すことになるとは…」

ベット横のおまるを見ながら、少しづつだが人間の尊厳が失われていくような気がしていた。

その2、3日後の夜遅く、どうしてもトイレに行きたくなり、一人でベッド脇のおまるに座ろうとしてベッドから降り体を反転させようとした瞬間、目が回ったかと思うとあっという間に天地が逆さまになり

「どんっ!」

という大きな音とともにその場に倒れてしまった。

遠くで看護師さんの声が聞こえ、こちらに走ってくる足音を聞きながら思った。

遂に、介助してもらわないとトイレにも行けなくなってしまったのか…

言いようのない情けなさが僕を包んだ。

<つづく>




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