「話題のストーリー」になりました。
はじめに。
休学中の大学生が、縁もゆかりもない地方都市でバーテンダーをしてみた話 - 1 -が「話題のストーリー」仲間入りしました!ありがとうございます。
最後の更新です。かっこ悪いラストで大変申し訳ないのですが(笑)、ぜひ。
ひとりが好きな人がなる職業

働いていたお店には、常連さんがたくさんいました。
Mさんに言われていたのは、「僕やYを気に入ってお客さんは来てくれていた。そのことを忘れないでほしい」ということ。
元々あったお店の環境や社会やコミュニティに、うまく馴染んでいく必要がありました。壊すなんてもってのほか。
お店は、松山で20年続くBARです。オープン当初から(!)通っている人も少なくありません。
1杯1000円近くすることもあり、比較的年齢層は高め。新しいスタッフであるわたしを、常連さんたちは暖かく迎えてくれました。
そんな中、愛媛大学の学生も常連さんで何人かいました。
生まれ育った街が松山だという子もいれば、また別の地方都市からやってきたという子もいて。
年齢が近いこともあり、私は積極的に仲良くなろうと努めていました。彼らがどう考えて、街で生きているのか、とても興味がありました。
だけど、どこまで行っても「お客さん」と「バーテンダー」なわけで。
カウンターを越えて、個人対個人になるのはやっぱり難しいんですね…と、MさんやYさんにこぼしてみました。
そうして返って来た答えは、「僕らは商売だから。プライベートにまで引き寄せられないよね」。
結局滞在中、その子たちと外で遊ぶことはありませんでした。
バーテンダーは、会いに来てくれなければ、会いに行けない。
その距離感が心地良いのだとYさんは言います。「ひとりが好きな人がなる職業だ」と。
やってみて初めてわかるカウンターの垣根。手が届く距離なのに、高く厚い壁のように思えました。
少しずつ、理想と現実のズレを感じ始めます。
体調がズルズルと悪化

もしかしてわたしは、合わないのかもしれない、バーテンダーに。こういう、朝方寝てお日様に当らない、続いていく生活リズムに。もしくは、選んでみたこの街に。
なにより、今後の原動力が「言い出したことだし…」とか、「休学して地方で半年間働き続けた事実」のためであるなら、それほどかっこ悪いことはないだろうと思ったのです。
松山に来たときはそんな事実のためじゃなく、素直に、ほんとに、面白そうだから!の気持ちだけだった。
現実にやってみて、大変な部分と楽しい部分が「面白そうだから!」の気持ちを少しずつ増減させていって、ついに底を尽きたような感覚です。
休学。体と心に嘘をついてまで何かを成し遂げなければいけない、そんな不自由な身ではないはずでした。
そう思い始めてからは早かったのです。
失敗や挫折ではない、ひとつの経験

「東京に帰ろうと思っています。」
クリスマス直前の閉店後、MさんとYさんに告げました。言った途端、自分のふがいなさで涙がぼろぼろこぼれました。
せっかく半年間置かせてくれると言ってくれたのに、たくさんのことを教えてくれたのに。
だけれど、するりと肩の荷が下りたのをはっきりと感じました。
Mさんは「しんどかったと思うし、高原さんがそう言うのなら、わかったと言うしかないよね。高原さんがいたことによって仕事が随分楽になった面もあるけれど、元は僕とYだけでやってたわけやし」と続け、
「でもね、これだけは覚えててほしい。これは失敗や挫折やなくて、ひとつの経験だと。やってみて、違った。それだけのことやけん。よく頑張ったと思うし、とても楽しかった。雇ってよかったよ」と言ってくれました。
(優し過ぎる...Mさん、本当にありがとうございました。)
できなかったこと、足りないこと、譲れないこと

「自炊してしっかり体力つけなきゃ節制しなきゃ!」と、食べるものには特に気を遣っていました。
野菜を多めに、外食は控えめに。それがネックで、自分の時間がとれなかったとも言えます。
手を抜くこと。例えば牛丼とかラーメンで食を済ますこと(大好きなんですが、自分の食生活のせいで体を壊したくなかった…)。これができていたら、もっとわたしはうまくやれていたのかもしれない。
からだの管理をしっかりしているMさんとYさんと比較して、わたしは疲れやすかった。1番若いのに。
彼らにはこの生活リズムが染み付いているからかもしれないけれど、もっとできたはずです。
これから何かやりたいと思った時に、体力がネックじゃかっこ悪い。基礎体力づくり、からだづくりを見直す必要があるなあ、と。
そして、黒子ではなく、自分の手で何かを作り出すこと。夜寝て朝起きること。
そういうことが、自分にとって日々譲れないものであるのかもしれない。
あるいは、わたしは、何か大きなもの(会社とか)を介してじゃないと、挑戦し続けられないくらい弱い人間なのかもしれない。
横浜や東京や、そんなような雑多な街が結局のところやっぱり恋しいのかもしれない。自分の生まれ育った街が、友人が、家族が。
...そんなようなことを思い迎えた、ラスト1週間。
常連さんへの別れの挨拶

Kさん「僕が人生で1番多く開いた本を贈ります。昔ね、やりたくもない営業をやらされて、しんどくて、その時この本に出会ったんだよ。」
この時ようやく、わたしは3ヶ月もの短い間に、縁もゆかりも無い街で、新しい社会を作って来れたことを実感しました。
Kさん「松山に来る時は連絡してね。僕も東京に出張行く時は連絡するから。無視しないでよね。(笑)」
何度も「ちょっ...すいません...」とカウンターから外れて涙を拭いました。(笑)
別れ際に、自分の好きな本を贈ってくれる。「千晴さんの作ったお酒を飲ませて」と、頼んでくれる。どうでもいい会話でげらげら笑える。
そんな圧倒的に素敵な関係を築けていたことが、嬉しくて嬉しくて。
閉店後に頂いたのは、Kさんお気に入りのダンカンテイラーのクライヌリッシュ。
Kさんは水割りが好きだったけれど、わたしはストレートで。
最終日、歳納め、忘年会


新年明けて、わたしは慣れ親しんだ街に戻ってきました。
友人や家族と久々に再会し、自分の社会を噛み締めています。
変わったことといえば、800km先にある遠い街の、あるひとつのBARにも、わたしの社会があるということ。
もう二度と会えない人たちがいるとしても、確かに心に残っているということ。
日々は、あんなやついたなあ、の連続。わたしにとっても彼らにとっても。
ひとつの職業と、ひとつの地方都市に傾倒してみた、とある学生のお話でした。
かっこよく半年間やってきました!と言えればよかったのだけれど、ね。
読んでくださってありがとうございました。
復学まで3ヶ月。もうひとつ、一生懸命やってみます。