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14/1/28

コネで適当に決まった就職がその後の生き方を変えた その3

Image by Olia Gozha

できることを少しずつ

6月になり、本社勤務が始まった。私が配属されたのは、ホームセンターの事務の仕事。バイヤーさんたちの仕事をサポートするというような業務内容だった。フロアには40〜50人ほどの社員がいて、人の顔を覚えるのが得意な私でも、一度に40〜50人を覚えるとなるとひと苦労だった。

最初に教えられたのは、もちろん電話応対。これは恐怖だった。自分が敬語をうまく話せないという自覚があるから、電話に出てもあわあわしてうまく話せない。それでまた焦ってしまうという悪循環だった。名前と顔と席が一致していないため「席を外しています」「外出していて○○時に帰ってきます」という、それだけの返答をするのにも心臓がバクバクだった。

毎日びくびくしながら電話応対をしていたけれど、それでも少しずつ慣れていった。指導してくれた女性の先輩は、優しかったけれど言うべきことは言ってくれる人だった。随分慣れてきたな、と思っていたころ「語尾が伸びてしまうから、気を付けてね」と言われた。自分では全く気付いていなかったので、指摘してもらってありがたいと思った。すぐに直すように心掛けた。

理不尽なこともあった。フロアの人たち全員に朝と午後の2回、お茶やコーヒーを出さなくてはならない。もちろん、出すのは事務の女性たち。1週間交代だったと記憶しているけど、ひとりで全員分用意をしなくてはいけなかった。それぞれ誰のマグカップ、湯のみかを全部覚えて、コーヒーを入れるにしても、この人は砂糖○個、ミルクあり、ミルクなし、そんなことまで覚えなくてはいけなかった。知るかっ!! 飲みたいときに飲めっ!! と、喉まで出かかるけれど、仕事は仕事。

こんなお茶出しも、いつの間にか廃止された。そしてその後、私は2度異動するのだが、その2カ所でも最初はあったお茶出し制度は廃止されていった。私が何かしたわけではないはずなのだけど。異動の話はまたの機会に詳しく。

私が配属された業務はバイヤーさんたちの事務処理などの手伝いだった。とはいえ、入りたての新人に積極的に仕事を頼んでくる人は少なかった。やってもらいたいことを1から教えるよりも、先輩たちに頼んだほうが早いので当たり前だ。最初のうちは、先輩が振られて仕事の一部を私が手伝うというようなことが多かったのだと思う。要するに、「私の仕事」というのが特にないわけで、なんとなく居場所がない。それでも、みんながちょっと面倒くさいと思うようなことを少しずつやっていたら、だんだん居場所ができてきた。

例えば、コピー機の紙詰まり、紙の補充、トナー交換など、本当にささいなことだけど、仕事が立て込んでいて、いっぱいいっぱいのときには、こんなことに時間を取られたくないと思う人も多い事柄だと思う。それを自分からやるようにした。紙詰まりもよほどのことがない限り、自分で直せたし、紙はコピー置き場の在庫がなくならないように、減ってきたら倉庫から段ボールごと抱えて運んだ。トナーの在庫がなくなりそうだったり、故障のときはリース会社に電話した。

そんなことを続けていると「酒井さーん(旧姓)、紙が詰まっちゃったみたいだから見てー!」「紙はどこに入れるの?」「トナーがなくなった!」と、私指名で声が掛かるようになった。こんな小さなことでも、私の持ち場ができたようでうれしかった。そういう機会にバイヤーさんたちと話すようになって、気心が知れるようになり、頼まれる仕事も増えていった。何事も腐らずに、できることだけでも続けていると人との関わり方というのは変えられるのだと思う。

すぐに打ち解けてくれる人、いつも仏頂面で苦手な人、いろいろいるけど、感じの悪い人がぶすっとした顔ででも、「酒井さん、紙がない」と言ってくるようになったときは勝手に勝利を手にした気分になっていた。

電話応対もすっかり身に付き、人間関係も良好に気付けるようになり、仕事にも慣れてきて、そろそろ入社1年が近づくころに、貯金が貯まっていることに気付いた。毎月決まったお給料をもらうと、黙っていてもこんなに貯まるんだと他人事のように驚いた。実家暮らしだったし、特に趣味もなく、週末も家で過ごしていたらお金なんて減っていかない。貯まった金額を眺めて、何かに使えないかな? と思うようになっていった。

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