top of page

14/2/10

一回り年下のアメリカ人と、電撃国際結婚しちゃいました。

Image by Olia Gozha

2008年12月25日、クリスマス。
サンタさんから成田空港にプレゼントが到着した。

それが今の旦那さん。

当時、彼ハタチ。私、32歳。干支が同じアメリカ人。
彼の所持金:ゼロ。
つきあった期間:数ヶ月。

※『ダーリンは外国人』みたいな明るい話を想像して読まれると、がっかりすると思います。どちらかというと、国際結婚のダークサイドと私自身の結婚論のようなものを書いていますので、それでもいいよ〜という方だけお進み下さい。


日本のジョウシキを覆す結婚?


この結婚には、たくさんの壁があった。
年の差、収入の差、言葉の壁、国が違う、価値観が違う。
うまく行かなそうな要素勢揃い(笑)。
友達も両親も口を揃えて反対。私も、もしこれが自分のことじゃなくて
友達の話だったら、反対していたかもしれない。

結婚に際して、よく男性が「◯◯さんを必ず幸せにします」とか言いますよね?
あれ、私は個人的にどうしても違和感があります。

幸せは、するものでもされるものでもない。
と思う。

「幸せにする」という言葉の裏に、男性は負わなくてはならない責任感を、
女性には「養ってもらう」という受け身の安心が、見えるように思えて。
決意という意味でそれを口にすることはわかっているけど、
なんかそういう、日本っぽいかんじが、私はナンセンスだと思っていた。
「一緒に幸せに暮らしていきます」でいいじゃん、と思う。

「ハタチ、収入ゼロ、無職」
日本の適齢期の女性には鼻であしらわれそうな条件の私のダーリンは、
うちの両親に挨拶に来たときに、父にこう聞かれた。
「仕事とか、収入とか、どうやって養うつもりなの」
彼はにっこり笑ってこう答えた。

「一緒に、がんばります」

私には、とてもしっくりくる答えだった。
生活を一緒に作るという方が、幸せにしますと言われるより
自分らしい結婚だと思った。

「結婚は、幸せにしてくれそうな相手とするんじゃなくて、
 不幸になってもいいと思える相手とするべき。


武田鉄矢の名言です。


外国人は大変

異国で暮らす外国人というのは、大変なものです。
ましてや、島国日本で暮らす外国人は、いろいろ大変な目にあうものです。

ただ、最初から「ニッポンダイスキ」で日本に住んでる外国人は、大抵のことに
へこたれないと思います。なぜならすでに日本と恋に落ちているからです。
でも、私の旦那さんは私と結婚するためだけに日本に来て、
私が望んでいるから日本にとどまっているので、彼らとはだいぶ違います。


肌の色、目の色が違うことで、常に周囲の好奇の視線にさらされる。
「ガイジン」という差別用語で呼ばれる。
つける職業が非常に限られてしまう。
アメリカ人だと、英会話講師か英会話講師か、英会話講師。
日本的な慣習や暗黙のルールに従わないと日本では生きていけない。

島国だからしょうがないし、同じ日本人である私にはわかります。
皆さん、悪気はないんです。
ただ、物珍しいだけなんです。興味あるんです。
でも、やはり同族同種を見て育って来たので、
外国人を決して「同じ人間である」とみなせない。

「友達」という言葉で彼を利用しようとする人たち。
仲の良かったはずの同僚からの、ある日突然の裏切り。
自分の罪を「外国人だからやったに違いない」と彼に押し付ける人。
自分達の価値観の通りに動かないからと、
寄ってたかって大勢で彼を責める人たち。

彼が関わってきた日本人を何人も見てきて、私は思ったものだ。
結局彼は、
「檻に入れられて、遠巻きに眺められてる動物園の動物みたいだな・・・」

国際結婚というのは、配偶者がそういうことで疲弊していくのを
横で見なくてはいけないという辛さがあることを知った。

彼は次第に、日本に来たばかりのときの快活さを失い、やる気をなくし、
うつ、適応障害の症状を見せ始めるようになる。
どうしていいかわからなかった。
彼は人を信じられなくなり、家に籠もるようになり、働きたくないと言った。
「僕は別人になってしまった」と言った。

でも、それも誰にもわかってもらえなかった
両親にしても、友達にしても、彼はただのヒモにしか見えてなかったと思う。
母親に別れた方がいいんじゃないかと何度か言われた。
彼の痛みを理解していたけど、それを他の誰に説明してもわかってもらえず
板挟みのようになってしまっていた。
どうして彼が働かないのかを、誰かにいちいち説明しなければならないんだろう。私が良ければそれでいいんじゃないのか? 私は私で疲弊していた。

そんなとき、彼のお父さんが突然亡くなった。
それでも遠すぎて、彼に出来ることは何もなかった。
彼はひとり打ちひしがれていた。

故郷から遠い異国の地で、親兄弟、友達と離れてたった一人。
彼の精神状態は日に日に悪くなっていくようだった。
私はやっぱり、側で見ていることしか出来なかった。

結婚して2年くらいは、毎日のように喧嘩していた。
彼自身の精神状態が不安定で、私はそれに引きずられ、振り回されていた。
何度か本気で離婚を考えたこともあった。
もうやっていけない、と家を飛び出して、近所の公園で一人泣いたことは
数えきれない。彼の辛さが、隣にいる私にもダイレクト影響を与えていた。

彼には私しか頼る人がいないのに、わかっていてもその重みに
押しつぶされそうになっていた。何度も八つ当たりをした。

私があのとき、もっと大きな心で彼を包んであげられれば良かったのにと思う。

本当のグローバルって?

そして「外国人を夫に持つ」ということで、普通に暮らしていたら
受けないであろう差別にさらされることが、私自身にもあった。

結婚したてで友達が小さなパーティを開いてくれたことがあった。
そのとき私に聞こえないように(あるいは聞こえるように?)女友達が
「要するに、日本人と結婚出来ないからガイジン行くんでしょ?
 あー、私もその手しかないかな〜」と言うのが聞こえた。

親しい「友達」だからといって、嫉妬してないとは限らない。
ということを学んだ。

そしてもっとも多いのが、子供のこと。
私には娘がいて、アメリカと日本のハーフになるわけですが、
「いいな〜私もハーフ産みたい」と色んな女性に言われて来ました。
気持ちはわかるけど、「私もそのブランドのバッグ欲しい」と違わない気がする。

一番悲しかったのは、
「それで、昔からハーフを産みたかったの?」
(意訳:"ハーフ産みたいからガイジンと結婚したんでしょ?計画的?")
と言われたこと。

私はずっと子供は欲しかったけど、「ハーフを」産みたいなんて思ったことない。
「◯◯産みたい」ってものすごく利己的。
子供はどんな子供だってかわいいし、どんな顔だろうが、どんな国籍だろうが
母親だったら誰でも同じように、どんな子供でも愛おしいものでは?

しかもその発言をした女性は、アメリカと日本を飛び回ってグローバルな仕事をし、3ヶ国語を操る才女。尊敬していた人だった。
その人は私の娘のことだけでなく、私の結婚まで貶めたようなものだ。
しかも、無意識に。

グローバルな才女だからといって、考え方もグローバルとは限らない。
ということを学んだ。

無意識に「差別」を露呈する日本人のなんと多いことか!というのが、
私が国際結婚をして日本で暮らすうちに実感したことです。
悪気がないことはわかっているのだけど、色々考えさせられました。
悪意がなければ、何を言ってもいいのか?

蔑むことも差別ですが、私はちやほやすることもある意味差別だと思う。
「ハーフちゃんだから可愛いね」→どんな子供も可愛いよね?
「外国人が旦那さんでうらやましい」→国籍関係ないよね?

外国人というだけでちやほやしてしまう、という状態をいい加減抜けだして
本当の意味で「グローバルな」日本になれたらいいなぁと思うのは
私だけでしょうか?
私は「グローバル」というのは、どんな人間でも国籍関係なく
受け入れ、認め、対等につきあえるということだと思います。
どうして日本人は外国人に対して「躁」か「鬱」の反応しか出来ないんだろ?

相手がどんな国の、どんな立場の人でも、同じ人間として
思いやりを持って接する、そんな人間に私はなりたいと思っています。
皆さんは、どうですか?




もしあなたが外国人と友達になる機会があったなら、
ぜひ対等なひとりの人間として、向き合ってあげて欲しい。
「ガイジン」なんて言わず、あなたが日本人の友達にするように
普通に接してあげて欲しい。



夫婦は一対の鏡。


国際結婚は本当に問題が立ちはだかることが多いですが、
私にとっては「自分のたましいを磨くチャンス」だと思うようにしてます。

彼とぶつかるなか、自分がこんなに嫌なやつだったなんて
知らなかったと唖然とするくらい感情が吹き出して来て、
見たくない醜い自分がたくさん出て来ました。

夫婦は一対の鏡だと思うんです。
旦那さんといると、どうしても自分自身と向き合わざるを得なくなってくる。

相手の「嫌だな」と思うところは、自分が持っている見たくない部分だったり
相手の「素敵だな」と思うところは、自分が知らずに持っている
美しい部分だったりすると思うんです。

だから、旦那さんの「ここが嫌い」って思ったら
それは自分の嫌な部分で、旦那さんは鏡としてそれを見せてくれている

と思うようにしています。
そして、素敵だと思ったら、それを口に出して伝えるようにしています。

彼の素晴らしいところは、底なしに広い心と、誰にでもとても優しく
親切であるところ。争いを好まず、自分が引けるところはすぐに引く。
頑固さはまったくなく、素直で、いい考えはすぐに受け入れる柔軟さがある。
そして、人の素敵なところを見つけて褒めることがとてもうまい。

私は彼の笑顔を見ることがとても好きで、いつもGoofyなことをして
彼を笑わせてる。彼が笑うと、私も楽しいから。
彼がいつも褒めてくれるから、私も彼の素敵なところを見つけて褒める。
彼がなかなか怒らないから、自分だけ怒ってることが馬鹿らしくなってくる。
そんな風に暮らしていて、やっぱり夫婦は鏡なんだなと思うようになりました。

私達は先日、結婚5周年を迎えました。
彼の純粋さ、素直さ、人の良さが、私にこう思わせるのです。

醜い部分を直し、より善い人間になりたい。


そう思えるのは、彼だから。
"鏡"の旦那さんに今は日々感謝しています。



大黒柱


ところで、うちでは私が大黒柱です。
娘と旦那さんを養っています。

日本で暮らす国際結婚の場合、
やはり日本人の方が稼がないといけない場合が多いです。
私は結婚する際には、最初から養う覚悟がありました。
子供が生まれたら、育児をしてもらえばいいと思っていました。

こんな考え方はまだまだ一般的ではなく、眉をひそめられることもあります。
大変だね、なんて同情されることもあります。

でも、私は稼げる方が稼げばいいと思うし、男が働いて女は家にいる、という
日本的な固定観念はもう古いんじゃないでしょうか?
夫婦双方が納得していることであれば、私はどんな形でも良いと思います。
要は家族というチームで考えた時に、編成は臨機応変に出来たほうが
お互い、柔軟性がある人生になって面白いかなと思います。

私の旦那さんは日本では「甲斐性ない人」かもしれません。
でも、私にとっては年収一億円稼ぐ男性よりもずっと魅力的で、
一生を添い遂げるのはこの人以外にはいないだろうなぁって思っています。
たぶん持ち金がゼロになっても、一緒にがんばるでしょう。

不思議なんですよね。人それぞれの見方によって、
私は「ルーザー」でもあり「ウィナー」でもある
ようなんです。
あるお金持ちの女性に言われました。
「旦那さん仕事してないんだって?大変だね、可哀想。どうすんのそれ?
 あなた、育児も仕事もしてるんでしょ?私にはとても出来ないわぁ」
ある独身女性に言われました。
「かっこいい旦那さんがいて、かわいい子供もいて、トミーは勝ち組だね」。

色んな人が好奇の目で色んなことを言いますが、私は自分の人生楽しいです。
国際結婚は新しい国に住んだり、普通ではない状況になることが多いし、
内面でも環境でも変化がたくさんあるので、個人的にはそれが楽しいです。

はたから見れば無謀な結婚だったし、喧嘩もたくさんしたけど、
5年経った今では、それを乗り越えたことで、お互いがどんな人間か
よく理解しあっていて、信頼関係が強固に築かれたように思います。


新しい挑戦


実は、来年くらいに渡米する予定でいます。
私は日本でやりたかったことをし、望みもすべて叶いました。
ずっとアメリカに帰りたいと言っていた彼を、色んな理由で引き止めていました。
でも今度は、彼にやりたいことを見つけて欲しいし、その助けになりたい。
旦那さんは「今度は僕が君たちの面倒を見る番だ」と張り切っています。

私は、日本でのすべてのキャリアも人間関係も捨てて、
彼についていくことになります。本当にまたゼロからのスタート。

人生、全部一回捨てるなんて経験、あんまり出来ないですよね?

もちろん不安もありますが、また新しい挑戦をさせてくれる
国際結婚って面白いなぁと思います。
大変なこともたくさんあるんだろうし、カルチャーショックもあるでしょう。
でも女性は強いし、順応力もあるので、自分もきっと大丈夫だろうと思ってます。

最近、里田まいさんが旦那さんとアメリカに旅立ちましたね。
そのときブログに書いていた言葉が、私の今の心情そのままだったので、
最後に、引用させて頂こうと思います。


←前の物語

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

高校進学を言葉がさっぱりわからない国でしてみたら思ってたよりも遥かに波乱万丈な3年間になった話【その0:プロローグ】

2009年末、当時中学3年生。受験シーズンも真っ只中に差し掛かったというとき、私は父の母国であるスペインに旅立つことを決意しました。理由は語...

paperboy&co.創業記 VOL.1: ペパボ創業からバイアウトまで

12年前、22歳の時に福岡の片田舎で、ペパボことpaperboy&co.を立ち上げた。その時は別に会社を大きくしたいとか全く考えてな...

社長が逮捕されて上場廃止になっても会社はつぶれず、意志は継続するという話(1)

※諸説、色々あると思いますが、1平社員の目から見たお話として御覧ください。(2014/8/20 宝島社より書籍化されました!ありがとうござい...

【バカヤン】もし元とび職の不良が世界の名門大学に入学したら・・・こうなった。カルフォルニア大学バークレー校、通称UCバークレーでの「ぼくのやったこと」

初めて警察に捕まったのは13歳の時だった。神奈川県川崎市の宮前警察署に連行され、やたら長い調書をとった。「朝起きたところから捕まるまでの過程...

ハイスクール・ドロップアウト・トラベリング 高校さぼって旅にでた。

旅、前日なんでもない日常のなんでもないある日。寝る前、明日の朝に旅立つことを決めた。高校2年生の梅雨の季節。明日、突然いなくなる。親も先生も...

急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ1(発生事実・前編)

暗い話ですいません。最初に謝っておきます。暗い話です。嫌な話です。ですが死は誰にでも訪れ、それはどのタイミングでやってくるのかわかりません。...

bottom of page