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14/1/26

小学校1年生のとき「、」を書く場所を教えて下さいと先生に聞いた

Image by Olia Gozha

点(、)を書く場所がわかりません、って聞いた

今更思うのは、もうちょっと早く日本語(国語)をきちんと体系的に教えて欲しかったということ。

そうしたら、もうちょっと早く英語がわかるようになったんじゃないだろうか。


国語の授業というのはやたらと隅に追いやられてる気がする。

例えば小学校の1年生の時に、

おいら「丸(句点)を書く位置はわかったけど、点(読点)を書く位置がわかりません」

ダイキライだった担任の先生「自分が書きたいところに書けばいい」

当時だって今だって到底納得のいかない応えが返ってきた。

全然論点が違うんだよ。


小学6年の文法はどうしてああもつまらないのか

小学校6年になって、「文法」を習った。単純に国語辞書に書いてありそうなことばかりで、実例なんてこれっぽっちもなかった。

はっきり言って、これじゃつまんないことこの上ない。

文法には言葉の本質がつまってる。

つまり、お国柄の集大成なのに、日本語の文法はいつだってつまんない暗記作業をさせられるだけなんだ。


日本語の敬語はこんなにステキだ

例えば、古語になってしまうけど、「申し給ふ」という敬語表現。

これなんかは今の社会だって使いたいくらいの便利さだ。



「課長が社長に申し給う」のだ。

主語になっている課長は社長よりも下の位。

でも、同時に課長は自分よりも上の位。


さあ、どうする?


課長は社長に対して、「申す(謙譲語)」を使わなければならない。

ところが、自分は課長に対して敬語を使う必要がある。そこで「給う(尊敬語)」を使う。

こうして、社長と課長という、自分より上の二重の階層構造を一気に解決してしまうのだ。

言ってみれば、社長にも課長にも気をつかっていることになる

こういう気持ちは日本人はものすんごくわかるんじゃないだろうか。

「気遣い」の日本語

そう。日本人は自分以外の人間にものすごく気を使う。

例えば、「ありがとう」に対して「どういたしまして」。

「ありがとう」は「有り難い」、「(こんなことをしてもらえるなんて)そんじょそこらじゃお目にかかれないくらい貴重なことである」

つまり、あくまでも相手がしてくれたことに対する評価なのだ。

「いたしまして」は「致す(謙譲語)」と「ました(丁寧語)」の複合語。つまり、相手を立てて自分はへりくだる。

あるいは、「お粗末様」とか「とんでもない」とか「滅相もない」とか、まぁ色々あるんだけど。

対して英語でちょっと気に入ってる表現が、

"Thank you."に対して"My pleasure."

thankは感謝する。

つまり、「(私は)あなたに感謝する」ということだから、主体(主語)は当然自分自身であって、相手ではない。

pleasureはご存じの通り「喜び」

だから、「自分の喜びです」→「(私が)好きでやったんですから」→「どういたしまして」という対訳になるんだろうけど、特にへりくだってはいない。

「(私は)喜んでもらえて嬉しいな」という感じ。

同じ「どういたしまして」の"You are welcome."も、

一見You(あなた)が主語なので相手が主体かと思いきや、

補語であるwelcomeが「(自分にとって)歓迎すべきもの」であるから、結局自分が主体なのだ。

どうせ英語教えるなら

そんなわけで、どうせ英語にも力を入れるなら、せめてこんなヒントめいた(まぁわかりづらいかもしれないけど)、興味をそそるような題材で日本語と英語、ひいてはお国柄の違いをはっきりさせながら両者の違いを言ってくれれば、より一層わかりやすいのに。

な~にが「自分の好きなところに点を打て」だよ!

こんなブログ書くにも文のテンポを考えながら書いてるのに!

読点によってテンポが乱れることだってあるし、読点を打つ場所で意味が違うこともあるじゃないか。



おいら「歳が若かろうと何だろうと、教えるべきことは教えろよ!」

・・・と、言いたかった。いや、言えばよかった・・・あのころは若かった・・・



ん?この気持ちは欧米化してる?

仮定法過去ってネーミングからしてちょっとどうなの

それから、仮定法過去と仮定法過去完了。

これだって、わざわざ英語だけで教えるこたぁないでしょ。

日本語(古文や漢文や現代語)にだって仮定法があるんだし、仮定法過去だとかわざわざ変な日本語の名前をつけるから余計にわかんないのだ。

その言葉の所為で、何かすごく特殊なものだとばかり思ってその言葉自体にとらわれて納得いかなくてわからなかった。

単純にムリヤリつけた文法用語だと気づくまでに時間がかかった。それならそうと早く言ってくれればいいのに。

「日本語にするとこう言うしかない、単なる名前なので気にしないように」とか。

If there hadn't been the tree, the scene would be more beautiful.


これ、「徒然草」の一説を英訳してみた。勝手に。

今の教科書に載ってるかわかんないけど、中学時代に覚えてしまった「神無月のころ」というお話の一節。

大いなる柑の木の、枝もたわわになりたるが、その周り厳しく囲ひたりしこそ、さすがに興さめて、この木なからましかばと覚えしか。


少しわかりづらいので、古語の方を補うと、

この木なからましかば(よからまし)と覚えしか。

これが漢文になったら(現代中国語ではない)

若不有其樹、乃好矣(若し其の樹有らずんば、すなわち好し)

くらいなもんじゃないかと思う(それほど自信ない)。


ちなみに、「有」はthere areと同様なので(意味としては多分haveと同義)、「人がいる」という場合は「有人(人あり)= There is a person.」とする。

主語と述語が逆転する語もあって、在がexistまたはbe動詞と同義。

「人がいる」という場合に「人在(人あり)= A person is(was) there. 」となる。

同じように、there以外でも副詞が先頭に来ると主語と動詞が逆転することがあるなぁ。

これは、現代中国語でも同じで、「トイレは2階です」だと「二楼有厠所」「厠所在二楼」になったと思った。

英語だと、"There is a bathroom on the second(イギリスだとfirst) floor."もしくは"A bathroom is on the second floor."(かなぁ?)


ほらほら、話が広がってくるじゃないか。


個別の教科に分けるのもいいけど言語は言語なんだから、日本語も英語も古文も漢文も、つなげて教えてくれれば苦労しなかったよなぁ、と思ったので書いてみた。


※これは、2007年に書いたブログ記事に少し手を加えて公開したものです。


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