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14/2/2

母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。⑦

Image by Olia Gozha

2003年8月28日 last 13 day


昨日から母はオムツをつけた。

もう自力ではトイレに立てないからだ。

見ていて悲しい。

元気であった姿を知ってるし、元々おしゃれに気を使う人だったのに、本人から、「もう動けないからどうでもいいよ」と投げやりに言ってきた。

もうそれぐらい倦怠感が強いようだ。

それでも母の希望もあり、祖母に下の世話をお願いしていたけど、朝方ベッドのシーツが汚染しており、交換に時間がかかりそうだから俺も手伝った。

仕事から慣れているからすぐに交換できたが、

「こんな情けない姿を・・・」と母も悲しそうだった。

「どんな姿でも俺は母さんが好きだよ」と言ったら、「ありがとう」と小声で返事をした。

しかし、ずっと目は瞑ったままだ。

朝ちょっと意識がある時、母が友人のおみさんに別れの電話をした。

声も小さく、すぐ切った。

「来て良い?って聞いてきたから、『だめ』って答えた」としんどそうに答えた。

そしたら、朝9時ぐらいにあわてた様子でおみさんが来てくれた。

さいたまから来た友人といい、おみさんといい、その行動に目頭が熱くなる。

殆ど返事も出来ない母をみておみさんは別の部屋に行き、声を殺して泣いていた。

でも、おみさんも看護師なので現在の母の身体状況と体調を説明したら、「今日は私が一日看ててあげるから休みな」と言ってくれた。

お言葉に甘えて、昼食を食べに外出した。

もう、母はだれかに会うだけで相当疲れる様子だ。

ずっと眠ってる。

「もう、早く死にたい」と本気で言ってる。

往診予定だった医師に断りの電話と現在の体調の報告すると、「尿もまだ500mlでてるし、今日・明日では死なないと思う」とのことだ。

ゆっくりと眠る安らかな時間が今は一番だと思う。

そういう時間が増え、そのまま死ねれば本望なのだろうか・・・

2003年8月29日(金) last 12 day


朝祖母に謝った。

「自分も余裕なくていらいらして、やり場のない怒りをぶつけてしまってごめんなさい。最後までしっかり母を看ていこう」と。

祖母は「いいんだ、知ってんだ。あんたも私みたいな口は悪いけど心は優しい嫁と結婚しなさいよ」と訳わからんことぬかしてた。

しばらくして、「あんたは勇者だ。あたしなら自分から謝ったりできないもん」と言っていた。

「そんなんで勇者かいな」と思いつつ、精神科の仕事をしていると、自分と相手の関係を振り返り、自分の内面の感情を認め反省して、新たに行動につなげるってことを習慣として行っている、頭にカッときても冷静に考えたり出来たのかもしれない。

自分の感情を認めるのってすごくしんどいけど、確かに勇気のいることかもしれない。

まあ、勇者とはほど遠いけど。

今日訪問看護ステーションの所長がきた。

やっぱりすごかった。

何をするわけでもなく、2時間家で雑談してくれた。

実習でお世話になった家のその後、所長が母と話してたこと、最近の学生の話や家族の話。

すげーと思ったのは、本当に所長は人間の存在を大事にしてる。

側にいるだけでとても安心する。

それは母も俺も一緒だった。

所長がいてくれ、話してくれて気分転換にもなったし、安心して時間を過ごせた。

「今日は私はお家に来て、何もしてませんよ。ダッツをごちそうになっておしゃべりしただけよ」って笑顔で帰っていった。


でも不思議ととっても「看護された」って感じだ。


人間はそこ存在するだけで周りに大きな影響を与えてるんだと改めて学んだ。

やっぱりすげー。


所長が「お母さんはあんたが色々旅したり、やりたいことやってることの話題になるといつも『自慢の息子だ』って言ってたよ」と話してくれた。

目頭が熱くなった。

後で少し意識のある時、母にそのこと言ったら「自慢の息子だ」って目を閉じたままつぶやくように一言返してくれた。

泣けてしまった。

どうしてだろう。

ただひたすらに泣けてしまった。

ただひたすらにうれしくて。

眠った母に「母さんも自慢の母だよ」と答える。

ケアを通じて気持ちいいと言ってくれ、うれしい。

少しでも起き上がれると食欲がでるみたいでうれしい。

そして、毎朝息をしてくれてるだけでうれしい。


本当にそれが全てだ。

おみおばさんも日勤の帰りに寄ってくれたりと本当に心強い。

励ましてくれる友人にも感謝。

もうちょいがんばります。

2003年8月30日 last 11 day


午前中ものすごく天気が良かったので、母が眠っている間に久しぶりに地元の温泉に行った。

温泉で2時間のんびりし、レストランでランチも食べ、気分転換できた。


けど、家に帰ると緊張感でどっと疲れる。

それは仕方ないけど、祖母は祖母で色々世話をしたがる。

それが俺も母もうっとおしい。

で、ついつい「そんなこと今しなくて良いよ。じっとしてなよ!」って言ってしまう。

けど、祖母は祖母で納得したいんだ思う。

母が死んだとき、「私はやった」と納得したいんだろう。

それを汲んで、もう少し世話を任せればいいんだけど、それはそれであれこれやりたがり、うっとおしい。

今は求められた時にするぐらいで、側にいるだけでもいいのに。

それがどうにもできない。

昨日所長が話してくれた、以前俺が実習で訪問した筋ジストロフィーの子供を持つ母親の話を思い出した。

その子は去年死んでしまったそうだけど、母親はその子にやれることは全てやったと納得してたから、今ではすっごくいい笑顔でけらけら笑っているという。

自分に納得して家族を看取るということは、残される者が後に元気に回復して前向きになるために必要なんだろう。

そういうことを踏まえると、もう少し祖母の気持ちを汲んでやりたい気もする。

でも、実際はなかなか難しいけど。

職場の主任にもひさしぶりに状況報告をした。

うれしいぐらい励ましてくれる。

がんばります。

ありがとうございます。

最後までしっかりと自分自身に悔いを残さないように。

2003年8月31日 last 10 day

夕飯後に祖母が一旦自宅に帰った。

明日デイサービスに行くから、9月2日の昼過ぎまでこない。

うるさいのがいなくなって静かになって良かった。

でも、やはり母が寝た後に俺が家を出る時、家にはだれもいなくなるからとても心配。


やっぱりいて祖母にはいて欲しい気もする。

でも、静かで良かったりもする。

親の調子は低空飛行だが、やや安定してきた。

なんか、受け入れたみたいだ。

今まで「まだ生きてる・・・。こんなに迷惑かけていられない、早く死にたいー!」って毎日弱々しく叫んでたのに、

今朝「朝方神様から『9月半ばまで生きれるよ』ってお告げがあった。このまま迷惑かけても良いからそれまで生きようって思ったわ。」と言っていた。

それから体調も良くなって意識もはっきりしてる時間が増えている。

精神的に楽になったとも言ってる。

よくわからんが、現状と子に世話してもらうことを受容したんだろう。


受け入れるってすげーよな、実際こんにな変わるなんて。

俺は函館に帰ったタイミングがあの時で良かったのかと今でも悩む。

職場にも迷惑かけてしまったし、夏フェスにもいけなかったし、教育研修にも出られなかったし。


でも、あのタイミングしかなかったろうなとも思う。

あそこで函館に行かなかったら、母を気になって仕方なかっただろうし、母も祖母もすでに精神的に限界だったみたいだし。

どうにも俺も母も人の甘えるのが苦手な方だけど、それを素直に受け入れるというのはこういうことなんだろう。

来て良かった。

側にいてやれて良かった。

今はただそれだけで良いことを知った。





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