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13/2/27

フリーランスプログラマとして働く理由

Image by Olia Gozha

つまらない自分語りを長々としますので物好きな方はどうぞお付き合いください。

高専の情報工学科を卒業後に入った企業はソフトウェアの受託開発やエンジニアの派遣を行なっている小さな会社でした。

研修もそこそこに、さっそく外部(SI業界大手)に派遣され開発要員としてせっせと働いていました。

高専時代はプログラミングが楽しくてしょうがなかったのできっと職場での開発も楽しいだろうと思っていたのですが全然そんなことはなかった。

なかなか降りてこない正確な要件、プログラミングなんてまともにしたこと無さそうな人間が書いたであろう設計書、グダグダなスケジュール管理、そしてそれらの当然の帰結としてのデスマ。

一年目の夏には残業時間が凄いことになり、寿命をすり減らすことと引き換えにそこそこのお金が入って来ました。(それでもあれこれケチを付けられ半分くらい残業代削られた)

そして、自分よりも使えない奴が自分以上に残業し残業代を得ている不思議。

一年がたつ頃にはストレスでお腹が弱くなり頭痛もするように。

なにかおかしい・・・。いや、何もかもがおかしい・・・。

いったい何が原因でこんなに酷い仕事の仕方をしなければならないのか・・・。

あれこれ考えた結果、つまる所はマネジメントが一番大事で、そこをしっかりしなきゃいけないんじゃないかと思うようになる。

まぁ、何にせよ自分にはそんな職場環境を変える力など無いので仕事をやめ高専専攻科に入り直すことにした。

なんか書くのが疲れてきたのですっ飛ばして書く。

その後で学校では二年のモラトリアムを過ごし、心をリフレッシュ。

大学院に入りマネジメントを勉強しマネジメントの授業はトップ成績を取りつつも研究したいことができなくなったので中退し、気づいたらまた小さな企業でプログラマをしていた。

とあるSI企業の研究開発チームに潜り込みお仕事をしてました。

で、まぁアレコレやるわけです。やっすい給料で。

自分が周りではいちばんできているはずなのに給料は一番低い。

そうこうしているうちに五年付き合っていた彼女とデキ婚。

いやいやいや、むりむりむり。こんな安い給料で家族養えないよ。

そんなわけで結婚式の翌月に独立。

独立してから最初の一年は結構大変でしたが今はだいぶ落ち着いてきており充実した日々を送っています。

適正な仕事量と適正な報酬を頂いてます。

で、結局なんでフリーランスをしているかというと、自分を正当に評価してくれる人と仕事がしたかったのです。

人間らしく生きて行きたかったのです。

最近、ノマドなんて言葉も流行ってフリーランスは自由なのが良いみたいなところが注目されがちですが、私としては上記の二点がフリーランスをしている何よりもの理由です。

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Image by Jukka Aalho

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