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13/3/13

パリダカールラリーにオートバイで参加したかった

Image by Olia Gozha

パリ・ダカールラリーというレースが有りました。パリを出発し、アフリカのダカールにゴールするラリーレイド。

渡された地図から、コースを読み取りチェックポイントを通過しながらゴールを目指す、まるで旅のようなレースなんです。

いろんな人が様々な乗り物で参加していたんです。トラックもあれば、乗用車も、四駆はもちろん、オフロードのオートバイや、サイドカーまで。

館兄はオートバイが好きだったので、そのオートバイで出場する事を考えるようになりました。生まれつきの遠くに行きたい病は、そんなことまで考えさせるようになったのです。

色々調べていくと、沢山のお金が要ることがわかってきました。館兄みたいな何もバックボーンのない人間に、スポンサーが付いてくれるわけがありません。

お金を稼がなきゃ。

ですが、そう簡単にお金が稼げるわけがありません。あっという間に日々が過ぎました。

世の中が変化し、パリダカールラリーも変化していきました。

テリー・サビーヌという主催者がレース中の事故で亡くなりました。大会にはメーカーが高いお金をかけてファクトリーチームを送り込み、テレビでも放送されるようになりました。

館兄のような一介のプライベーターが参加できるような大会ではなくなっていました。雑誌に掲載される写真を見ながら、強く憧れながら、でも、パリダカールラリーを走る夢を見ることが出来なくなっていました。

館兄は、オートバイに乗るようになる前からサイクリストでした。自転車なら世界中のどこにでも行けると気づく出来事がありました。

そして、1992年。そんな館兄の前に、あのパリダカでも走る、憧れのサハラ砂漠を走るマウンテンバイクのイベントがあることを知ったのです。

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