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14/2/2

車いすの男性と出会って結婚するに至るまでの5年間の話 その8

Image by Olia Gozha

そして状況は一転する

ひとり暮らしをするようになってからは、平日の夜は彼と一緒に夕飯を食べたり、週末も気兼ねなく一緒に過ごせるようになった。一緒には住んでいなかったけれど、脊髄損傷という障害の大変なところなども深く理解するようになっていった。

車いすを利用する理由は、人それぞれ違う。彼の場合は交通事故による胸椎骨折のために、胸から下の感覚が全廃している。歩けない、立てない、そして、排泄のコントロールができない。そういうデリケートな事情は、表面的な付き合いでは決して表には出さない。普段はいわゆる“介護”のようなことは全く必要のない彼だけれど、体調を崩したときなどには手伝いも必要になる。

ある日、彼が体調を崩して下の世話をしなければいけないことがあった。そのときに、確信した。私はこの人と結婚してもやっていける、と。そして、歩けない彼と一緒にいて、もし地震などの災害があったら、死を共にしようと思っていた時期もあったのだけれど、あるとき彼をおんぶしてみたら、背中に背負って立つことができた。それからは、何かあっても「私が彼を背負って生き延びてみせる」と思うようになった。

ひとり暮らしを始めて2年が経ち、32歳の誕生日を迎えてしまった。誕生日が過ぎたある日、姉を電話で話をした。「今の、お母さんたちの心配事は、あなたと彼とのことだけなんだよ。いい加減にどうにかしなさい」と諭されてしまった。そうだよなあ。もういい歳だし、このままでいいわけはない。両親との間では、彼についての話題を避け続けてきてしまっていたけど、彼と別れるつもりもない。やはり、きちんと話をしなくては。やっとそう思えるようになった。

勇気を出して、「彼とのことなんだけど……」と切り出した。やっぱり別れるつもりはないし、結婚しか考えていないと、改めて私の気持ちを両親に伝えた。彼と両親は、付き合い始めのころに一度会わせたきりだったのだけど、父がもう一度彼と一対一で話をしたいと言われた。それが秋口だったと思う。

父と彼との対談は、どんな話をしたのか詳しく分からないけれど、それによってなおも反対とは言われなくなった。両親も、娘もいい歳になってしまって、半ば諦めの境地になっていたのだと思う。

年末も近づいたころ、彼が家を買うことを検討し始めた。まだ結婚も決まっていないのに、私の要望に合う家を探してくれてたりしていた。実家に帰ったときに、あまり深くも考えずに言ってしまった。「彼が家を買うと言ってるんだけど、一緒に住んでもいい?」と。「もうここまで来てるんだから、順番くらいちゃんとしなさい」と母に言われた。なし崩しのような感じで、なんとなく結婚へ前進してしまった。

事態は動き出すと、どんどん加速する。編集の仕事をするようになって、4年目に入っていた。編集部で若手の人が辞めてしまい、続けて編集部で中心的な役割をしていた先輩も辞めてしまった。入ってきた新人の男性の教育係を任されてしまった私は、自分の仕事、先輩がやっていた仕事の一部が回ってきて、さらに新人の教育係と負担が増すばかり。新人は入って数カ月経っても、まともに仕事を覚えてくれない。ある日、あまりにもまともに動けないので説教をしたら、反省ではなくて「ひとりで頑張ってたけど、頼ってもいいんだと思って」とか、全くズレた理由で泣かれて、もうこの編集部にはいられないと、即辞めようと決めた。もうこの編集部にこれ以上いても、学ぶことはないと思ったから。

彼との結婚の話は、まだ具体的に決まったわけではなかったけれど、彼が新居を購入し、私が仕事を辞めることになり、その翌月に私の両親との顔合わせの機会を持つことになった。

両親に「結婚します」という報告をして、許しをもらったのだった。

ここまで来るのにとても長い時間がかかってしまったけれど、私自身は編集の仕事を始めて、そして4年勤めて十分に吸収できたからこそ、次のステップに踏み出せたのかもしれないと思う。彼は、その間ずっと待っていてくれたのだ。

後日、母から聞いた。苦労するのが分かっていて、わざわざ車いすの人と結婚することないのにって思っていたけど、あるとき「苦労するのは私じゃないんだわ」と思ったら、別に反対しなくてもいいかと思ったのだそうだ。さすが、その発想の転換は私の母だと思った。

父よりも母のほうが頑に反対をしていたけれど、気持ちが切り替わると吹っ切って応援してくれるのも母だった。

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Image by Jukka Aalho

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