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14/3/29

ど田舎にできた高校アメフト部がたった2年で関西大会に出た話(11.孤独でもやりきるのがリーダー)

Image by Olia Gozha

⒒孤独でもやりきるのがリーダー

 

初めての練習試合も経験し、夏休みを迎えた。僕らは夏休み中にU先生からいろんなことを教えてもらい、どんどんとフットボールを吸収していった。

 皆、日々の変化に練習が面白くて、面白くてたまらないという顔をしていた。そしてグランドから遠く離れたところからでも、叫び声が聞こえるくらい練習は活気に溢れていた。

 ところが、夏休みが終わってしばらくした頃、その状況が変りだした。夏休み明けから練習の内容が変ったからだ。ある程度新しいことを覚えてしまったので、U先生は、完成度を上げるために同じことを繰り返す練習を指示していた。

どんなスポーツでも同じだが、繰り返し、繰り返し同じことを練習することによって、ほんの少しずつ完成度を上げていく。雨水が石に穴をあけるのと同じ理屈だ。

このストイックな練習に絶えられるか、絶えられないかで、一流と二流の差が出る。強くなるためにはどうしても乗り越えなければならない壁だ。僕らの気持ちに変化が出てきたのはこの頃だ。僕らの中から、始めた頃の楽しさが全くなくなった今の練習に意味を見い出せない者が出てきたのだ。

 

 

2年の秋、夏休みが終わって1ヶ月くらい経ったころから、一人、また一人と練習に顔を出すメンバーが減っていった。

あるとき

「今日はなんで関取がおらへんのや」

僕が不機嫌に尋ねると

「知らんわ。学校にはきとったけどな」

Dがその大きな口で迷惑そうに返事をした。

「連絡くらいしたらええのに」

Dの返事すら気に入らない僕は、感情的に答える。

こんなやり取りが毎日続いた。

やがて、練習を休んだメンバーは廊下で僕に出会うと、目を逸らすようになった。

僕は、いやな予感がしていた。

 

最初のころは練習を休むメンバーは入れ替わり立ち代りだったが、10月の終わりにはついに、練習に来るのは、僕以外には、MとYとSだけになってしまった。

「なんでみんなこうへんのや」

僕は三人に向かって怒鳴ったが、来ているやつに怒鳴ったところで、どうしようもなかった。

四人では、練習にならなかった。

僕は、みんなのいい加減さに腹がたって、ひとりで黙々と10ヤードダッシュを繰り返していた。それをMとYとSは、ただ横でじっと見ていた。

「うしは怒っとるで」

YがMに小声でいった。

 

このままでは、つぶれる。一人でダッシュを繰り返しながら、僕は考えていた。そして同時に、キャプテンとして何かをしなければならないとも思ったが、具体的に何をどうしたらよいのか分からなかった。いつの間にかダッシュの苦しさは意識の中から消えていた。代わりに孤独感と責任感が僕を押しつぶそうとしていた。

いかりと、あせりと、責任感の入り交じった複雑な気持ちが僕の頭の中をぐるぐると廻っていた。

 

その日は家に帰ってからも、そのことが頭から離れなかった。僕はずっと机に座っていた。どうしたらいいのか、あせるばかりで、時間だけが流れた。

自分も他の僕らと同じ立場だったらどれだけ楽か。僕は、この場から逃げ出したくなっていた。

「コツ、コツ」という時計の音がいつもより大きく聞こえている。

時計の針は、いつしか午前零時10分をさしていた。

僕は、とうとう座っているのに疲れて机に顔を伏せた。焦点の定まらない目の先に本棚があった。小学校の工作で造った本棚だった。その本棚の真中には、背表紙が色あせた小学校の卒業アルバムがあった。

僕は腕の上に顔を乗せて、そのアルバムをただ、ぼんやりと眺めていた。すると、不思議に小学生のときの出来事が思い出されてきた。

 それは、僕が入学したての小学1年生のときのことだった。

 

初登校日に知らない僕らばかりの中で、なぜか選挙で僕は学級委員長にされてしまった。出席番号が一番だったのが原因かも知れない。

次の日の朝、登校すると、先生がくるまでドッチボールをしようと数人がいい出した。偶然にも近所の友達が数人集まっているグループがあったからだ。

ところが、教室にはボールがない。

「おまえ委員長やろ、ボールがないで。先生とこへ行ってボールを取ってきてくれへんか」

僕に向かってグループの一人が、あたりまえのようにいった。

(なんで俺が取りにいかなあかんのや。かってに遊んでええのやろか。職員室もどこか知らんし、どないしよう)

僕は、そう思ったが、知らない相手ばかりで断ることもできなかった。

仕方なく駆け足で学校中を探して、やっと職員室を見つけた。

「先生、ドッチボールをしたいので、ボールを貸してください」

僕は、息をきらせながら頼んだ。

先生は、迷惑そうな顔をした。

「朝はそんなことしている暇はありません。誰がドッチボールをしようなんていいだしたのですか」

あっさり断られた。

僕は、クラスに帰ってそのことをみんなに告げた。

「お前、なんで先生にいうたんや」

無責任にそのグループの誰かがいった。

僕には耐えられなかった。

 

また、各クラスの委員長には週番といって、朝に1週間交代で校門の前で立ち番をする役目があった。遅刻してくる生徒に注意するためだ。僕も1年生のときから週番のときには朝早くから校門に立っていた。

あるとき、6年生が遅れてやってきて僕にいった。

「お前、何のためにそこに立っとんや」

「遅れてきた人に注意するためです」

僕が、ばか正直にそう答えると

「1年生が偉そうに注意するんか」

その6年生は僕の顔を覗き込んで、くってかかってきた。

その後は、何もいえずに、ただ立っているだけになった。

(何でこんなことさせられとんのやろ)

僕は、惨めな気持ちのまま毎日立ち続けていた。

 

5年生のときにはこんなこともあった。担任のE先生が来るのが遅れて教室でみんなが騒いでいたときのことだ。

先生は、教室に入ってくるなり、怖い顔をして僕を怒鳴りつけた。

「委員長は、何をしとるんや、みんなが騒いどるのはお前のせいや。ちゃんと静かに自習させとかんかい。それができひんのやったら今すぐ委員長なんか辞めてしまえ」

「分かるまで、廊下で反省しとけ」

僕は有無をいわさず廊下に立たされた。

(なんで、さわいでへん俺が立たされるんや)

僕は先生からしかられた驚きと、納得のいかない気持ちとが混じった複雑な気持ちだった。

僕がしばらく、いわれたとおりに廊下に立っていると、E先生が、教室の扉を開けて廊下に出てきた。そしてゆっくりと僕のところにやってきた。

「ええか。委員長とはなんや」

E先生は優しく諭すような口調でいった。

「委員長とは、クラスのリーダーと違うんか」

「クラスのリーダーは、みんなをまとめなあかん。みんなは、おまえがそれをできるやつやと思うて選んだんや」

「そやから、おまえはたとえ一人でも、みんなをええ方向にもっていったらなあかんのや」

「リーダーは、みんなと同じことをしとったらあかんのや。一人ぼっちでも、しんどくてもがんばれ」

「こんなことは小さいときから経験しとかなあかんのや。大人になってからでは、身に付かん。これは勉強よりも大事なことや」

E先生の目には優しさが戻っていた。

「わしはお前に期待しとる」

そういい終わると、何事もなかったかのように、また教室の中に入っていった。

 

小学5年生に向かってそんなことをいう先生も先生だが、そのとき以来、僕は「長はみんなをまとめるのが仕事。孤独やけど、まとめられなければ責任を取らねばならない」ということをこの先生からことある毎に教えられた。

 そしてそのうちに、先生のいう「子供のときにリーダーをしてみんなをまとめる経験をしてないやつが、社会人になって急にリーダーをやれといわれてもできるものではない。リーダーになるものは、子供のころからその経験をしている必要がある」という理屈は、そうかもしれんなと思えるようになっていた。

 最初は、なんで俺だけが立たされるんや、俺はさわいでへんし、めっちゃ損や、と思っていた。が、そのうちに、委員長とはそんなもんか、と腹をくくるようになった。

それ以後、自習になるたびに僕は

「おまえ、先生とちゃうやろ」

「なにを偉そうにいうてんねん」

とガキ大将に反発されながらも

一人教壇に立って

「みなさん、静かにして下さい」

と大声でいわなければならないはめになった。だから、クラスのみんなは自習になると喜んだが、僕一人だけはその度に憂鬱になった。

 今の小学生にこんなことを要求すれば、「なぜうちの子だけが、しかられるのですか。悪いのは、さわいでいた他の子たちでしょう」

「なぜうちの子が、先生のかわりにみんなを静かにさせなければならないのですか。かわいそうでしょう」

という母親の抗議が来るに決まっているが・・・。

 

僕は、そんな昔の記憶を卒業アルバムのおかげではっきりと思い出した。

と同時に心の片隅にあった、逃げ出したいという気持ちが、体から、波が引くようにスーと消えていった。

「昔からずっとそうやった。長はしんどいもんや。けどみんなをまとめられなければ長とはちがう。みんなは俺を選んでくれたんや。長には責任がある。よし、明日みんなを集めて、自分の考えをちゃんと説明し、ダメなら解散しよう」そう心に決めた。

 一旦決めてしまうと、僕はスッキリとした気分になった。

昔から、決断するまでは、あれやこれやと結構悩む方だが、一旦こうと決めてしまうと、もう全く迷わない。

 僕には誰が何といおうと、以後考えは一切変えないガンコさがあった。

 さっそく、僕は翌日みんなに話すことをまとめるために自分の考えを文書に書きとめることにした。レポート用紙を引き出しの中から探しだして、文書を書き始めたが、いいたいことが山ほどあった。とりあえず思いつくままに書き出して、それらを順序よく並べ替えていった。

これで明日みんなの前で自分の考えを話せると納得したときには、もう窓の向こうは明るくなりかけていた。

僕は窓を開けて、ひんやりとした空気を胸一杯に吸い込んだ。

 

翌朝、いつもより早く学校に着くと、僕は早速みんなに声をかけた。

「放課後に2年5組の教室に集まってくれへんか。大事な話があるねん」

僕は、早くみんなに自分の考えを話したくて、授業を上の空で聴いていた。先生の声がずっと遠くで聞こえていた。

やっと、その日の授業が終わり、みんながぞろぞろと教室に集まってきた。

僕はみんなが集まったのを見届けると、教室の戸をゆっくりと閉めた。そして教壇に上がると

「最近、練習を怠けるやつが多い。今日は、何でお前らが練習にこうへんのか聞きたいんや。その前に俺の考えをいうから、それを聞いたあとでいいたいことがあったら遠慮せんとゆうてくれ」

と切り出した。

部を作ろうとしたときの気持ちや、折角はじめたのだから途中で止めないで続けるべきこと・・。僕は昨夜まとめたことを5分ほどかけてみんなに伝えた。

みんな、静粛に話を聞いていたが全く反応がない。

「俺のいいたいことはゆうた。お前らのいいたいことがあったらゆうてくれへんか」

誰も目を合わせずにじっと下を向いて黙っていた。

「黙っとったら分からへんやろ。なんかゆうてくれへんか」

僕は、待ちきれずに頼むような口調でいった。

それからしばらく沈黙が続いた。

やがて誰もいわないのならという顔をして、Xが口を開いた。

「練習が面白ないねん」

「同じ内容の練習ばかりやからか」

「いや、そうとはちゃうけど、なんか面白ないねん」

Xが歯切れの悪い答え方をした。

「練習が面白ない?そんな勝手な理由か」

僕は、あきれたような言い方をした。

この言い方に腹が立ったのか、今度はXが大声を出した。

「お前のような考えをしとるやつばかりやないで。自分勝手な考えを押し付けんといてくれるか」

「だいたい、なんで面白ないことをせなあかんのや」

二人は半分けんか腰になった。

「みんなそう思うとるんか」

僕は違うという誰かの意見を内心期待した。

が、またしても沈黙が続いた。

こうなってはもう誰も口を開かないだろうと僕は思った。

もともと、そんなに大きな問題があるはずがない。

僕は、この教室に入ってきたときには、どうすればみんなが練習に戻って来てくれるか、そのことばかりを考えていた。

ところが、Xの言葉を聞いて、考えが変わった。

 

「そうか、みんなそんなに練習が面白ないんか。そやったら、潰したらええやん」

「確かにシステムの練習は面白いけど、基本の繰り返し練習は面白くないかもしれん」

「そやけど、どんな一流選手でも、同じことを何回も何回も繰り返してやっと、みんなが感動する技を身に付けられるんとちゃうんか。

一流と二流の差は、この同じことを黙々と繰り返せる精神力を持っとるか待っとらへんかの違いやと思うで」

「小さいことの積み重ねができんで、どないして大きなことができるんや。突然ピラミッドの頂上ができるわけがないやろ」

「関西学院大学の選手もいつも同じ練習をしとる。同じ練習やから面白ないという、そんな甘い考えやったら、関西大会に出場なんかできるわけがないやん。それやったら潰したらええ」

「今日は、練習休みにして、明日の練習に全員揃わへんかったら、部は解散や。ええな」

そういい終えて、僕はみんなを残して先に教室を出て行った。

(練習が面白ない。たったそれだけの理由か。後のことは知らん。かってに相談しよるやろ)

僕にしてみれば、一種のかけだった。みんな甘えているだけで、本当に部を潰したいと考えているとは、思えなかった。

今日のことがきっかけで、また練習に戻ってきてくれる。僕はそう思いたかった。

 

翌日、練習の時間がきた。

練習は、いつも4時30分から開始することになっていたが、僕は先に着替えて一人グランドで待っていた。

グランドでは、野球部とサッカー部の一年生数人が既に練習の準備を始めていた。

 しばらくすると、M、Y、Sが現れた。

いつもより来るのが早い。

「みんな来るかなあ」

Sが、僕の顔を見るなり心配そうに呟いた。

「きっと来るやろ」

僕は、自分に言い聞かせるように答えた。

そのうちにI、G、T、X、N、D、Kがやってきた。いつのまにか1年生もそろっている。

「誰かまだきてへんやつおるか」

僕が尋ねると、みんなは一斉にまわりを見渡した。

「ブンがまだや。あいつ何しとんねん」

Yが不満そうに顔をしかめた。

「もうちょっとだけ、待とか」

僕はみんなの気持ちを確認した。

僕らは今にも、Zが来そうな感じがして待っていたが、10分ほど待っても来ない。誰もが落ち着かない様子で、もぞもぞとしている。

僕はしばらく決断を迷っていた。が、Zは来ない。

ついに観念した。

そして、仕方なく口を開いた。

「しゃあないな、決めたことやから、部は解散や」

すると、それを待っていたかのようにグランドの入口から女の人のかん高い声がした。

「僕君、Z君から伝言」

見るとそこには、数学のQ先生の姿があった。

「先生、何やて…」

僕は叫びながら先生に走り寄った。

「Z君は、今、数学のテストの点が悪くて、居残りさせているの」

「そしたら、再テストをさせている途中で、『どうしても先生にお願いがある。一生のお願いや』というので、訳を聞いたら、『クランドに行けへんかったら、アメリカンフットボール部が俺のせいで解散になる。先生代わりに行ってきてくれへんか』というので、来たんやけど」

先生は、走ってきたらしく息を弾ませていた。

「先生、ありがとう」

「ほんまにありがとう。これで部がつぶれへん」

僕が思わずそう答えたとき、いつの間にかみんなも心配してそばに来ていた。

「おおきに。いっしょにやってくれるんやな」

僕は今にも泣き出しそうな顔になっていた。

「おまえが、昨日そこまでゆうたら、潰すわけにはいかんやろ。練習はやっぱりおもろないけど、一流になりたいからな。おまえと一緒に関西大会に出たるわ」

Xが照れくさそうに笑った。

うしろで、みんなが無言で頷いた。

 いつの間にか、心配した部の解散が、再度の結束集会になっていた。  

そして体育館前の斜面には、ゆっくりと坂を登っていくU先生の後姿があった。

 

 


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