じい様との出会い
小学校入学翌日、つまり初登校日で学校が嫌いになった僕は、それからしばらく公園をふらついたり、昼間からデパートに行き、体験版のゲームをやって暇つぶしをするようになった。
ランドセルは人目にばれない茂みや近くの林に隠していた。
もちろん、そんな事が親にばれないはずもなく、警察に保護され、迎えに来てもらう事や、学校からの電話で、僕が学校に行っていないという事はすぐに知られた。
そしてすぐに暴力。
母親「あんたのために高いお金払って学校に行かせてるのに、恥ずかしいことするな」
もちろん父親からも言われた。
無理やり翌日には学校まで送られた。
教師に連れられ、クラスまで行くと、やっぱりいじめにあった。
それをもちろん教師に話した。
僕「先生、みんながいじめてくるの」
先生「それはあなたがきちんと学校に来ないでみんなに心配や迷惑をかけているからよ」
結局、家にいて親には何も話せない。
話したところで、結局暴力で片付けられてしまう。
教師に相談したところで、やっぱり何も変わらない何も変わらない。
大人に頼る事はできない
自分がいることで周りに迷惑をかけている
そう思うと、自分の居場所はどこにもなかった。
家には暴力
学校にはいじめ
自分がどこにいていいのか分からなかった。
この世に自分の居場所があるのかも、分からなかった。
でもひとつだけ分かっていた事、
僕「「俺はこいつらとはちがうんだ」」
そのときから、僕の天職は決まっていたのかもしれない。
そう実感したのは、当時僕がいた小学校のクラスは、僕を含めて41人だった。
僕を除く40人が、僕をいじめた。
上履きを隠されるのは当たり前。
僕が歩いたところにはばい菌があると、僕はばい菌扱いされた。
無視、物隠し、蹴られたり叩かれたり、帰り道では、ランドセルを持たされたりもした。
でも僕は考えた
僕「こいつら全員、俺のためにわざわざ手間かけていじめてくれてる。こんなに大勢が俺のために何かをしてくれる。俺はこいつらとは違う。スターなんだ!」
今思うと不思議だけれど、当時の僕は頼れる親がいなく、相談できる大人もいなく、自分で何かをしていかなければいけなかった。
外見や知能は子供だけれど、大人のように自分で判断して行動しなくてはいけなかった。
いわゆる、「アダルトチルドレン」
そう知ったのはまだ先のことだった。
だから決めた
「こいつらと同じ環境で同じ事を勉強する必要はない!俺は学校に行かない!」
そう決意したら、なぜだか心が楽になった。
翌日から、学校には行かないことを親に話すと、もちろん殴られ
両親「誰のおかげで生きてるんだ」
そう言われ、暴力に耐えながら、ある事をする日々になった。
それは・・・・・・人よりも本を読む事。
毎日朝から晩まで図書館に通った。
国語辞典と漢字字典を手に、いろんな本を読んだ。
小説、経済、世界地図、図鑑、辞典・・・
本が友達になった。
そこには、自分の知らない世界があった。
そこには、僕に手を出してくるものは何もなかった。
そこは、僕が僕らしくいれる場所だった。
もちろん、親は僕の居場所を突き止めるとすぐに家に連れてかれた。
玄関の鍵を閉じると、すぐに恐怖がそこにあった。
図書館の人もこんな子供が昼から一人で来ている事を不審に思い、警察に保護される事もよくあった。
でも僕はやめなかった。
どんなに家で怖い思いをしても、本を開くと、そこには自分の帰る場所があった。
暴力ではなく、知識として生きる事を学ばせてくれる場所があった。
それでも、家に帰ると、居場所はなくなり、毎日暴力の中でこらえる事しかできなかった。
弱い自分が、嫌いになっていった。
そんな生活が数ヶ月続いたある日、僕は家に帰らなかった。
自分でも分かっていた。
こんな事をしても、心配してくれる人はいないと。
でも、親を信じてみたかった。
きっと心配して、警察に捜索届けを出して、泣きながら、抱きしめて、守ってくれるかもしれないと。
そんな事はなかった。
その日の夜は寒かった事を覚えている。
誰にも見つからないところで、公園の隅で寝た。
きっと目が覚めたら、家にいて、暖かい布団で寝てると思ってた。
母親が温かいご飯を作って、きっと自分のことを心配してくれると思った。
信じてみた。
信じてみたかった。
でも、そんな事はなかった。
きっと、また手を出される。
分かってはいるけれど、家に帰った。
父親はタクシードライバーをしていた。
3日に1回休みのサイクルで明け方から深夜遅くまで働いていた。
僕が家に帰ると、その日は休みだった。
ドアを開けてくれたの母親だった。
きっと、すぐに手を出されると思った僕は、自然と身体が硬くなった。
でも、そのときは手を出されなかった。
その代わり、
母親「生きてたの。死ねばよかったのに、いつまで迷惑かけるの?」
その一言だった。
結局、自分の居場所はどこにもない。
きっと自分が家出をしても、死んでも、この人たちは自分のことはどうでもいいと思っているのだと、はっきりと分かった。
だから、僕はその日から、家に帰らない日々が始まった。
そして、ある人とであった。
地元では少し有名な、いわゆる不良
夜中歩いているところ、話しかけられ、
不良「そっか。お前も俺と同じだな。」
その日、その不良の家に寝泊りする事になった。
いわゆる恐喝とか、かつあげとか、そんな事はしない不良だった。
する事といえば、ただバイクで走って、喧嘩して、タバコを吸って、お酒を飲んで、眠くなったときに寝る。
自堕落な生活だった。
でも、面白かった。
その不良といると、守ってくれた。
友達に紹介してくれた。
その友達がまた面白かった。
誰も僕に手を出す人はいなかった。
僕が家で暴力を受けている事、自分は周りのいじめてくるやつとは違うと思った事、真剣に話を聞いてくれた。
僕「もし今度またお前に手を出してきたときは、俺が守ってやる」
初めて自分を守ってくれる人とであった。
それが嬉しくて、僕は久しぶりに人前で笑う事ができた。
というより、日本に来てはじめて笑ったときかもしれない。
直に気持ちを出せる人がいることを知っただけでも、自分が幸せなんだと感じる事ができた。
それも長くは続かなかった。
その不良は、暴走行為と無免許運転で捕まって、鑑別所に行ってしまった。
少年院に行ったことも後から聞いた。
その不良の仲間という事で、警察に連れてかれ、親に知らされ、家に連れてかれた。
そして、前にもまして、暴力は強くなっていった。
包丁を突きつけられ、
母親「殺すよ」
そう脅されるようにもなった。
僕が夜中寝ていると、仕事のストレスと客からの愚痴とでいらだつ父親は、寝ている僕を起こし、殴った。
お酒が入ると、それはもっとひどくなった。
僕は学校に行かなくなり、日がな一日家に閉じ込められた。
母親は食事も作ってくれず、外食や宅配ファストフードを頼み、僕にはくれなかった。
そのときの僕の食事といったら、コーヒーに入れる粉末のミルク
シュガーポットの中の砂糖をなめたり、水道水しかなかった。
父親が休みの日には、パチンコ屋に連れて行かれることばかりだった。
朝早くに出て、閉店までいた。
ご飯もなく、喉も渇き、それを伝えに言っても、何も買ってもらえなかった。
勝つと機嫌が良かった。
その日だけは暴力はなかった。
でも負けると、僕のせいにされた。
母親「あんたがいるから勝てない。あんたは疫病神だ」
そんな八つ当たりで、日に日に僕は身体もぼろぼろになっていった。
鉄パイプで殴られるようになり、食事なんか忘れてしまうほど出される事もなくなり、空腹と、体中の痛みとで意識もなくなりかけていた。
その年の冬
空腹と寒さで、僕は限界を迎えていた。
部屋のふすまは閉められ、親はストーブで温まり、僕は凍える部屋で一人震える事しかできなかった。
服もろくに買ってもらえなかった。
家が貧乏というわけではなかった。裕福でもなかったけど、普通の生活は遅れる家庭だった。
ただ、暴力があっただけ。
今振り返ると、そう思う。
そんな冬のある日、僕はふすまを開け、
「お母さん、お腹すいた。寒い」
そう言うと、父親にふすまを閉められた。
そのとき指が挟まり、怪我をして、血が出た。
ティッシュがなかったから、その場にあったタオルで指を拭いた。
しばらくして母親が来て、
「何でそんなことしてるの」
怒鳴られた。
父親が来て
「何でいつもお母さんにそうやって迷惑ばっかりかけるんだ」
父親にも殴られ、そして反省をしろとのことで、寒い雪の積もる外に出された。
僕が目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。
腕には点滴の針が刺さり、お医者さんがいた。
その隣には親がいた。
医者が
「こんな事二度としないで下さい」
という言葉に、泣いていた母親がいた。
その後知ったところによると、僕は雪の中倒れて高熱を出していたところを、近所の方が救急車を呼び、病院まで運んでくれた事。
僕の住んでいる家を知っていたその近所の方が僕が倒れている事を話したところ、
「急に家を飛び出して、心配していて、警察に連絡しようとしていたところ」
ということで、警察は呼ばず、僕が勝手に家を飛び出してしまった事になっていたと、その近隣の方に後日、話して頂きました。
病院からの帰り道、やっぱり僕はまた信じたいと思い、きっとこれで少しはやさしくしてくれるかもしれない
そう思った。
でもそんな事はなかった。
僕が病院に運ばれた事で、恥をかいたと、暴力はさらにエスカレートした。
そして、そのときから、僕を日本に連れてきたおばさんや、ブラジルにいる祖父母は、僕を邪魔だと思い、日本に送ったのだと思うようになった。
それは、憎しみに変わり、恨みに変わり
僕にあることを決心させてくれる事となった。
「絶対に人は信じちゃいけない。もう誰も信じない。」
僕は、誰も信じず、ただ暴力に耐えながら生きるサンドバックになっていた。
1年が過ぎ、8歳を向かえ、学年で言えば小学2年生になった僕は、人生が大きく変わる人との出会いを迎える事になった。
じい様。
その人は、父親方の祖父。
そして、唯一、初めて信じる事ができた人。
何でじい様の家に言ったのかは思い出せない。
けど、その日を境に、僕の人生は、いろんな意味で変わる事になった。
じい様「かわいい子だな!わしの孫か!」
頭をくしゃくしゃになでてくれたその人は、当時とある仕事で海外を行き来していた。
1年の内、日本にいるのは3~4ヶ月。
残りは海外生活のそのじい様は、僕の事を抱っこし、頭をなで、優しくしてくれた。
じい様の家には、というよりそこら中に本の山があった。
じい様は本が好きだという事が分かった。
僕も本が好きだった。だからその日はじい様の家に泊まった。
朝まで本を沢山読んだ。そして、
僕の人生を大きく変える、
海外
その話をしてくれた。
世界には、知らない事がたくさんある
世界には、素敵な事がたくさんある
世界には、沢山の人と沢山の幸せがある
世界には、自由がある
世界には、自分の居場所がある
とても前向きに話すじい様は、かっこよかった。
そして、なぜだかこの人は信じてもいいと思えた。
だから、全部話した。
親のこと、学校の事、不良の事、居場所がないこと
じい様は泣きながら、聞いてくれた。
そして、
「よし!来月から海外に行くから、一緒に来い!学校とかそんな家には二度と行かなくてもいい!じい様が守ってやる!」
この日から、僕はじい様の家に住むことになった。
そして、じい様は父親と母親にものすごく怒り、僕を引き取り、面倒を見る事を伝えてくれた。
このときから僕は、暴力の檻から抜け出す事ができた。
そして、このじい様がいなければきっと僕は生きていなかったかもしれない。
僕の一番尊敬する「侍」であるじい様との、海外生活が始まった。
第2話 完