2003年9月1日 last 9 day
今日ものすごく久しぶりに綺麗な朝焼けを見た。
本当に綺麗だった。
朝6時ごろ処置に起きてカーテン開けたら、ひんやりした空気が身を引き締め、雲は下に降りて、空は綺麗に紅く焼けていた。

朝日を見ながら空気を吸ったらとっても気持ちが良かった。
母と一緒に牛乳を飲んだら、「うまーい、生き返るー。あ、でも生き返ったらだめか」と笑っていた。
昔行ったヒマラヤを思い出した。
あの時の朝日も強烈に美しかった。
あの時にも多くの人に感謝できたが、今日も心から感謝した。
母の髪をドライシャンプーで洗っていたら「風呂に入りたい」と希望がでた。
訪問ステーションの後藤さんに旭が丘の入浴介助サービスに連絡を取ってもらった。
介護保険を申請していないので実費で12000円かかるそうだが、即決でOKした。
出来るだけ体調の安定してる内に入れてやりたい。
今日は祖母がいなかったので何もなく穏やかに一日が過ぎた。
神様、穏やかな今日一日に本当に感謝します。
2003年9月2日 last 8 day
今日は朝から強烈に驚かされた。
朝8時ぐらいにチャイムが鳴るので出ると、目の前に親友のヒロがいた。
「驚かそうと思って、来た」と笑っていた。
友人と東京から札幌に旅行していたはずなのに、昨夜2人で夜行バスに乗りきたという。
2人共本州から遊びに来てるのに、俺に会いに函館まで予定を変えたらしい。
ドッキリ並にびびった。
そして、その熱い友情にかなり感動し、嬉しかった。
玄関外で話していると午前中に祖母が来た。
祖母にも悔いを残して欲しくないので、今日1日母の世話をまかせ、ヒロ達と外に出た。
祖母も「今日は一日外に行ってて良いんだよ、私にまかせなさい、大丈夫だから」と話すが、俺はちょっと不安だった。
ヒロ達と五稜郭を散歩したり、大沼までドライブに行って久しぶりに子供のように遊んだり、夜は函館山から夜景を見たりした。
遊んだー。
函館に来て初めてこんなにめいっぱい家を離れ、遊んだ。
ていうか、自分の知り合いに会うこと自体久しぶりだ。
いつ以来だろう。
本当に夜景が綺麗だった。
感無量。
俺にとって函館はやっぱり故郷なんだと実感した。

帰ってからなんかジーンとして涙が出た。
本当に本当にありがとう。
なんか、とっても大事なことを思い出させてくれて。
函館は家がなくなっても俺にとってかけがえのない故郷だ。
明日からもがんばろう。
ありがとう。
2003年9月3日 last 7 day
昨日俺が帰ってから母はやや疲れている様子が続いている。
祖母も朝から余裕なさげ。
昨日祖母に世話を任せたのは失敗だったか?
やはり2人にすると祖母はあれこれと忙しなくやろうとして、2人とも疲れてしまったようだ。
何やってるんだか。
せっかく任せてみたのに、死にそうな自分の娘にストレスかけてどうすんだろう。
失敗した。
祖母には午後からは自宅で休むよう一旦帰ってもらった。
入浴サービスの方達が今日下見にきた。
早くやって欲しいんだが、なかなか込んでるのか。
親も「早くしないと私死んでるよ」と冗談にならない冗談を飛ばしていた。
昼から母と俺の2人だけとなったが、静かになった分ゆっくり寝れたようだ。
俺も久しぶりに昼寝できた。
それにしても親の思考力が落ちている。
すっかりぼけぼけしてるし、開眼しててもぼーとしてる。
言葉も出てこないし、記憶もちぐはぐだ。
モルヒネの副作用か?寝てる時間が長いためか?代謝が落ちてきているのか?
いずれにしても、やはり悲しい。
切なくなる。
これが死に至る過程の一つか。
それでも、感情はしっかりしてる。
疲れたり、不安だったり、悲しかったり、楽しかったりするんだろう。
少し話ができる時、意味がわからず俺が適当に相槌を打ってると、母は時々笑う。
笑顔を見るとやはりうれしい。
明日は笑顔が増えればいいな。
2003年9月4日 last 6 day
最近「看護」についてよく考える。
今まで「看護」って「他人を世話すること」だと思ってた。
でも、ちょっと違う気がしてきた。
「私はこの人に世話してもらっている」と感じるのは対象である患者だ。
「世話をする」のが仕事ではなく、対象である患者が「世話してもらっている」と感じてもらって初めて看護が成立するのだろう。
対象が世話してもらっていると感じてもらうためには、対象に焦点を当て、注意深く、細やかな配慮が必要だ。
けど、側にいるだけでケアされていると感じることもある。
所長の存在がそうだ。
いるだけで、母も俺もとても安心する。
ようするに看護師の仕事を流れ作業的にやっても、それは看護にはならない。
やっぱり大切なのは、対象に対する思いやりの気持ちかなあ、と思う今日この頃。
しかし、思わず「そんなの仕事でいつも主任に言われてんじゃん、今更気づくなよ」と自分に突っ込みをいれてしまった。
今日は午前中母が自力で身体を起き上げることができたので、全身清拭、おむつ交換、更衣、足浴、ドライシャンプーで洗髪、洗顔、髪のブラッシングを行った。
髪の毛は自分でブラッシングかけていた。
生理的欲求を満たしつつ、セルフケアも充足したらすっきりとしたようだ。
しかし、昼からかなり長い時間午睡してた。
肉体的には緩やかな下り坂で経過している。
思考のほうは切ないぐらい弱ってきている。
口を開くと、なんかひたすらに息子の飯の心配ばかりしてる。
一人で回転寿司に行ったこと伝えると、大層安心した様子だった。
どこの世界でも母親とは子供の飯の心配してるのかなぁ。

