top of page

14/1/19

なぜベストを尽く「せ」ないのか

Image by Olia Gozha


自分という存在への怒りと恥ずかしさと・・・

物心ついたときから、と言っても自分は自慢じゃ無いが1歳の誕生日も鮮明に覚えているくらい小さいときから物心はあったと思う。


だから、ほぼ生まれたときから、人と目を合わせるのも話すのも、挨拶さえ恥ずかしかった。極度の引っ込み思案だった。

何となく、自分が世の中にとってもマイナスの存在で、「いてはいけない=マイナス無限大」ような気がしていたので、人の輪に自分から入るのは苦手中の苦手で、「いてもいい=プラスマイナスゼロ」を目指していた。

一緒に住んでいた祖父の妹の所為もあるかもしれない。それはまた別の話なので詳しくは書かないけれども。


プライベートとオフィシャルが混濁するのが嫌いだった

だからかどうかは分からないが、とにかく外面と内面は使い分けていて、プライベートにオフィシャル(保育園生活)が入ってくるのは大嫌いだったし、逆もまた同じだった。家の中での自分と外での自分は完全に違うものだったから、保育園の運動会やらお遊戯会で親(と言っても共働きだったので、祖父とその妹がその代わり)が外での自分を見ることも本当に嫌だった。

多分、社会人の人なら分かってもらえると思うのだが、職場に家族が見に来るようなものだ。

違う自分を人に見られるのは、例え身内でも絶対に嫌だった。


ある日、そう1歳と少し経った頃だったと思う。保育園のお散歩で井土ヶ谷の駅前に行った。

横断歩道の信号が青になる。対岸の群衆がこちらに、そしてこちら側からも多くの人が渡っていく。そこで、見つけてしまったのだ。一緒に住んでいた祖父の妹が歩いてくるのを。そして、向こうも自分を見つけてしまったのを。

自分は外では泣かない主義だったのだが、外での自分を家庭の人に見られてしまった恥ずかしさと怒りに、どうしようもなく涙が出た。だだをこねるように、ひたすら横断歩道の真ん中で泣き叫んだ。


当時、祖父の妹は誇らしげに言ったものだった。

「私を見つけて帰りたくなっちゃって、大泣きしたのよ」

そんな馬鹿なことで泣くものかと心の中では思ったが、家庭の平和のためにはぐっと我慢するしかなかった。


自分の性別への疑問

そして、もう一つ、どうしても自分が女性であるということに違和感があった。これは自分では覚えていない出来事であるが、1歳くらいのときに親戚のおばちゃんがスカートをプレゼントとして手渡してくれた瞬間に怒りだし、そのスカートをみんなのいる前でゴミ箱に思い切り突っ込んだというエピソードがあるらしい。

それくらい、スカートは嫌いだった。水着も嫌いだった。立ちションができないことも嫌だった。トイレに行くたびに、なんで男の子じゃないのかと悩んだ。でも、かといって女の子を好きになるわけでは無くて、かっこいい男の子に憧れた。


そんな変なヤツだったから、保育園の年下から「おとこおんな」と呼ばれていたことを自分はこっそり知っている。それがすごく嫌だった、恥ずかしかった。それは、「人から話題にされることが恥ずかしい」というだけでなく、「何故自分は男じゃないのか」という怒りにも通じていた。


昼寝の時間は拷問

当時から寝付きが悪かった。そもそも生まれつき寝付きが悪かったと聞いている。

とにかく、保育園で強制的に昼寝をさせられるのが嫌いだった。天井は、小さい穴がたくさん空いているあのボードだったからだ。

寝付けないので、「天井の穴の数は数えきれるか」などというくだらないことを考えてしまうのだ。そして、「宇宙の星の数は当然これより多いだろう」と思うと、「無限ってどういうことだろう」とつい思ってしまう。

すると、自分が生きている間には、いや有限の寿命がある人間にはわからない、宇宙の果てや、その周りにある何かや、色々が襲いかかってくる。こうなると、もうパニックである。


寿命がある、だれもがいつか死ぬ、もしここで昼寝をして、起きてみたら死に際に思い出しているだけだった、なんてことがあっても不思議じゃ無い気がしてくる。死んだ後は無になる。無って何だろう、死ぬのは苦しいだろうか、意識がなくなるってどういうことなんだ・・・もう眠るどころの話では無い。

だから、昼寝の時間は拷問だった。


なんでも優しく聞いてくれる母に相談したかったが、母の方が先に死んでしまうだろうことは生物学的に明かだし、母が死ぬなんて思いたくもないし、まして保育園児が聞いたところで一笑に付されてしまうか、もしくは叱られるか・・・。とにかく勇気が無かった。相談する勇気は出なかった。


ささやかな祈り

自分が保育園の時はもう戦後だったけれど、それでも「天皇が神様の子孫だったと言われていた」ということは知っていた。もちろん、それが嘘八百で、天皇は神様の子孫なんかじゃないことも知っていた。

だけど。

もし、もし万が一、天皇が神様の子孫であるとしたら、少なくとも昔は神様がいたことになるし、今もどこかに神様がいるかもしれない。

そうしたら、もしかしたら自分は男の子になれるかもしれないし、寿命という呪縛もなくなるかもしれない、そんなことを考えていた。

だから、そんな真面目に「人間宣言」なんてしないでいいから、夢を持たせて欲しかった。天皇は神様の子孫なんだよ、と、ウソでも良いから言って欲しかった。

そうしたら、どこかに自分を救ってくれる神様がいるように思えるのだから。


転換点はおとづれる、突然に

小学校に入ってからも、相変わらず引っ込み思案だったし、相変わらず寝付きも悪く、死の恐怖からは救われず、まして性別に関してはひどくなる一方だった。

なにしろ、大洋ホエールズの試合を見に行くようになってからは(これも親や周りの影響ではなくて勝手に好きになった)、なんとなくプロ野球選手になりたかったけれど、当時の状況では女性が職業で野球をするなんてあり得なかった。

引っ込み思案も手伝って井土ヶ谷フレンズ(というリトルリーグ)に入る勇気もなく、自分の才能や技術力は確信していたけれど、母と一緒にすごせる唯一の日曜日を、友達と過ごすのも何となくもったいない気がして、心の中はいつもウジウジしていた。


ウーと出会った日

小学校3年になった日、忘れもしない。クラス替えで緊張しながら座った席で、新しい級友にまた慣れていかねばならないという状況に愕然としていた自分の前に、突然笑顔が現れた。前に座っていた女の子が振り向いたのだ。

「りょうこちゃんでしょ?!」

一生忘れないだろうと思う。ウー(というニックネーム)だった。向こうは1年生の時から知っていたという。町内も同じだった。

とにかく人を見ないように地面だけ見て登校し続けていた自分は気づかなかったが、向こうはこちらをとてもよく知っているみたいに、笑顔で話しかけてくれたのだった。もしかしたら、ウーは神様の子孫なのかもしれない。

その日から、自分は少し変わった。


自分から笑ってもらえるように仕組む

人から笑われるのが恥ずかしかった。でも逆に「笑いを狙って笑われる」のは恥ずかしくないことなのだと知った。

それから、やたらと積極的に挙手する子どもになった。でも、「自分は世界の悪」という気持ちはあったので、とにかく自分を人より引き下げることで笑いを取るように頑張っていた。

成績はよかったのだ。ほぼ常に技術科目も含めてオール5(小学校では3段階の一番上)だった。けれど、笑いを取るように頑張っていたのが功を奏したのか、友達は嫌がらずに付き合ってくれた。もちろん、ウーはずっと心の支えだった。

ダジャレを連発したり、マジックを修得したり、色々してみた。人が喜んでくれると嬉しかった。ウーと一緒にノーベル賞を目指して「皿洗い機」を作ろうとして失敗したりした。


なぜベストを尽く「せ」ないのか

多分、失敗や失笑や嘲笑や「その場の平和の崩壊」が怖かったからなのだ。そして、自分の選択に対して襲ってくる責任と、めんどくさいことを先に考えるからいけないのだ。


けれど、30代も半ばになって思うのは、「やってみる」ことの重要性だった。例え「ベストが尽くせないかもしれない」と思っても、「とりあえずやってみる」ことがどれほど重要か分からない。好きこそものの・・・は正解だ。好きならやってみようと思える。これ重要。


例えば、めんどくさいことが予想されても、進学・就職・結婚・離婚・転職・やりたかったことをもう一度やってみること、それはいつだって遅くない。

ベストを尽くせない理由は、「めんどくささ」と「めんどくさくなる予想」だ。でも「めんどくささ」を目的にしてしまうメタ視点を持つことによって、道化師になれる。好きになることで「めんどくささ」が「素敵な作業」に変化する。

そして、決していっぺんに全部しようとしないことだ。小さいことを一つずつ片付けていけば良い。意外と人生は長い。


野球選手への夢は、とうとうやっと諦めがつき始めた。まぁ失笑されてもいいけれど、それでもいい、スピードガンコンテストへの参加や、ベイスターズNPOの公式サポンサードなどを通じて、ある程度巻き返すことができて、それは30代でベストを尽くせた結果のように思える。


引っ込み思案は未だに直らないが、LIGライターに応募してみたり、知らない人に営業したりと、年相応にずうずうしくなったことで少しは解消した。


性別と寿命についても、おそらくベストを尽くす時がくるんだと思う。だから、何かとっかかりがあれば、やってみたいと思う。


好きになること・やってみることがベストを尽くせる元になる

何度も繰り返すが、とにかく、気になった物はやってみた方が良い。好きなことはやってみた方がいい。お金と時間が許すなら、絶対にやってみた方が良いし、言ってみた方がいい。

自分は未だに、中学の時に野球部に女性も入れるかどうか聞けば良かったと思っている。

http://youtu.be/dc1oDF8A0Ww (動画「侍ホエールズ」で悪あがきしています)

英語や数学も、もっとやっておけばよかったと思いつつ、毎日勉強しているがそれはそれで楽しいので、受験の時にある程度勉強したのはよかったな~と思っている。ああよかった。


トリックが完結してしまう寂しさに、ついパクリ題名をつけてしまい、申し訳ありませんでした。内容が全然関係ねーじゃん、このやろう!と思った方、ごめんなさい。

←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」

情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般...

大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。

今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と...

あのとき、伝えられなかったけど。

受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分...

ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと...

bottom of page