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14/2/25

続!難病と向き合う!!

Image by Olia Gozha

可能性を示してくれた人


人生を変えるには人の助けを必要とすることが多々有りますね。

そして、自分で変えようとする硬い決心も必要なのです。


ある人からの助言


ギランバレー症候群の症状は日を重ねるごとに悪化していきました。


手も上手く動かせず、足も引きずって歩くようになっていたのです。


「このまま寝たきりになるくらい悪くなるのかな・・・」


そんなことを毎日考えては憂鬱な気分に襲われていました。


そして、入院生活3ヶ月が経ち、地元の方がお見舞いに来てくれたのです。


その方は地元の区長さんを長年に渡りしてくださって、地元青年部を発足するように頼まれたことがあったので、数ヶ月間で先輩や後輩に呼びかけて立ち上げました。


その元区長さんからの提案が「セカンドピニオン」だったのです。


一つの病院よりも設備の整った他の病院で診てもらうのも大切だということですね。


ダメで元々!できることをしてから諦めるほうがよほどマシです。


病院を退院して、掛かり付けの整形外科の先生に相談すると、大学病院への紹介状を書いてくださいました。


そして、やっとの思いで、大学病院に入院することができたのでホッとひと安心、問診で今迄の病状と簡単な身体検査を終えて次の日に、再び恐怖が訪れました。


あの「腰椎搾取(ルンバール)」の検査がやってきたのです。


1度あの激痛を体験してるので、できれば受けたくはありません。


担当の医師にどうしても髄液検査が必要か尋ねると、髄液中のタンパクを調べる必要があるとのことでした。


重要なら仕方ないですよね・・・


痛い検査は早く終わらせたほうがいいので、早速次の日に検査をしてもらいました。


傷ついた神経から漏れだしたタンパクが髄液中に多く含まれていると損傷は激しいようです。


気が遠くなる検査の山・・・


見た目ではなんとも無いようでも、着実に病状は進行しています。


大学病院に入院してから途方も無い長期間をかけての検査が始まりました。


視力、聴覚、味覚、検尿、検便、心電図、肺活量、運動可動域まで・・・


一体いくつの検査を受けたことやら・・・


おまけに毎週のごとく採血されるのですが、1回あたり7本の試験管に入れます。


一番多かったのは27本でした。


何やら各県の大学病院に送って調べてもらうことらしいのです。


本当に毎日、よく調べる項目があるなと感心したくなります。


そして数ヶ月経って、ようやく検査結果が聞けることになりました。


結果は「ギランバレー症候群に似ている」ということでした。


「似てるってどういうこと?」


医師に訪ねてもハッキリした返事がもらえない。


「もしかしたら難病じゃない可能性もあるのですか?」


難病じゃない可能性のことばかりを考えていました。


それは大きな間違いだったのです。


そう、ギランバレー症候群よりも症状が重い病気の存在。


「慢性炎症性脱髄性多発神経炎」


略してCIDPの可能性が高いということでした。


そんなこと言われても実感が湧くこともできずにただ呆然とするしかありません。


それからとんでもない検査の申し出が有りました。


「神経生検」


神経の状態を見ることで必要不可欠な検査なのです。


麻酔無しで足のくるぶしの裏にある神経の末端を切断する検査。


これを受けるには相当悩んで、返事をするのに数日を要しました。


それでも、悩んでも仕方ない・・・


仕方ないのです・・・


止むを得ず「神経生検」の同意書にサイン・・・


もう後戻りはできない・・・


そして、神経生検当日、何やらたくさんの人が見学にきていました。


医学生や看護学生に至るまで、そやって勉強して育っていくのでしょうね。


手術が始まると足が切開される感覚とかき分けていく感覚がハッキリわかります。


そして「今から神経切断します」の要らない一言が・・・


ビリっと来る衝撃を最後に後は縫合して無事に終わりました。


試験官に入れられた神経を見せてもらいましたが、感動はありませんでした。


数週間くらい待ったでしょうか、やっと結果報告の日がきました。


もうここまで来てしまうとさすがに何言われても構いません。


そして案の定「CIDP」だったんです。


それから闘病の治療生活が始まったのです。


考え方次第!


確かにショックを受けるような難病を告知されました。


四肢が動かなくなる。


呼吸器に至ると人工呼吸器が必要になり流動食の可能性もあるとのこと。


しかし、ギランバレー症候群のままだったらそのまま放置していたかもしれません。


原因不明の病気で治療法は確立されていません。


こからが本番なのです。


更なる検査、薬、そして治療等など!!


一時は車椅子生活になりながらも歩けるようになるまでのリハビリ経験も・・・


つづく・・・

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Image by Jukka Aalho

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