top of page

14/1/11

1993年、19歳で中国に五年間留学してみた。第二回

Image by Olia Gozha

日本の大学に行くより、楽しいのかも。。。


前回の続きで、

私は日本人が少ない地域で、生まれたので、在日中国人、北朝鮮人、韓国人、台湾人、シンガポール人が多種多様のアジアのクラスメイトがいました。

(当たり前ですが、子どもの頃はそこしか知らないので、それが多種多様かさえもわかっていませでしたが。。)


子どもの頃は、全員日本語ペラペラだし、苗字が違う位のイメージで、何も意識はしていませんでした。ただ、友人の家庭はサラリーマンの家庭が殆どなく、いつも家族が一緒にいる人が多かったので、すごく羨ましかったのを覚えています。(友人宅でいつも食べる家庭の中華料理や韓国料理が大好きでした。)


ただ、小学校でも高学年になって来ると、ある変化がありました。


皆、苗字が変わるのです。。


例えば、王くんは、金田くん、李くんは、青山くんなど、おややと。。

今思えば、通名に切り替えるタイミングで背景はいろいろあったのでしょうが、

子どもにとっても重大な意味がありました。


今は知りませんが、昔はあいうえお順で整列する順番が決まっていて、それが結構子どもながらに大切な指針でした。

一つでも手前にいる人間のほうが、大きな優越感を感じることができたのです。(詳細の意味など勿論ありません、ただただ純粋にそう信じてました。)


それが、皆があ行の名前とか、か行の前のほうの名前になり僕を追い抜いて

行くのです。それも、とってもなんだか誇らしげに。。。


僕の子どもの尊厳はなんだかズタズタでした。

加藤「あれ、また前行くの??」

友人「うん、俺来学期から、名前変わるから、お前より前ー!一気に抜かしたったわ~!!」

加藤「まぢでー、全然俺より後ろだったのにー!!!」

僕は、悔しさと、いつまでたっても名前が変わらない両親への不信感と共に、

母親に相談しました。



「ねー、ねー、うちは何時苗字が変わるのよ?いろいろ今後のこともあるから、教えてくれないと困るし、あ行以外の苗字になるなら、学校行かんわ!」

お母さん「はっはー!! 次のお父さんはあ行な、了解。かしこまりや。それまでは、か行でうちは行くわ!」

このまま現状維持で、戦うしかないのか。。と思いましたが、そこは理解をしようじゃないかと。


それ位、いろんな国の人が身近にいたので、中国という国は産まれてからずっと近くにありました。


そして前回にも書きましたが、友人の王くんは、足も速かったし、頭もよかった。女子にも人気あった。そして小学生から中国人という自我(愛国心?)があり、それが何もない僕には堪らなく魅力でした。全部負けてんじゃん!というコンプレックスが確かにあったんだと思います。


ただあまりにも当たり前すぎて、ずっと忘れてたのですが、

高校三年生位に、またそれがひょこっと出てきます。


よくある進路相談で、


「美大以外は行かないです!それ以外なら浪人します。」

先生「何でだ?お前は絵が上手なわけでもないし、好きなわけでもない。そんなんで、美大なんか受かるか!何で、行きたいんだ??」

「もー、普通過ぎる自分がイヤなんです!何もかも普通な自分が一番のコンプレックスです。だから普通の人がいなさそうな、美大に行きたいんです!」


そこで久々に思い出したのが、地元の友達です。

彼らは、親のお店を継いだり、既に中国やシンガポールを行き来して

ビジネスを手伝ってる友達もいた。

僕は、あの時の普通に高校に行き、その後、大学に行く。

小学生からずっと続く、コンプレックスがもりもり出てきて、どんどん差がつく!ここで一発やらないと追いつけなーい!

あの頃の僕には、絵が旨いわけでもないのに、美大だろ!というのがカッコよく映ってたのです。


その想いだけで突っ走り、現役は勿論全滅。。

その後、一浪しても、勿論センスなんてないですから、再び全滅。。

ただ、一浪目はさすがに、ちょっと弱気になり、普通の大学も受けていました。


ちょっと抗っただけで、結局、こっち側になっちゃうのかー。。。

あー、間違いなく、バイトやって、飲み会して、女の子と遊んで、ぶーぶー

言いながら就職活動やって、日々はゆるやかに進んでいくんだろな。。


ちょっとやさぐれて、投げ出しそうになっている時に、ジャストタイミングで名前が結局変わらなかった母親が、


お母さん「あんた、こんなんあるで。一回中国行って来たら?日本の大学行きたくないんだろ?遠いけど、親類もいるから、面倒見てくれるらしーわ。」


と、中国留学の本を渡されました。


ここが、今思えば、人生のターニングポイントでした。。。。





















←前の物語

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」

情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般...

大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。

今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と...

あのとき、伝えられなかったけど。

受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分...

ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと...

bottom of page