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14/1/13

自分の書いたものを整理していたら、朝井リョウの「何者」について書いた去年の記事を見つけた。

Image by Olia Gozha

たまたまGoogle Driveの中身を掃除していたら、2012年の今ごろはがんばって就活していたなーと、Google Driveに入れていたメモノートを見ていて思う。本当に入りたいのか?と言われたら、うーん…と唸ってしまうようなところに入ろうと、もがいていたあの時期。そんなときに、朝井リョウの「何者」を読んで、最後の最後のオチにハッとしたのは、今でもいい思い出だし転機な気がする。

あのころはいろんなことに動けている人を尊敬していたのだけど、今年の自分も少しは動けるようになったのではないのかな、と思う。進歩できたかな。

今回は、「何者」を読んで書いたブログを公開します。2000字くらい。いい本だ、まったく。

自分と向き合うのが怖かった

あの5人の登場人物の中で性格が似ているのは「二宮拓人」だと思う。

自分の考えととても似てるから。いっつも遠巻きに誰かのことを見ている。「自分のことはよくわからないけど、他人だったら何かわかるような気がする」、そんな気持ちでいつも他の人を眺めていた。自分は何にもなれないのに。自分は何も変わらないのに。

自分と対比させながら読んでいって思ったことは、自分は、人が頑張っていることを素直に応援できないひねくれ者だということ。素直に動けている人がものすごく羨ましいって思っていた。そんな風になりたいと思っているのに、この道で合っているのか?って迷って、なかなか前に進めない。

自分の道になかなか自信がもてないから、どこか他人の進む方向を見てそれについていくか、それか他人が失敗する様子を見ておきながら違う方向に行く。自分はこれで失敗しなかったぞ、って。

 自分は、もがいている人を上から見て、さもわかっているような口ぶりで小馬鹿にしていたと、振り返ってみて思う。嫌なことは「知らない」という選択をすることで、自分の中から締め出してきたし、開けられるのが怖かった。

自分は本当は他人を羨んでしまったり、妬んでしまう弱い人なのに、自分に見て見ぬふりをしていた。わかってはいたのに地に足付けず、他人の行動を見ることで、言わないけど誰かを否定することで自分を保ち、自分を見ないようにしてきた。自分を見るのが怖かった。


普通なのに、普通であることから逃げていた

 また、「普通」な自分をあたかも普通じゃないように見せたかった。

普通」ということがコンプレックスで、このままでは何かに埋もれてしまうと思ったから、「他の人とは違う自分」だっていうことを誇示したかった。これを書いている理由としての『自分のため』っていうのは、自分の成長のためとか、継続力をつけるため、とかそんなことではなく、自分が普通になりたくないからっていういう単純な理由なだけでここまで続けられたような気がする。

今日のこのブログを見て「痛いなあ」と思っている人がいるかもしれない。話がつまらないと思ったり、なんだこれって思うこともあるかもしれない。これを見た時にそう思っている人が少なからずいるはず。

でも、そういう他人からの視線を気にして、向かい合わないで逃げていたらやっぱりこれからも逃げるような人生になるんじゃないかって思う今は。


じぶんは自分だし、他の誰にもなれない

*ここから下を読むときは、この音楽を聞きながら読んでみてください。
Michael Bublé - "It's A Beautiful Day"

 最近、就活というこじつけで、友だち何人かに「自分ってどんな人間だと思う?」っていうふうに他者分析をしてもらって実感したことがある。

それは、「自分は自分だし、他の誰にもなれない」ということ。

もう、そういう自分がいるという事実を認めなくてはいけない。そのためには「自分はこういう一面のある人間だ」ということをもっと認めないといけない。そういう自分がいるから、「おれはこんな人間じゃない!」って自己反発したところでどうしようもないし、そのままで嫌なところがあるんだったらそれを直すためにはどうしなきゃいけないかをもっと考えることに時間を使わなけれないけない。

しょうがない苦手なことは、もう得意な人にやってもらえばいい。役割分担だ。最近そう思うようになった。

もうどこかの誰かになろうとして、終わりのない上を見るのはやめる。もう見知らぬ何者かになろうと気張らなくてもいい。もっと「自分」になればいい。何かが得意なら得意な道をいけばいいし、すきなことを仕事にしたいんだったら仕事にしたらいい。いくら振り返っても、いくら自分のことを知ってもらいたいと思っても、結局自分は自分でしかない。無責任に聞こえるかもしれないけど、誰かは誰かなんだよ、誰かは自分ではない。過剰に期待してはいけないと感じた。

 最後に。

他人は自分のことを見てくれないけど、悲観するほど見てくれないわけではないし、むしろ見てくれていることのほうが多いこともあるけど、やっぱり中の奥のことは、自分にしかわからない。それを探せるような人になりたいと思うし、それを伝えられるようになりたいと思う。

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Image by Jukka Aalho

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