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14/1/26

もう会わない、もう会えない、だけど淋しい、だから淋しい

Image by Olia Gozha

私は非常に面倒な女で、気性は荒いし、口調もきついし、勘違いは多いし、話は好きだし、かまってほしいし、自己顕示欲の塊のような人間です。

でも嫌われたくないから、必死にそんな自分をセーブして(セーブしてもこの有体ですが)日々を過ごしています。


こんな性格ですので、振り回される人はたまったもんじゃない


私とずーっと一緒にいる人は、本当に大変だろうな、今朝も「あんたみてると本当に(自分勝手で)イライラする」ってお母さん言ってたし。ごめんねマイマザー


もう会わない、だけど淋しい

前の旦那さん(K)はこんな私と8年も一緒に暮らしてくれて、いつも面白がって話を聞いてくれていました。

喧嘩して、絶対に謝らない私に、仲直りの方法を教えてくれました。


私は音楽はあまり聞かないので、Kが時折持ってくる音楽をずっと聞いて覚えたり


私が見るアニメや漫画やラノベを気が付いたらKが見ていて、私よりハマったり(最終的には声優の聞き分けまでできるようになりました。あいつは俺が育てたという気持ち)


ぼんやりと電車に乗りながら外を見ていて(へんな看板…)を思ったものを、Kが「あれはないよな」とつぶやいて「エ、エスパー麻美!?」ってなったり


一緒にいれば、同じものを気に入り、同じものに気が付き、どうでもいい話をして、笑って、喧嘩して、老後までずっとずーっとこんなんだと思っていました。


Kは姿勢も悪くて、タバコもやめないし、好き嫌いも多いから、多分私より先に死んでしまうけれど、私が先に死んでしまったらきっと暮らしていけないだろうから、それでもいいかと思ったりしていたのに


私は、Kの手を離してしまった


状況が、そうなったとはいえ、二人で頑張っていくという選択肢をどうしても選びきれなかった。

私は結局、自分の保身を選択してしまった



家を出ていく最後の日に、二人で泣きじゃくりながら「馬鹿だ。本当にお前はバカだ」って互いに言い合って。だけど結局最後はアニメの話とかになって


「…じゃあ、いくわ」

「…おう」


で終わってしまった。8年間が「おう」で終わってしまったよ。

いっそのこと裁判でも起こして泥沼で大嫌いになれたら、こんな事にならなかったのかもしれないね。


ただ、「今でも好きだから淋しい」とは言い難い。恋愛的な感情は割と自分の中では冷めてしまっていて、それはKもわかっていた。


Kは私のことは好きでいてくれたけれど、子どもたちに対してはどこか一線ひいていた。それも嫌だった。


だけど家族だったんだ。8年間も家族だったんだ。自分の半分になっていたんだ。思っていることも、これからのことも、何かあるたびに「ねぇどうしようか」って相談して8年やってきていたのに


半分がぽっきり折れてしまって、自分でちょうどいい松葉杖を作ることもできずに、座り込んでいる、ここ半年ずっと、動けなくなっている



もう会えない、だから淋しい

予備校の時に先生の紹介で知り合って、考え方や人となりが大好きだった先輩が昨年突然亡くなってしまった。

お店をやっていたので、会いに行こうと思えばいつでも会いに行けた。困ったときや話を聞きたいときにふらりとお店を訪ねるのが好きだった。


好きだ好きだ言ってますが、恋愛ではないです。兄を慕うような「親愛の情」に近いです。念のため。


どうしようもない時の私を知っていて、今なんとか社会に出て働けている私に「お前は本当はそんな奴ちゃうねんけど、うまいこと皮かぶったなー」って褒めてくれて(褒めてたんだよね?)

物知りで、マニアックで、いつも新しい発見をくれる人で、私の書くものを好きだと言ってくれていた。


お店を別のところに構え直すために、一旦今のお店を畳むと言った時、すごく驚いたけれど、先輩ならまた楽しい場所を作っていくだろうなと思って「そうかー」ってだけ言って、閉店の日に「ほいたらー」ってアホみたいなお別れして


2か月後、突然の訃報


事故じゃない、病気じゃない、本当に眠るように消えてしまった。


残されたフェイスブックのウォールに、たまにぽつぽつと書き込みに行く。


攻殻機動隊が好きで、「いつか広大なネットの海に還るねん」って間違えてダブって買った攻殻機動隊の漫画をくれた時に言ってた。

草薙少佐はネットの海に潜っても、容れ物を変えて帰ってきてくれたけど、今の現代日本じゃまだ電脳化すらできていないよ、会えなかったら意味ないよ。


だから私は2045年の技術的特異点を見てから死ぬんだ。そしたら人間はコンピュータになって、ネットの海でまた会えるかもしれないよ。

寝返りうったら幽体離脱できるかもしれないよ。楽しみだね。


でも、まだこの空洞は大きく大きく開いたまんま。埋める気もおきないくらいの大きな空洞は開いたまんま。


埋めるパテを探す気にもなれない


じゃあ、いくわ


助けてくれとは言わない

助けてほしいとも思ってない(こともないが)

でも、私は自分で松葉杖を作って、びっこ引きながら生きていくつもりなので

もしこの文章を読んでも連絡してこなくていいです。淋しいけど、元気です。


子供たちも「パパのマネー」ってたまにしょうもないことしてくれています。
でも、みんなもう「会わないでいこう」ってなんとなく決めているので


新しい人生を歩んでほしい。

今、一緒にいてくれる人はいますか?

ちゃんとご飯は食べれていますか?

君の周りにはいつも人があふれていて、とても居心地がよかった。私もその中に入れてくれてありがとう。楽しかったよ。お父さんと、お母さんを大切にしてね


よい出会いを。

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