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14/1/28

橋本康夫氏 追悼のために

Image by Olia Gozha

出会いはもう10年近くになる、奥様邦子さんと初めて訪れた軍艦島の写真をCDで送ってくれたのが始まりかもしれない。といっても実際にあったのは6年ほど前に初めて会い、徹夜で「バー軍艦島」で飲んだのが最初で最後の盛り上がりだったような気がする。朝まで新宿「バー軍艦島」で何を話したのかはお互いに忘れただろうが、空が白む明け方にみんなで食べたラーメンの味は忘れない。初めて会った橋本に「はしもっちゃん」と呼んだのもこれが最初で最後だった。それから東京でのイベントのトークショウで点滴を抱えながらも参加してくれたのが、最後に会った日だった。長い付き合いのようで、ほんの数回しかあってない「はしもっちゃん」はいつも辛口で私の活動や出版物に文句を堂々としてくれた唯一の人だったのかもしれない。初めて出した写真集に書かれた「炭坑、炭鉱、炭鐄」と言う文言にはさまざまな意味があると教えてくれたのも橋本である。妥協しない男であった。

自分の企画展でも倒れそうになりながら最後まで貫いた。そんな男だった。メールでそんな話をしながら、お互い無理はしないように誓ったはずだった。最後のイベントで言った彼の言葉を今でも忘れない。「軍艦島が世界遺産になったら引退するのか?」戸惑いながらも答えた私の言葉は「一生軍艦島のことやっていくよ」答えた橋本「うん」・・それだけでもお互いに向かっているものが分かり合えていたような気がする。

世界遺産にすることが目的ではないということ。

橋本の「足尾」の研究も最後の目的ではなかったはず、真実を多くの人たちに伝えたかった。人生をかけて。それが彼にとってのライフワークであり私とどこかが繋がりあっていた部分なのかもしれない。走り抜けた橋本の人生。そのほんの一部分しか接点はなかったが、どこか同じ人種のにおいをお互いにかぎあっていたのかもしれない。今でも天国で「あーだ、こうだと」下に向かって辛口を叩いているのかもしれない。この数年大切な軍艦島の仲間を見送って来た。そこにみんながいるよな。いつかは同じ場所に行くから、それまで見守っていてくれよな。

「はしもっちゃん」。。。。「さかもっちゃん」より

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Image by Jukka Aalho

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