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14/2/11

帝王切開で出産中に先生達が雑談。看護師さんには鼻で笑われる。スパルタな出産の話

Image by Olia Gozha

当初は自宅近くの小さな産院で自然分娩を予定していたのだが、
妊娠5ヶ月のとき「低置胎盤」であることが発覚し、
産院の先生に「大きな病院に行くように」と指示され転院した。


そこは自宅からバスで40分くらいのNICUもある大きな産科病院だった。

「低置胎盤」というのは胎盤が下の方にあり、私の場合大きな静脈が側にあり
もし自然分娩で産むと出血多量で死にそうだった。
なので、帝王切開で行きましょうということになった。

(現代の医療はすごいですね。私、江戸時代のお産だったら死んでました。)

お産のイメージってこう、陣痛が来て、「あなた、産まれるぅ」とか言って
タクシーに飛び乗って、台の上で「ぐわぁぁぁぁ」と叫ぶイメージですが、

私の場合帝王切開ですからね。あっさりしたものです。
「じゃ、産みに行って来るわ」

ってなかんじです。

当日、手術室の前で点滴をつかみながら待つ私。
さすがに「手術」というもの自体初めてなので、緊張していた。
看護師さんに呼ばれて手術室へ入り、台に乗り、早速麻酔を打たれる。
これ、噂に聞いてて超びびってたんです。

腰椎麻酔

もう聞いただけで痛そうじゃないですか?
ぶっとい針を脊椎に打つんです。怖すぎて看護師さんに聞きました。

わたし「痛いですかね?やっぱ痛いですよね?数秒で済みますかね?すぐだと思って我慢しますね。」

看護師ドSさん「注射なんだから痛いに決まってます。ものすごく痛いですよ。あ、あと数秒じゃなくて長くずっと痛いです。」


嘘でもいいから「大丈夫ですよ~」とか
「赤ちゃんに会えるまでがんばりましょうね」とか
優しい言葉が欲しかった・・・

腰椎麻酔は半身麻酔で、意識自体はずっとある。
ただ、下半身は麻痺している状態。
としか聞いてなかったんだけど、だんだん麻酔が効いて来て、
下の方でなんかされてるんだけど何も感じない状態になったのち、
更に上半身まで麻酔が効いてきてしまったらしく

息が出来ない状態になった

突然吸うことも吐くことも出来なくなり、パニック状態に陥った。
ものすごく小さなビニールバッグの中で必死に息してるかんじ。
(ちなみに後で知り合いの手術室付き看護師さんに聞いたら、腰椎麻酔で発話困難、呼吸困難になることもあり、相当慎重に進めないといけない「はず」だそうです。こわい!「私は専門の麻酔医がいない手術はしないわ」と言ってました・・・)

これはヤバイと思い、微量だけ必死で吸い込んだ空気で、あえぎながら言った。
た、たす・・・け・・・息が・・・出来な・・・!!!」
と必死の形相で側にいた看護師ドSさんに手を伸ばして助けを求めた!

本当に死ぬんじゃないかと言うくらい呼吸が出来なくて、苦しかった。
そんな私を見た看護師ドSさんは一言こう言った。

看護師ドSさん「や、ちょwww 息できなかったら、今喋れてないしww ウケるww」

そしてまわりにいた看護師さん達、全員失笑

その日初めて帝王切開に立ち会うという新人看護師Mちゃんだけが
私の手をずっと握っていてくれて、笑わなかった。
小声で「大丈夫ですか、大丈夫ですか」と言ってくれていた。

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手術前の最後の検診で、胎児の重さは「2700g」くらいだと言われていた。
「ちょっと小さいけど、十分出て来て大丈夫ですから」と。

手術が進んで、私は麻酔が効いてボーっとしてはいるが、まわりの声は
聞こえているし、何が起こっているかも大体わかる状態だった。

新人看護師Mちゃん

は、産まれたとき私のカメラで様子を撮ってくれると約束してくれてて、構えて待っていてくれた。

下の方は布で仕切られてて見えないのだけど、医者2人がかりで施術。
手術前の説明では
「こちらも母体に負担がかからないように迅速にやりますし、
1時間以内に終わりますから」と説明があったにも関わらず・・・


医者S「いや〜、先生、先日のゴルフどうだったんスか〜?」

医者K「いやぁ〜まぁまぁでしたね。麻酔科の◯◯君と一緒にやったんですけどね・・・はっはっは!(笑)」

医者S「いいですね〜!今度僕もご一緒させて下さい〜」


・・・手術中、医者が雑談するとは知らなかった。


2人でずっとおしゃべりし続け、結局2時間近くかかった。
『ブラックジャックによろしく』とか『グレイズアナトミー』『ER』とか
いっぱい医療ドラマを見て来たけど、みんな真剣に手術してなかったっけ???

なにこれ普通医者って雑談とかするものなの??

ボーっとした頭の中、ハテナマークが踊っていた。

そして、いよいよ赤ちゃん誕生のときが近づいて来た。


医者K「はい、もうすぐだからね〜もうすぐ赤ちゃん出て来るよ〜!」

医者S「あ、見えて来た、こっち、もうちょっと、ヨイショっ」

医者K「!!!!!つか、でかっ。」

医者S「うぉっ、でかっ。デカいな〜しかし!」

でかいでかい言うな!w

2700gと直前に言われていましたが、産まれてみたら3500gありました。

ってか、1000g近い誤差ってすごくね?
検査の意味なくね??

そして無事、元気な女の子が産まれました♪

新人看護士Mちゃん

が、若干うるんだ目で「おめでとうございます、おめでとうございます。がんばりましたね!!と言ってくれた。Mちゃんにも赤ちゃんを抱っこして貰った。「かわいい、かわいい」と繰り返しほめてくれた。

Mちゃんだけが心の支えだった手術中。どうもありがとう。

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私は身体から血液を1.3L失って、輸血しなくていいギリギリの状態で
ガタガタ震えていた。猛烈に寒かった(血を失ったから)。
赤ちゃんを脇に載せてストレッチャーで手術室を出て、
やっと、旦那さんと自分の両親に赤ちゃんを見せられた。ほっとした。

その後は一晩ぐっすり寝て体力を回復させ・・・・

られなかったorz

まさかの手術数時間後からのスパルタ授乳特訓
2時間おきに普通に授乳特訓。全く休ませてもらえなかった。


しかも数時間して麻酔が切れて来ると、ありえない痛みがきた。
1mmたりとも動けず、ただ痛みに耐えるのみ。
1mm動くだけで激痛が走り「いたい」以外の言葉を全く発せなくなっていた。

しかし手術翌日からは激痛の中、歩く訓練。

そして3日目からからは「赤ちゃん同室で、自分でお世話してください」と


看護士さんに言われたが、私、まだ痛すぎて寝返りすら打てない
手をサイドテーブルに伸ばすことすら出来ない

そんな中どうやってオムツを替えたり、あやしたりするんだ??と呆然とし、
「いや、むりむりむりむり・・・」と頭の中で自分の声が響いていた。

激痛+ほぼ睡眠なし+授乳特訓で身体も心も限界に。

結局手術後まとまって寝れたの3時間が一回とか。
その後は一切寝かしてもらえず、延々とスパルタ授乳特訓。

しかも2日間絶食してますからね、手術のために。
血も1.3L失ってますからね。
しかも麻酔が切れた途端に激痛が続いているのに、
授乳中だからそんなに強い痛み止め貰えないっていうね!!!!
しかも高齢出産ですからね!!!

このあと、体調はどんどん最悪な状態に。

20代の頃はね、そりゃあオールで遊ぶこともありました。
でも30を過ぎると、だんだん完徹とか出来なくなりますよね?
2時間おきに起きて授乳をもう一週間とか、本当に無理ですから・・・!
一回でいいから
、6時間くらい寝させてほしかった。

もう特訓により身体は悲鳴をあげていて、バキバキ。

24時間頭痛。痛み止め効かず。早く家に帰りたかった。
人生でいちばん辛い一週間だった、といっても過言ではありません。
ただ、他の病院を知っているわけでもないし、
辛いのは私ががんばれないからなんじゃないか、
弱いからなんじゃないかと思っていました。
でも辛くて痛くて、何度も両親、旦那、看護師さんの前で
何度も泣いてしまいました。本当に気が狂いそうで、限界でした。
医者に懇願して、少し退院日を早めて家に帰してもらった。

そして、帝王切開だったお友達の話を、後で何人かから聞きました。

「とりあえず手術当日は、夜赤ちゃん預かって貰ってぐっすり寝たよ♪」
「母子別室だったから、夜は寝て、日中数時間おきに授乳してた♪」
「いつでも好きなときに赤ちゃん預けられて、美味しいもの食べれて最高だった♪  家に帰りたくなかったよ〜こんなに休めるの最後だからさぁ♪」
「ホテルにいるみたいで、超楽しかった〜♪」

ちなみに、病院によってはステーキが出たり、ビュッフェがあったり、
アロママッサージがあったり、ケーキとかプレゼント貰えたりするそうです。
床が大理石で個室にシャワー付きとか。

きっとこれは私の場合だけで、もちろん普通に出産して普通に帰られる方の方が
多いと思います。自然分娩のママ達は翌日からスタスタ歩いてますしね。
ただ、これだけは言えます。

これから出産される女性の皆さん、あるいはその旦那さま方、
病院はサービスで選んで正解です。

※ちなみにこちらの病院、都内で一番赤ちゃんを取り上げてる大きな病院で
レビューも相当良いところでした。きっと私の体力がなかったんでしょう。ね!

(↓こちら退院日の娘。クリスマス時期だったのでトナカイに♡)

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