支えられているから生きていける!応援してくれるから前に進める!!
私のメッセージを沢山の方々が拝見くださって感謝しています。ほんとうに嬉しいです。この世に生を授かってから平凡な毎日を過ごしてきました。そして、突然の発病、それまで難病という言葉さえ知らずにいました。そして、身体の障害と色々苦悩しましたが、今はしっかりと受け入れて過ごせるように頑張っています。応援よろしくお願いします。
脱!車いす!!目指せ自立歩行!自分で諦めないことが大切なのです!!
入院中に感じたこと、それは難病者のほとんどが「諦め」を持っていること・・・
でも、それってどうなんでしょうか?
病気だから仕方ない?
病気だから動けなくて当然?
そして、同じCIDPの患者さんから言われた一言がショックでした・・・
「まだ、病気を受け入れてないみたいだね。」
”違うんです!<病気を受け入れる>のと<病気で諦める>は違う!!”
動くにも努力が必要だし、辛いことも乗り越えなくてはいけませんよね。
しかも、理解してくれる人がいないとさえ言える状況です。
孤独に耐えないと前に進めない。
医師、看護師、知り合い、家族でさえ詳しく病気を知ることは無いのです。
痛み、しびれ、脱力、その他薬の副作用も・・・
それは、本人しか分からないことなのです。
それでも「負けるな!」「頑張れ!」「また一緒に飲もう!」たくさんエールをもらえました。
たくさんお見舞いも来てくださいました。
入院時に治療費が高額なのを知った先輩が商工会青年部を通して、福岡県のあちこちに募金を呼びかけてくれました。
地元では後輩が地元消防団の皆さんに話して、募金活動をしてくれました。
忙しい中、お見舞いに来て励ましてくれた人たちにも感謝しています。
「本当に!ありがとうございます!!」
たくさんの感謝の言葉を述べたいけれど!
きっと、これだけで十分わかってくれる、そんな人たちに囲まれている・・・
難病になったことは不幸だけど、こんなに応援されるのは最良の幸せです!!
「だから負けない!歩けるようになるからね!!」
理学療法士の先生の指導で歩行リハビリ開始!
自立歩行って思っていたよりも厳しいですね。
平行棒を使って前に進めばいいことですが、足が動かないのです。
まるで足の裏を瞬間接着されたみたいに、びくともしません・・・
頭のなかで気合を入れる!
「うりゃw」「とーっ!」「なんでじゃw」「どすこーい!!」などなど・・・
でも動くのは腰から上で、周りの人が見てたら滑稽だったでしょう。
平行棒で身体を支えてる、おじさんが悶えている姿って・・・
初日の歩行リハビリは悶疲れして終わってしまいました。
”一つの目標を立てて見ました”
それは、応援してくれている皆さんに、歩いている姿を見てもらいたい一心で決めました。
”自分で歩く沖縄旅行”
沖縄には、たくさんの楽しい想い出が詰まっています!
地元消防団の後輩たち、商工会青年部の先輩や後輩と行った楽しい想い出・・・
そして、「美ら海水族館のジンベイザメに再会する!」のです!
余談:美ら海水族館に売っている「フィッシュバーガー」は食べたくないです・・・
まずは、沖縄旅行に行けるくらいの体力を付けないといけませんね。
目標も決まって、更に気合が入りました!
歩行リハビリ着ていったTシャツを見て先生が笑っている・・・
「反省してます!」
背中に大きくプリントされたTシャツは、お世話になっている先輩の沖縄のおみやげです。
理学療法の先生は、とても楽しそうである意味良かった!
理「何を反省してるの?」
私「生きてきた人生そのものです!」
理「・・・重い・・・」
会話することで気分的にも楽になっていきました。
しばらく平行棒を持って歩くコツを教えてもらい、特訓です。
両腕にも力が入らないので短時間勝負!
平行棒で支えが出来る状態で、重心を前のめりに太ももに力を入れ、足を引きずる!
ズズズッ・・・
本の少しですが動いたのです!!
「これだ!!」
要領掴んだら後はひたすら繰り返すのみ!
傍で色々と細かく指導してくれた先生のおかげです。
数週間後には、平行棒で往復できるようになりました。
ここまで来ると気持ちは暴走!
焦って歩行器を借りて毎晩ウロウロしながらリハビリです。
しかし、数日後足が動かない・・・
理学療法士の先生に診てもらうと、
「歩き過ぎで筋疲労起こしてます。」
あら・・・調子に乗ってしまった・・・反省・・・
結局、3日間マッサージをしてもらって歩行訓練再開!
何でもやり過ぎは注意ですね・・・トホホ
心のリハビリも快進撃!沈んだ気持ちも急浮上!!
少しずつ足が動くようになってきたので気持ちも明るくなっていきました。
看護師さんたちも声をかけてくれるのが嬉しい。
でも、主治医からは運動の超過で何度も注意いされてしまいます。
焦る気持ちを抑えるのも大変です。
毎日の積み重ねが大切なのですよね。
「塵も積もれば山となる」
いやいや・・・
「継続こそ力なり」
これが正しい表現でしょう!!
毎日、毎日、そして毎晩のごとく、まるで何かに取り憑かれたようにリハビリしました。
その結果、必要な筋肉が回復し、やっと体を支えられるくらいになったのです。
歩行も徐々に距離が伸びていきました。
目指すは”自分で歩く沖縄旅行”この目標を達成してこそ意義がある。
来る日も来る日も同じことの繰り返し・・・
しかし、諦めずに頑張った成果はリハビリ開始から数カ月後に結果をもたらしました!
何と!平行棒を使わずに歩けたのです!!
そして、この成果を見てもらおうと主治医を呼びました!
「先生、見ていてくださいね。」
車いすから立ち上がりフラフラしながらも数歩歩いて再び車いすに倒れこむように座りました。
医師「凄い!歩けましたね!ビックリです!!」
私「ありがとうございます!皆さんのおかげです!!」
医師「これを見せたい人がいるので直ぐに呼んできますね!」
そう言うと主治医はササッと駆け足で何処かへ言ってしまいました・・・
しばらく経ってから主治医が連れてきた人物は・・・
私の足の神経を切断する「神経生検」の執刀医でした。
医師「もう一度、見せてくれませんか?」
そのことばに、うなずいて、もう一度力を振り絞ります。
執刀医の方に向かって数歩進みました。
すると、執刀医は右手を差し出し握手を求めていました。
私は倒れそうになりながらも、その手をしっかり握りました。
執刀医「おめでとう!よく頑張りましたね!!」
その顔は、ほんとうに嬉しそうで「良かった、本当に良かった」そう何度もつぶやいていました。
その時初めて、気づきました、こんなにも心配してくれていた医師の存在・・・
きっと見えないところで、たくさんの配慮をしてくれていたに違いない!
病室からの行動範囲を広げてくれたり、歩行器を貸し出してくれたり・・・
ずっと支えてくれていたのですね。
「先生方、ワガママ聞いてくれてありがとうございました!」
こうして、この大学病院を退院して、あちこちの病院にリハビリできるよう話をつけてくれました。
「もう二度と歩けない」
そう言われてから、どれくらいお月日が経ったでしょうか。
リハビリを拒否していたいくつかの病院も、歩行する姿を見せると態度が一変です。
「信じられない」
そんな言葉も、大げさにしか聞こえないほど歩けます。
数年の間、病院を転々としながらリハビリを続けました。
そして、ようやく病院から離れる時がきました。
月に一度は大学病院で定期受診をしています。
病状が悪くなると入院の繰り返しですが・・・・・
これからが新たな人生の始まりなのです!!
つづく・・・


