ど田舎にできた高校アメフト部がたった2年で関西大会に出た話
1.先ず一歩を踏み出す
頭の上から突然怒鳴られた。
「そこの二人、あきらめんと、はよ走らんか、ばかたれ」
驚いて見上げると、そこには鬼が立っていた。
「え、うそやろ」
一瞬自分の目を疑った。
坂の上から赤鬼が見下ろしている。
そんなあほな。
もう一度見上げると、それは赤いランニングパンツをはいていた。
頬がこけて、顎が尖がっている。唇が分厚く、足にはナイキのシューズ。
ひょっとして先生。
僕は隣を走っているMに声をかけた。
「見た?」
「おう、見た」
「もしかして、あれは先生か」
「みたいやなあ」
「ええ、先生って公務員やろう。あんな公務員がおるなんて信じられん」
「ほんまや」
僕たちは、ぶつぶつ言いながら、赤鬼の待つ坂の頂上まで全力で走っていった。
「すいませ~ん」
「こら…」
赤鬼が続けて何か言おうとしていた。
僕たちは、赤鬼の言葉に気付かないふりをして、その横を通り過ぎた。
向かったところは、体育館。
今日は、入学式。
朝9時からの入学式が始まる直前だった。
僕たちは、坂の頂上を左に曲がって、やっと体育館の前にたどりついた。
目の前には、高さが三メートルもありそうな大きな両開きの扉があった。僕たちはその前で一瞬立ち止まった。
そして僕は力一杯その扉を押し開けた。
「ギュウー」
鈍い音を立てて扉が開くと、僕たちは中にいた全員の視線を、一挙に浴びることになった。
「お、」
思わず、声が出た。
まるでスターみたい。僕は、なんとなくいい気分だった。
昭和49年4月8日
僕とMは兵庫県立三木高等学校に入学した。
二人は小学校からの同級生。
中学時代は共にサッカー部に所属して、三年生のときには全国大会にも出場している。二人の実力はそれほどでもなかったが、チームメイトに恵まれた。有名高校から引抜を受ける仲間が何人もいた。
だが僕たちには、声がかからず、結局地元の公立高校に入学した。
そんな僕たちは、ごく自然な流れで入学と同時にサッカー部に入部した。サッカー部には中学時代からの先輩も含め、サッカーブームの影響もあって、五十人を越える部員がいた。そして、部員が多いことが災いし、練習は2、3年生中心に進められていた。
当たり前のことだが、一年生はいつもボール拾いだった。コートの外で、じっと先輩たちの練習を眺め、たまにボールが自分のほうに飛んでくれば少し走って拾う。そしてそのボールをゆっくりと、蹴り返す。ただそれだけの毎日が続いた。
僕たちは練習が終わると、いつも一緒に帰っていた。
「うし、お前の頭、ますます茶色なったんちがうん。それは問題やで。校則違反や」
少し遅れて校門を出たMが、僕をからかうように話しかけた。
「ほっといてくれ」
僕はめんどうくさそうにふり向いた。
僕の髪は、色素が薄いため、少し金髪がかっていて、いつも指ですくい上げるので、軽くウェーブがかかり後ろに流れている。中学時代には、オキシドールで色を抜いていると勘違いをされ、先生からこっぴどく叱られたこともある。
僕は中学に入って以来、この髪を散髪屋さんに行かずに自分でカットしていることが自慢だ。
同級生からは「うし」と呼ばれている。
一方、Mは、ハーフと見間違えるような顔つきで目鼻立がはっきりとし、背も高く中学時代から女の子の憧れの的だった。
映画俳優の「アラン・ドロン」に似ていることから、みんなはMのことを「どろさん」と呼んでいた。
髪の毛には僕よりもくせのある天然のウェーブがかかり、言葉使いも丁寧で、どこか「いいところのおぼっちゃん」といった雰囲気がある。
「そんなことより、なんかサッカーおもろないな。ボール拾いばっかりやし、お前おもろいか!」
僕は歩きながら、Mにぼやいた。
「うし、ボール拾いがおもろないんか。違うやろ」
少し、考えて、Mが、見透かしたように僕の顔を覗き込んだ。
「おう、そうかも。もっと熱中できること、ないんかいな。せっかく高校に入ったんやから。もっと青春ができるなんかが、ほしいんや。どろさんが前にゆうとった、あれ、みたいに」
「あれ、かあ…。人に頼る前に、お前が見つけたらええやん」
「まあ、そやけど・・・」
僕たちは不完全燃焼の煙を、もくもくと出し始めていた。
夏休みも終わり、二学期が始まったある日のこと、Mがいつものように、青い工具箱をぶら下げて教室に入ってきた。
Mは、毎日かばん代わりに四角い工具箱を手にぶらさげて通学していた。電気工事の人が持ち歩くような、ペンチやドライバーを入れる、あの金属製の工具箱だ。この工具箱を本人はいたく気に入っていた。
「おっす」
僕はMの方を見ると、いつものように軽く挨拶をした。僕の席は、教室の入り口を入ったすぐのところにあった。
「おお」
Mもすぐに返事を返したが、どこかいつもと様子が違っていた。
Mは、僕の前を通りすぎて、先を急ぐように真っ直ぐ自分の席に向かった。
いつもならすぐに座って、隣のKと雑談をし出すのだが、今朝はちょっと違っていた。
席には座らず、工具箱を机の上に置くと、中から雑誌を取りだして、ひとり頷いた。
そしてMは、それを片手で高く差し出していった。
「みんな、ちょっと見てみいひんか。今日、アメリカンフットボールの本、もってきたんや」
突然大きな声がしたので、クラスのみんなは驚いて、Mの方を見た。そして、本を差し出しているMの姿が目に入ると、急に騒ぎ出した。
「どろさん、なに、なに。見せて、見せて」
クラスの人気者のMがそういったものだから、みるみるうちに周りに人だかりができた。
Mが差し出したのは、フットボールの専門誌である「タッチダウン」だった。それを見て、僕にはMがやろうとしていることが、すぐに分かった。
僕は、しばらくその様子を自分の席から見守ることにした。
ちょうど半年ほど前から、関西学院大学アメリカンフットボール部の監督であった武田建氏が解説する「カレッジフットボール・イン・USA」という番組がテレビで放送されていて、もの珍しさもあって、こんな田舎でもその番組を見ていた者が何人かあった。
この番組ではアメリカのサザンカリフォルニア大学(USC)のシリーズが長く続き、クォーターバックのパット・ヘイドンやフルバックのリッキー・ベル、そしてテイルバックのアンソニー・デービスに人気があった。ピッツバーグ大学のトニー・ドーセットと二人でAD、TDといわれていて、少しフットボール人気が出てきたところだった。
Mを取り囲んでいた女の子の一人が、甲高い声を出した。
「え~。めっちゃカッコええやん」
タッチダウンを開くと、眼の前に、鎧をまとった選手の姿が飛び出してきたからだ。
その言葉にみんなは、顔を突き出すようにして、タッチダウンを覗き込んだ。
顔面を守るフェイスガードの付いたヘルメットに、赤や黄色の派手な色合いのユニフォーム。それになんといっても他のスポーツにないショルダーパッドを着けた選手の姿。肩幅が人の倍近くになり、まるでキングコングみたいに見える。
見方によってはウルトラマンに出てきた、宇宙飛行士から怪獣になった「ジャミラ」にそっくりだ。
「な、これ、カッコええ、思はへんか」
Mが集まってきたみんなに向かって、得意そうにいった。
「そやな。カッコええな」
「はよ、見せてえな」
教室の中が急に騒がしくなった。
誰もが、先を争うようにタッチダウンの回し読を始めた。まるでロボットや怪獣に憧れている小学生が、先を争って絵本を奪いあうような光景だ。
この様子をMは椅子に腰をかけ、手を膝についたまま、しばらく見つめていた。そして、みんなが読み終わるのを見届けると、意を決したかのように、すくっと椅子から立ち上がった。
みんなの視線が一挙に集まった。
「誰か一緒にフットボール部を作らへんか」
いつもはもの静かなMには珍しく、はっきりとした口調だった。
ついにやってくれた。
その言葉を聞いて、僕はスッキリとした気分になった。今までのモヤモヤが一気に吹き飛んだ。
実はMは、高校入学前からフットボールに憧れていて、ずっとフットボールがしたかったのだ。それでフットボール部のある高校に行きたかったのだが、県下に5校しかないのではそれも難しい。
仕方なく、三木高校に入学した。いつかはみんなをさそってフットボール部を作ろうと思っていたのだが、とりあえずサッカー部に入ってしまい、なかなかいい出す機会がないまま、今になっていた。
ただ、僕だけは、以前からMによくフットボールの話を聞かされていたので、ぼんやりと一緒にやってもいいかなと考えていた。
Mが、みんなを誘うと
「どろさん。かっこええやん。やろやろ、俺やるで」
すぐに数人がいい出した。
「え、ほんまにやってくれるん・・・」
Mは一瞬、僕の方を振り向いて、驚いた様子を見せたが、すぐにまた、みんなの方に向き直した。
「ほな、一緒にやろ」
Mは、顔を目一杯ほころばせて返事をした。
あっけないほど簡単にフットボール部を作ることが決まった。
カッコいいことしてみたい。あんなスタイルをしてみたい。動機は単純明快。
中学を卒業して間もない連中には、新しく運動部を作ることの難しさなど考えも及ばない。この旗揚げに最初に参加したのは、M、S、T、Z、そして僕の5人だった。USU
こうして、Mの念願であったフットボール部を作ることが決まった。しかし、僕たちはこれから先、具体的に何をどうすればいいのか全く見当がつかなかった。当然、しばらくは、何もできない状態が続いた。
ただ、アメリカンフットボール部を作るという意気込みだけはあった。フットボールの宣伝をしようということで、僕が昼休みに「カレッジフットボール・イン・USA」のテーマソングになっていたレコードをわざわざ学校から自宅まで取りに帰って、みんなに聞かせるというようなこともやった。
また、Tは、絵がプロ並みにうまかったので
「お前、フットボールの絵を描いて、それを教室の窓に張っとけ」
と他の4人にいわれて、画用紙にフットボール選手の絵を描いて、自分たちの教室の窓に張ったりもした。
もちろん、そのプロ並みの絵は、廊下側の窓に外から見えるようにして、窓が埋まるほど何枚も張られた。そして、その絵のヘルメットには「岸川よろず」とか、「臼井ジャスコーズ」といった調子で同級生の名前をもじったチーム名が大きく書かれていた。
そんなことをしながら2週間くらい経ったある日、Sが、偶然にも体育のU先生が大学時代にフットボールをやっていたことを聞きつけてきた。
Sは教室に入ってくるなり、少し興奮ぎみに4人を集めて早口でいった。
「体育のUな。日本体育大学でフットボールやってたらしいで。頼んだら顧問してくれるんちゃうやろか」
Sは、明るくて、笑うとめがねの奥で眼がまんまるになる。Sには子供がそのまま大きくなったような無邪気さがあった。
「ええ・・・、あのUがフットボールしとったんか。想像できひんな。そやけど今、女子ソフトボール部の顧問をしとるで。グランドで女の子と結構楽しそうにやっとるし、それにあの先生、女の子が好きそうやし、頼んでもあかんのとちゃうやろか」
Zが、心配そうにSの方を見た。
Zは、体も小さいが、気も小さい心配性だ。名前が文であることから、ブンと呼ばれている。
Zの言葉にみんな、うーんと黙り込んでしまった。
「ブン、やってもみんで心配してもしゃあないで」
「ほな、どないするん」
僕の言葉にZが口をとがらせた。
「フットボールをやっていた先生なんか、なかなかおらへんし、ひょっとしたらUも本当はフットボールをやりたいんかもわからんで。そう思わんか」
「まあ、頼んでみるだけ、頼んでみよか。他に頼る先生はおらへんのやから」
僕は、Zの肩を軽くたたいた。
「そやな。他におらへんのやし」
僕たちはすぐにその気になった。
フットボール人口の少ない中、しかも田舎町で、関東一部リーグの日本体育大学でフットボールを経験した人物が見つかるとは幸運だった。
その日の放課後、僕たちはさっそく体育教官室にいるU先生のところへ、顧問のお願いをしに行くことにした。
三木高校は、街中から外れた山を削った斜面に建設されていて、南から北へ向かって階段状に校舎が並んでいた。校舎の東側には南から北へなだらかな坂道が走り、その坂道の頂上付近の右側がグランド、左側が体育館となっている。そして坂道を上りきったところの左側が体育館前の駐車場になっている。
この駐車場の南東の角と坂道の間が雑草の生えた土の斜面になっていた。
生徒たちは体育館に行くのに近道をして、よくこの斜面を通っていたので、そこだけは雑草が生えず土が踏み固められて階段状になっている。
そしてこの斜面には、よくU先生が黒いレイバンのサングラスをかけ、白のTシャツに赤いランニングパンツを履いて、仁王立ちでグランドを眺めていた。体育館の南の角に体育教官室があったからだ。
僕とMが入学式に初めて先生を見たのもその場所だった。
体育教官室とは、体育の授業の準備室として、体育担当の先生が授業の前後に使う部屋のことだ。
U先生は、この体育教官室を自分専用の部屋のように使い、ほとんど職員室にはいなかった。授業のないときはもちろん、授業の合間でも牢名主のようにこの部屋にいた。自分専用の個室があるようなものだった。
僕たちは少し早足で、教室のある棟の3階の北側から亘り廊下を渡って、体育館の角にある体育教官室に着いた。
そして、ドアをノックするなり、待ちきれずにドアごしに声をかけた。
「先生、お願いがあるんやけど」
するとすぐに中から、かすれた声で、返事が返ってきた。
「誰や、まあ、入れや」
そういわれて中にはいると、中から何ともいえない香ばしい匂いがした。見ると、U先生が赤のランニングパンツ姿で、炭を真っ赤にいこらせた七輪に金網を載せ、その上でにんにくを焼いていた。皮をむいただけの大きなにんにくの塊は、網の上でキツネ色に焼けて、香ばしい香りを放っていた。
にんにくをまるごと焼いて食べるのがU先生の日課だった。
「先生、俺らはアメリカンフットボールをやりたいねん。先生、大学でフットボールしとったんやろ。顧問になってくれへんか」
挨拶も忘れて、いきなりSが話しだした。
いいだしっぺの責任を感じていたからだ。
「そうや、わしがフットボールをしとったんがよう分かったな。そやけどな、わしは今ソフトボール部の顧問をしとるのを知っとるやろ」
「わしにはあの子らを強くしたる責任があるんや。お前らもそう思うやろ。な。このはなしは、そんな簡単に引き受けるわけにはいかんわな」
U先生は、驚く様子も無く、焼けたばかりのにんにくを無造作に口の中に入れた。
そして、そのにんにくを二口、三口かんだ。
「お前らもこれ、食うか。元気が出るで。焼いとるからそんなに臭いもせえへんしな」
と、焼けたばかりのにんにくを、箸でつまんで僕らの目の前に差し出した。
「そんなことしにきたんとちがうんや。先生、ごまかさんとってえな。フットボール部を作ることにしたんやけど、素人ばっかりでは、どないしてええか、よう分からんのや」
「頼むから顧問してえな。なあ、頼むわ」
にんにくを目の前に、Sがもう一度頼み込んだ。
「おまえら、あったま悪いなあ。そんな簡単にはいかへんと今いうたとこやろ。ほんまに頭の悪いやつらはかなわんわ」
U先生は、あきれたように、にんにくを網の上に戻した。
それを聞いて僕らは、すぐに誰からともなく目で合図をした。
事前に打ち合わせをしていたとおりだ。
「何でもいうこときくから、頼むわ」
僕らは、そろって大きく頭を下げた。
「何でもいうことをきく・・・」
U先生は、網の上に箸を置くと、ゆっくりと僕らの方に視線を向けた。
それから腕を組んで、考え込んだ。
Tシャツからはみ出た先生の肘には、火傷が治ったような傷跡が無数にあった。
僕らは、まだ頭を下げたまま目だけは前を見ている。
「そうか。何でもいうことを聞くんやな。男に二言はないな。分かった。顧問を引き受けたろ」
先生が口を開いたとき、焦げたにんにくの煙で、部屋の中は真っ白になっていた。
「その代わり、やるんやったら徹底してやるで。おまえら、兵庫県代表で関西大会に出るんや。日体大方式でしごいたるから安心せい」
先生は少し、うれしそうな顔をした。
そして、すぐに
「いま、サッカーに人気があるけど、あのスポーツはおもろない。なんでや分かるか?」
「なかなか点が入らんからや。点が入らんと観とる人があきてしまうんや。そやけどフットボールは違うで。1分あれば7点入るんや。20点差でも10分あれば逆転できるんやで」
「そやから見とる人も退屈せえへんのや。お前ら分かるか。頭悪いから分からんやろな」
と得意そうに僕らに向かって一気にまくしたてた。
「はよ、メンバーを集めてこい。そしたらフットボールを教えたる。フットボールするには11人いるで」
「先生、ありがとうございます」
僕らは、めずらしく丁寧な言葉でお礼をいって、体育教官室を出た。
教室への帰り道、亘り廊下を歩きながらSがいった。
「最初は、あかんというとったわりに、日体大方式でしごくとか、もう最初からやる気やったんちゃうやろか。すぐにやったるというのが、しゃくにさわるから、もったい付けただけみたいやな。まあ、どっちにしてもよかったけど」
僕らは、顧問が決まってほっとしていた。


