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13/3/1

美大に入った理由

Image by Olia Gozha

 私は物心ついた頃から絵を書くことが無性に好きだった。父は建築家で、母は絵画が趣味、建築に関する膨大な書籍や芸術関連の書物に囲まれていたからかもしれない。

 絵を書くことが好きになった理由は単純で、褒められたからだ。油性のマジックで部屋中落書きをしても、両親は怒りもせず、私が長男だったせいか、まだ両親も子育ての経験もなかったせいだろう、怒ることを躊躇した。いつも「仕方ないな」で済ませてくれた。

 そういう所為もあって、幼少の頃の落書き好きは度を超えてひどくなり、祖父の部屋を占拠して書いた絵を部屋中に貼り、勝手に展覧会を開いてしまった。しかも入場料も取った。さすがにその時ばかりは両親から叱られた。しかし、祖父と祖母にはえらく褒められた。

 小学校に入っても絵は好きで、無心で好きなものを描写した。風景画や読書感想画や静物画、誰からも教わらず、ただただ描き続けた。そういった絵が、賞をとったりした。新聞にも載った。表彰式にも何回も参加した。美術館にも飾られた。この頃から「自分は絵が上手い」と思うようになった。

 転機は中学生になってからだと思う。美術の教師が私が描いた絵に手を入れたのだ。しかも写実的に描いていたものに、なんだかわけのわからない線を入れられ、納得がいかず、先生と喧嘩をしたような気がする。その頃から私は絵を描くことが嫌いになった。

 高校に入ってからは、運動部に入った。美術部を覗いたのだが、レベルが低くて入る気にならなかった。高校時代は多くの高校生がそうやって育つように、勉学に忙殺され、ぼんやりとただ好きな事をやっていた気がする。

 そのような朧気な高校時代を送ってしまったせいか、自分が何をやりたいかをすっかり見失ってしまったまま、大学受験を迎えてしまった。

 大学は理系を専攻していたので理工系学部を受験した。なんとか合格をしたものの、自分が大学に入って何をやるのか?と突然不安になり、先生や親に相談した。先生は「人生どうにでもなるから、どんな学部に入っても一緒だと思うがね」と言われた。今考えるとそれは納得の行く意見だったが、その頃の私はその言葉にひどく傷ついた覚えがある。

 逆に両親は大学に行きたくないなら行かなくて良いと言ってくれた。ゆっくり考えてみなさいとも言ってくれた。そんなこともあり、1年間、私は浪人した。

 浪人中に「自分には絵しか取り柄がない」と鮮明に思うようになり、美大を目指すことになった。それが私が美大に入った理由であり、結局のところ、なんとも恥ずかしながら両親への甘えだった気がする。

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