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14/1/25

堺空港の思い出6 タンク車と空港特急

Image by Olia Gozha

私より少し上の世代だと石津川駅の北側から築港新町へ伸びる貨物線をタンク車が走っているのを見た人が多いようだ。
変圧器を運ぶ物々しい貨車が出入りした様子を覚えている人もいる。
南海の貨物線として空港工事たけなわになるまでは貨物列車が往来していた。

建設が決まると空港列車の予想図が出てくる。国鉄時代はぼろい阪和線の電車がそのまま入るイラストにがっかり、という話もあった。子どもたちだけでなく市議会でも「なんとかならんのか」という話があったようである。なんせ1974年の予想図を1982年の工事開始の後でも載せていたのだからお粗末な話だ。特急のとの字もない。天王寺から15分、特急の出る幕ではないし、京都や神戸まで走らせるなんてバカバカしい、が国鉄の意見だった。狙っていた貨物列車や新幹線が立ち消えになり、大阪の担当者が不貞腐ったという噂もあった。
一方、南海は1974年、1982年と何度か予想図を書きなおしている。まだ特急の話はないが急行でも新車をイラストに使う。
1987年になると例の鉄人28号がイメージ図に登場する。
国鉄がJRになり、京都まで特急を走らせると発表した直後である。それまでは何回も急行だけ走らせるという話だった。南海が冗談で書いたと当時の某夕刊紙には出ている。「難波まで15分、わざわざ特急券なんて大阪人は買わないよ」と記事にある。
それが本気だと知ってJRの担当も衝撃だったらしい。緊急の役員会が開かれ、お古の特急が清楚な新車になってマスコミにお披露目される。ボロい予想図もいつしか新車に書きなおされていた。
ラピートとはるかという名前が出たのはその後で、ライバルが並んで開港間近の堺空港駅で撮影された。

景気がいいのかラピートは連日満員、はるかもグリーン車から埋まっていく。1人で全席買い占めて難波まで乗った、京都まで乗ったという都市伝説まで流れた。

景気が悪くなると特急券が売れなくなる。変わって急行と快速が満員になる。

開港から25年、難波と新大阪をつなぐなにわ筋線の話も出る。両者仲良く京都、さらには北陸や名古屋まで足を伸ばしてほしいと政府高官のコメントが出ていた。

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Image by Jukka Aalho

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