
メジャーアーティストを辞めました。
幼い頃から、ずっとずっと夢だった憧れの舞台を飛び降りて、まっさらな「インディーズ」の状態から、すべてをスタートさせます。
メジャーアーティストを辞める。
ここまでに至った経緯と、そして今の自分の『想い』と『感謝』を伝えたくて、カタチにして残しておきたくて、ストーリーにしました。
「歌手になりたい!」その気持ちだけで、東京と秋田を行き来していた10代。

東京にオーディションを受けに行くだけでも、
友達「さゆり、東京さオーディション受げに行ってるらしいど!」
なんて学校でも、近所でも、
すぐに噂が広がってしまうような田舎町。
そんな秋田の田舎町から、オーディションを受けるため、高校で禁止されていたアルバイトをしてお金を貯め、家族の反対も押し切り、ひたすら東京に通い続ける。
そんな日々を過ごしていました。
オーディションでグランプリ獲得!念願の歌手としてメジャーデビューすることに!!

ドラマの挿入歌や、テレビゲームのテーマソングを唄うことが次々と決まっていく、まるで夢のような毎日。
アーティストとして最高のデビューに、これから全部、私は絶対にうまくいくんだ!そんな期待に胸を膨らませていました。
聴こえはじめた、もう1人の私の声。

「切なくて」「会いたくて」
「恋しくて」「愛しくて」
といった、女心を表現するアーティスト「菅原紗由理」でした。そんな私を、沢山のメディアが、紹介してくれました。

誰のために歌ってるんだっけ?
誰のために書いてるんだっけ?
これが私の求めていた音楽だっけ?
そんな疑問が生まれるようになっていました。
当時の私には、それに反論できるような力が無いことは分かっていました。だけど、音楽で伝えられることは「恋愛」だけじゃなくて、もっと沢山あるんじゃないか。
もっともっとバラードだけじゃなく、みんなとLIVEで楽しめるような曲を作っていきたい。
その声は日に日に大きくなり、気付いたときには、もう無視できないほど、大きなものに。
女心を表現するアーティストとしての「菅原紗由理」と、それとは真逆の欲求を叫ぶ、心の中の、もう1人の私。
頭では、周りの人たちが期待してくれるアーティストとしての「菅原紗由理」に徹するべきなのは、分かってる。でもどうしても、もっと自由に、もっと解放された「自分」への憧れを抑えられない。
そんな葛藤が続いていく中、ファッションも、インタビューの受け答えも、毎日の言動も、「菅原紗由理として期待されるような答え」ができなくなっていました。
中学時代からの友達に久しぶりに会ったときも
友達「さゆ、服装変わったよね?」
と言われて、「あれ?」と思ったり。
自分がどうして、普段着ないような「いい子ちゃん」な服を着ているのか、どう答えていいか分からず戸惑ったり。
ふとした時に、
私「なんだか私、操り人形みたいだなあ...」
と自問自答するようになったり。
その度に、
私「これがアーティストとしての菅原紗由理だし…」
と納得したり、しなかったり。
こんな毎日を繰り返していく中、
あれ?
私の本当にやりたいことってなんだっけ?
と、改めて考えるようになったのです。
「やりたいことが分かりません病」に侵されていた私。尊敬するあの人にもらった、忘れられない言葉。


音楽で伝えられることは、
恋愛だけじゃなく、もっとあるはず。
もっともっと、自分に出来る音楽があるはず。
私だからこそ、
歌えるメッセージがあるんじゃないか…
それを黙って聞いてくれたYUKIさんは、
私にやさしくこう言ってくれたんです。
YUKIさん「それ、すごくいいじゃん!」
YUKIさん「そのまま歌詞にできちゃうよ、ぜんぶ!」
この言葉を聞いた瞬間、今まで自分を縛り付けていた何かが、ほどけていきました。
こんな身近なところに、こんなにも伝えたいことが沢山あるのに、どうして、今まで気付かなかったんだろう。
私は、表現者として最も大切な「自分が何をしたいか」という自我を持たずに、ただ「歌手になりたい」「歌が歌いたい」とだけ、思ってしまっていた。
YUKIさんにすべてを話したことで、表現者としての「私」に、ようやく気付くことが出来たんです。
気付いたら治っていた「やりたいことが分かりません病」

レコーディング中に耐え切れなくなって、1人で外に飛び出したけど、結局何もできない自分に悔しくなって、隠れて泣いた日もあった。
でも、今思い返せば、
デビュー当時、私を叱ってくれたり、怒ってくれたりしたスタッフの方々は、聴き手を考えて音楽をつくる大切さを、必死に私に教えてくれていた。インディーズ経験のない私に、贅沢な修行の日々を与えてくれていた。
決して私の歌詞にOKを出してくれなかった、あのひと。会議室の机を割るほどに怒ってくれた、あのひと。毎日、毎日ダメ出しをし続けてくれた、あのひと。
それは、そこまでして私と「本気で向き合ってくれていた」からだった。
「歌手になりたい」「歌が歌いたい」という、漠然とした夢や目標はあった。だけど「音楽を通してこんなことをしたい」「音楽を通してこんなことを伝えたい」そういった「自我」が、当時の私には全然足りていなかった。
アーティストとして決定的に足りていない、その大きな穴を埋めるために、19歳でデビューしてから、今日までの5年があったんだと思う。
あのとき、諦めずに、逃げ出さずに正面からぶつかってきたからこそ、「ありのままの私」に気付けた。初めて、自分の「本当の声」を聞くことができた。
「あるべき私」と「ありのままの私」
音楽だって、恋愛だって、仕事だって、この2つがそろって、初めてうまくいくんだ。そう気付いたとき、なんだかずっとモヤモヤしていた雲が晴れたようでした。
そして「相手が求める理想の私」と「ありのままの私」が見えてきた今、この気持ちをどうしても抑えられません。
「ありのままの私」が信じている「本当にやりたい音楽」を、どうしても試してみたい。
この自分の正直な気持ちに、嘘をつけなくなったんです。そしてその「本当にやりたい音楽」は、これまでの「菅原紗由理」では表現しきれないものと感じています。
沢山の人が愛情を注いで作ってくれた、アーティスト「菅原紗由理」の「仮面」を外すときがきた。
そうした想いから、メジャーアーティストを一度辞め「インディーズ」という状態から、再びすべてをスタートさせることを決意しました。
メジャーアーティストを辞めました。

ここまでに至った経緯と、そして今の自分の『想い』と『感謝』を伝えたくて、カタチにして残しておきたくて、ストーリーにしました。
「アーティスト」という「表現すること」を仕事として生きていながらも、「やりたいことが分かりません病」にかかってしまっていた私。
そんな私が、ようやく踏み出すことができた、新しい世界。
これから、たくさん泣いたり、笑ったり、怒ったり、哀しんだりする日もあると思う。道に迷ったり、行き詰まったり、傷ついたり、嫌になって逃げ出したくなってしまう日もあるかもしれない。
今まで沢山の人に守ってもらってきた分、高い壁にも直面するはず。
そんな時は、今ここに綴った気持ちを思いだして、自分の信じる道を、私らしく前を見て、歩んできたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
菅原紗由理
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こちらで日々感じたことや、新しい私が最近制作した曲を公開しています。
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ストーリーを読んで、 沢山のあたたかい応援の言葉をくれた方、 素直な感想を書いてくれた方、本当にありがとうございます! 人は日々、進化していくという事。 そして、ここに綴らせていただいた経験と、 今の気持ちを元に、新たに楽曲を作ってみました。まだまだDEMOですが、是非聴いてみてください。
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