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15/4/19

私を助けたもの ワークショップ2 もう一人の師匠

Image by Olia Gozha




リゾートマンションという名称のほどでもありませんでした。

頭に「昭和の」とつけば、納得する感じでした。


25mの室内プールがあって、いくつかの多少錆びついた器具のあるジムがあり、小さな研修室がありました。それ以外は、少し広目のワンルームが10階ほどびっしり並んでいるような、海沿いの真っ白な建物。

地元からそれほど遠くないところに、こんな建物があったんだ。ボストンバッグを担いでバス停を降りた私は思いました。


「カウンセリング・ワークショップ」

そういうイベントの名前でした。3泊4日で、学生にはそれほど安くないイベントに、開催の直前になって応募したのは、当時ワークショップという体験教育にはまっていた私に、信頼できる知り合いが紹介してくれたからでした。


そのときの私がそれまで体験していたのは、自然体験のようなキャンプものばかりでしたから、心理という分野のワークショップは初めてで、とても緊張して参加したのを覚えています。



参加者は10数名。円座になって座りました。

最初のワーク。今の気分を絵で描いてください、と進行役が言ったとき、とても動揺したのを覚えています。絵を書くのは、苦手中の苦手でしたから。


後になって、私が勝手に「師匠」と呼ぶことになる、進行役の陽に焼けたおじさんは、こう続けました。


「何で書いてもらうかというとクレヨンです。クレヨンはね、小さいころに描いてた道具ですね。小さいころはね、上手なこととか全然気にせずに、ただ夢中に描きたいことを描いてたでしょ。クレヨンを使うと、その頃の感じのまま描けるんだよね。だから、皆さんもうまく書こうとか考えずに、ただ無心で描いてみてね」


・・・そう言われても、描くのはやっぱり苦手意識の染みついた私でした。


ゆったりとした流れの雰囲気に、美味しい食事。最初は緊張していた私も、段々と落ち着いて、その時間が楽しくなってきました。

やがて、参加者の誰かが自分の今の悩みを語り合うワークになりました。どうもそのワークが、そのワークショップのメインのワークのようでした。


私は色んなワークショップを経験したくて、参加しただけだったので、自分の悩みを話す気持ちはありませんでしたが、段々と自分のことを打ち明けたい気持ちになっていました。




私のその頃の悩みは、人とうまく話したいのに、うまくコミュニケーションをとれないということでした。今風に言うと、コミュ障ですかね。

なので、当時は演劇サークルに行ったり、コミュニティラジオに参加したりして話す経験を積めば、コミュニケーションできるかなと色々していました。でも、うまくなったという感触はなかったです。


私がそういう悩みをひとしきり話したら、師匠は最初にこういう質問をしてきました。


「君が一番話しにくい人は誰なの?」



・・・??

この質問には驚きましたね。どうしたらコミュニケーションが取れるようになるか、その方法ばっかり考えてた自分には、全く予想外でした。

話しにくい人?いや、みんな話しにくいんだけど・・・ううーん。。


言われてしばらく考えてみると、ふとある人が浮かびました。


「・・・親ですかね。父親です」


「そうですか。それでは、お父さんと話してみましょうか」


師匠はこういって、父親と私が話すロールプレイをしてくれました。そこで、私はとても印象的な時間を過ごしました。


その夜は、ウイスキーを一人で一瓶空けるくらい、すごく幸せでした。翌朝の2日酔いのひどさも、よく覚えていますね。そんなに飲んだのは、後にもこのときだけです。



私はこのワークの後、親にちゃんと自分の話をしようと思いました。

親元からはすでに離れていましたが、帰省した時はちゃんと心を開いて、自分のことも話すし、親の本音も聞いてみたいと思いました。

そして、それを実際に試した結果、私のコミュ障は自分でも気にならなくなるほど、悩みではなくなりました。


今思えば、このワークショップは私に大きな変化を与えたと感じています。それは、自分を見つめることの大切さです。



あの頃の私は、自分のコミュ障を何とかしたいと思っていました。

おそらく、コミュニケーションのコツとか、堂々と話ができる意思の持ち方とかを知りたかったはずです。

ところが、師匠は答えをくれる代わりに、私に問いかけをしてきました。


一番話をしにくい人は誰?と。


私は一番話をしにくい人を想像しながら、話ができない自分をイメージしました。

そして、話ができない人たちから自分がずっと逃げ続けてきたことに気がつきました。

あいつとは元々ノリが違うからとか、話なんてできるわけがないとか、自分から勝手に理由を付けて避けてきた人たち、私にとってその代表格が親でした。

つまり、私にとって必要だったのは、コミュニケーション能力を高めることではなくて、人から逃げ続けてきた自分、から逃げずに向き合うことでした。そして、そのための解決策は、一番話しにくい親と話すこと、だったのです。


また、後になって、私は、逃げている自分を見ないでいるために、コミュニケーション能力を高めるという目標に逃げていたことにも気づいたのです。


この経験から、私は自分に問いかけることを意識し始めたと思います。



今、僕は何が見えている?何を感じているの?

息を吸って、力を抜いて、自分を自分自身の中にダイブするような感じです。少しの声も、少しの気配も見逃さないように。

行きつく先は、外から得られる答えではなく、自分の中のまだ見えていなかったものです。


そういう積み重なりが、今の私に導いてくれたように、今は思います。



・自分を見つめること

・痛いところ突かれた感

・howではなくwhat

・自分と対話すること

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Image by Jukka Aalho

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