高2。
いよいよ進路を確定しなくては
ならなかったとき・・・
当時のボクは、恥ずかしながら、
『自分が何に向いているのか?』はもちろん、
『何をやりたいのか・・・?』さえ、
わからなかった。
当時は勉強もせず寿司屋のバイトにのめりこみ、
お金を稼ぐ楽しさと苦しさ、大変さ、充実、
得たお金でモノを手に入れる満足や優越・・・
そして、勉強のつまらなさ・・・
(できなかったからつまらないのだが)
それを感じ、漠然とこのまま寿司屋で
働かせてもらおうかな~ と考えていた。
高2の夏休み。
町で偶然、社会の先生とばったり会い、
バイトに行くまでの時間、
先生の部屋に遊びに行くことになった。
30過ぎの、男一人暮らし。
ドアを開けると、むわっとした、
タバコと汗のにおい・・・
本、雑誌、新聞、吸い殻でいっぱいになった
灰皿・・・
洗濯物は一応部屋の片隅にまとめられて
いたが、洗ったものか汚れ物か、
わからない状態・・・
『きったねぇ、部屋~!」
そんな悪態をつきながらも、
ちょっとうれしかった。
なぜなら、一番好きな教科が社会で、
それを担当していた先生の部屋に
招かれたから。。。
そこに座れ! と言われ、
出された麦茶を一気に飲み干す。
『お前、進路決めたか?』
『いや、まだっす! 先生はなんで
先生になろうと思ったんですか?』
・・・・
おもむろに立ち上がった先生は、
3段のカラーボックスの上にあった
地球儀をもって、
『世界は広いということを、お前らに
知ってほしいんや!』
そういって地球儀を手で はたき、
くるくると回した。
そして、
『本を読め!若いうちに世界に出ろ!
そして、自分の目で確かめ、心で感じてこい!』
そんなことを言ってくれた。
なんかよくわからなったが、漠然と
『日本を出たい…』
そう思った瞬間だった。
でも、どうしたら・・・?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今はネットも発達し、情報を得る環境は
当時とは格段に向上している。
やりたいことをどうしたらできるか・・・
そんな情報も、簡単に手に入れることが
できる。
でも、本当に「やりたいこと」を実現している
人は少ないような気がしています。
なぜ・・・?
もしかしたら、
「やりたいことをやることは、いけないことだ」と
いう、心理的な抵抗があるのではないか・・・
そういう自分も会社員として働きだし、
飼いならされていくうちに次第に
『やりたいこと」を後回しする癖がついた。
そしていつの間にか、
『やりたいことをする前に、やるべきことを
やらなければ…』 といった強迫観念の
ようなものを身に付けてしまった。
でも、
『やるべきこと』って・・・?
人生は自分のものではないか・・・?
自分の人生、
その脚本家はだれ?
主役はだれ?
自分の人生、自分で好きなように
ストーリーを描いていいのではないか?
主役である自分を、自由に配置し、
役割を与えていいのではないか・・・
そんなことを強く思う今日この頃。
月間200時間を超える時間外勤務が続き、
心身に変化が現れたときに
あの先生の言葉とともに、強くよみがえった記憶。
『本を読め!若いうちに世界に出ろ!
そして、自分の目で確かめ、心で感じてこい!』
もう若くはないが、もう一度自分の目で確かめ、
自分の心で感じたい!
Don't think,Feel !
すべてを捨てて、新たなものをつかみたい!
これがゴーギャンコンプレックスか・・・?